守銭奴、迷宮に潜る

きー子

20.襲撃

 木の扉というのは防音効果がいまいち期待出来ないようだ。あるいは単に立て付けが甘いのか。クロは話していてもなお静かなものだから問題はないが、俺くらいの声ならば結構通ってしまうものらしい。この辺り、どうも前世界での認識を引きずっているような気がする。よくよく記憶にとどめておかねばなるまい。

 どうやら『ライラック』の話によれば、ダナン・ド・ヴォーダン捜索の話題はすでに広まりつつあるらしい。おそらくはゲルダの仕業であろう。人探しは数とはいったものだが、その手回しの早さに舌を巻く。金に汚いのは俺に限ったことでもないから、正式な指令が下される前に商売敵どもに先んじようとするクランは少なくあるまい。それで明日はどうしたものかと考えて、特に気にしないことにした。早期解決が望めるならばそれはそれで万々歳だったからだ。

 翌日。クロの靴を新調したあとで探索へと向かう。引くことの500EN。心のなかに刻みこみつつ、予定した通り地下一階層からの探索を始める。狩りは滞りなく順調である。魔物を屠りながら周囲の生態へも気を配り、使えそうな葉花があれば持っていく。"お婆様"が表向きの生業にしていただけあって、クロにもそれなりに薬師の心得があるらしい。とことん働き口には困りそうにない女だと思った。

 そして進むうちに違和感があった。以前は人を見かけることのほとんどなかった地下一階層に、それなりの数のクランを見掛けたからだった。果たして新人かと脳裏によぎるも、手慣れた様子を見ればそうではないとすぐに知れる。大方、ゲルダから行方不明者の話を聞きつけて地下一階層を探しまわっているのだろう。

 実際、人が迷宮内部で長期間過ごすのならば二階層より一階層のほうがはるかに適している。魔物は比較的弱いうえに気温は程よく、水に事欠かない。仮に魔術師であるならば、魔力を含んだ屍肉を食らっても特に問題はあるまい。木陰など身を潜める場所にも困らないので、隠れ棲むにはうってつけである。しいて問題があるとするならば、虫が山ほどいるということだった。俺だったら断固としてお断りする。気持ち悪いからだ。山のほうが断然マシだ。

「ウィルさま、なら」
「うん」
「どこに、潜伏されます?」
「一階層最深部、だな」

 虫はごめんだが、最深部には下りの階段がある。一階層と二階層の行き来を容易にするのは重要であるように思われた。最低限度必要な水と食料を補給するためである。また、迷宮の入口から直接繋がっていないのも都合がいい。虫はごめんだが。地下二階層に転移してすぐに階段をのぼれば実質的な直通路ではあるが、わざわざそんなことをする理由はあまりない。"要塞亀"でも狩りたいのならば話は別だが、そもそもあれは手間のわりにうまくない。俺が美味しくいただけるのは、クロが扱う道具あってのことである。ありがたい話であった。虫はごめんだが。

「虫が苦手なのは、わかりました」
「はい」

 くすくすと笑われてしまった。最近は魔物のように大きな虫のほうがいっそまだ良いと思い始めている。なにより金になる。ちいさな虫が靴を這い登っていたときなどは全力の焦りを禁じえない。

「まあ、あてにはならんだろうけど」
「そう、です?」
「目的もなしに潜伏し続ける理由がない。長引けばそれだけ疲労で危険も増えるし、逃げのびたいのなら一か八かで外に出たほうがまだいい。つまり、迷宮内に用がある可能性が高い。その理由次第かな」
「力がないとしたら、どうでしょう」
「とうに魔物の腹の中かもな」

 実際、その可能性も十分すぎるほどある。魔術師だとすれば、というのはあくまで確率の低い仮定であるからだ。くたびれ儲けになるのも御免なので、依然として稼ぎの主たるはもっぱら狩りだった。淡々と"漆黒の牙獣"の首を刎ね飛ばす。あの熊を相手にした後では、さすがに容易い相手だと思う。油断しそうでどうにもいけない。神妙に気を引き締める。

「お腹、さばきながら、いきます?」
「その時間が惜しい」

 さらりと空恐ろしいことを口にしてくれるクロにちょっと戦々恐々する。その表情は存外に興味ありげでもある。クロの膨大な知識の中でも、魔物の内臓なんかはさすがに網羅しきれていないのかもしれない。魔物のもつっておいしいかな。研究の足しになるならばそれも悪くはないかと思う。

 この日の探索はつつがなく終わった。事があったのは帰りがけにギルドに寄ったときのことで、『ダナン・ド・ヴォーダンの捜索と保護』の指令が正式に全クランへと通達されていた。報奨金は生きたままであるならば金貨20枚、死体で確認されたならば金貨5枚。価値が今ひとつピンと来なかったが、ギルド内の賑わいを見る限りどうも滅茶苦茶な高額であるらしい。

「保護、なのですね」

 クロがゆっくりとエールを冷やでかたむけながら呟く。前も飲んでいたが、大層好きらしい。それでクロと同席するときはいつも付き合って飲むことにしているが、飲み慣れたかといえば全くそうでもない。ぬるくて食感がしっかりとあるので、ちょっと酒を飲んでいるという気分にならなかった。ヨーグルト食ってるみたい。

「名目上はな。それと、ウィル」
「うん」
「お前の読みが当たった。あれは魔術師だ。おそらく、まだ生きている」

 固体みたいな酒を飲みながら頷く。歯ごたえがすごい。一週間も経っているのに騎士団とやらが出張っている時点である程度は察せられようものだが、正式な指令とあっては決定的だ。そして魔術師であることが明らかならば、気になることがもうひとつ生じてくる。

「魔術師だと分かるようなことを、やったわけだ」
「詳細までは吐かせられなかったがな。そう考えるしかねえ」

 つまり、政治力の限界か。とはいえ、何かがあったということさえ分かれば十分だった。中間管理職の働きに敬礼する。

 迷宮内でダナン・ド・ヴォーダンが発見されたのは地下二階層の山頂近辺。つまり男の目的はそこにある。それを執政院が持つ情報で分かっているから、第四騎士団も地下二階層を張っている。薄ぼんやりと話が見えてきたような気がする。ついでに金貨も見えてくるような気がする。それだけあれば家が買えるかもしれない。稼ぎ場を気軽に変えられなくなるのは難点だが、家はいい。とてもいい。俄然やる気が出てくる。

「ウィル、さま」
「うん」
「魔術師には、お気をつけ、ください」
「特別に、何かあるのか」
「お婆様が、言っておられ、ました」

 木の杯をゆっくりと干す。華奢な喉元が静かに嚥下する。酒精の気はわずかだが、クロはかすかに赤らんでいう。

「"魔術師には二種類ある──ひとつは壊れた人間で、もうひとつはまだ壊れていない人間だ"、と」

 いたく不吉な言葉をいただいてしまった。魔女の予言ともいうべきだろう。とはいえ、聞かないほうがよかったとも思わない。心して頷く。あまり本腰を入れるべきではない、ということだった。さらば金貨。元から皮算用なので未練はない。後は棚ぼたを祈るばかりである。

 ダナン・ド・ヴォーダンは果たしてどちらだろう。それだけが気にかかった。


 それで翌日からは、主に地下二階層の中層を探索することにした。場所は山岳の中腹にあたり、行き来も山頂ほどに労するものではない。地下一階層に流れているクランも少なくはなく、狩り場がいつもよりも空いていることも理由にあった。騎士団が張っているのは山頂近辺であると考えれば、厄介事に巻きこまれる可能性もそれなりに下がるだろう。

「ウィル、さま」
「ああ」
「少し、あついです」
「そりゃあな」

 無理もない。今日のクロはいささか厚着である。民族衣装めいた藍色のワンピースは、布地がゆったりとつくられていて表面にひだが出来ている。ドレープとかいった気がする。それに同色のスカーフを巻きつけて黒髪を覆っているという格好だった。おさげ髪は布に収まりきらずこぼれてしまっている。生地は薄めであるために場違いでは決してない。むしろ強い日差しを避けるためには肌を隠すのは適切であるといえた。だが、溜まりこんだ溶岩地帯から吹き出す熱がいかんともしがたく身体を灼熱するのだ。

「脱いで、いいですか」
「やめとけ。焼けるぞ」
「日焼けは、お嫌いですか」
「健康的なのはいいことだが」
「では」
「この陽は健康的じゃない」
「は、はい」

 そんな感じで、調子のほうはいつも通り。あいにくの"逆陽"であるから当然といえば当然だった。数日と探索を続けてわかったことだが、どうも地下二階層は一階層よりも日照時間がはるかに長いらしい。はじめは偶然かとも思われたが、例えば山頂に行き来する過程で探索が長引いたりしても陽がかげることはなかった。厄介な話である。あるいは、迷宮内での夜冷えまで対策する必要がないことを喜ぶべきか。

 わだかまる溶岩流から湧き出してくる"彷徨う火蜥蜴"を順繰りに屠っていく。溜まりこんでは面倒であるから、戦術は見敵必殺を基本とする。火の息を吐かれる前に仕留めるのだ。その最中にはクロが警戒を欠かさず、指揮を受けてまた湧き出す新手を切り飛ばす。それの繰り返しで発生が止まったときに一息ついて部位を刈り取り、場所をうつす。効率を突き詰めていくと、このやり方がちょうどよかった。溶岩溜まりの地形が目印となるため、定点狩りというやつに近いのかもしれない。

 移動中、ふと物陰から火の気が吹き出す。すでにわき出した新手であろう。曲がり角であったから炎を食らう心配はない。クロを掌で制して迎撃の態勢をとる。

 その瞬間だった。視界を塞ぐほどの炎の渦が眼前を通り抜けていく。そしてそれは一度空中で止まったかと思うと、軌道を歪める。先端の向く先が変わる。それはさながら狙いを定めるかのようだった。そして真っ逆さまに落ちてくる。狙いは────

「ウィル、さまッ!」

 俺じゃない。クロだった。思考を介さず全力で駆け出す。ほとんど抱えるようにしてその場からクロを連れ去り、倒れ込みながら緊急回避。クロの元いた場所を炎の槍が穿ち抜く。炎がわずかにクロの衣をかすめている。耐火加工をしていた甲斐があると心の底から思う。立ち上がって咄嗟に振り返る。

「な」

 着弾した地点に、ひとりの男が立っていた。男は擦り切れた黒いボロ布をまとっていた。フードの端から覗く顔は老人で、痩せこけた頬と無秩序に伸びた白い髭がきわだつ。ボロ布の下は仕立てのよさそうな官服を身につけていたが、それも無惨に薄汚れて面影もない。暗い瞳に眼光だけが炯々と輝いている。男は狂っていた。

 よく見て、分かった。よく見なければわからなかった。男はダナン・ド・ヴォーダンその人だった。

「──クロ、抱えるぞ舌噛むなッ!」
「は、はひ」

 クロを背中に抱え上げた直後、ダナンの掌がかざされる。絶えることなく干からびた唇は何とも知れぬ言語をぶつぶつと呟き続けていた。交渉どころか対話の余地さえまるでなく、掌から炎の渦が放射される。地を舐めるように、炎が蛇行して燃え広がる。それを迂回してかわしながら瞬間、考える。逃げるべきか殺すべきか。はっきりいって戦いたくはないが、クロをともなったまま魔術師に背を向けるのはリスクが高すぎる。ほとんど自殺行為だ。ならば殺す。自分を殺すよりかは断然他人を殺すべきだ。見ず知らずの他人を殺すべきだ。

 首筋にクロの両腕がしっかりと回る。離れないよう手早くベルトで縛り付ける瞬間、続けざまに指先を突きつけられる。熱線であった。それを紙一重でかわしながら肉迫する。指先が刃のように振られる──追従してくる熱線を身を低くしてかいくぐる。クロの背が低くて良かったと心の底から思う。

 抜剣。突き出した魔術師の右腕を刎ね飛ばす。それは呆気無く、何の抵抗もなく血しぶきをあげながら飛んだ。ダナン・ド・ヴォーダンの表情が哄笑で歪んだ。

「ひ────ひひひひひひィッ!」

 喜悦と恐怖が入り混じったような笑い声。つくづく狂っている。狂った男は脇目もふらずに後ろを向いて逃げ出していた。逃がすわけがない。背後から胴を両断にかかる。

「ひ、ひッ」

 その踏み込みが、あと一歩のところで遮られる。分厚い炎の柱──否、もはや壁というべきそれが吹き上がったからだ。精気を脚にのせて跳躍、迷わず飛び越えていく。クロが背中でたいへん目を回してしまっている気配がある。すまん。心中で謝りつつ追跡を再開。ダナン・ド・ヴォーダンがひた走る先は、峻険な崖が突き立つ袋小路だった。ならばこそここで退いておくべきか考えるが、男は時おり炎の壁を張り巡らせてその向こう側にとどまった。すなわち、こちらの動向をうかがっているのだ。背を向けた瞬間、逆襲に転じられてもおかしくはない。誘われているのかもしれないと薄々感じながら、やむなく追い続けるほかはなかった。

「ウィル、さま」
「応ッ」
「新手──"彷徨う火蜥蜴"、三匹、ですッ」

 いまだその姿は影も形もない。一体どうやってそれを感知したのか俺には全くわからない。微細な気温や気圧の変化であろうか。だが、魔物は間違いなく発見された。ダナン・ド・ヴォーダンもまた高き崖を背にしてそこにいる。包囲されていると理解するよりも早く飛び込みざまに一匹を両断する。

 その隙をつくように、ダナンは中空に炎の槍を生じさせた。それがまた、落ちてくる──その狙いは、やはり間違いない。男に剣を突きつけている俺ではなく、その背にいるクロを狙い定める射角であった。それを避けながら駆け抜けざまに顎を開きかけた"彷徨う火蜥蜴"を一閃して屠る。残る一匹が、顎を開いたままこちらを向く。不可解なことに、先に補足していたはずのダナンを狙う様子は全くない。疑問を口にする間もなく剣を構え────それを叩き付けるよりも早く、どこからか飛来した矢が"彷徨う火蜥蜴"の頭を貫く。

 それでとどまることなく一矢、二矢と矢継ぎ早の追撃がダナンを襲う。肩を穿ち、脇腹を撃ち、果てに残った左腕を貫いて地面に縫い付ける。誰かはわからないが、対岸かどこかからの援護であることは確かだった。とどめを刺すべく剣を振るう。

 瞬間、ダナンの左腕が炎上した。腕ごと身体を戒める矢を焼いて、その老躯が跳ね上がるような勢いで立つ。そして走りだした。脚が向く先は──山の下、だった。

「ひひ、ひッ」

 山の中腹とはいえ、追走の過程で標高は上がっている。下までゆうに数十mはあるはずだ。それは飛び降り自殺以外の何物でもない行為だった。落ちればまず死ぬだろう。死なないわけがない。にも関わらず、ダナン・ド・ヴォーダンは笑った。笑ってこちらを見た。

「竜は、必ず、蘇る────滅び、あれ」

 そう言い残したとき、すでにその脚は踏み切っていた。追いかけられようはずもなかった。ダナン・ド・ヴォーダンは身体────その肉と脂を燃え上がらせて、黄金の炎に包まれながら地に落ちていった。

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