八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

十二:「志乃」

「その人のことを、詳しく聞かせていただけますか」
「分かりました。その者は……」
 皿江穂が口を開くと、応接間のふすまが開いた。
「おじいちゃん、お客さん?」
 そう言ってひょっこり顔を出したのは、小さな童女である。
 歳は六歳くらいだろうか、すこし癖のある細い黒髪を小さく二つにまとめている。少し垂れた目じりは、見る者に彼女が控えめな性格なのだろうと言う印象を与えていた。
「ああ、そうだよ。おじいちゃんは今、お仕事しているから、しばらくあっちに行って遊んでいなさい」
「はーい」
 童女はつまらなそうに言って顔を引っ込めた。
「お孫さんですか」
「ええ、義理の、ですが。りんと言いまして、おとなしい子でね。なかなか友達が出来ないようで、困ったものです」
「そうですか……」
 平間の口調はどこか興味なさげである。
「それで、お話の続きを伺っても?」
「ああ、はい。その生き残った者と言うのは志乃という娘で、その……私の一人娘です」
「おお、娘さんでしたか。それでは、後ほど彼女にもお話を伺っても?」
 そう平間が言うと、皿江穂は小さく首を振る。
「もう村にはいないのです」
「おや、ではどちらに」
 平間に壱子が「おい」と耳打ちする。それを知ってか知らずか、皿江穂が言う。
「森にいます。生きていれば、ですが」
 皿江穂の微笑が、苦々しい表情に変わっていく。
「あれは、あやかしの子を産んだのですよ」
「……産んだ? 森で子を孕んだ者は、死すほど腹を膨らませても、中には腐った汁しか残されていないのではないのですか」
「ええ、ですが産んだのです。志乃はその年、十七でした。少し勝気な部分もありましたが、我が子とは思えぬほど気立ての良い娘でした。きっと死んだ妻に似たのだと思います。しかしある日、度胸試しと言って友人と三人で森に行き、それから丸二日、帰って来ませんでした。村人も私も探しに行こうとしましたが、如何せん森に入るわけにも行かず……そして、三日後の晩、志乃だけが帰ってきたのです」
「ということは、友人二人は帰ってこなかったと」
「はい……志乃は憔悴しきった様子で、森で何があったのか、他の二人はどこに行ったのかなど、一切のことを口にしませんでした。その様はほとんど廃人のようで……」
「心中お察しいたします。そして、その後は? 差し支えなければお聞かせ願いたい」
「しばらく皆で篤く世話をしていたのですが、数ヶ月後に娘の腹の中には子供がいることが分かりまして……」
「なるほど。ということは、娘さんは結婚されていたのですか」
「いえ」
「では親しくしていた男性は?」
「おりませんでした。妻を早くに亡くした私たち家族の家事を献身的にこなしてくれていましたから……あくまで私の知る範囲の話ですけれども」
「では、その子供と言うのは、どうなったのです?」
「生まれましたよ、娘が帰ってきてから丁度三百日後に。しかし、我々はそれを森のあやかしの子だと信じて疑いませんでした。そして得体の知れぬ子供を殺すことさえ恐れた我々は、ついに、物言わぬ人形のようになった娘ともども、その赤ん坊を森へと追いやったのです」
「では、娘さんとは――」
「それ以来、顔も見ておりません。赤子を連れた娘が一人で生きられるような森ではありませんから……何処かで野垂れ死んだのでしょう」


 皿江穂の屋敷を出た平間たちは、勝未に唯一残った宿屋の一室へと向かっていた。
 壱子が口を開く。
「平間、どう思う? あの皿江穂とか言う村長の話は」
「どうもこうも、不幸な話です。細君に先立たれ、一人だけの娘さんまで自らの手で森へ追放する羽目になったんですから」
「まさかとは思うが、お主、あの老人の話を鵜呑みにしているのではあるまいな」
「……と、申されますと?」
「あ奴の話を聞いておったが、あまりの胡散臭さで鼻が曲がりそうだったわ」
 それを聞いた茉莉が、不思議そうに言う。
「そんなに変な臭いしましたかね?」
「茉莉、お主は少し黙っておれ」
「すみません……」
 あきれ返る壱子に容赦無く言われた茉莉が小さくなる。
 それを無視して、壱子が続けた。

「まず、あ奴は私が聞かなければ、自分の娘のことを口にせずに話を終えようとしていた。何故じゃと思う」
「それは、単に気が回らなかったのでは?」
「そうかも知れぬ。だが、そうでないかもしれない」
「……なにを仰いたいのです」
「仮に皿江穂が、おのが娘のことを本当に隠そうとしていたら、わざわざ『“ほとんど”皆死ぬ』などとわざとらしい言い方をするじゃろうか。隠したいことと言うのは通常、都合の悪いことじゃと相場が決まっておる。しかもあ奴はわざわざ、お主に見せるためにその手記と、勝未についてまとめた書を用意しておった。ここまで周到にお主を迎える準備をしておった男が、お主に何を話すか綿密に決めず、ましてや、ついうっかり話す予定の無い、都合の悪い発言をするだろうか。また隠すつもりが無くとも、志乃とやらは唯一の生き残りじゃぞ。そんな重要なことを言い忘れる男だと思うか?」
「それはまあ、確かにそうは思えませんが」
「しかも、皿江穂は志乃のことについて、聞かれたことは全て話していたように思えた。このことから、志乃の存在が奴にとって都合の悪いものではないと考えた方が良い。もしそうであれば、なるべく口をつぐもうとするじゃろうからな。志乃の話をする時の奴は、饒舌ですらあった」
 壱子は、くいっ、と自らの右口角を上げる。ドヤ顔。
「と言うことは、皿江穂の意図として考えられる可能性は三つある。一つは、お主の言うように、本当に何の意図も無く話しそびれただけであるという可能性。もう一つは、『ほとんど』と言い、志乃の存在を匂わせることで、私たちについて何かを確かめたかったという可能性じゃ」
「何かとは……?」
「それは分からぬ。だが、例えば、私たちが既に志乃のことを知っているか、とかな」
「殿下、あなたは……」
「なんじゃ、呆けた顔して」
「おいくつでしたっけ?」
 壱子の形の良い眉が右側だけ、「何を言っているんだ」と言わんばかりに吊り上がる。その壱子が、大きくため息をついた。
女子おなごに歳を聞くのを躊躇わぬから、お主はモテないのじゃ」
「そうですよ! ちなみに私は来年二十歳です」
「だから茉莉、お主は……まあ良い。十二じゃ。言わなかったか」
「ええ、聞いていましたが……」
 平間の返事は、相変わらず歯切れが悪い。

「だからなんじゃと言うに、はっきりせぬか」
「その、ですね。皇族の方々はみな、そのお年でそんなにも聡いものなのですか。それとも……。殿下はご自身を『世間知らず』だと仰っていましたが、とてもそうは思えませぬ」
「たしかに、壱子様は私が子供の時よりも頭の回転がずっと早いと思います」
「そう褒めずともよい。照れるではないか」
 壱子は、にへらと笑って頭をかく。
しかし平間の表情は、真剣そのものであった。
「殿下、何か私たちに隠していることはありませんか? 殿下のお歳でその洞察力は、はっきり申し上げて常軌を逸しています。あなたは、一体……」
「急に何を言い出すかと思えば……別に私には何の隠すべき秘密も無い。皇族がどう、とか言う話は、親類にほとんど合ったことの無い私には良く分からぬがの。平間、私はお主に嘘は言わぬ。お主が私にそうであるようにな」

 平間には、壱子が嘘を言っているようには思えなかった。しかし、こと自身の長所の一つだと自負している思考力の点において、十も歳の離れているこの少女に後れを取っていることが、彼の心に影を射していた。もちろん彼自身も、その感情が子供っぽい、壱子にとって理不尽なものであることは分かっている。だがもし壱子が、「私は皇族だから」とか「これこれこういう特別な何かがあって」などと言ってくれたら。平間には無い何か特殊なものが彼女の思考力を非凡なものにしていると言ってくれたならば、彼は彼なりに、諦めという作業を含めた感情の整理が出来たであろう。
しかし壱子は正直に、心から「何も無い」と言った。そしてその真言は、かつて平間が経験した挫折の末、長い時を経てやっとの思いでたどり着いた「自分は実力はあるが、家柄が悪かったから成功しなかった」という自己弁護の精神的支柱に、ヒビを入れかけていた。
その結果、無意識に、彼は自らの心を仮性の殻で覆うことに決めたのである。

「少し……一人にさせていただけませんか。日没までには戻りますから」
「ひ、平間……? お、おい……」
 壱子の声を聞かず、平間は背を向けて歩いていく。
「どうしたというのじゃ……」
「どうしたんですかねぇ、荷物だけでも宿においていけばいいのに。重そうですし……あれ、どうしました?」

コメント

コメントを書く

「推理」の人気作品

書籍化作品