魔界帰りの劣等能力者

たすろう

試験開始②

 
「しっかし……嫌な奴が多いよなぁ。あのフランス野郎といい中国野郎といい……。僕の貴重なTシャツをどうしてくれるんだよ、まったく。これは何が何でもランクを取得しなきゃ割に合わないよな。この脱いだシャツも変えないとな、バレると面倒くさいし……」

 祐人はブツブツと一人愚痴を溢しながら、ホテルの自室に向かい歩いている。
 祐人はそこで前方に目を向ける。

(あれ? あの人は……)

 いつからそこにいたのか、ホテル内の宿泊フロアに行くのに必ず通る、通路途中に設置してあるソファーに四天寺瑞穂が足を組んで座っていた。
 祐人はちょっとだけ緊張し、上半身裸のまま、破れたTシャツと脱いだ長袖シャツを両手で胸の所で抱えつつその横を通り抜けようとする。

「あなた……待ちなさい。すれ違っていながら、私に目も合わせないとはどういう了見かしら?」

「え? いや、四天寺さん? ちょっと急いでいたから……この格好じゃ恥ずかしいでしょ?」

「ふーん。ホテルの中なんだから、そんなに寒くはないでしょ?」

「いや、寒いとかじゃなくて、さすがに上半身裸でいるのは不味いと思うから……」

「着る物ならあるでしょう。その手に、汚れていない奇麗なシャツがね!」

「なな! こ、これはコーヒーで汚れてしまっているから、僕は着替えが必要なんだだだよ」

「私の目を誤魔化せると思わないことね。それじゃあ……見せてみなさいよ。その後ろに隠した、汚れているっていうシャツを!」

「え? 何で? うわ! ちょっと何すんの!」

 立ち上がりざまに瑞穂は猛然と襲い掛かって来た。そして祐人が持つ、長袖シャツに手を掛けようとする。
 驚いた祐人は慌ててシャツを後ろに隠して渡すまいと避けると、そのまま二人はまるで子供同士がじゃれるように揉み合う。
 祐人には瑞穂の目的が分からない。しばらく格闘が続くが更に分からなくなった。

 何故なら瑞穂の最初の勢いは何処へやら、シャツを取り上げようとするその動きが今は鈍い。
 良く見ると瑞穂の耳がえらく赤いようにも見える。だが、決して諦める風でもなく、しつこくシャツを祐人から取り上げようとはしてくる。

(何なんだ? この人は……)

 実際、瑞穂は完全に狼狽していた。恐らく人生でもここまで狼狽した記憶は無い。
 夢中でシャツを奪おうとしていて、最初は気付かなかったのだ。
 眼前に上半身裸の男の体があることに。
 そして身長は祐人の方が大きいため、

(お、男の胸が……ち、近い)

「もう! やめて下さいよ! 何がしたいんですか、四天寺さんは!」

「ハッ。き、気に入らないのよ! さっきのあんな腐った奴なんか、私が張り倒そうとしたのに! あんたがしゃしゃり出てきて邪魔をして。ああいう奴はね、無意味に伸びたあの鼻も、その根性も体ごと叩き折るのが一番いいのに! マリオンって子のためにも! あんただってあんなクズのせいで土下座までして大恥をかいていたじゃない!」

 その瑞穂の怒りのこもった言葉を聞くと、祐人は瑞穂の言いたいことを理解した。
 祐人は動きを止めて、その目は瑞穂を正面から捕らえる。瑞穂もその祐人を睨み返した。
 その瑞穂の眼光を受けつつも、この少女のまっすぐで潔癖な正義感を祐人は好ましく思った。

「四天寺さん……それでは駄目なんだよ」

「何が!」

「あいつを四天寺さんが張り倒して……その後はどうなるの? ああいう救いの無い奴の行動なんて……。恐らく苦しむのは結局、マリオンさんだけだよ」

 瑞穂の手に入っていた力が緩む。祐人の言う意味が分かるのだ。

「そ、それは……」

 確かに、それは充分にありえると瑞穂は思ってしまう。しかも、相手は裏オルレアン家だ。名門の四天寺家でも理由も無く、容易には手を出せない。マリオンがオルレアンの分家だというなら尚更だ。それこそあの男は、自分のストレスをマリオンにぶつけるのは想像に易い。
 しかし、瑞穂はそれを指摘されて気付かされた事が悔しくなってくる。

「だ、だからと言って! 他の人間が、あなたが大恥をかくのが良かったとでも言うの? あなた何様? 格好をつけて自己犠牲精神旺盛なヒーローにでもなったつもり? は! ちゃんちゃらおかしいわ!」

 祐人は神妙な顔で聞いている。

「それで! 偉そうなことを言っているけど、何か状況は変わったの? あのマリオンって子の状況は好転しているの? あんたの自己犠牲によって!」

「…………」

「あんたのお陰で何か状況は変わったのかって聞いているのよ!」

 この時、瑞穂は自分がこの少年に対して明らかに言いすぎている事を理解していた。だが、止まらない。

「変わっていない……。変えることはできない。僕にそんな力は無いよ……」

 瑞穂は自分の心が少し痛むのを感じる。僅かだが、祐人の目に戚然とした色が見えたのだ。だが直後、祐人の目に一瞬だが力がこもる。

「いや……、事態を変えるのは自分自身でなければならないと思う。だから僕は彼女の状況を良くしようとしたんじゃないよ。あの時は、僕がああしたいと思ったからそうした。ただ、それだけなんだ。自己犠牲なんて夢にも思っていないよ」

 祐人は顔を上げて明るく笑う。

「それに、あの状況と空気は何か耐えられないじゃない?」

 瑞穂はその場に似つかわしくないその笑顔に……何か言おうとした口が止まってしまう。

「……ッ。あ、あなた……」

「瑞穂様ぁー! いますかー?」

 瑞穂が何か言おうとしたその時、祐人達から死角になるエレベーター前のスペースから声が聞えてくる。祐人がそちらに顔を向けたのもあって釣られて瑞穂も振り返った。

「あ、瑞穂様! こんな所にいたのですか。探したんですよ、ビュッフェの所にも試験会場にもいないんですから……。何をなさっているのですか? 一人で……?」

 どうやら瑞穂を捜していたらしい明良が早歩きで寄って来る。

「明良、え……一人? あー!! ……に、逃げられた」

 既にそこに祐人の姿は無かったのに気づき、瑞穂は歯軋りをする。

(何よ、あいつ! この私に偉そうに! せっかく私が……自分は大恥をかいて皆に馬鹿にされているってのに!)

 そんな瑞穂を明良は不思議そうに眺める。

 それは明良が従者になって初めて見る瑞穂の表情だったのだ。


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