一等星の再来、始まりのラビリンス

些稚絃羽

Epilogue

「もう、走れない……」

 千鳥足にふらつく身体を休ませるため、地面に座って足を投げ出した。普段使わない筋肉が悲鳴を上げている。軽く解しながら辺りを見渡すが、こんなにも見通しのいい広場なのにその姿を捉えることはできなかった。

「おいおい、どこまで逃げたんだ?」

 珍しく立て込んでいた仕事から解放されて一週間振りの休みだというのに、僕は何をやっているんだか。仕事より重労働ってどういうことだ。最初は僕も楽しんでいたけど、徐々にエスカレートする要求にはそう簡単に応えられなくなってくる。二十代も後半になったが、こんなにも衰えていたとは。ちょっと寂しい気もした。
 季節はまだ春だというのに、今日の気候は真夏を思わせた。太陽を受ける肌が焼けていくのが分かる。昼も過ぎたし気温は下がっていくらしいが、僕の労働はいつまで続くのだろうか。
 急に突風が吹いて、散らばっていた枯れ葉を一気に空へと巻き上げた。途端、瞑った瞼に映し出された姿に、音のない呻きが漏れた。



 恐らくは二度と、会うことはないだろう。それを特別悲しいとは思わなかった。諦めてしまったからだろうか。ないことではなかったけれど、十年も前に一度、その別れを永遠だと覚悟したからかもしれなかった。
 彼女はこれから、どんな風に生きていくのだろう。罪を償って、それからのことを想像するのは難しい。彼女が大人になることすらないような気がしていた僕には、おばあちゃんになった彼女なんて到底浮かばない。どんな気持ちを抱えながら、どう折り合いをつけながら、歳を取っていくのか。どんな風でもきっと、もう間違ったりはしない筈だ。

 誰かは僕を馬鹿だと思うだろう。一時の感情や作り上げた理想の中で目を白くして、明らかな罪からも目を背けようとした。取り込んで包み隠して、受け入れやすい形に変えようとした。たとえそれが一瞬の揺らぎであっても確かに弱くて馬鹿だ、自分でもそう思う。
 幾度も掠めた思考はまるで僕でないようだったけれど、狂気じみたそれが僕の奥底にも眠っていることを知った。特殊なことではないのだ、僕だって誰だって、彼女を動かしたような沸き立つ熱を持っていてそれに呑まれるかどうかの差でしかないんだ。そう思えばカウントダウンのようですらあるけれど、その心を思って彼女が泣いてしまわないように、強くありたいと思う。こんなにも弱くてすぐにぶれてしまう僕だけど、遠い彼女の悲しみにならないという誓いだけは何よりも強く持っているから。


 正直なところ、彼女と再び会ったことを、後悔にも似た気持ちで振り返ったことも何度かある。その度に少年時代に帰って、本当の気持ちを伝えていたら、なんて考えてしまった。勘違いのままでいいと思った筈なのに、作られた台詞に頼った自分が情けなくて、もっと心が強ければ……そんな想像もしてみた。
 だけどそのどれも違うのだろう。どんな決定が正しくて、どんな結果が待っているかなんて誰にも分からないんだ。このひとつの結末があの時の結果かどうかなんて、分かる筈がないんだ。
 だから前を向いて、過ちや後悔や懺悔、その全部を血潮に変えていかなきゃならない。踏み出す勇気に、立ち止まる勇気に。同じ失敗を繰り返さないために僕は、今日を切り開いていかなくちゃいけないんだ。

 ただ彼女と出会ったこと、彼女を深く想ったことだけは、絶対に後悔したりしない――――。



「お兄ちゃん、休憩しちゃだめー!」
「うわっ……いだだだ、降りて、降りてくれぇ……」

 突然背中にのしかかられて、強引に前屈させられる。受ける重み自体は大したものじゃないが、あまり柔軟とは言えないこの身体は無理を強いられて、腰と太ももがおかしな形に曲がってしまうように思えた。僕の情けない声に身体を引き戻してはくれたけど、首に巻き付いた腕はそのまま、肩口から顔を覗き込まれた。

「まだおにごっこ終わってないのに勝手に休んじゃだめだよ!」
「ごめんごめん。……ほら、捕まえた」
「あっ、ずるーい」

 腕を後ろに回して捕まえれば、不満を口にしながらも右に左に揺れる動きに合わせてきゃっきゃと声を出して笑う。無邪気なものだ。何となく沈んだ気持ちも吸い取られていくような気がした。
 距離を取った向こうで、居心地悪そうに佇む少女をおいでと手招きした。戸惑いながら小走りに駆けてくる姿が愛らしい。顔や背格好はそっくりな双子でも、こうも性格が違うとは面白いものだな。
 僕の背中から熱が離れていって、汗ばんだ肌に風が心地いい。彼女達は僕の前で何かを囁き合っている。と言っても片方が一方的に耳元に語りかけ、片方が小刻みに頷いて応えている状況ではあるが。相談が終わるとふたりは手を繋いで、誇らしげに笑ってみせた。

「お兄ちゃんを今度、あっちゃん達のお家に招待してあげます!」
「……ます」
「え、お家って……」

 簡単に承諾してしまう訳にはいかなかった。なぜなら。

「ちゃんと施設長さんに聞いてみた?」
「まだだけど、おばば言ってたもん! お友達連れてきていいよって」
「……お兄ちゃん、もうお友達、だから」

 そんな風に言われて断れる人間が居るだろうか。両手をそれぞれ握られて「お友達」とまで言われては、謹んでお受けするしかないだろう。おばば、もとい施設長さんに後で電話を入れておこう。
 よろしくお願いします、と頭を下げると、嬉しそうにふたりが飛びついてきた。勢い余って三人で地面に寝転ぶ。こんな状況が可笑しくて、楽しくて、久し振りに声を上げて笑うのだった。
 たまにはこんな日が、あってもいいよな。



 忘れない。重ねた出会いも、過ごした時間も。浮かんだ誤りの選択だって、決して忘れない。
 そうして善良な市民として、誰かのために"探し物探偵"をまた続けていくんだ。



 僕につられて笑っていたふたりが、むくりと起き上がって身を乗り出す。

「お兄ちゃん、あれ言って!」
「またー?」
「……聞きたい」

 出会った日に聞いたあれが、どうやら彼女達にハマってしまったらしい。乱発するようなものでもないが、別に出し惜しみするほどのものでもない。芝生の柔らかい地面から身体を起こすと、待ち構えるふたりに向けて精一杯のご挨拶だ。

「"探し物探偵"神咲歩です!」



END

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