八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

三十:「謎めいた静止」

「まずは基本的なことから伺いますね。あなたは伊村静いむらせいさんで……この村にはいつから住んでいるんですか?」
「生まれてこの方、この村に住んでいるよ」
「なるほど。では、森へ入ったことは――」
「さすがに無いね~。私のおじいさんとか、それより昔の時代から、あの森には絶対に入っちゃいけないって言われ続けているからさ」

 平間の質問に女将・静はすらすらと答えていく。ここまでは平間も把握している内容なので、記録する手も緩慢だ。
「それは、どう言う風に言われていたんですか?」
「んー、多分茉莉ちゃんが他の村の人から聞いているのとそう変わらないと思うけど、『得体の知れない魔物に孕まされて死ぬ』って話だよ。ね?」
「はい、皆さんそんな話をしていました」
 話を振られた茉莉が頷く。すると、今度は壱子が口を開いた。
「絶対に入ってはいけないと言われると、入ってみたくならぬかのう……」
「そういう人もいたけど、もれなくあの世行きだよ。壱子ちゃんの身体に何も起こってないのが不思議なくらいさね。何か不思議なお守りでも持ってるのかい?」
 冗談めかして女将は言うが、恐らく壱子の銅鏡(の中にいる凪の助言)のおかげで今の所無事なのだ。あながち間違ってはいない。女のカンというものは本当にあるのかもしれない、と平間は苦笑した。

「のう女将、ムスビは知っておるか」
 唐突な壱子の質問に、平間は思わず口を挟んでしまった。
「いや、さすがにそれは――」
 森に入った事の無い女将が森から出た事の無いムスビのことを知るわけ無いだろう、そう平間は続けようとした。
……のだが。
「ああ。随分懐かしい名前だねえ。もちろん知ってるよ」
「……は?」
 平間は思わず間抜けな声を上げ、口を閉じるのを忘れてしまった。

武比むすびさんなら昨日も会ったでしょ?」
 にこやかに言う女将だが、壱子は曖昧に首を傾げた。昨日は誰も森には入っていないから、当然ムスビには会っていない。
「と言うか良く知ってたねえ。その名前、どこで聞いたんだい?」
「どこって、本人から聞いたのじゃが……」
「ああ、そうだったんだ。でも、珍しいこともあるもんだねえ。あの名前はずっと前から使ってなかったと思うけど」
 どうにも話が噛み合っていない。その気持ちの悪さに、平間はたまらず口を開いた。
「あの、さっきから一体誰の話をしているんですか」
 言いつつ、消去法である程度の見当は付いていた。昨日会った人物で、かつ以前に改名していそうな人物は、一人しかいない。
彼の予想は果たして、的中していた。
「え? 村長さんの話じゃないの?」
 勝未村の長・皿江穂半賀さらえぼむすびは、旧名を皿江穂武比さらえぼむすびといった。

およそ半刻(一時間)の後。
「やはり偶然とは思えぬ」
 普段は滑らかな局面を描いている眉にしわを寄せながら、壱子は低い声で言う。思案する時に彼女は声を低くする癖があると、平間は以前から気付いていた。
 女将から一通り話を聞き終えて食事を済ませた二人は今、二日ぶりに森へ向かう道中である。
「ムスビが皿江穂と関係があるのはまず間違いないじゃろうな」
「と言うことは、やはりムスビは志乃さんの子なのでしょうか」
「そう考えるのがやはり自然じゃろう。だが、解らぬこともある」
「何故志乃さんが『ムスビ』と名付けたか、ですか」
 平間の言葉に、壱子は目を丸くした。

「ほう、気付いておったか」
「意外ですか」
 壱子は無遠慮に、大きく頷いた。
「お主は他人の感情の機微に思いをめぐらす事があまり無いと思っておった。や、別にお主を馬鹿にしているわけではないぞ」
「大丈夫です、それは解っていますよ」
 慌てる壱子に、平間は笑って返す。彼女の言葉を借りるなら、逆に壱子自身が他人の感情に思いをめぐらせ過ぎている。平間にはそんな気さえしていた。
「そ、そうか? 母上の言っていた通りじゃのう。『男は概ね愚かじゃが、少し目を話すと驚くほど変貌することがある』と……いや、これも馬鹿にしているわけではないのじゃ!」
「落ち着いてください殿下。墓穴を掘っています」
「……むぅ」
 細い声でいた壱子は、やや俯く。そして、気付けするように両の手で自らの頬をぺちぺちと軽くはたいた。
 ふぅ、と小さく息をつく壱子。

「……よし、落ち着いたぞ」
「流石です」
「うむ。それで、じゃ」
 そう言うと壱子は、懐から銅鏡を取り出してニヤリと笑った。
「道筋が分からなくなったら基本に帰ろう。仮説の確認じゃ」
 壱子の切り替えの早さに、平間は思わず苦笑する。
「さて、何から確認しようかのう」
「やはり、より基本的なことでしょうね」
「それもそうじゃな。よし」
 壱子は右手で銅鏡を吊るすと、少し眉をひそめて
「ああ。風が強いのう。平間、こっちの方に立って風を防いでくれるか」
と平間を風上に立たせた。
「よし、止まった。では“ムスビの名を付けたのは志乃である”」
 しかし、銅鏡は動かない。

「……壊れたのじゃろうか」
「さあ……。ありきたりな事を聞いてみてはいかがです?」
 それでもなお動かなければ、銅鏡に問題があることになる。
「わかった。“今は昼か夜かで言うと、昼である”」
 右回り。だ。と言うことは、銅鏡の機能は正常で、先ほどの質問に不備があったのだ。
 平間は首を傾げる。
「どういうことですかね」
「ふむ……、あ」
 何かを思いついたような壱子は、再び銅鏡に問いかけた。
「“森に住む少年のムスビに名を付けたのは志乃である”」
 銅鏡は再び右に回った。と言うことは、これは正しい。
「やはりそうか。村長の武比むすびと森のムスビ、両方に取れる質問の仕方であったから反応しなかったのじゃ。前者なら当然否であるし、後者であれば正しかったから、つまり『正誤どちらとも言える質問』であったのじゃろう」
「なるほど、そういうことですか」
良くもまあクルクルと頭が回るものだ、と平間は素直に感心した。
「ふふふ、敬っても良いぞ?」
 満足げに胸を張る壱子の頭に、平間は思わず手をやる。
「わ、わわ、何をする!」
「あ、すみません、つい……無意識に」
「皇女の御髪みぐしに自ら触れるとは、お主も偉くなったのう」
「つ、次の質問をしましょう!」
 いたずらっぽく笑う壱子から目を逸らして、平間は話題を変えた。少々不満げに壱子が頷く。
「……まあ良い。ええと“森に住んでいるムスビは志乃の子である”。……正しいようじゃな。それはそうか」
 彼女の言う通り、これは規定路線だ。
「ということは“森に住んでいるムスビは皿江穂半賀の孫である”」
 これも規定路線……の、はずだった。

 銅鏡は静止していた。
「……どう言うことじゃこれは。今度はちゃんと分かるように聞いたはずじゃぞ」
 狼狽する壱子は、再び同じ質問を銅鏡に投げかけるが、答えは変わらない。
「どう思う、平間」
「分かりません。ええと、銅鏡が回らない時はどんな時でしたっけ」
「それは、さっきのように『どちらとも言える場合』、『まだ起こっておらぬことである場合』、あるいは『客観的にみて答えが分からぬ場合』じゃな」
 一本一本指を立てながら壱子が言う。
「殿下、『銅鏡自身が答えを知らない場合』と言うのは考えられませんか」
「……確かにそれもありえるのう。と言っても、私の知る限り今までそんなことは無かった。それに、今の話ではそれも考えにくいじゃろう」
「ムスビの名付け親を知っていて、彼が志乃さんの子であるということも知っていましたからね」
「うむ、そうじゃ……」
 壱子は腕を組んで、うんうん唸った。
 平間も思考をめぐらせる。志乃が皿江穂の娘であれば、志乃の娘であるムスビは皿江穂の孫と言うことで間違いはあるまい。しかるに、『どちらともいえない場合』ではない。また既に起きていることだから、当然『まだ起こっていないこと』でもない。『客観的にみて答えがわからない』なんてことも無いだろう。
 ふと、平間は違和感を覚えた。なんだろう、以前に感じていた違和感だ。これは……。
「殿下、もしかして『銅鏡が答えたくない場合』ということは」
 そう言った直後、平間は後悔した。
 壱子は難しい顔で言う。
「それは、どうじゃろう。何とも言えぬな」
 そうなのだ。銅鏡の、凪の意図が分からない限りこの仮説を検証することは出来ない。つまりこれは、今は考えるだけ無駄なことである。

「ああもう、分からぬ! だいたい、危険予知が出来るようになるのなら、“はい”か“いいえ”以外の答えも出せるようにすれば良いではないか! 先ほどの質問だってそうじゃ。ムスビが武比かなど、文脈で察して答えてくれれば良いものを!」
 地団駄を踏んで憤慨する壱子だったが、その様子はどちらかと言うとかわいらしいものだ。
  そんな小さな主に、平間は言う。
「確かにその通りですけど、高望みは禁物ですし、それは八つ当たりですよ。殿下」
「……そうじゃな」
 平間の諫言かんげんに、壱子はしゅんと大人しくなる。そして小さくため息をついて
「まあ良い、これについてはあとで考えるとしよう。ああもう、確認のつもりが分からぬことが増えてしまった。本末転倒じゃ」
と俯いた。

 思案しながら歩を進める二人だったが、気が付くと目の前に見慣れた森が口を開けていた。

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