八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

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十一:「勝未村と長」

翌日、平間ら一行は目的地に到着した。

皇都から東に、皇国有数の大河川だいかせんである遠都川とつかわを越えておよそ二十五里(百キロメートル)、南に五里(二十キロメートル)行ったところに位置する村が、勝美村である。土地が痩せており農作に向かなかったものの、これまた皇国有数の港町である陽樂ようらくと皇都との間に位置する立地の良さから、かつては旅人や行商人がその疲れを癒す場所として、そこそこに栄えていた。しかし昨今は、大街道の整備と、それに伴って本橋もとはし稲鳴いななりという大きな宿場町が付近に出現したこともあり、今や旅人もほとんど立ち寄ることのない、言わば閑村となってしまっている。

そんな勝未村の近くに、場違いと言えるほどに豊かな手付かずの森がある。それが今回、平間が調査を命じられた勝未の森だ。宿場町としての役目を終えつつある勝未村の人々は、この森に着目し、主に狩猟採集で生計を立てられないかと画策した。これがおよそ一年ほど前のことである。
しかし、結局その計画は水泡に帰したという。

「勝未に着いたはいいが、まずはどうするのじゃ」
「とにもかくにも、この仕事はまず聞き取りです。初めはここの村長に話を聞こうと思います」
「いや~、なんか頭のいい人みたいでウキウキしますね! 私は今まで警備とか護衛みたいな仕事しかしたことが無いので新鮮です」
「……月村殿はなるべく黙っててくださいね」
「何でですか!?」
「阿呆じゃからであろう」
「正解です」
 壱子の髪飾りの銅鏡が、それに合わせてくるくる回る。
「私、そこまで阿呆じゃないですよ、殿下!」
「その自覚が無い時点で阿呆じゃ。諦めろ、茉莉」
「そんな! 殿下まで……!」

 勝未村長の屋敷は遠めで見る限りは豪奢であったが、落ちた瓦や蔓の巻いた柱など、近付くにつれて彼方此方に傷んだ箇所が散見された。きっと昔栄えていたころの名残なのであろうが、今はほとんど整備の手が回っていないようだ。その屋敷は勝未村の変遷を象徴するようだ、と平間は思った。

 三人を屋敷に招いた村長、皿江穂さらえぼ半賀はんがは、彼らを客間へにこやかに迎えいれた。
壱子が茉莉に囁く。
「よいか茉莉、お主は『はい』とだけ言っておれば良い」
「え? あ、はい!」

 皿江穂は壮健な老人、と言った印象の男である。背は五尺七寸(百七十一センチメートル)あまりと、そこまで長身ではないのだが、ぴんと通った背筋が年齢と不相応な迫力を醸し出している。
「皇宮の方からわざわざご足労いただき、ありがとうございます。大したものはお出しできませんが、さあ、どうぞお掛けください」
「ありがとうございます。しかし私は、何か見返りを求めて参ったわけではありませんから、お構いなく」
「いやはや、そんなお気遣いをさせてしまってお恥ずかしい限りで……。ところでそちらのお二人は? お一人でいらっしゃると聞いていたのですが……?」
 皿江穂は平間の後ろに立つ二人を指して言う。
「あー、その二人は……私の護衛と、えー……」
 平間が言葉に詰まる。茉莉は護衛で良い。何より嘘ではない。だが、壱子はどうする? 「彼女は皇女殿下ですよ」などと本当のことを言ったら、まず間違いなく事態がややこしくなる。だからと言って、職務に同行させている以上、親類だと言うのにも無理がある。友人? それもおかしい。妻? 何でそんな発想が出てくるんだ。
「あー、この子は、ですね、その……」
わたくしは、平間様の側女そばめ*ですわ。ねえ、お姉さま」
 唐突に壱子が口を開く。
「え、私? そば……?」
 話を振られた茉莉はしどろもどろだ。おそらく「そばめ」の意味が分かってない。
 壱子が茉莉の尻を、思いっきりつねった。
わたしはお主に、どうしろと言ったかの……?」
「は、はい! はいはい! その通りです!!」
 皿江穂の方を向いて、壱子がにっこりと笑う。
「……というわけでございます」
「……なるほど? 平間殿はずいぶんお若い女性をお連れのようだ。これは羨ましい限りです。このみすぼらしい老骨に近付こうとする女子など、久しくおりませぬゆえ」
「はは、ま、まあそんなものです」
 一体何のつもりだ、と平間は一人ごちたが、皿江穂もある程度は納得したようなので良いだろう。

「さて、では例の森についてお聞かせ願えますか」
「はい、そうですね……この村のことはある程度ご存知だとは思いますが――」
 皿江穂の話をかいつまんで言えば、以下のようになる。

 賀茂端かもばたせんという男が、家族と共に二年前に流れ着いてきたと言う。彼は腕の良い猟師であり、何故かは分からぬがもといた山を離れ、勝未で猟をさせてくれと言ってきた。
しかし、勝未村には以前から「付近の森に入ってはいけない」という言い伝えがあった。いわく、勝未森に足を踏み入れた者は、その森に住む姿の見えない魔物にいつの間にやら孕まされ、腹を大きく膨らませるのだという。もちろん魔物の子が只で生まれるはずは無く、ほぼ全ての者は次第に衰弱して死ぬ。腹を膨らませてからその死までの期間が百日あまりであることから、百腹ももはらの奇病と言う別名もある。さらには、実在の動物の妊娠期間に当てはめて、魔物の正体は獅子の類だ、とする噂もあった。とにかく、その言い伝えのために、勝未村の歴代の村長たちは森への立ち入りを禁じていたのである。無論、皿江穂半賀もその例外ではなかった。
しかしそんな言い伝えを聞いても、賀茂端は頑として猟に行くと聞かなかった。さらに悪いことに、生活が傾き、困窮し始めた一部の村人が彼に同調し始めたのである。日に日に森へ入ろうと主張する声は大きくなり、ついに皿江穂は彼らの森への立ち入りを認めざるを得なくなってしまった。

「それで、賀茂端という男らは森へ?」
「はい。はじめは、それはもう大猟でした。しかし……」
「死んだ、と」
「はい……それも一人の例外も無く。森に入った者は若者が多かったので、胸が痛み無と言うものではありませんでした。村の長として何も出来ない自分が、不甲斐なくて不甲斐なくて……」
「なるほど。それで、その時の様子は皆同じようなものでしたか?」
「え、ええ、正しく言い伝え通りでした。まあ、最期は誰も近寄ろうとしなかったので細かいことは分かりませんが……申し訳ありません」
「いえ、賢明な判断です。ところで、その森で取れたものは口にしましたか」
「はい、数えるほどですが、獣の肉を食べたことがあります」
「食べ方は?」
「たしか……鍋にしたのだと思います。冬でしたので」
「なるほど、分かりました。それでは以上で……」

「平間様、私も村長さんに一つお聞きしたいことが」

 壱子がおもむろに口を開いた。
「私に? なんでしょうか」
「先ほどの噂の話ですが、『ほとんどの者は腹を膨らませ、衰弱して死ぬ』と仰いましたよね」
「ええ、それが何か?」
「『ほとんど』と言うことはそうではない者もいらっしゃったのでしょう?」
 壱子の問いに、皿江穂が絶えさずにいた微笑が、一瞬であるが消えた。
「ええ」
 皿江穂は頷いて言う。

「私の知る限り、十五年前に、一人だけね」


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