八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

十:「近衛の追跡者」

「どういうことか、説明していただけますか」
 翌朝。目覚めたばかりの壱子に朝食代わりの米餅を差し出しながら平間は問うた。
ここは、前日まで歩んでいた主街道のそばを走る脇道沿いの空き地である。この道は主街道より狭く、整備も不十分で、またやや遠回りにはなるが、人通りは少ない。
誰に狙われているか分からない今、なるべく人目を避けようというのが平間の考えであった。

昨晩の襲撃を脱出してから半刻ほど駆けた平間は、その後、いつの間にか寝てしまった壱子を背負ってさらに三刻、すなわちほとんど夜通し歩き続けた。
平間の気がかりは、正体不明の追っ手と、ついでにそれらを足止めした自称近衛の茉莉のことである。

「まず、昨夜のあの者たちに心当たりは」
「無くは無いが……命を狙われるようなことをした覚えは無いのう」
「どんな微細な可能性でも構いませんから、片っ端から挙げてください」
「ふむ……」
 壱子は餅で口をもごつかせながら天を仰ぐ。

「まず従大尉の関根嵐馬じゃろ。こ奴の軍費報告書の捏造を暴いたことがある。あとは兼座州刺司の水浦謹太と錦織物商工会の村山田志熊の癒着を示す証拠となる文を大内裏の廊下に貼り付けたこととか、中宮に手を出そうとした白転河豚麿の着物に腐った香の粉末をすり込んだ事もあったのう。近衛大夫の某が禁酒令のあった時に酒をかっくらって寝ているところに、真面目だが酒好きの奴の部下を送り込んで微妙な雰囲気にさせたりもした。あ、水をくれぬか」
「殿下、それ一部は恨まれても仕方が無いやつありません……?」
「そうかのう……まあ酒のことは悪かったと思っておる。水をくれ」
「他には無いですか」
「ほか、か。あー、大村赤彦が私を嫁に欲しいと言った事があってな?」
「大村殿とは顔見知りです。ずいぶん歳が離れていると思いますが……それでどうなさったのです?」
「嫌だったから逃げてきた。平間、水―」
「それで?」
「今に至る」

「……は?」

 平間の間の抜けた声に、壱子が眉をひそめる。
「どうかしたのか」
「もしかして、大村殿の求婚に返事をせずに出てきたのですか? というか、一昨日の未知だとか自由だとかいう話はどういう……?」
「あの話も本当じゃ。結婚なぞしてしまったらそれこそ自由がなくなる。それに返事もしてきたぞ。ちゃんと置き手紙をしてな」
 嫌な予感が、平間の脳裏を掠める。
「何と、書かれたのです」
「水」
「はい、水です」
 平間が竹の水筒を壱子に手渡す。それを壱子はたっぷり時間をかけて飲み干した。
「ぷはー。うむ、『二日遅かった』と書いておいた」
「? ……それ、『おととい来やがれ』って意味じゃないですか!!!」
 平間は思わず立ち上がる。
「正解じゃ。よくわかったのう」
「何を暢気な……いいですか殿下、殿下はご存じないかもしれませんが、貴族の男にとって求婚を断られることは最大級の恥なのです。しかも、それをそんな形で断るなど……」
「ではどうすればよかったのじゃ。私とてあんなオッサンに嫁ぐのは御免こうむるぞ。お主も私の立場ならそう思うだろう」
「思いますが……大抵は波風が立たぬように『病弱だからご期待に添えません、大変申し訳ございません』と言ったことを手紙で、懇切丁寧に伝えるものなのです」
「私、すごく元気じゃぞ」
「嘘も方便です!」
「なるほどのう。お主、賢いな」
 相変わらずのほほんとしている壱子。と、それを見て身悶えしている平間の対比が鮮やかである。
 平間はこの時、その生涯で始めて「やれやれ」と言う人間の気持ちが分かった気がした。

「結論から申し上げますとね、殿下。十中八九昨晩の者達は大村殿の手の者でしょうし、そんな無礼を働いたとなれば、いくら皇女でもは殺されても文句は言えません」
「死人に口無しじゃな」
「そういう意味じゃありません!!」
 壱子は「上手い事言った」とでも言わんばかりにケラケラと笑う。
「そもそも、大村赤彦殿という男は気位が高いことでも有名なのです。加えて官位もかなり高いですから、まあ、さすがに皇女と言えどそんなことをしでかしては……」
「……もしかして私、まずい状況?」
 壱子が急に真顔になる。
 やっと気付いたのか、と平間は頭を抱えた。

「かなりまずいですね……皇女の降嫁となれば、おそらく帝も承諾済みでしょうし。きっと大村殿に追っ手を差し向ける事を許されると思います」
「まことか」
「まことです」
 壱子は、途端におろおろし始めた。
「……どうしよう。どうすればいい?」
「ちゃんと謝るしかないんじゃないですかね」
 淡々と平間は答える。
「なんといえばいいかのう。『ごめんなさい』でいいかな」
「いいんじゃないですか」
「……でもやっぱり、そこは『皇女だから』で何とかならぬかのう」
「ならないからこうなってるんでしょうね」
 平間は、呆れを通り越して、馬鹿馬鹿しい気持ちでいっぱいだった。何のためにあんな必死こいてこの娘を守ったのか。ここまで夜通し背負って歩いてきたのか。自分でも壱子への応答が雑になっていることを自覚していた。

 唐突に、壱子が立ち上がる。
「よしわかった、謝ろう!」
「ええ、あなたはそういう人で……今なんと?」
「謝る。知らぬことと言え、大村には悪いことをした。だから謝る。謝って、断る」
「……なんと。お見それしました。殊勝な心がけです……ですが、何故? 私は殿下が素直に人に頭を下げるような方だとは思ってませんでした」
「黙って聞いておれば滅茶苦茶なことを言うではないか。まあ良い。私は、生きていく上で絶対に守るべき信条というものを一つ持っている。それは『人としての道に外れていないか』と言うことじゃ。私の行動は多かれ少なかれ大村を傷つけたじゃろうし、兄上にも迷惑をかけた。それで詫びぬのは無法と言うものよ」
「……殿下がまともなことを仰るなんて……熱でもあるんですか」
「さっきも言ったように私は元気じゃ。人の話は聞けよ平間。と言うわけで謝ろうと思うのじゃが、どうすればいい」
 平間の皮肉は壱子には伝わらなかったようである。
「そうですね……高位の方々の謝罪の作法はよく知りませんが、とりあえず皇宮に戻るのが最善ではないでしょうか。大村殿も普段は皇都にいるでしょうし」
「あそこに戻るのは嫌じゃ」
「嫌も何も無いでしょう、謝るんですよ。ちゃんとこちらから出向いて相手を立てなければ」
「えー」
「『えー』じゃありません。駄々っ子じゃないんですから」
「しかし、それでは本末転倒と言うものであろう。二回も皇宮を抜け出す自信はさすがに無いぞ」

「あ、いたいたー! 殿下―!」
 西から聞こえてきた声の主は、なんと、月村茉莉であった。
「良かった、無事に逃げ出せたんですね。それにしても貴方、えっと――」
「政所和倉係の平間京作と申します」
「平間殿ですか。貴方、こんな長距離を短時間で移動するなんて大したものですね。私じゃなければ追いつけませんよ」
「短時間?」
「まさかアレから今まで、ずっと歩いてきたわけじゃないでしょう?」
「ついさっきまで歩いていましたが」
 茉莉が理解できないものを見たような顔をする。
「……まことですか、殿下」
「まことじゃよ。ひらまー、やっぱりもう少しご飯食べたい」
「えぇ……、忍か何かですか、平間殿は」
「役人です。殿下、食料は昨日逃げる時にほとんど山に置いてきてしまったので、大切に食べませんと……」
「えー」
「本当に役人なんですか!? 近衛でも早々いませんよ、そんな人」
「恐縮です。ところで、追っ手は?」
「追い払いました。私にかかればあの程度、物の数ではありません!」
 茉莉は褒めて欲しそうに壱子の方をちらちらと見遣るが、当の壱子は食事を諦めて地面に棒で落書きしていた。
「殿下、追い払ってくれたそうですよ!」
「おお、それはご苦労」
 壱子が左手の親指を立てて突き出す。
「ありがたきお言葉!」
それが最上の喜びであるかのように、茉莉は瞳を輝かせた。
ありがたくは無いだろう、すごく雑だぞと平間は思ったが、口にはしない。
「それで、殿下たちはこれからどちらに向かわれるのです?」
「それが……」
 言いよどむ平間。それと入れ替わりに、壱子が口を開いた。
「皇都に戻ろうかと思う」
 その言葉に、平間は耳を疑った。
「良いのですか!?」
「仕方が無かろう、人の道を外れることは出来ぬ。きっちりと詫び、今度は兄上に頼んで外に出してもらうよ」
「殿下がいいのならば良いのですが……」

「あれ、と言うことは昨日の刺客の正体は分かったのですか?」
 茉莉が意外そうに言う。
「大村赤彦じゃろ。私が求婚を断った」
「それを、きちんと謝ろうと言うのですか?」
「そのつもりじゃが、なんじゃ?」
 それを聞いた茉莉の表情が、ぱぁっと明るくなる。

「ぃよかったぁぁああああ!!」
「な、なんじゃ急に。面妖な」
 突然歓喜の声を上げた茉莉に、壱子が目を丸くする。
「みんな、聞いてた?」
 茉莉が後ろを振り返って言った。

「聞いてました!」
「ばっちりです」
「見直しましたよ、殿下!」
茉莉の声に応じて、物陰からわらわらと四人の男達が出てくる。
「紹介しますね」
茉莉が男達を指して言う。

「昨日の刺客たちです」
「な、ななな……??」
 壱子が枝を放り出し、平間の陰に隠れるが、構わず茉莉は続ける。
「実はですね、陛下から特命を仰せつかっていたのですよ。『皇女が自分の罪を自覚しているか確かめよ』って」
「それで、なんなのじゃ……?」
「その罪と言うのはつまり、一人の貴族に礼を尽くさなかったこと、なんですけど、どうやら殿下はそれをしっかり分かっていらっしゃるようです。もしそうなら、皇宮へは連れ戻さなくて良いと言われていました」
「……分かっていなかったらどうなっていたのじゃ?」
「『そのような愚妹は我が一族にあらじ、首だけ連れ帰って参れ』との事でした」
 わざとらしいおどろおどろしさで茉莉は言う。しかし、壱子にはそれがしっかり効いたようだ。
「……兄上すごくこわい」

「そこで私は、部下達を刺客に見立てて一芝居打つことにしたのです。我ながら迫真の演技だったと思います。 でも、もしこれでも飄々としておられたら、ここでお命をいただくことになっていましたから、そうならなくて本当に良かったです。まあ、まさか皇女殿下に私が気絶させられるとは思っていませんでしたけどね」
 スゥ……と青ざめる壱子とは対照的に、言葉どおりに本当に安堵したと言うように、また少し照れ臭そうに茉莉は笑う。

「このことはこの刺客たちが陛下に報告しておきますから、これからは存分に旅を続けてください。もう荷の中に入って関を抜ける必要もないそうですよ」
「ほ、本当に良いのか?」
「はい。ただし、皇女殿下の独断で行く旅なので仕送りの類は一切しないそうです。すべて平間殿の厄介になるように、とのことでした」
 その言葉に、今度は平間がギョッとする。
「そ、それはまことですか」
「まことですよ。あと荷はそちらに持ってきてありますから、ここからは自分で持って行ってくださいね。四人がかりでも運ぶの大変だったんですから」
 茉莉が指した方を見ると、「すごく疲れた」とでも言いたげな仕草をする男たちと見慣れた荷物が目に入った。四人がかりということは、おそらく茉莉は運んでいない。

「えーっと、それで調査の対象地は勝未の森でしたね。参りましょうか」
「……何、お主も来るのか?」
「はい。護衛兼お目付け役として同行するように、と言われておりますので。ちなみに、私の旅費も平間殿に集れ、とのことです」
「さ、さすがに後の方は嘘でしょう」
 慌てる平間に、茉莉は微笑んで言う。
「それはどうでしょう? ただ、私は平間殿は紳士だ、とも聞いております」
 平間は紳士である。彼は懐に、隙間風が吹く錯覚を覚えた。

「ひらまー、荷物があるならやっぱりご飯食べていいか?」
「どうぞ、好きにしてください……」

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