八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

二十三:「ある晴れた日のこと」

 皇紀五十五年、初夏。既に昼前にさしかかり、普段ならもう森へ入っている時間だったが、平間は宿で一人机に大量の書を山詰みにしている。

 平間らが勝未森かつみのもりの調査を始めてからおよそ一ヶ月が経ったこの日。毎度の銅鏡への確認が奏功したのか、二人の身体には特に大きな変化は現れていなかったが、茉莉は相変わらず森へ入ることを固辞している。始めこそ彼女は申し訳無さそうな顔をして二人を見送っていたものの、近頃はめっきりそんな素振りを見せなくなり、同時に壱子へ手渡すおやつ(平間は結局、頼んだものの作ってもらえなかった)に手抜きと妥協のあとが見え始めたことに、壱子は頬をふくらせていた。
 この一ヶ月間、皇女というかつてなく貴重な被検体を用いた一種の人体実験が行われたのだが、「下半身を中心にしっかり着込めば、森に入ってもきっと大丈夫」という、大きいのか小さいのか判断しかねる事実が判明した以上の成果は上げられずにいた。壱子はこの微妙な結果にも少々不服そうにしていたが、一方の平間はというと、まあこんなものだ、と気にした素振りは見せていない。そもそも壱子がしたことと言えば、森に入って平間に付いて歩き、時にムスビを交えて一緒に食事をしたくらいなのだが。

さて、話を整理するために平間の職務上究明すべき点を整理しておこう。
和倉係では、疾病しっぺいの調査から解決までを四つの段階に設定している。つまり
第一段階:勝未森百日病の予防(おおむね達成済み)
第二段階:同疾病の原因究明
第三段階:同疾病の治療法の開発
第四段階:同疾病の根絶
である。しかし基本的に、第三段階まで至ることはほぼ無い。それどころか、第一段階の達成すらままならないのが実際のところであるから、和倉係での平均調査期間が三ヵ月半であることを踏まえれば、一ヶ月で第一段階をこなしている今回の調査はかなり順調と言える。
 が、この成果がほとんど銅鏡によるものであることを踏まえると、平間としては少々複雑な心境に陥ってしまうのだ。

 この日は、森に段々飽きてきた壱子が「たまにはのんびり休もう」と提案したため、森へは行かずに宿にとどまっている。とはいえ平間としては手持ち無沙汰なので、外はいい天気であるにも関わらず、屋内で今まで森から採取した動植物を、持ち込んだ資料と照らし合わせてみたりしていた。対して壱子はというと、茉莉と共に川へ遊びに行く支度をしている。完全に遊ぶ気満々であるが、彼女の歳を考えればむしろこれが自然なのかもしれない。
 そんな彼らを訪ねてくる小さな影が一つ、宿屋の戸を叩いた。

「こ、こんにちは!」
戸をあけた壱子に緊張気味に挨拶したのは、短い髪を二つのお下げに結んだ童女であった。
「おお、りんではないか! どうしたのじゃ」
 思わぬ来訪者に、壱子が感歎する。りんは勝未村の長・皿江穂半賀の養女だ。
「あのね、おじいちゃんのところにこれが届いたの」
 そう言って差し出したのは、一つの封書である。宛名は平間京作となっていた。ちなみに皇国の郵便制度は官営だ。
「ほう、平間宛か。奥にいるから一緒に行こうか」
「わ、わたっ……わかった!」
 たった四文字言うだけで噛むほど何をそれだけ硬くなっているのだろう、と人見知りしない性格の壱子は不思議に思った。

「平間、お主に手紙じゃぞ」
 壱子の呼びかけに、難しい顔で書物を眺めていた平間が顔を上げる。そしてすぐに、驚いた顔をした。
「ああ、君は村長さんのところの……」
「りんです。あの、これ」
 そう名乗っておずおずと手に持った封書をりんが渡す。それを見た平間が顔をしかめてため息を付いた。
 慌ててりんが頭を大きく下げた。
「あ、あの……ごめんなさい!」
「……ん? なにが?」
 唐突で大げさな謝罪に、平間が面食らう。
「いえ、その……わたし、なにか悪いことをしてしまったのかと……」
「お主が嫌そうな顔をしたからではないか」
 横からの壱子の台詞に、平間は得心した。強いてやさしげな口調で、りんに言う。
「この手紙は私の仕事場からでね、お返事を書くのがめんどくさいから思わず嫌な顔をしてしまったんだ。だからりんちゃん、君が悪いわけじゃない」
 封書をひらひらさせる平間。それに壱子が同調する。
「うむ、そうじゃぞ。そもそも平間は嫌なことが嫌いなのじゃ。じょーちょふあんてい、というやつじゃな」
「どこでそんな言葉を覚えてきたんですか……ところで茉莉殿は?」
「台所で出かける準備をしておる。」
「あの人、ここに来てから家事しかしてなくないですか……?」
「そう言えば近衛じゃったな、茉莉は」
「ねえ……」
 茉莉の今後を二人が心配していると、りんが遠慮がちに口を開いた。
「じゃあわたし、帰りますね。お邪魔しました」
 居心地の悪さを感じたのだろうか、ぺこり、と頭を下げて出て行こうとするりんを、壱子が止める。
「りん、お主このあと一緒に遊びに行かぬか」
「遊びに……? でもおじいちゃんが、あの人たちにはお仕事があるから邪魔をしてはいけないって……」
「うむ、それが今日は仕事が無いのじゃ。いや、無くしたとも言う」
「というか、無くしたとしか言えませんね」
 平間が口を挟む。それを壱子は無視して言った。
「と言うわけで……どうじゃ、無理にとは言わぬが」

 少し逡巡しゅんじゅんして、りんは頷いた。それを見た壱子は、これぞ最上の喜びだとばかりに満面の笑みを作り、りんの手をとる。
「よし、行こう!」
「は、はい!」
 壱子の喜びようにやや戸惑いつつも、りんが同調する。
 そんな二人の少女を見た平間は、「若いっていいなあ」と独りちる。若者がそのように言うのはいつの時代も変わらないのかもしれない。
「では、気をつけて行ってきてくださいね。あまりはしゃぎ過ぎないでくださいよ」
「何を言っておる、お主も行くのじゃぞ?」
「えっ……」
 平間は思わず間の抜けた声を上げる。
「えっ、ではない。こんなに気持ちのいい日にこそ外に出なくてどうするのじゃ。そのもじゃ付いた髪にカビが生えるぞ」
「髪質のことは放っといてください!」
 平間は地味に気にしているのだ。
「りんはどう思う。平間が一緒の方が良いじゃろ?」
「うん、一緒に行きたい!」
「な? 分かったら行くぞ」
「なんか、りんちゃんと私で口振りが違いすぎません?」
「何を言う。当たり前であろう」
「……それもそうですね」
 それもそうである。
「分かりました。行きましょう」
「そう来なくては! ふふ、初めての川遊びじゃ! わくわくするのう」
 発言の節々に浮世離れした雰囲気を漂わす娘だ、と平間は思った。

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