守銭奴、迷宮に潜る

きー子

06.迷宮に着ていく服がないことはまだない

 というわけで、迷宮探索二日目である。周囲は薄暗いが、逆陽はほのかに照っている。迷宮内部は日の出の刻、といったところだろう。

 初日はいわば視察をかねて何も考えずに狩りまわった結果である。同じようにやっていては進歩がないため、今日は試行錯誤の日だ。無理に探索は進めず、既知のエリアを回ることにする。腰のベルトにちいさなランプをつるしておく。完全に火が消えるまで三時間は持つ計算であった。だいたいの時給を割り出すために持っている。

 魔物の狙いも絞っていく。主に巨大な蛾を狙って狩る。高値がつく翅を積極的に狙うためだ。やり方は昨日のうちに慣れたものだから如才ない。しかし全部うまくいくというわけではなく、成功率はせいぜいが七割。翅を外して身体だけを突いても、木剣の威力の質は打撃である。その衝撃が周囲にまで伝わってしまうのだ。結果、いくつかの翅はバラバラになってしまう。ひどく物悲しい光景だ。そうか、つまり俺はそんなやつなんだな。そんな言葉が不意に脳裏に浮かぶ。そういえばあのグロテスクな蛾によく似ている気がするので、俺はひそかにその魔物にクジャクヤママユと名付けることにした。

 淡々として狩っていると益体のない思考が浮かんでくるので、時おり実験をかねて動く。もぐらのような魔物はさっさとその場を離れたら追いかけてくることはなかった。つまり、わざわざ手間をかけなくてもいいということだ。テリトリーに入ってきた人間にだけ襲いかかるのだろう。

 狙いをつけているとはいえ、蛾ばかりを狩れるわけではない。あまり長く放っておくと襲ってくる魔物が飽和しそうになるので、定期的に処理する。芋虫のような気味の悪い魔物も残念ながら執念深かったのできっちり殺す。殺すときには身をかわして残心するよう気をつける。出来るだけ汚れをよけたかった。

 虫もはっきりいって触りたくないのだが金のためにと唱えながら肉質を剥ぎ取る。切実に手袋が必要だと思った。虫なんか森で飽きるほど見たからとうに慣れたが、だからといって抵抗がないわけではないのだ。

 一緒くたに素材を放り込むのもよくないと思い、大きめの袋と小さめの袋を用意した。小さめの袋には翅ばかりを放り込んでおく。臭いはさほど無いが、鱗粉が染み付いていやな感じの色が出ている。これが金になるのだから不思議なものだ。その小袋がいっぱいになったところで蛾を狙うのは止める。部位の流通量を増やしすぎるのもうまくない気がしたからだった。

 これでだいたい二時間が経過していた。残存の精気にはまだまだ余裕がある。ちょうど良い時間だったのでメリアさん謹製の弁当を食す。硬めのパンに切れ目が入っていて、そこにチーズと生野菜がサンドしてある。うまい。人間らしい食事に感謝しつつ水筒を取り出し水分補給。やることをすませるとふたたびランプに火を灯して二周目に突入。半円状の既知エリアを少しずつ広げていくように、外縁部をうろつき回る。

 こうして徘徊していると不思議なものだが、存外に他の探索者に出会うことがない。多くのものは地下二階以降を稼ぎ場にしているのかもしれなかった。少しばかり寂しい気はしないでもないが、不用意な衝突を起こすことがないので良いことだろう。なにせ俺はひとりだから、そういう揉め事になったらどうしても立場が弱い。クランを要するとすれば次の階に進むときだろうか、と考える。ちょっと考えが早すぎる気もした。どうも周りの反応からするに実際は遅すぎるようだが。

 虫だのをひたすら狩るうちに新手を見る。それは迷宮内にそびえる樹の枝から身をひるがえした。モモンガによく似ていた。だが、獣のそれとは全く異なる軌道である。まるで風船のように膨らんで見えるほどの空気をためこんで、極めてゆっくりと滞空しつつ落ちているのだった。

 降りてくるのを待つのも面倒である。精気を脚部に集中させて地を蹴る。5Mほど飛び、脳天を一撃する。

「ぶぎゃッ」

 無様な鳴き声をあげて落ちる。モモンガの魔物は頭から地面に叩きつけられて血を流し、死んだ。

 こいつはなんのためにこんな生態をしているのだろうと深刻な疑問を覚えつつ死体を検分する。存在意義がわからないのでどの部位を持ち帰るべきかもよく分からない。いっそ死体をそのまま持ち帰ってやろうかと思ったが確実にくさい。仕方がないのでチャームポイントとでもいうべき飛膜を剥ぎとっていく。

 袋からもずしりと重みを感じるようになってきた。灯火も残りはわずか。入り口への距離もそれなりにあるので、そろそろ戻ることにする。広間に背を向け、通路に差しかかる──その時だった。

 通路の向こう側に黒い影。金色の瞳を輝かせる漆黒の毛並み。怒気を孕んだ唸り声が響く。獣のそれだった。耳にしたときにはすでに、足元の草原が散って目の前の四足が駆け出している──咄嗟に横に避ける。

「ッ」

 すぐ傍をそいつが通り抜けていく。顔に熱を感じた瞬間、頬が一直線に斬り裂かれていた。

 傷は浅い。薄皮を割かれたようなものだが吹き出す血液が稜線を引く。痛みどころではなく咄嗟に向き直る──目の前にいるそれを認識する。1M程度の黒豹。額にまるで月のようなあざがあった。咄嗟に踏み込んで木剣を切り下ろす。袈裟懸け。

「グルルル────ゥ」

 唸りとともにさばかれる尻尾がまともに木剣と撃ちあう。硬質な音色が響く。硬すぎる。

 咄嗟に剣を引く。黒豹もその反動で向き直る。相対する。当然、初動は相手のほうが早い。速度でかなう敵ではなかった。

 だが、問題ない。

「ギ────」

 爪が振りかぶられるも、それはすでに不意打ちではない。真っ向から振るわれれば見切るのは造作も無い。前足から掬い上げるようにして木剣でさばく。そのまま精気をのせた蹴り脚を顔面に叩き込む。

「が、ゥッ」

 まともにひっくり返ったところで仕留める。首を踏みつけにして押さえる。外さぬよう剣先を足元に向ける。下突き。狙いは黒豹の額へ、余す精気をつぎ込んで一撃する。貫通。

 断末魔もなく倒れるが、今はそれどころではない。周囲を見渡す。このレベルの魔物にわんさか出てこられたら確かに俺では手に負えないかもしれない。しかし幸いにしてそのような気配はなかった。だが、ぐずぐずしていれば寄ってこないとも限らない。尻尾、爪、牙と余すことなく剥ぎとって早々に退散する。

 この迷宮で、初めて負った手傷であった。金を稼ぐのも楽ではなさそうだ。思わずため息が漏れた。


 この日の稼ぎは720ENだった。時給にして120ENというところ。体感では昨日と同じくらいの時間だったから、稼ぎとしてはかなり改善している。

 例の黒豹は結構な高値をマークした。部位ひとつで10ENはするから、一匹で30EN。意外にムササビもいい感じだった。あれの飛膜は弾性に富んでいて丈夫だから用途は多岐に渡るという。降りてくるのを待つのは時間がかかるし、飛び道具を使うと傷つけてしまいやすいという但し書きがついてはいるが。

 ともあれ、稼ぐアテが増えるのはありがたかった。とてもいい。

「お前、どうして生きているんだ」

 それがゲルダから頂いたお褒めの言葉であった。どうやら例の黒豹──正式名称"漆黒の牙獣"(えらく曖昧な表現である)は、決まった広間を自らの領域として徘徊する存在であって、駆け出しでは相手にならないいわば"強敵"であるらしい。領域の外側まで追いかけられることはないが、運が悪ければ呆気無く死ぬとも。

「そういうことはちゃんと警告しておいてほしい」
「昨日の今日で一階深部まで突っ走る馬鹿がいるとは思いもしなかった」
「なんだと」
「そもそも、あれは一人で相手にするものじゃない」

 ため息を付きながらも、確かに俺の落ち度だといってゲルダは新しい袋を餞別にくれた。地味にありがたい。我ながら安いと思わないでもないが。

「ともあれ、あんなのがわらわらいるわけではないんだな。良かった」
「こいつは……」

 神妙に額を押さえる姿が目の前にあった。不思議と俺にまで視線が集まっている気がする。どうにも馬鹿扱いされている気がしてならない。初日がああだったからなおさらだ。

「あれがか? なにかの間違いじゃないか」
「だが、確かに持ち帰ってきたというぜ」
「その辺で拾ったとかじゃあないかね」
「金目のものを落っことしてくる馬鹿があるか──」

 周囲から漏れ聞こえる声は半信半疑といった様子。どうにも信用が足りない。こればっかりは仕方ないので、のんびりやるとする。などと思ったが、よく考えれば特に認められたいわけでもない。安定して金を稼げればそれでいい。稼ぎは良くしたいが、安定が大事だ。しばらくは一階層だな、と反省しきり。

「じゃ、用もあるし行くよ」
「おう。無茶すんじゃねえぞ」

 心配はされているらしい。ありがたい話。宿で有望株と書いてもらっていたことを今更に思い出す。宿。

「そうだ、宿だ。しばらくあそこに世話になる。ありがとう」
「そ、そうか。良かったらいいんだが……」

 おっさんはあの宿にいやな思い出でもあるのだろうか。確かに人物は濃すぎるが、俺としては料理の腕で帳消しにされるのでいまや全く問題なかった。

「宿っていうと」
「ああ、あそこだ。"杉の"」
「マジかよ」
「……そういう趣味か?」
「全くもって違う!!」

 思わず椅子からガタンと音を立てていきり立つ。こちらに注がれる視線と噂じみた囁きに向かって思わず突っ込んでしまった。流そうとつとめていたのに。彼らが恐縮している始末であった。俺も大変恥ずかしい。「またヨー」恥ずかしいので早足で去る。陽気な姉ちゃんの御挨拶がひどく遠かった。


 翌日。非常に惜しいがメリアさんの朝食を辞して早い内から出る。朝の市を回るため、そしてアミエーラの様子を見に行くためだった。

「そう急がなくたっていいじゃなぁい? あの子はやるといった仕事はやる子よ!」

 というのがメリアさんの弁である。朝食抜きな分、少しだけ豪勢になった弁当をありがたく受け取りながら応じる。

「疑ってるわけじゃないんですが」
「あらぁ、そう?」
「着る服が危うくなってきたもので」

 迷宮に着ていく服がない。ないわけではないが、そろそろのっぴきならない。このまま事態を放置しておくと服を買いに行く服がなくなる羽目になるだろう。それだけは避けたいので、是非早いうちにお目にかかりたい。つまるところ、我ながら少し過剰な期待が大部分であった。

「いいじゃない、なんなら私が仕立ててあげ」
「それはいいです」

 かぶせるように断っていく。メリアさんがふくれっ面になる。とてもかわいらしい。嘘だ。とても怖い。

「そんでは」

 いってきます。若干呆れた様子のメリアさんの見送りを受けながら街に出る。時間はまだ日が出て少しといったところ。しかし、街の中心たる迷宮を遠巻きに囲うようにして広がる朝市はすでにずいぶんと賑わっていた。

 目的は特に無い。強いて言えば市場調査といったところか。わかったことは、この市場だとENがあまり使えないということだった。行商人の姿もちらほら見えるから、広く扱える硬貨でなければ商売にならない。あるいはENが使えても割増であったりする。極小数、しばらくこの町を拠点とするのであろう商人とは気兼ねなく取引することができる。

 そういった事情を見たうえで、考える。そして取りあえずは、両方の金を持ちたいと思った。ひとまず今の手持ちは1000EN足らずであるから、不足はするまい。だからこれからは銀貨に替えてもらうのも悪くないと思う。だが、武具やら道具を補充することを考えればENも目減りしていくだろうから、どちらかに偏らせるのもうまくない。つまり、状況判断が必要だ。そして財政状況を正確に理解するためにも、帳簿をつけるべき時期がきた。

 本当に面倒くさい。切実に誰かにやってもらいたいと思いながら屋台が出ていたのでジュースを買う。二人分。これでまた3ENが減った。柑橘系のにおい。控えめな甘みと、少し強めの酸味。やたらとすっきりする味だった。悪くない。 

 その足でアミエーラの元へと向かう。もう一人分のジュースは土産に持っていくつもりであった。

 目に見えるは相も変わらず古ぼけた二階建て。遠慮無く入る。鍵はかかっていない。不用心すぎると思いながらドアベルを響かせて入店する。昨日より埃っぽさは薄れているような気がしないでもない。

 ふと机のほうを見やると、金色の頭が埋もれていた。アミエーラだった。机の上には糸やら裁断された布やらが無秩序に散らばっていて、まさにその中心に埋まっているとしか言いようのない有様だった。規則的に穏やかな寝息が聞こえてくる。起こすのがあまりにも忍びない光景である。

 朝までやってたのだろうか──取りあえず机の隅にジュースを置いておきつつ、薄暗い部屋の中を眺め回す。見ると、彼女の手元近くに綺麗にたたまれた衣服があった。なんというか、ようやくの思いでたたみ終えるなり力尽きたという風情であった。アミエーラの尽力が忍ばれる。

 昨日手渡された札を代わりに置いておき、起こさぬようにそれを取り上げる。短衣が二着に、羽織るもの──カーキ色のコートだった。裾はかなり長めで、膝の近くまで伸びている。縫製のあともあまり目立たない。これほどの短時間でどうやって仕上げたものか、ちょっとどころでなく不思議になる。

 すこぶるいい感じ。試着をしてみたいものだったが、あいにく試着室などはない。

「まあ、いいか」

 声に出して言ってみる。アミエーラが起きる気配は全くなし。身じろぎひとつない。というわけで遠慮無く着替えてしまうことにした。今着ているくたびれきった服を丸めて荷物にまとめ、新しいそれを着なおす。

 手ざわり、肌ざわりは良好。粗く擦れる感じが全くない。地味にサイズもぴったりだった。少し触るくらいでわかるものなのだろうか。

 その上からコートを羽織る。触った感じはどこかつるりとしたものがあった。汚れに強いとは所望したたものだけど、この感触はなんだろうか。首をかしげる。他にはポケットがいくつかついていて便利そう。剣を吊るすためのスペースであろうか、内部構造はかなりゆったりとしていた。そこまで注文した覚えはなかったが、呑気な顔をして娘のほうはよくこちらを見ていたらしい。

 感心してふとアミエーラを見ると、目があった。思いっきり起きていた。

「……おはよ」
「おはよう。すまん。邪魔している」
「人前で、脱ぐのは、どうかなって」
「すまん。寝てると思った」
「寝てた、脱ぐまで」
「どうしてもうちょっと寝ていてくれなかったの?」

 我ながら不条理なことを言っている自覚はあった。いや、そんなことはどうでもいいんだ。俺が脱いでいるとか脱いでいないとか限りなくどうでもいいんだ。男なんか半裸であろうと究極的には問題はない。いざとなったら全裸でもいい。いやよくない。

「……それで、大丈夫、そう?」
「問題ない。是非もらいたい」

 頷くと、アミエーラもちいさな頭をもたげてこくりと頷く。眠そう。いや、彼女は昨日からこんなものだったかもしれない。そしてもそもそと手を伸ばし、ジュースを啜るようにした。俺が特になにもいわない内から。案外ちゃっかりしていた。

「……よかった。またの、ご贔屓、おねがい、よ」
「頼むかな──うん、多分また頼むと思う」
「メリアさん、にも、よろしく……」
「おう」

 紹介してもらった手前もあるし、仕事にもおおむね満足である。いうことはない。ひらひらを手を振って背を向ける──ふと振り返ると、アミエーラの頭がまた机に埋まっていた。力尽きて眠っていた。おやすみ、といって扉を開けた。静かな寝息が返ってきた。

 俺はその足で迷宮に入る。探索三日目。昨日のようにランプに火をつけ、物の試しにともぐらを相手取る。

「──しッ」

 体内の精気を感覚し、腕を通して剣先にのせる。精気が生み出す力は強いものだが、かといって肉体を鍛えなくてもいいわけではない。むしろ精気が生じさせる力の反動を受け止めるためにも、肉体は相応に強靭でなければならない。肉体が強いほど、許容できる精気量は増す。かといって過剰な筋力は武器へと精気を伝達する過程で効率を落とす──つまり、精気の一部を削いでしまうことがある。素手ならば問題ないが、膨大な筋力に見合うほどの精気の持ち主はそうはいない。

 本来ならば、巨大なもぐら程度の魔物は少量の精気で十分である。だが今回に限りそれなりの精気を乗せる。横薙ぎに木剣を振るうと、もぐらの胴から真っ二つに断裂した。まともに血やら肉片やらが弾け飛ぶが、それをあえて避けずに浴びる。

 仕立てたばかりのコートが一見して悲惨になる。それを雑に掌でどけるように払う。あえてラフに。

 血は布地に吸われることなく流れて落ちる。着古した布地をちぎってあてがうと、汚れを簡単に拭うことが出来た。肉片からただよう悪臭や血がこびりつくこともない。

 ──服を扱うならば極端な話、無理にこの手の対策をやらなくても構わないだろう。当たり前の話、衣服がダメになれば需要は増えるのだ。信頼は損なうだろうが、安価で仕事が早いならばそれも悪手ではない。だが、このコートはそうでない。望み通り、というよりそれ以上だった。

 今日は捗りそうだ。俺は笑って木剣にこびりついた血を払った。

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