八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

二:「証明と提案」

 皇女と言えば、みかどの娘か、そのたぐいである。そして、自らを皇女だと言う目の前の少女の話を聞いたとき、平間が抱いた感想は、当然と言うべきか「んなわけあるか」であった。

 そんな呆れ返った平間の心情を知ってか知らずか、壱子は平然と続ける。
「故あって身を隠したいのじゃ。済まぬが、お主の旅に同行させてもらいたい」
「おいおい、壱子ちゃんとやら。さすがに皇族の名を騙るのはまずいぞ」
 平間は苦笑し、一応小声で言った。それに対し、壱子はぽかんとした表情になる。
「……は?」
「いくら子供でも、自分が皇族だなんて嘘を言ってはいけない。刑部きょうぶ*に知れたらさすがにただでは済まない」
 平間の説教めいた台詞に、壱子の眉間にしわが寄る。
「まあ誰でもこういう時期はある。俺だって昔はそうだった。多少はな」
「……そうか、わかった」

 そう言うと壱子は、小さくため息をつく。そしておもむろに外套を脱ぎ、地面にそれを無造作に落とした。彼女が中に着ていた着物は決して煌びやかなものではなかったが、なかなか質が良さそうな生地である。その艶やかで上品な質感は、絹だろうか。
 続けて、壱子は自らの着物の襟元えりもとをはだけはじめた。それを見た平間は思わず目をそらし、慌てて言う。
「こ、こら! 君のような年端も行かない子が、そんなことしたらいけません!!」
 刹那的に、忘れかけていた「少女のこわい仲間たちが云々」という仮説が平間の頭をよぎる。慌てて周囲を見渡す。良かった、怖いお兄さんはひとまず見当たらない……というか、美人局つつもたせの「つつ」って何だろう。やっぱりアレ**のことなのだろうか。
 このようにすぐ余計なことを考えるのは、平間の悪い癖だ。

「これを見てくれぬか」
 壱子が言う。
 “これ”とは。二つあったりしないかなそれ。何色だろう。何色じゃないふざけるな。平間京作の妄想癖に火がつく。彼はその火を慌てて布で覆って消そうとした。まずい、燃え広がった。
「いいから! 隠して! 服を着なさい!」
「何をそんなに慌てているのじゃ。いいから見よ」
 露出狂かな? そんな突っ込みを平間は思いついたが、それを口にする余裕が無い。
「見ません! おじさんにそんな趣味はありません!」
「何をわけの分からないことを言っとるんじゃ……」
 それは俺の台詞だ、と平間は思った。
「良いから!」
「本気で言ってるの!?」
「こんなこと、冗談で言うことじゃないじゃろ」
 その台詞に、平間の胸が少し温かくなる。やり方はともかく、そんな真摯な気持ちで言ってくれているのか。女日照りの続く平間には、殊更に嬉しい言葉だ。色仕掛けで落ちたと思われるのは彼にとって多少の弁解をしたいところではあったが、この際それは些細な事だ。
 しかし。
「気持ちはうれしいけど、やっぱりまだそういうのは早いんじゃないかな!」
 この男は妙なところで紳士ぶるのだ。その様子を見て苛立ったのか、壱子は
「何をごちゃごちゃと……はよう見ぬか!!」
と、凛とした声で言い放ち、平間の顔を両の手で挟みこんで無理やり自分の胸元に向けさせる。
 ああ、最近の若い子はこうも積極的なのか……と、平間は半ば諦めて目を開けた。

「……ん?」
 彼の目に入ったのは、なだらかな双丘……ではなく、少女の胸のほぼ真ん中、胸骨***の辺りに刻まれた紋様だった。どこかで見憶えがある。これは確か……。
「皇室の紋でじゃ。この皇都で暮らす方なら一度は目に入れたことがあるじゃろう」
 そうだ、御紋だ。乱れ波に菊の花。そう平間は得心する。しかし、何故それがこの少女に刻まれているのか、という新たな疑問が生まれた。それに答えるように、壱子が口を開いた。

「あまり知られてはおらぬが、皇室の系統の者は皆、普段は服で隠れる体の何処かに生まれて間もなく紋を彫られる。具体的には上腕や腰、かかとなどじゃ。それにこの艶やかな黒色は、独自の配合の墨を用いておってな。その配合は門外不出、秘中の秘であるから、市井しせいの者が偽装することもかなわぬ。であるから、この黒の紋は皇室の出であることの証明になるのじゃ」
 なるほど、確かに壱子の言うとおり、普通の刺青の色とは違い、かなり強い黒色である。
仕立ての良い着物といい、この刺青といい、平間にはこの少女が嘘を言っているようには思えなかった。
「私の言ったこと、信じてもらえたかな」
 心なしか勝ち誇った顔をしているように見える。しかし実のところ、平間の中では未だ半信半疑、と言ったところであった。それは、彼の持っている「皇女が一人で皇宮の外に出てくることなどありえない」という常識が、壱子の主張を頑として否定するからである。

 さてその上で、現時点で平間の取れる選択肢は二つあった。
その一、信じないで無視する。
その二、とりあえず信じ(たことにす)る。
 単純明快な二者択一だ。では、それについて順番に考察していこう。
前者は十中八九問題ないが、万が一本物の皇女だった場合、不敬罪か何かで死を賜る可能性がある。後者の場合は……どえらい詐欺師かもしれないが、少なくとも死ぬ未来は今のところ平間には見えなかった。
死ぬ可能性は無いに越したことは無い。損して得取れ、である。と言うわけで、平間はひとまず信じているていを取ることに決めた。

「にわかには信じられないが、とりあえずそういうことにしておきましょう。……そうだ、匿ってくれと言うのはどういう意味です?」
 フリとはいえ、自分よりもかなり年少に見える少女にもきちんと敬語を使う律儀さが、彼にはあった。
 平間の質問に、壱子は満足げに答える。
「良くぞ聞いてくれた。私は今日、王宮を抜け出してきたのじゃが、すると皆が探してくれるじゃろう。、私は皇女であるからな。じゃが、私としては見つけられるわけにはいかないので、見つからないように匿って欲しい。こういうわけじゃ」
 何故その説明で伝わると思ったのか平間には甚だ疑問であったが、一応聞いてみた。
「丁寧な説明をどうも。お陰で、前提以外は理解できました」
「それは良かった。うふふ」
 壱子には、彼の意図は通じなかったようである。
「ですが分からないのが、何故その皇女様が皇宮を抜け出したりしたのかということです。皇宮で暮らしていれば、何ひとつ不自由など無いでしょう? 日々あくせく働いて、ようやく飯にありつけている私としては、はっきり申し上げて羨ましい限りです」
 それを聞いた壱子は、複雑そうな面持ちになる。
「そうか……じゃが、私にとっては逆に、お主らのような民草の暮らしが羨ましくて仕方がない。王宮には美味しいもの、煌びやかなものが溢れておる。下女達も皆、優しい」
「最高じゃないですか」
「そうかも知れぬ。じゃが、王宮には決定的に足りない物がある」
「というと?」
「なんといえばいいのか……一言で表すとするならば、そう、未知じゃ」
「未知?」
「うむ。毎朝同じ時間に起き、毎日同じように美味しい飯を食べ、同じ顔と語らい、同じ場所から出ず、同じ時間に眠りにつく。確かに不自由は無いかもしれぬが、自由も無い。私は今年十二になったが、物心ついてから今まで、この暮らしはほとんど変わりはせなんだ。きっとこの先も、おそらく死ぬまで変わることは無いじゃろう。何もせぬままでは」
 堰を切ったように、壱子は語り続ける。
「私は、そんな生き方は嫌だと思った。気の向くままに、何にも囚われず、行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、見たいものを見たいのじゃ。だから私は王宮を抜けた。一応ある程度の計画と準備はしていたのじゃが、拍子抜けするくらい簡単に出られたよ。皇女とは言え八番目じゃ。いてもいなくても変わらないのであろう」
 壱子は自嘲気味に笑う。
「ちなみにじゃが、お主のこともっておるぞ、平間京作。かつては学術院きっての天才と言われ、将来を羨望された身だとか」
 平間は、壱子が自分のことを知っていたことに驚いた。しかしそれと同時に、平間の頭には血が上り始めた。
「……そんな天才が、こんな所で燻っているはずが無いでしょう。私は一介の小役人に過ぎません」
 何とか苛立ちを隠そうとしながら、平間が言う。対して壱子は、
「才ある者も機あらねば大成せぬ」
と、彼の言うことを端的かつ明確に否定した。その言葉に、平間の苛立ちが加速していく。
「機は既に得ておりました。それを活かす才が、私には無かったのです」
「その声色から察するに、それは本心では無かろう」
「黙れ! 小娘に俺の何が分かる!」
 平間は思わず大声で喚いた。が、壱子は自分の背丈をゆうに越える男に、全く怯んだ様子を見せない。

「……分からぬよ。じゃがの、こうは考えられぬか。私は皇女じゃ。悪いが、お主が欲しいものは全て持っておるといって良いじゃろう。金も、権威も」
「それがどうした。あてつけか」
「違う。私はお主に、これを取引だと考えて欲しいのじゃ。私は皇宮の外の世界が見たいが、そのための知識も、権利も無い。しかしお主はそれを持っている。私はそれが欲しい。もちろんタダでとは言わぬ。この皇女の願いを聞き入れてくれた暁には、私の出来る範囲でお主の望むものを何でも与えよう」
 いつの間にか壱子は膝を付き、平間にこうべを垂れていた。
「私の采配の及ぶところなど知れておるじゃろうが、しかし約束する。私は今まで、自分の意思で約束をたがえたことは一度も無い……どうじゃろうか」


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