八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

二十八:「珍しい二人(?)」

 それに最初に気が付いたのは、三人の中でその日、最後に床に入ろうとしていた茉莉であった。

 すっかり炊事係が板についてきてしまっていた彼女は、翌日再び森に出かけると言う壱子に持たせるための弁当(含おやつ)の下準備を済ませたあとで、いつものように先に寝息を立てていた壱子の隣に敷かれた自分の布団に腰を下ろした。
 平間の提案で設けられた簡単な衝立ついたての向こう側からは、彼の寝息と、消し忘れたのであろう蝋燭の微かな明かりがこぼれていた。きっと、眠りに落ちる間際まで書物を漁っていたのだ。
 彼女が日課としている鍛錬で「逆立ちをして腕立て伏せをする」と言うものがあるのだが、近頃は容易くこなすようになってしまっていて、そろそろ片腕でやってみようか、しかし慣れるまでは不安定だから平間に補助を頼んでみよう、などと思案していた。
「そういえば、剣術の指南を頼まれていましたね……いい機会かもしれません」
 そう一人呟いた茉莉だったが、ふと傍らで行儀良く眠る壱子が目に入る。彼女の奔放な性格からして寝相が悪いのが自然そうだと茉莉には思えたが、実際は異様と言っても良いくらいに就寝している壱子は動かなかった。一ヶ月ほど傍で眠っているが、壱子の手足が当たった記憶は茉莉には無い。眠りが浅いことを自負している茉莉であるから、きっと本当にそんな事は無かったのだろう。
 身体を横向きにして小さく丸まって眠る壱子に、えも言われぬ微笑ましさを抱いた茉莉は、思わず目を細めた。

 その時、聞き覚えのある乾いた金属音が部屋の静寂を破った。音の発生源は、やはり壱子の銅鏡である。前回同様どういうわけか発光していたものの、その光は以前よりも弱々しく、また振動も無かった。
 また何か出てくるのかもしれない。そう考えた茉莉は、慌てて自らの主を揺り起こそうとしたが、彼女の穏やかな眠りを中断させるのが憚られてその手を止める。代わりに、茉莉は仕切りの奥で寝ている男を叩き起こすことに決めた。なぜなら、その事について彼女は罪悪感をほとんど抱かなかったからである。
 いずれにせよ緊急事態であるかも知れないから、そう決めた後の茉莉の行動は早かった。

 そろそろ深い眠りに入ろうかというところだった平間は、かすむ眼で自分の肩を叩いた者が寝巻き姿の茉莉だと視認し、その理由を探ろうと回らぬ頭を回した。そして数瞬の後、
「もしかして、よば――」
と言いかけたが、「い」と言う間もなく茉莉に無言で、思い切り額を叩かれた。茉莉が苛立つのもわかるが、しかしこの時の平間にそれ以外の発想が思い浮かびにくいことを考えると、これは少々理不尽な暴力であろう。
「平間殿、寝呆けている場合ではありません」
「寝ていたんですから、そんな無茶な」
「壱子様の髪飾りに異変が」
 その言葉に、緩んでいた平間の額に皺が寄った。
「また、ですか。殿下は?」
「お休みです。起こすのが憚られて……」
 寝床から這い出た平間が壱子の様子を見ると、なるほど確かに、と得心した。と同時に、銅鏡の異変は壱子の睡眠中でも起こることに違和感を覚えた。
銅鏡の化身・なぎは、壱子に対してのみ強い執着を見せるものだと平間は思っていたのに、当の壱子が眠っているのなら凪は彼女と話すことが出来ない。と言うことは、今回は壱子に話があるわけではないのか。あるいは、壱子の状態とか、時間(今は子供は寝ているはずの真夜中である)とかを認知することが出来ないのだろうか。
「平間殿、どうします? やはり起こした方が良いでしょうか」
 考え込む平間に、茉莉が言う。しかし彼はしばしの沈黙の後、首を横に振った。
「今回はやめておきましょう」
「そうですか。あなたが言うなら、そうしましょう。起こすのも可哀想ですしね」
 茉莉の口ぶりは、どこか興味無さげである。能天気なのか、はたまた考え無しなのか、平間には判別できなかったが、とりあえず曖昧に頷いた。
 そもそも彼が壱子を起こさないと決めたのは、茉莉の言う通り壱子の安眠を妨げたくなかったからではない。壱子が起きていた前回と、そうでない今回とで差別化することを意図したのである。そして壱子がいない状況で凪がどのように振舞うのか確かめ、それによってこの謎めいた男の意図を推察できないか考えたのだ。ただ、既に銅鏡の挙動が前回より明らかに控えめである事は平間にも分かっていたから、単純な比較対照には出来ないかも知れないと言う危惧も持っていた。

 振動と発光を続けていた銅鏡だったが、突然やや大きく揺れると、その中心部から光の面が出現した。
「おや、今回は人が出てくるわけじゃないのでしょうか」
 そう茉莉が呟くが、平間は無言で銅鏡の様子を注視する。
 すると、光の面に文字が次々と浮かび上がっていった。いわく、

【現在エネルギー入力が不安定なため、省エネ】
【ルギーモードで起動している。壱子が若年で】
【ある事が原因と思われる。        】
【                 凪  】

 ここまで表示されて固まる銅鏡。
「この『エネルギー』ってなんです?」
茉莉の問いに、平間も首を傾げた。
「分かりません。殿下が若いから、という話は分かりますが」
 彼がそう言うと、面に浮かび上がっていた文字が消え、新しい文面が表示される。

【今回は新機能のアップデートを知らせようと】
【思う。壱子は無鉄砲なところがあるので、危】
【険なものに近付いた時に振動するようにした】
【。意図が通じないと意味を成さないので、こ】
【うして通知している。       凪  】

「やっぱり壱子様が無鉄砲なんですよね! 私が心配性だったわけじゃないですよね!」
「どうしてそんなに嬉しそうなんですか……」
 呆れつつ、平間はまた耳慣れない言葉が現れたことが頭に引っかかっていた。思えば前回、凪が人の形をとって現れた時もいくつか知らない単語を口にしていた気がする。何かの専門用語だろうか。それにしてはあれらの言葉を当然のように既知のものとして使っている印象だ。第一、壱子にその意味が伝わらなければ意味が無い。
「いや。もしかして、殿下は意味が分かっているのか……?」
「……何の話です?」
「独り言です。すみません」
 その表面的な謝罪を終えると、平間は急いで自分の紙に木炭を擦り付けて「アップデート」「エネルギー」を、そして「モード」としばらく考えてから思い出し、記録した。しかしさすがに前回、凪が言っていた謎の言葉は記憶の彼方に行ってしまっている。ただ、意味不明な文字列を意図せず一ヶ月間暗記できていたら、それはほとんど特殊技能と言っていいだろう。

【以上だ。君に幸多からん事を。      】
【                 凪  】

これを最後に、銅鏡は大人しくなった。つまらなそうに茉莉が口を開く。
「随分あっけなかったですね。結局は新機能とやらのお知らせだけですか」
「そうですが、有難い事ではあります。殿下が安全であるに越した事は無いですから」
「それもそうですね……ふわぁあ、私、そろそろ眠くなって来ました」
 そう言って大きくあくびをすると、茉莉はもぞもぞと自分の寝床に入ってしまった。実際、以前の衝撃に比べれば拍子抜けしてしまう顛末ではある。
「……私も寝ますか」
 そう呟くと、一人になった平間は自分で散らかした紙と炭を片付け始めた。


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