カノジョの好感度が上がってないのは明らかにおかしい

陽本奏多

第63話 姫と勇者の物語

「さぁ出てこい、卑劣な魔王よ! ここで決着をつけようぞ!」

体育館に響いたその勇者然とした声に、観客の誰もがクライマックスの予感を感じ取り、空気がピリピリと震えたような気がした。

そんな俺は舞台袖。姫――六実の傍らに立って、舞台の神谷を一心に見つめていた。
ここからは先は一発勝負。一つ一つのセリフ運びが劇のエンディングを決めることになる。
それは俺だけじゃなく、そばの六実にも言えることだ。

彼女の方に目を向けると、こちらに気付いてにこりと笑いかけてきた。
だが、その笑顔も緊張のせいか少しひきつっている。

「大丈夫か?」

「うん、ありがと。というか、馨くんの方こそ大丈夫なの? さっきも動きガチガチだったじゃん」

「え、まじ?」

冗談めかしてそう言う六実に、俺は思わず素で答えてしまう。
……というか、俺そんなにガチガチだったの? 結構、うまくやれてると思ってたんだけどなぁ……。

「と・に・か・く」

物思いにふける俺の頬を六実はぷすっと刺して覗き込んできた。
普段なら恥ずかしくて目をそらしてしまうのだが、今日は何故か、彼女の瞳から目を話すことができなかった。

「どんな結果になったって、私は大丈夫。――だから、がんばろ?」

「――! ……あぁ。やってやる」

俺は一言だけ、自分が持ち得る最大の気合を込めて、そう返し、魔王のマントを翻した。

そして俺は、手を鎖でつないだ六実を引いて、舞台上へ。

「よく来たな、勇者よ。姫を助けたいのなら、俺の屍を超えて行け!」

「はっ。お前は最初から屍の身であろう。まぁいい。切り伏せてくれる!」

「だめです、勇者さま! いくらあなたといえど、魔王には到底かなわない!」

六実の迫真の演技に、俺まで思わず気圧されてしまう。
しかし、ここで俺が黙っていては劇は進行しない。

「そうだ、勇者よ。いま剣を置けば見逃してやらんこともないのだぞ?」

「見逃す? 馬鹿を言え。お前のような下等生物など、一瞬で屠ってくれよう」

ほんっとうに、殺る気満々の笑みを浮かべて神谷は俺にそう返す。
その覇気に、こいつはやばいという直感を抱きつつ、俺は六実を横目で窺う。

――六実、頼む。

心の中でそう念じたのが聞こえた――はずはないのだが、六実は小さく頷いて一歩前へ出た。

「どうしても戦う気なのですね……ならっ! 勇者様が勝利を収めた暁には、私の唇を……もらっていただけませんか?」

上目使いで、六実はその『台本にはないセリフ』を語った。
まさかのセリフに神谷は一瞬戸惑う様子を見せたものの、直後、好都合と言わんばかりにニヤリと口元を歪めた。

「あぁ、愛しの姫よ! もちろん、勝利した暁には、あなたの唇をもらい受けよう!」

腕を大きく広げ、顔は真上に向けながら神谷は絶叫じみた声でそう答えた。

――かかった。

「お遊戯は終わったか? それでは始めようではないか。出でよ! 我が使い魔たちよ!」

俺のそのセリフを言い終えるや否や、舞台に3体の使い魔――の仮装をした生徒が現れた。
特殊メイクっぽいのをした奴や、完成度の高い着ぐるみなどの威圧感はなかなかのもので、またもや観客がどよめいた。

「行け!」という俺の掛け声に応じて、使い魔たちは勇者へ向かっていく。
それを神谷――じゃなかった勇者は難なく切り伏せ、使い魔はすべて倒れた。

「なん、だと……? 俺の使い魔が一撃で……」

我ながら、迫真の演技で、驚く魔王を表現できたと思う。
それが演技だともわかっていながらも、そんな俺の姿を見た神谷はさらに嗜虐的な笑みを浮かべていた。

「姫を想って鍛えた剣技……その積み重ねが今の私に力を与える! さぁ、姫よ、待っていてくれ! いまこの小汚い小虫を払いてあなたのもとへと参じよう!」

その後、神谷は剣を構え、こちらへ駆けてくる。その勢いをそのまま乗せて神谷は剣を全力で振り切った。
俺は練習通りに剣をすれすれで避け、神谷の二本目の太刀筋を片手で受け止める――はずだった。

神谷の持つ剣は完全に俺の右手にクリティカルヒットし、腕を大きくはじいた。と、同時に手に鋭い痛みが走る。

打ち合わせや練習では、剣は発泡スチロールに装飾を施したものだった。なのに、今感じた重量感は明らかにそんな軽いものではない。よくて重いプラスチック、最悪あれは金属……?

そんな俺の思考を鈍く痛む右手が遮った。
この状況の答えは簡単。神谷が俺を傷つけるため、本番に剣を替えてきたのだ。

「馬鹿か、あいつ……」

俺は自分だけに聞こえるくらいの声量でそう呟いた。
斬られた、というより打たれた右手は、まるでやけどをした後のように熱く、鋭く痛む。

その痛みを俺はなんとか噛み殺して、勇者に向きなおった。

「なかなかやるようだな……しかし、俺はこんなものでは――」

ゴスっ。
そんな音がした。

俺がセリフを言い終えないうちに、神谷は剣を真っ直ぐに構えて突撃してきたのだ。
その切っ先はしっかりと俺の脇腹を捉え、俺は後方に大きく仰け反りながら倒れる。

「馬鹿め! 敵との戦いの中で無駄口を叩いている暇などないのだよ!」

半分薄れかかっている意識の中、そんな声が聞こえた。
直後、霞む視界の中に神谷が入ってきて、俺を上から醜い笑みで見下した。

そして、勇者は剣を両手で逆手に持つと、大きくそれを掲げた。
鈍く光る県の切っ先が、俺の身体の真上で揺れる。

「さぁ! 今こそ審判の時だ! 残虐なる魔王に死を! 神聖なる王国に祝福を!」

そして、勇者はなんの迷いもなく剣を俺に突き立てた。

「ぐはっ! ――ごほっ、っ……!」

「どうした? もうくたばってしまうのか? あんなに虚勢を張っていた魔王がか!? はははっ、お笑い草だな!!」

痛い痛い痛い痛い痛い。もう張り裂ける。破れる、突き抜ける。
質量を持った長い棒が俺の腹に抉りこんでいる。

「なぁなぁ、もっと楽しませてくれよ。おいおいおい! 魔王さんよぉ!」

さらに神谷はその剣を俺に押し込みつつぐりぐりと捻ってさらに突き立てようとする。

――ここが踏ん張りどころだ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。

思わず滲んでくる涙を必死で押しとどめ、舌を噛んで痛みに耐える。それと共に、周囲に意識を少しずつ回していく。

観客はあまりにもバイオレンスなこの光景に小さい悲鳴を上げ、息を呑んでいる。舞台袖からは教諭が止めに入ろうとしてくれているようだが、何人かの生徒がそれを制止してくれていた。

――ありがとう、助かる。

俺は数日前、共にお化け屋敷の装飾を作った数名のクラスメイトに感謝の言葉を贈る。
彼らがあの役目をしっかりこなし、神谷がしっかりと俺を痛めつけてくれなければ、計画は成り立たない。

そして、今からが本当のクライマックスだ。俺は最大級の気合を持って、必死に叫んだ。

「たとえ、俺の命が尽き、『魔王の陰謀』に破れようとも! 必ず、姫が『真の魔王を倒し』王国に安泰をもたらすであろう!」

その俺の言葉の後、大音量のぐしゃっ、という何かが千切れ、何かの液体が飛び散る効果音が体育館内に響いた。それと共に照明は落ち、舞台は闇に包まれる。

しかし、そこは完全な闇ではなかった。ほんのりと青く光る靄が、立ち尽くす神谷の中にすぅっと入っていったのだ。
直後、照明が勇者一人を照らしだす。

「あははははははっ、あはははははっ、ははっ。もう笑いが止まらんよ。なんせ、こんな簡単な魔術でうざったい勇者を殺し、姫を騙すことができるのだからなっ!」

勇者は、俺に突き立てていた剣を放ると、愉快でたまらないという風に狂い笑った。

「まぁ、愚凡な人間どもにはわかりっこないだろうな。私――真の魔王が勇者と体を取り換えていたことなど。さらに、勇者には口止めの呪いまでかけていたのだからわからなくて当然、ではあるが。……くくっ…………くくくくっ。……ははははははっ! はははははっ! ははははははっ! おかしくて堪らん!」

勇者はさらに嗜虐的な声でそう笑う。

――そう、これが第二のストーリーの真実。
勇者が姫を助けてハッピーエンド、などという神谷の望む結末とは正反対のエンディング。

勇者は、実は精神のみ魔王と入れ替わっていた、という真実だ。

まぁ、神谷が勇者役なのだし、あいつがこんなストーリー認める訳はない。
だが、神谷はこの第二のストーリーを演じている。台本も筋書きも知らないはずのストーリーを。

それは何故か? そんなの簡単なことだ。ティアに、神谷の肉体を乗っ取ってもらい、強制的に神谷の身体に悪役を演じてもらえばいいことだ。

そうして、照明が元に戻り魔王の心の中を表すシーンは終わる。

暗闇の中動きを止めていた姫、六実はすぐに勇者に駆け寄り抱きつく。

「あぁ、勇者様。本当に私を助けてくれたのですね……なんとお礼を言えばいいのやら……」

そんな六実のセリフに神谷(中身はティアだが)はぎざったらしくこう返す。

「当たり前のことをしたまでです。礼などいりません。ですので……」

「えぇ、わかっています」

そして、二人は見つめ合い、唇を近づける。
観客席からは絶叫に似た悲鳴が上がったり、怒りのあまりステージに乗り込もうとする人が出たりしている。
それはすべて神谷と六実が口づけするのに対する不満の権化で、俺の計算通りだ。

――頼んだ、我が友。

――任せておけ、我が友。

勇者と姫が口づけする直前、観客席から一つの影が飛び出し、二人の間に突っ込んだ。
傍目にはそう見えたが、実際には刀で神谷だけを打ち、六実に対しては一切衝撃をその影は与えていないはずだ。

俺は依然倒れたまま、その光景をただ見守る。

観客席から飛び出てきた影の正体。
それは、黒髪をたなびかせ刀を構える一人の美少女だった。

そう、我が友――望月凛だ。

「大丈夫ですか、姫様。王室第一親衛隊長、ここに、はせ参じました」

騎士服をまとった凛は、六実の手錠を解き、膝をつき六実に敬意を示す。
その後ろ、倒れる神谷からすっと、青い靄が抜けていき、勇者様はきょろきょろと周りを見回しだした。

「親衛隊長……どうして、あなたがここに?」

「はい。ご覧いただく方が早いかと。リジェネーション!」

凛――もとい親衛隊長はすっくと立ち上がると、手を天に掲げそう叫んだ。
直後、体育館内は目が眩むような閃光に包まれる。

目がやっとまともに開けられるようになった頃、俺は自分の身にしっかりと変化が起きていることを確認した。遠くで倒れる神谷も、どうやら自らの変化に気付いたようだ。

「お分かりでしょうか。……今まで、勇者様はあの魔王と精神を入れ替えられていたのです」

凛がそう言ってから見る先には、先ほどまで俺が着ていたのと寸分たがわない魔王の服を着た神谷の姿が。それに対して俺の服はさっきまで神谷が着ていたような勇者の服に変わっている。
これぞ、ティアの力作『即着替えコスチューム』※製造法は企業秘密です。

「そう、だったのですね……私は、魔王と……」

「そう嘆かないでください、姫様。ほら、ああして真の勇者様も……」

二人の視線を受け、俺は震える身体をを近くにあった剣で支えつつ立ち上がった。

「姫様、任務を果たせず申し訳ありません……」

俺はふらつきながらもこぶしを胸に当てる騎士礼をしつつ、そう六実に苦笑いしながら語りかけた。

「いいえ、勇者様。あなたは十分に務めを果たしてくれました。私は、こうして今生きているのですし」

そう言ったあとに咲いた、六実の笑顔は何物にも代えがたい、尊いものだった。

「ま、だ、だ……」

そんな声が聞こえたのは幻聴だと思っていたかった。
しかし、その声の方向を見れば魔王――神谷が必死に立とうとしている。

俺はゆっくり、彼に近づくと、剣を掲げて一言。

「さらばだ、魔王」

そして、一息に剣を振り下ろした。
首筋にヒットしたその攻撃で、神谷は今度こそ完全に沈黙した。

「さぁ、勇者様、親衛隊長。戦いは終わりました。ですが、これからすべきことはまだまだたくさんあるでしょう。……だけれど、あなたと……あなたたちとなら、きっと、なんでもできる気がするのです」

六実は手を広げて、観客、凛、そして俺に語りかける。
その、照明に照らされた横顔は、あまりにも美しく胸が苦しくなるようだった。

「だから……二人とも。私に、手を貸してくれますか?」

そうして、姫は両手を差し出した。
彼女の頬に浮かぶ微笑は、まごうことない本物の姫君だった。

「はい、もちろん――」

「私たちにできることを精いっぱいさせて頂きます」

俺と凛は、共に六実の手を取り、力強く握り合った。
細くて、すぐにでも壊れてしまいそうな六実の手は思っていたより強くて、何故か俺はそれが嬉しかった。

『そうして、勇者と魔王の戦いは終わりました。この後、姫たちは国の復興を進め、この王国は世界で最も豊かな、平和な、愉快な、最良の王国になったのでした』

響く、青川のナレーション。降りるカーテン。微笑む六実と凛。繋いで離さない手。
溢れんばかりの歓声。弾ける拍手。成功を祝う仲間たち。

どうしようもなくありふれていて、どうしようもなく愛おしいこれらに包まれて、俺の文化祭は幕を閉じた。

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