八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

二十四:「釘を叩く者」

 皇国本島とも言うべき春屋島の中で手城川てのきがわに次ぐ広さの流域を持つ遠津川とつがわは、多くの支流を持つことでも知られていた。その一つである筒川つつがわは勝未森内部から起こり、勝未村のすぐ近くを流れる細く穏やかな川である。
 この筒川だが、今回の調査で平間は奇病の原因から水を概ね除外していた。それは、くだんの百日病が勝未森の立ち入りにのみ極端に特異性を持って見られる一方で、筒川に入ろうが、そこの川魚を食べようが病気の発生には至っていないと思われた為である。そしてこの一ヶ月間、平間は茉莉に適宜てきぎ指示を出して村人から聞き取りを行わせた結果、その仮説はほとんど確信に変わっていた。
 ということで、実際のところ和倉係の平間には、もう筒川には用が無いのだ。が、壱子の提案を無碍に断ることも彼にははばかられたので、今回は彼の小さな暴君様を立てて、そのお供をすることにしたのである。それでも川で泳ぐつもりは皆無だったが。

「のう、お主は川に入らぬのか?」
 不満そうに言う壱子の棘々しい視線が、木陰にたたずむ平間に突き刺さる。その声に、平間は曖昧な笑みを返した。
 宿の女将・せいから借りた町娘風の、と言うか普通の着物の裾を高めに結んで、川の浅いところでりんや茉莉とひとしきり遊んだ*壱子だったが、水切りに飽きた茉莉が「お夕飯を捕ってきます!」と言ってが上流に消え、次いでりんが遊び疲れて一足先に川から上がって平間と河原の石を積み上げ始めたため、彼女は川の中に独り取り残されてしまった。
 台詞に対して語気が強い壱子だが、そういった事情があるので別に彼女の心が狭いわけではない。そもそも、壱子は再三にわたって平間を川に誘っているのだ。それを「いえ、私は……」だの「すみませんが……」だのとに歯切れの悪い返事で誤魔化していた平間も悪い。ただ、子守などほとんどしたことの無い彼には、こんなことを言っては少々酷かも知れない。というか、茉莉は早々に放棄している。近衛とは何なのだろうか、そう平間は狼狽した。

「さっきから何度も言っておるのに、おぬしと言う奴は……」
 壱子の鋭い視線を流れ弾のように受けてしまい平間の傍らで震えているりんには気が付かずに、壱子が平間に詰め寄る。
「川に入らぬ理由でもあるのか。言ってみよ」
「いえ、その……」
 りんが二人の顔を交互に、あわあわとしながら見比べる。再び壱子が口を開いた。
「大の大人が、泳げぬわけでもあるまいに」
「はは……」
 困ったように愛想笑いをする平間の様子を見て、壱子が器用に片方の眉を吊り上げる。
「……まさか、泳げぬのか」
「そのまさかです」
 拍子抜けしたように口を半開きにさせる壱子に対し、平間は恥ずかしそうに頬を掻く。
「しかし、泳ぐも何も水の深さだって膝下くらいしかないぞ……?」
「私、茶碗より多量の水は怖くて無理なんですよ。あの深さでも、足を滑らせて頭を打って気絶したらそのまま溺れ死んでしまうでしょう?」
 その言葉に、半開きだった壱子の口が全開きになる。
「そうかも知れぬが……よくそこまで悪い方向に思考が回るな……」
「こればっかりは癖でして」
 その悲観主義が彼の短所であり、あるときは長所である。うかつな性格ならば、単身で見知らぬ土地に赴いて謎の疾病しっぺいを調査してなどいたら、あっという間に命を落としてしまっていただろう。
 実際、文官職としては死亡率が飛びぬけて高い和倉係では、比較的楽観的な者が多い中級貴族出身者よりも、平間のように身分の低い家の出の方が生き残る傾向にある。では上級貴族出身の者は、というと、こういう人種はそもそも和倉係のようなところに配置されないし、されたとしても平間の上司の佐田のように、職務で皇都から出ることはほとんど無い。
 平間とてこの状況に甘んじているわけではないが、そのためには功績を上げて出世を果たすしかない。そして、出自の壁を越えて高い官位を受けることがいかに難しいかは、かつてそれに阻まれた平間自身が、一番よく分かっていた。
そんな彼にとって、皇女である壱子は出会った当初こそ身を立てるための足掛かりであった。が、元々そんなに野心家で無く現状に甘えがちな彼は今、そんな考えは消えつつある。

「まあ、そう言う者を無理やり川に引き入れるものでもないからのう。河童でもあるまいし」
 口を尖らせて壱子が言う。不満げな時に出てしまう彼女の癖だ。りんがホッと胸を撫で下ろすが、平間は壱子がそう言うのを分かっていたかのように小さく笑った。
「ありがとうございます」
「それで、これはどういう遊びなのじゃ」
 平間とりんが積み上げた石を指して、壱子が言う。それにりんが答えた。
「崩さずにいっぱい石をのせたほうが勝ちなんだけど……壱子ちゃんやったことない?」
「うむ、石を使った遊びは碁か挟み碁**しかやったことが無い」
「はさみご? 何それ」
「簡単じゃが奥が深いぞ。今度やろうか」
「うん!」
「ふふ、私は強いからな。りん、お主が相手でも手加減はせぬぞ」
「わ、私だって!」
 張り合おうとするりんを、平間は意外に思った。もっと控えめと言うか、我を持たない子供だという印象だったが、存外負けん気の強い性格なのかもしれない。
「まあ、その前に“これ”じゃな」
 積み上げられた石の山を三人で囲うように座った壱子が、手近な石を拾い上げてニヤリと笑う。
「では、一旦崩しますか」
「うん」
 言うが早いか、二人でせっかく積み上げてきた石の山をりんが両手で勢いよく崩した。その豪快さに、平間は再び面食らう。この一ヶ月間壱子と行動を共にしてきて、子供というものに少し理解が及んできたと自負していた彼は、そのおごりをこの瞬間に塵籠くずかごへそっと入れた。

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