BOXes 20@1

神取直樹

ありすあうと

 肋にメキリ、と鈍い音が鳴る。だがナイトは動じずに、一歩だけ後ろに逸れた。
「ヒビが入ったな。久しぶりで鈍ってるみたいなんだ。少しは手加減してくれないか」
 少しばかり震えを含む声で、それでもはっきりと彼は口を動かす。だが、了は黙って次の拳を用意した。今度は顔だ。鼻に向かう拳は、起動にズレを生じてナイトの左目に触れる。
「手加減は? ないのか? そうなのか?」
「ねえよんなもん! 目え覚まして反抗でも何でもしてみろっての!」
 青タンの似合わない顔が、了の目の前に迫る。
「嫌だなあ、お前はえらい奴だろうに。目下の俺のことも気にかけられん」
 グッとナイトが拳を握る。

「よろしくないなあ」

 あっはっはと笑ったかと思えば、その拳は飛ばなかった。飛んだのは了の意識。一番大切な、足の付け根同士の合間に、熱いような激痛。一瞬息が出来なくなる。
「おう、まぁぇ…………くっそがぁあぁ……!」
 喉が閊え、何も言えない。かろうじて出た音は、言葉としての機能を失いつつあった。内股になり、情けない姿をさらしていることにすら、羞恥心を見いだせない。自分だって蹴られてヤバいと思うところに、普通、攻撃を仕掛けるだろうか。
「どうした? 何もしないのか?」
 答、コイツならする。
 他人の痛みも何も、この男は気にしやしない。了の知るナイトと呼ばれるこの男は、そういう人間であった。様子から導き出すことを知らない。排他的、自己崇拝激しい、騎士とは本来呼んではいけない男。今、コイツが主と呼んでいる相手がいるのならば、それは「騎士には主がいて当然だから」という、本人の意思の尊重のためである。
 だが、そんなこと考えている余裕はない。ナイトは早くももう一発、攻撃の手立てとして、左の腕を振りかぶっている。
「ごめん」
 少しだけ笑み、騎士はそう言って拳を突き付けていった。フッと、目の前が暗闇に変わる。暫く、何分かはわからなかったが、自分の声が遠くから聞こえるまで、目を覚ますことが出来なかった。



「いやあねえ、折角新調した服が台無しね」
 白い、どこまで白々しい彼女は、そう言って瓦礫の傍で小躍りしていた。傍ではうめき声が聞こえる。警察官が隣を通る。真後ろで、女が叫んでいる。誰も、彼女を見ていない。否、見ることが出来ない。
「嫌だ嫌だ、透明人間ってこんな感じなのかしらね」
 その言葉は、彼女の片割れに紡がれたものだった。その片割れは、彼女の隣で、自分の存在感を消して、無表情に立っていた。そして、彼は、スクリーンを彼女にあてがうように、人々の意識を彼女から逸らす。
 この騒ぎが一体誰の所為か、二人は知っていた。
「もう、ムカついてしょうがないわ。黒、もう一回切って良い?」
 片割れの男は、一つ、フッと、溜息を吐いて、彼女の口に人差し指を当てる。
「止めておけ、白。目立っても仕方がない。あんまりにも酷いことすりゃ、俺にもカバーしきれないよ。暫くの我慢だ。そろそろ、原罪が来る」
 白と言う彼女は、更に大きな溜息を吐いて、黒にねだるように目線を刺す。それでも、黒はそれを無視して阿鼻叫喚を眺めている。

 臭いはさらにきつくなっていって、死臭が漂った。きっとテロ事件だのなんだのと騒がれて、ニュースにも載るだろう。それが、快感でしか無くて、黒は一瞬身震いした。
 これはテロではないことを、自分たちのような限られた者達しか知らない。その限られた者達に、自分と彼女が選ばれていることが、何よりうれしい。白が、正に白々しくこちらを見ているが、それも気にならないほどに、気分の高揚が抑えきれない。
「黒ってさあ、目立ちたがりなのに、何でそんなに目立たないための能力持ってるのかしらね」
 白はそう言うと、黒のパーカーの裾を握った。
「さあ、俺にも見当がつかん。どうでも良い事だからね」
 黒の言葉に、何も感じられないが、能力者というのは、そういうものである。何故、自分たちはそんな能力を持っているのか。そんなことを考えるより、その能力で得られる快楽を貪り、欲にかまけ、他人を食って生きていくので精一杯。お腹がいっぱい。
 そんな事を話していると、こちらに向かって走る男の姿が見えた。それを確認した白は、黒の前に出る。相手は、気にしていない。否、目の前にいる白と黒に気づいていない。腕を構える。切断をイメージする。それを、そのイメージを、現実に、変える。切る、斬る、kill?
 腕を落とすつもりで、胴体を真っ二つに行くつもりで、彼女はそれを放つ。それが彼女の能力であった。しかし、それが、今、目の前で、はじかれたのを感じた。
「白! 原罪ごと斬ってどうする!」
 黒の声でハッとして、驚いた顔を戻す。
「ちゃんと足狙ったわよ! ナイトの胴体もぶった切ろうと思ったの! どうせ指とか切れ端なんて後でもくっつければいいでしょ!? というか意味わかんない!! 何で弾くのよ!!」
 弾く、それが、意味の分からないもの。黒もやっとそのことを理解して、青年を抱えて向かってくるナイトを見る。彼は鈍感だ。まだこちらには気が付いていない。ということは、ナイトが防御したのではない。
 ならば、考えられるのは、一つだけ。
「自動防御かよ。ゲームかっての」
 黒の言葉が、白に届く。青年にはそういった能力の攻撃が、効かない。それが、付きつけられるように、今更引くに引けない所でわかる。最悪の状態。黒は目の前にやって来るナイトを除け、手を出さない。そのまま、二人が消えるのを見守るだけであった。



 自分の声が、聞こえる。朦朧とした意識の中で、遠い意識の外で、自分と同じ声質の音が、自分を呼ぶ。了の目の前は暗かった。目を開けている感覚ではない。これは、夢だろうか。流れる映像が蝕むのは、思考。猶予の無い、鬼気迫る中の、全力の足の動き。前に光は無くとも、目の前に誰かがいるのはわかる。銀の髪に青い一本の角、白い陶磁器のような肌、青い瞳。触れる手の関節部からギシギシと音がした。
 彼は必死だ。自分だって必死だ。母が何を言ったのか、自分達にはわからないけれども、とにかく、走り続けるしかない。この先、道はない。これは道ではない。地平線も見えない、空間ですらない。自分が走っている意識はあるのに、走っているという実感はない。今自分たち二人が何処にいるのか、わからない。もう、足が痛い。幾つもの破片を踏みつけた足が、痛い。血液は足の裏を濡らし、肺の負荷から出る唾液は、顎を首を胸を濡らす。ここには空気があるのか、無いのか、わからないが、自分は呼吸をしている。目の前の彼は、自分と同じではない。肺を持たぬ、感覚としての目を持たぬ、生命の源としての血液を持たぬ。それだからか、自分を引っ張って、ずっと走る。
「お願い、休ませて」
 少し甲高い了の声が、ポトリと落ちた。同じ声で、彼が言った。
「ごめん、まだ、駄目だ。まだ、あの人たちは先だ。だから、もう少し頑張って」
 彼は自分を守る為に生まれたのだ。だから、自分の願いであろうと、それが自分の生命の危機であるならば、提案は却下する。
 彼が振り返った気配はしなかった。それだけ、ただ、走ることに集中している。
「ごめん、今、俺はお前を担げるほど、正常なパーツが無い。ここに来る前に、幾つも落としちゃったから。だから、ごめん、走って。今は走って。お前の母さんが願ったのは、その先だから」
 ごめん、と、ずっと、呟く。ついには彼は、言語媒体までいかれてしまったのか。
「ごめん、ごめん、ごめん……なさい。ごめんなさい……父さん、ごめんなさい……」
 あぁ、そうか、そうか、そういうことか。それは本当は、俺がお前に言わなくちゃならないことだ。
「一緒に壊れればよかった」
 そう呟いて、彼は黙った。全てを投げ捨てようという言葉だった。了は、何か、込み上げるものが頭の中にあって、ふと、壊れかけの肺の事を忘れて、濡れた足の裏を忘れて、彼の隣に駆け出した。
「壊れさせない。壊れたら、俺、死んじゃうよ」
「自分の為かよ」
「そうだよ、悪いか」
「いや、悪くない。悪くないよ、お前は」
 また、涙が出ていた。さっきまでもう出す物も無くて出なくなっていたものが、また出ていた。それをわかった彼は、慰めるように、悪くない、と言った。
「悪くないから、お前の所為じゃないから。ぶっ壊れて不幸になったなら、ぶっ壊した奴が悪い。お前を騙したアイツが悪い。お前の母さんを殺した、アイツが悪い」
 握りしめる手が、一層強く握りしめにかかる。一瞬の痛みがあったが、それは体中の痛みの一つでしかなかった。
 薄く、ちらりと、彼の顔が見えた。眩しい、陶磁器の肌と、青く光る瞳。それが赤い光で反射して、キラキラしていた。一瞬、一瞬だけ、彼の瞳と角が、赤い瞳と赤い角に見えて、母を思い出した。
「こっちだ、こっち、チビ共、こっちだ」
 耳元で、男の声が聞こえた。少し濡れたような、少年期を脱さない、ころころとした声。右から左から、二つの方向から聞こえる。恐らくは、自分たちと同じように、二人いるのだろう。赤い光が、その声の主を照らす。

 その声の主の顔が見える寸前で、了は、現実に目を戻した。

 明るい、ベットの上。自分はさっきまでやはり、夢を見ていたらしい。最後現実で見た、憎たらしいナイトの顔と、股間の痛みを思い出して、顔をしかめた。辺りを見渡すが、そこには誰もいない。扉を隔てた向こう側が嫌に騒がしいが、その話題はわかっている。ガチャリとドアノブを回して、扉を開けた。
「おう、目え覚めたか」
 そこでは、自分と同じ顔、同じ声、正反対の色をした、双子の弟が、少し心配そうにこちらを見ていた。

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