八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

二十一:「未知との遭遇」

 少年の風体は、控えめに言っても奇抜と表現すべきものだった。まだ春先だと言うのに上半身には何も身に纏っておらず、腰にはれた襤褸を巻いているだけである。野生児を絵にしたような、かなり露出の多い格好だ。しかし平間は、少年のたくましい大腿四頭筋だいたいしとうきん*に、思わず親近感を抱かずにいられなかった。
再び壱子が問うた。
「もう一度聞こう、何者じゃ」
「……ごはんじゃ、なかった」
 少年が口を開く。
凛とした壱子の声色とは対照的に、少年の声はどこと無くぼんやりとしたものだった。
「……ごはん? 私がか」
 きょとんとした壱子の声に、少年は頷く。平間のほうを振り返った壱子は、訝しげな顔で言う。
「のう平間」
「なんでしょう」
「あの者の言った意味が分からぬのじゃが、つまりあれは、私が『食べてしまいたいくらいに可愛い』と言う意味か」
「違いますね」
「ナンパか」
「違います。断じて」
 平間の明確な否定に、壱子はさぞかしがっかりしたとでも言いたげにわざとらしく肩を落とす。
「なんじゃ違うのか。ではどういう意味じゃ」
「その自信はどこから出てくるのですか……? まあ、私も彼の言うことの意味は量りかねますが、殿下、我々以外に人間がこの森にいるのです。話を聞く価値はあるのでは」
「たしかにのう……よし、分かった」
 何が分かったのか、と平間が言おうとした時である。壱子は既に少年の方へ、すたすたと歩いていってしまっていた。
 またこの皇女様は独断専行で……などと頭を抱える(比喩である)平間は、ふと、ある種の既視感を覚えた。見知らぬ人が、あまり敵意を向けずに現れて……。その漠然とした気持ちの悪さを解消しようと悶えるが……平間は思い出せない。
 そうこうしている内に、壱子は少年の傍に立っていた。壱子が小さいからだろうが、少年は彼女より頭二つ分大きく見える。六尺(一八〇センチメートル)ほどだろうか。やたらとにこやかかつ親しげに歩み寄ってくる壱子に、戸惑っているような様子も窺えた。
「お主、名は何と言う」
「……なわ?」
「名前、お主の名前じゃ」
 言い直し、壱子は少年を指し示すと、彼は合点がいったように顔を輝かせた。
「俺は、ムスビ」
 たどたどしい発音で、少年が言う。
「そうか、ムスビか。よろしく頼むぞ。私は玲漸院壱子じゃ。皇女である」
「こうじょ? こうじょ、よろしく!」
「ああもう、私は“こうじょ”と言う名前ではない!」
「……? こうじょは、こうじょじゃない?」
「私は皇女じゃが……まあ良い。お主、一人か?」
 こくり、と少年・ムスビが頷く。
 一方の平間は、今の壱子の問いで既視感の正体をようやく突き止めた。茉莉が最初に現れた時と同じだ。もしや、と嫌な予感が平間の頭を掠める。
「わかった。少し待っておってくれぬか」
 またも頷くムスビ。それを確認した壱子は、てててっと駆けながら平間のほうへ戻ってきた。そして開口一番、小声で
「気絶させるか。あ奴ならやれる」
と、皇女には似つかわしくない言葉を言い放つ。そのおおよそ予想していた台詞を聞いた平間は、今度は比喩じゃなく頭を抱えた。
「あのですね殿下……見知らぬ者が現れたからといって、毎回とりあえず意識を奪って圧倒的支配下に置こうとするのは、本当に、本当に良くない癖ですよ」
「……そうなのか」
「そうです。見たところ彼は非常に純朴そうな少年ですし、話を聞きたいならそう言えばおそらく大丈夫です」
 そう言うと平間は壱子に後ろを向くように促し、彼女の荷の中から小さな包みを取り出した。
「そ、それは……私のおやつではないか!」
 慌てて壱子がそれを平間の手からひったくる。
 そう、その包みは二人が出立する際に、茉莉が壱子へ「これを私だと思って……!」とひどく申し訳無さそうに言いながら手渡したものだ。何をどう彼女だと思えばいいのか平間には分からなかったが、お腹が空くと不機嫌になる壱子の性格を察してのことだろう。こういうところに気が付く細やかさは流石だ、と平間は思った。
「殿下があの少年に、これを少しだけ分けて差し上げれば、円滑に話を聞き出せるのではないでしょうか」
 平間がそう言った瞬間、壱子はほんの一瞬だけ、この世の終わりのように嫌そうな顔をした。が、それはすぐに“ちょっとだけ嫌そうな顔”に変わる。
「……仕方が無いのう。わかった」
「ご立派ですよ殿下。自らの懐を痛めてでも民に施すのも、上に立つ者の使命です」
「むう……あとでお主の弁当、少し貰うからな」
「検討しておきます」
 ジト目で言う壱子の要請に、平間はにこやかに応えた。ただし、役人の言う「検討します」は「却下します」と同義であるが、そのことを壱子は知るよしも無い。しかし、
「約束じゃからな」
とまっすぐ見つめてくる壱子に、平間はしばし考えた後に
「……わかりました」
と言い直した。ちなみに「わかりました」は、誰が言ってもそのままの意味だ。
 それを聞いた壱子は、一大決心をするように一人で大きく頷くと、再びムスビのもとへ駆けていく。そして包みを解き、中身の揚げ饅頭マントウ**を確認してひとしきり顔を輝かせた後、饅頭の一つをムスビへ突き出した。
 壱子の差し出した物をムスビはしばらく見つめていたが、間もなくそれを受け取ると、おずおずと口へ運んだ。
「美味いか?」
 私の饅頭は、とでも言いたげな口調である。
「うまい。こんなの初めて食べた」
「そうじゃろうそうじゃろう」
 少年の賛辞に、まるで自分が褒められたかのように満足げに笑う壱子は、自分も饅頭を口に運ぶ。
「……!! 私もこんな美味い物を初めて食べたかも知れぬ」
 いや、アンタもかい! と平間は内心突っ込む。
「殿下、皇宮での食事は……?」
「それがな、あにうえが質素倹約を是としていたから、何と言うか……すごく淡白な味のものばかりであったのじゃ。悪くは無かったのじゃが、まあ、大人の味と言うやつかの」
「そうですか……」
「それより、どうじゃ平間、お主も食べるか」
「……そんなに食べさせたくなさそうな顔で言われましても」
「よし、では要らぬのじゃな」
「要ります。食べさせてください」
「良かろう」
 そう言うと同時に壱子は、早くも二つ目の饅頭に手を出そうとしていたムスビの手をぴしゃりとはたく。
「六つしか無いから、一人二つまでじゃぞ。大切に、よーく味わって食べるのじゃ」
 饅頭を一つ、ムスビに手渡して壱子が言う。
「わかった」
 と言ってるそばから、ムスビはその最後の一個をぺろりと平らげる。
「……まあ、気持ちは分かるが……。ムスビ、この辺りで少し腰を下ろせる開けた場所はないか?」
「ある」
「よし。では少し早いが、そこで昼食にしよう。良いか、平間」
「良いのではないでしょうか」
「ではムスビ、案内してくれ」
「わかった。こっちだ」
 なお余談だが、結局饅頭は壱子が三個食べてしまったため、平間には一つしか渡らなかった。そのせいか、彼は次の調査に行く際に、自分にもおやつを用意してくれないか、茉莉に頼み込んだという。



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