カノジョの好感度が上がってないのは明らかにおかしい

陽本奏多

第52話 欺瞞と白靄《はくあい》

「よし、と。これで大体準備完了だね」

ふぅ、と一つ息を吐き微笑む六実の声のあと、この部屋はささやかな歓声に沸いた。

ここは、学校の少人数教室、という名の空き部屋だ。
いつもはがらんどうとして冷たい雰囲気流れるここだが、俺たち、というか主に六実の努力によって素晴らしく、ファンシーでかわいらしい部屋に大改造ビフォーアフターしている。

ふわふわのクッションや、ぬぼーっとした顔のクマのぬいぐるみ。窓にはたくさんのステッカーが貼りつけられ、いかにもな、『誕生日会』らしさを醸し出している。

そう、今日この日は件の会長さま、青川静香の誕生日なのである。

先日、デパートで買い物をした俺たちは、その後様々な議論を重ね、ここ少人数教室で青川静香生誕祭(ネーミングby望月凜)を実施することに決めたのだ。

で、帰りのHRを済ませた俺たちはダッシュでこの部屋に集まり、寒々しかった教室を飾りつけし、予め買っておいたお菓子を盛りつけた。
もちろん、ほとんどの作業は六実がこなしてくれた。

センス皆無な俺には無理だし、センスが違う方向にぶっ飛んでる凜にも無理。さらにそういうセンスだけはありそうな勇人も、青川の誕生日会とあって気が動転している。よって彼も無理。

したがって、作業は全て六実様にお任せしてしまったわけである。

ともあれ、そろそろ六実が呼び出した青川が来る時間だ。
というかいつからそんな仲良くなったんだよ、と六実に尋ねたいものだが、それは彼女のカリスマ性ってやつがなせる業なのだろう。

約束の時間、5時が近づくにつれ、少人数教室には緊張が走りはじめる。

そんな、静かな空間で俺はあることが頭をよぎった。


『――余計なことはしないでほしい』


彼女が、青川が言ったその言葉が俺の脳内にこだまし、小さくなるどころか音量を増していく。
俺は本当に、このような催しを黙認してもよかったのだろうか。彼女が望むように、俺は青川に勇人を使づかせない方がいいのかもしれない。

脳裏に映る、最悪の結果。白い靄。そして、消去――。

「先輩、朝倉先輩」

唐突にかけられたその声に、俺は思考を中断させられた。
声の方向に振り返ると、勇人が緊張に顔をこわばらせてそこにいた。

「ん? どうした? やっぱり逃げ出すか?」

「なわけないでしょ。ここまで来て逃げるなんてありえないっす」

思っていた通りの、いや、期待していた通りの言葉に、俺は少し安堵する。
そして、勇人は「そういうのじゃなくって」と前置き、俺に語り始めた。

「オレ、ほんとに先輩には感謝してるんです。あの、初めて会った日のこと覚えてます?」

「何? お前って俺の彼女か何かだったっけ? というか初めて会ってからまだ数日だろ」

「まぁそうなんっすけど……。いや、ほら。あの時オレが声かけたじゃないっすか。普通だったら、軽くあしらって終わるはずなのに、先輩は話聞いてくれて、こうやって協力までしてくれて……」

勇人のその言葉に、俺は胸を締め付けられる。
俺がこいつに手を貸しているのは、単に青川の呪いについて知りたいという独善的なものであり、こいつに対する善意などみじんも持ち合わせていないのだ。

しかも、俺という屑は彼にこうやって感謝され、敬われることに心地よさまでも感じている。

「とにかく……ありがとうございます。この恩は絶対に忘れません」

「違う。俺は……」

俺が耐え切れず、口を開いた瞬間だった。
こんこん、という心地よいノック音が部屋に響く。

「どうぞー!」

六実が少し上ずった声でそう応じる。彼女の手にはクラッカー。頭にはパーティーハットと完全装備だ。

直後、扉が開き、蒼い髪を揺らしながら彼女は部屋に入ってきた。

そして――

「静香ちゃん!」

「「「誕生日おめでとう!!」」」

三人のコールに次いで、部屋に発破音が響き、カラフルな紙やリボンが宙に舞う。
その多くは入室してきた青川に降り注ぎ、彼女の頭には多くの飾りが乗っかった。

さて、どう動くか。

一同が見守る中、青川はただ、静かに頭に乗る神やリボンを取り始めた。
赤のリボン、黄色の紙、青のリボン、黄色のリボン、赤の紙……
そうひたすらに無表情で紙を取り続ける彼女は、どこか人形然としていた。

そして、一番最後のリボンを掃って、青川は口を開いた。

「六実さん、望月さん、倉敷さん、……朝倉さん。私のためにこのような催しを企画してくださりありがとうございます。――ですが、私はこれで」

彼女の言葉の意味を、誰も理解できなかった。
誰もが思考を停止させたまま、ただ彼女を見つめる。

その視線に刺されたまま、青川は再び扉の向こうへと消え――ようとしたとき。

「待ってくださいっ!」

その叫びとともに、勇人は青川のもとに駆け寄り、手を掴んだ。
それでも、青川は勇人に一瞥もくれず部屋を出ようとする。
俯く彼女の表情はうかがえないが、勇人に握られていない方の手が震えていることから、その瞳には涙がにじんでいるのかもしれない。

「オレ、やっぱり先輩が好きです。前に酷いフラれ方して、かなりへこみました。この世の終わりなんじゃないかってくらいへこみました。――でも、オレはあなたを忘れられなかった」

「そんなのあなたの都合でしょ」

言葉を重ねる勇人に、青川はただ一言そう返す。
それを受け、勇人は少しの微笑をこぼす。恐らくあれは、自分を嗤っているのだろう。

「そうですね。オレの都合です。汚くて、狡くて、独善的で、押しつけがましいオレの都合です。だけど、それでも、あなたにこの気持ちを伝えなきゃいけない、そう、思ったんです」

「……なんで? なんで私なの? なんで、よりによって……大体、話したこともない私をなんでそこまで」

「――この気持ちに、理屈をつけて説明なんてしたくないんですけど、しいて言うなら」

そこで、勇人は一度切り、ただ白い、何もない天井を見上げた。

「先輩が覚えているかはわからないですけど、段ボールに入った子猫を先輩が見つめていたことありましたよね。雨の日、自分がぐしょぬれになるのにも関わらず、その猫に傘を貸して……。あのとき、オレはっきり言って、わからなかったんです。なんで、傘を貸すだけなんだろう、拾ってあげればいいのに、と。そりゃあ、家の事情とかいろいろあると思いますよ? でも、猫を抱きかかえようかどうかと腕を伸ばしたり縮めたりしている先輩の様子から察するに、飼うことはできたんですよね? それなのに、あなたはその猫を置いていった。オレ、少し残念に思いました。だけど、あとから思ったんです。先輩は、いずれか必ず訪れる、あの猫との別れを想像して、拾ってあげれなかったんですよね」

最後の一言を聞いた瞬間、青川の身体がはた目にもわかるほど強張り、顔は一段と俯かれた。

「そして、教室で誰とも話さなず、関わることを拒んでいた先輩を見て、オレは察しました。この人は、いずれか来る人との別れを怖がって誰ともかかわらないんだ、って」

そう語る勇人の表情は未だ微かな笑みをたたえていたが、その瞳には溢れんばかりの雫がため込められている。

「オレ、思いました。オレがこの人の傍にいてあげたい、って。そして、オレはどこにも行かない、って囁いてあげたいって。それこそ、本当に押しつけがましい欺瞞だと思います。でも、それでも、オレはその気持ちを抑えきれなかった」

つぅ、と勇人の頬を露が伝う。
それは次第に滴り落ち、制服に染みを作った後、完全に消え去った。

「だから、もう一度言わせてください。――オレは先輩が大好きです」

強く手を握り、勇人は心の底からの気持ちを、その一言に込めた。

「……そんなの――」

青川は、震える足で必死に体を支え、勇人の手を振り払った。
そして、彼の方に向き直り――

「そんなの、無理よ」

涙に頬を濡らした青川は、無表情の仮面を被ったまま、そう勇人に伝えた。
何かを求めるようにわなわなと震える彼女の指先は、やがてぎゅっと握りしめられ、再び彼女は言葉をつなぐ。

「あなたなんかに、私が見向くと思っているの? 思い上がりも甚だしい。もう少し、身の程をわきまえたら?」

「――! 青川っ!」

俺は耐え切れず青川に叫ぶ。
しかし、俺の手を六実が取り、諭すように首を横に振る。

酷い罵言を浴びせられた勇人は、しばし俯いていたが、再び、青川を見据え、微笑みを浮かべた。

「そうっすね。じゃあ頑張って、先輩に見向いてもらえるような男になります」

「――! な、なに言って……! 馬鹿じゃないの?」

「どう言われようと、オレのこの気持ちは揺らぎません」

そう微笑んだまま返す勇人に、青川は目を見開き、驚愕をしめす。
そして、糸が切れたようにかくりと首を垂れ、「なら……」と小さく呟く。

「……なら――! いつまでも私の傍に居てよ――! 最後の最後まで! 私が、世界が! 消えてなくなるまで!」

「約束します。オレは――」

勇人は少し躊躇いを見せたのち、覚悟を決め青川を抱きしめた。
その勇人の身体は、白い靄で覆われ始めている。

「最後の最後まで、あなたの傍に居ます」

「……本当に?」

青川がそう訊き、勇人はただ頷く。
それに呼応するように彼の周りの靄は深くなり、輪郭がぼやけ始める。

「……絶対?」

「はい、絶対です」

そして、また靄は深まる。
二人の肩にはお互いの涙で大きな染みが作られている。

「じゃあ……」

青川はそう呟き、勇人の身体を自分から離す。
真っ赤になった瞳と噛みしめられた歯。必死に落涙を耐えようとするものの、それも空しくぽたぽたと雫は落ち続ける。
そんな中も、勇人の靄は深くなり、もうほとんど彼の姿は薄れてしまっている。

「じゃあ…………」





「バイバイ」






そして、その部屋は閃光に包まれた。


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