魔界帰りの劣等能力者

たすろう

燕止水


「あ、止水!」

 死鳥の二つ名を持つ燕止水ヤン・シーシュイは、中国の上海シャンハイの煩雑で豪奢な繁華街から、外れたところにある雑居マンションの一室の玄関に姿を現した。
 声を上げた燕志平ヤン・ズィーピンは、止水に走り寄る。
 志平はまだ16歳の少年だが、その顔は黒く日焼けし、落ち着いた容貌をしており、体も痩せてはいるが農作業等で鍛えられた腕の筋肉がTシャツの袖から覗かせていた。
 この雑居マンションはこの国に来ればよく見かける築20年以上で、まるでマンション、アパートが渋滞を起こしたように乱立している区画に位置していた。
 本来、この雑居マンションは各階に10数世帯ほど入居できるように設計されて作られており、この止水が来た5階にもつい数週間前までは、ほぼすべての部屋に住んでいる人たちがいた。
 ところが数週間前、この雑居マンションに政府の人間がやって来たかと思うと、入居者たちを強引に追い出すと、突然、転居先を指定し、その後に業者がやってきて、世帯間の壁をなんの躊躇もなく破壊した。このなんともいえない横暴な仕打ちに居住人たちも抵抗をしたが、政府の役人に逆らい続けることなどこの国ではできない。
 結局、住人たちは泣き叫ぶ子供たちを抱えて、住み慣れたこの家を放棄せざるをえなかった。
 戸別の壁が取り払われて、広さだけは十分にある殺風景なリビングで、止水は、志平の横を無言で通り過ぎる。そして、この広いスペースに無理やり作った数部屋の個室の中でも、その一番奥の部屋に向かった。
 その止水の後ろ姿を志平は心細さと怒りの混ざった表情で、睨みつけ拳を握る。

「止水! 何がどうなってんだよ! 突然、こんなところに連れてこられてさ! なんなんだよ、一体、あいつらは!」

「……」

 止水は無言のまま奥の部屋に入っていった。

「止水、聞いてんのかよ! 畑も家畜もこのまま、ほったらかしてたら、駄目になっちまうよ! そうしたら、俺たちも子供たちも野垂れ死にだよ! 止水、何とか言えよ!」

志平が止水の入っていった部屋に向かい、怒鳴りつけていると、止水は六尺ほどある黒塗りの棒……こんと封筒を持って現れた。

「し、止水……それは!」

 黒塗りの棍を持って現れた止水に、志平は思わず目を大きく開けて驚く。志平はしばらく見ることがなかったその棍のことを覚えていた。それは……まだ自分が幼い頃、止水と初めて出会ったときに、止水が手にしていたものだったのだ。



 志平の家は蘇州の州境のインフラも整わない寒村にあり、車の行き来もままならないこの土地は、外界と隔離されているようなところだった。
 志平が生まれてきたときには父親がいなかったため、母親と畑を守りつつ、二人で細々と暮らしていた。その暮らしは貧しいものではあったが、志平は寂しくはなかった。
 というのも、自分の母親である思思シーシーは変わり者で、村で身寄りのない捨て子を見つけたときに、生活は楽でもないのに自分の家に招き、秘密裏に面倒を見始めたのだ。
 そのため、志平には血のつながりのない弟や妹といえる子たちと、生活を共にすることになり、兄役として大変ではあったが寂しいなどとは思ったことがない、というより思う暇さえなかったと言える。

 こういった捨て子のほとんどは戸籍がなく、役所に通報しても、社会福祉の制度や精神が未発達なこの国では、その後の連絡も報告もない。
 当時、この国は人口調整のため、子供を一人しか生んではいけないという極端な政策を実施していた。だが、この国の国民性として子供が宝という考え方があり、また、貧しい農村部では子供イコール労働力でもある土地では、この政策に密かに抗い、何人も子供をもうける人たちがいたのだ。

 当然、それは違法で生まれた子供であり、届け出はされない。そのため、時には証拠隠滅のために捨てられる子供がいたり、その戸籍のない子が犯罪組織に拉致されても言うに言えず、泣き寝入りするしかない貧しい農村部の現状もあった。
 しかも、当時の所轄の県知事は悪い噂の絶えない男で、人身売買や臓器売買の犯罪組織と金銭による繋がりがあるとも噂されていた。

 志平の母である思思はそのことを知っているからなのか、またはただの自身の考え方なのかは分からなかったが、そういった子を何も言わずに面倒を見ていたのだ。
 思思のこの行動は裏で知る人のみの間で噂になり、早朝、家の前に出ると捨てられている赤子や突然、夜中に泣きながら志平の家の扉を叩く子供たちが現れるようになった。
 その度に思思は何も言わず、その子たちを家の中に招き入れた。その様子を草むらから覗いている、子供を捨てた親たちと思われる視線に気づきながら……。
 このような状況に、心ある村人の中には食べ物や布などが、届けられることもあったが、思思の行動は、当然、生活を圧迫し、その長年のツケがまわったのか昨年に倒れてしまい、そのまま他界してしまった。
 今は唯一の大人である止水と志平を中心に成長した20人近い子供たちと力を合わせて極貧の生活を営んでいた。



 志平は今……止水と初めて出会った夜のことを思い出す。
 小雨のぱらついた、あの夜……家の近くの林の中から、何か生き物が動く音と気配を感じとった思思が、様子を見てくる、と言い、子供たちのために無理やり自分たちで増築した頼りない家の外に出た。野生の猪などが畑を荒らすことは、よくあることなので、こういうことはたまにある。
 志平も思思に従い、外に出た。
 雲がかかっている寒村の夜は真っ暗というより真っ黒な視界。懐中電灯などないので、家にある貴重なたいまつを持参し、志平が火をつけて林のあたりを用心のための棒を片手に見回る親子は、 そこに人間らしき人影を発見する。
 さすがに思思も緊張気味に声を上げた。

「そこにいるのは誰だい?」

 返事はない。
 思思は続けて声を上げる。

「もし、子供がいるならこちらに置いて帰りな」

 それでも返事はなく、思思と志平は顔を見合わせると恐る恐る林に近づき、たいまつを前方に掲げた。
 すると、二人の視界に……血まみれで倒れている男が映る。

「あんた! 大丈夫かい!?」

 思思がとっさに近づき、倒れた男の頬を叩いた。

 それが今、目の前にいる止水である。
 そして今、止水が持っている棍が、その時、止水が全身血まみれで握っていた棍であった……。まだ幼かった志平は、立ち上がった思思の手を強く握り、必死に見ず知らずの倒れた大人の男を見つめ、恐怖と不安に抗った記憶が蘇る。
 そして、志平の母親である思思が、子供でもないこの得体のしれない男を家に招き入れ、看病を行うことが不思議でならなかった。
 その後……この無口な男は、その深刻な怪我がら想像ができないほどの短期間で回復し、床から出てきた。何も語らないこの男は、当初は何もせず、外に出て、ただただ村の畑を眺めていた。
 志平はこの止水を気味悪がり、早く追い出すべきだと思思に伝えたると思思は、

「まあ、そのうちにね。ただ、今は放っておきな」

 と、言うだけであった。
 数日後……この得体のしれない男は何を思ったのか、突然、黙々と畑仕事を手伝い始めた。また、子供たちは何故かこの男に懐き、家畜の世話の手伝いのかたわら、悪戯やちょっかいをだす。
 その度に志平は止水が激高しないかと肝を冷やしたが、止水は淡々と何も言わずに、仕事を誰よりも多く、そして誰よりも遅くまで働いた。
 これは思思の負担を大分、和らげた。
 志平は母親である思思の精力的で何事にも前向きな言動に感化されており、息子として思思を尊敬もしていたが、明らかにオーバーワークの毎日にその体のことを心配していたため、徐々にこの止水を認めていくようになった。
 止水がいなかったら、思思はもっと早く亡くなっていただろうと志平は心から信じている。
 さらに、止水はたまに山や森に入り、山菜や猪などを捕まえてきてくれ、食卓がわずかに栄養源を増して思思を喜ばせた。その後、止水は狩りの方法も言葉少なめに、志平や子供たちに教え、志平などは最近になって止水から護身術まで教えてもらっている。
 今や志平にとって最も身近な大人の男は止水であった。
 そして、止水が持っていた棍は、止水を助けたときに家のボロボロの物置に立てかけられていたはずだった。



 志平はその止水と出会って以来、その棍を握った止水を見たことがない。
 今、その棍を持って立っている止水を見ていると心の中に湧き上がる不安が漂った。
 止水は志平に目をやり、いつも通りの少ない言葉を発する。

「子供たちはどうした」

「……あいつらがどこかに連れてった。いろいろと美味いもんを食べさせてやるとか、服とかおもちゃを買ってやるって言ってね」

 志平は玄関の外で自分たちを見張るように立っている男たちのことを言うために、玄関の方向を親指でさした。

「そうか……」

 止水はそれだけ言うと、棍を持つ逆の手の封筒を差し出す。

「志平、これを」

 志平は怪訝そうに止水の差しだしたその分厚く張り詰めた封筒を受け取る。こんなことではなく、話したいことがいっぱいあるのだ。志平はその封筒からずっしりとした重さを感じ、その封筒の中を確認した。

「これは! 止水……」

「これは手付金だ。今、依頼された仕事が終われば、この30倍はくれるそうだ。それに……新しい家と子供たちの戸籍も作ってくれて学校への編入もさせてもらえる。志平、お前にも専属の家庭教師と名の通った高等部への編入を……」

「ちょっと待てよ! 止水! 何の話をしてんだよ!? それに依頼ってなんだよ! おかしいだろう、一から説明しろよ!」

「……」

「止水!」

「依頼主は言えない。依頼内容も。志平、ただ言えるのは、これが終わればお前も子供たちも……」

「そんなことを聞きたいじゃないよ!」

 志平は100元札が詰まった封筒を床に叩きつけた。

「今後のことを聞いてるんじゃない! この状況を説明して欲しいんだよ! 止水は一体、何を依頼されたんだよ! あいつらが来てからの止水はおかしいよ。あんな奴らの言うことを素直に聞いてさ。止水だったら、あんな奴ら、すぐに!」

「志平……俺はもう行かなくてはならない。お前はいいからここで待っていろ。悪いようにはならない。それと……もう、お前は一人前の男だ。今後はお前が中心になって子供たちを守ってやれ」

「! そ、それはどういうこと!? 止水は……」

「俺はこの仕事を終えてひと稼ぎしたら、気ままな一人旅でもするつもりだ。お前たちや思思への謝礼としてはこれで十分だろう」

「そんな!? 止水……」

「じゃあ、達者でな、志平」

 止水は一方的にそう言うと言葉を失っている志平の横を、無表情に通り過ぎ、玄関へ姿を消した。
 止水に突然の別れを言い渡され、部屋に取り残された志平は立ち尽くす……。
 そして……志平は徐々に体を震わせ、拳を作り、やり場のない怒りを壁に叩きつけた。

「なんなんだよ! 止水の大馬鹿野郎!」



 雑居マンションの下に降りた止水は、目の前に止めてある場違いの高級車に向かった。

「ここで、あの子たちともお別れですか? 死鳥」

 高級車の横で止水を待っていたスーツ姿の百眼は、止水に車に乗るように促す。
 止水は何も言葉を返さず、その車の後部座席に乗り込んだ。
 百眼はそれに合わせて止水の横に座り、運転手に出せと合図を送ると車が走り出す。

「ずいぶんと優しい配慮をなさいますね。かつて死鳥と呼ばれた暗殺者は、もういないということですか」

「……」

 腕を組み、自分の横に棍を立てて止水は目をつむり何も答えない。
 百眼はフッと笑うと前を向いた。

「依頼の最中にあなたのわがままで、上海まで戻ってきたんです。このまま、日本に飛びすぐに仕事をしてもらいますよ。今日の夜には日本にいる仲間とも合流できますから、作戦はその時に……」

「明後日の朝に仕掛ける」

「は?」

「明後日の朝、標的が登校する際に仕掛ける」

「……分かりました。では、襲撃地点と段取りはこちらで検討します。それで……聞かせてもらえませんかね、仕掛けるタイミングを明日ではなく明後日にした理由を」

「こいつの準備に一日必要だ」

 百眼は止水の横に置いてある黒塗りの棍を見つめ、ニヤリと笑う。

「フフフ、そういうことでしたか。しかし……そこまで真剣にやってくださるとは有り難いですね。確かに……手ごわい娘たちでしたが、そこまでの相手ということでしょうか? いや、死鳥の本気……楽しみにしていますよ」

(ククク、毒椀の認識票に仕掛けた仙氣については今は不問にしておきますか……。我々への嫌がらせのつもりだったのでしょうが所詮、機関など闇夜之豹の前ではなにもできません。それよりもです……)

 百眼は足を組み直し、メガネの位置を修正すると片側の口角を上げた。

(かつて……黄家の当主に土をつけ、若き日の天衣無縫、王俊豪に手傷を負わせたという、あなたの……死鳥の実力を見せてもらいましょうか。邪仙、崑羊こんようから学んだとされる仙道の力を)

 今、百眼は既に標的であるマリオン・ミア・シュリアンを捕らえた先のことを考え始めていた。





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