一等星の再来、始まりのラビリンス

些稚絃羽

9.やさしくない

 沈黙の音がする。それは何もかも呑み込むような乱雑で節度のない音だ。声を発すればそんなもの一瞬で掻き消してしまえるのに、僕はだらりと力をなくして、糸で縫われた人形の口みたいに表情を作ることすら叶わない。
 悲しかった。ただ何にも増して悲しかったのだと思う。だってそれはまるで、僕みたいじゃないか。

「変な話しちゃった」

 戻ろう、と取られそうになった手を無意識の内に引いていた。今触れられたら僕は彼女をめちゃくちゃに引き裂いてしまいたくなって、でもそんなことできないから代わりに僕自身を喰い潰してしまいたくなって、だけどそうすれば彼女を泣かせてしまう。どうしたいのか分からない。どうするのにも力が必要で、彼の顔がちらつくからどうしていいか分からない。
 その手を借りずに立ち上がる。顔を見るのは怖くて俯いたまま歩き出した。そんな僕に何を言うでもなく彼女は後を付いてきて隣に並んだ。

「神咲くん、人が良すぎるとこあるから私のことも勘違いしてるんじゃないかと思って」

 話を続ける彼女の声は無理に明るくて、機嫌を取るような雰囲気をしていた。彼女にそんな真似は必要ないのに。そうさせているのは僕だと気付いているから、焦れば焦るほど呑み込む言葉が多くなる。
 勘違いって何だろう。彼女の純潔を確信すること? 思い描くそれと寸分の狂いもない彼女を盲信すること? そういったものを勘違いと呼ぶなら、僕は全うだ。彼女が真っ白くないことなんて初めから当たり前に思っているんだから。

「僕は稲森さんが泣くことも、怒ることもある人だって知ってる。それで充分だよ」
「……ほら、優しすぎる」

 僕は優しいんじゃない。生きるのに都合のいいことばかりを選んでいるだけだ。君が求めることなら何だってしよう、君の前では。だけど君が傍に居ないならそれをする意味はなくなるんだ。僕はいつだって自分の意思で、誰かの意思を追っている。中身なんてないからそうやって外側を見繕って、満たされる気になっているだけなんだ。彼女の中の僕は恐らく僕の理想形で、だから思い通りの筈なのに、こんなに居心地が悪いのはどうしてだろう。巻き付けたマフラーから顔を出してみても、肌が冷えるだけだった。



 事務所に戻るとパソコンの電源を入れた。夕方、仕事を終えるとネットでニュースをチェックするのが毎日の習慣だからだ。
 客人が居る時くらいしなくても良かったが、彼女の方が普段通りにしてほしいと言われたのだ。互いにいつまで一緒に居るかという明確な話はしていなかったけれど、すぐには動けないのだから気にしても仕方ない。本当はできることなら警察とした会話を知りたかったけれど、僕から尋ねるのは下世話なようで乗り気にはなれない。携帯電話も彼女があっさりと開けてしまえたことから察するに彼に隠し事なんてないのだろう。全て憶測にしかすぎないものの、何かがあるかもしれないというのだって憶測なのだから、どっちでも同じことだ。今席を交えて全く違う話をしたとしても、息苦しい空気を変えるのに役立つ話題があるとは思えなかった。
 ニュースをチェックするのも仕事の一環だったりする。何てことない情報から仕事になりそうなことが見つかったり、依頼人になり得そうな人を見つけることもある。勿論、地域の情報も取り入れなくてはいけない。ここにこんな施設ができたから犬や猫が入り込みそうだなとか。探し物探偵という仕事は地域密着型だから、いつも最先端の情報を仕入れておかないと仕事に影響してしまう。それに仕事は待っているだけで舞い込んでくるようなものではないことは体感しているから、少々貪欲に行動するのだ。

 今日一日のニュースを振り返る。一番に飛び込んできたのは、転落事故のニュースだった。
 新着のテロップが光るその記事は予想通り、三条さんを取り上げたものだ。然程内容の濃い情報は載せられていない。実際に見て知っている以上のことがこの短時間で出るとも思えなかったが。
 読んでいくと読み閊える部分がある。「六階建てのビル」というフレーズ。確かに六階建ての琴吹ビルと同等の高さではあったが、燦々ビルのテナントは五階分しかないのだ。一フロアの天井を一般的なものより高く設計されているビルで、人通りの多い道路側はどの階も全面ガラス張りのため一目見ただけでは何階建てか把握するのは難しい。六階建て相当・・ではあるから間違いではないけれど。このニュースサイトの記事は警察署に常駐している記者が書いていると聞くのに、そんなミスをするだろうか。彼女はちゃんと五階建てだと聞いているようだから警察が勘違いしているということもないだろうに。細かすぎるのかもしれないが情報は正確に与えてほしいものだと思う。

 引き続き他のニュースを見ていたが仕事に繋がるようなものは得られなかった。もしかしたら本当はあったのに見逃しただけかもしれないが。どちらにせよ途中で読む気は失せて、早々にパソコンを閉じた。するとパーテーションを回って彼女がマグカップを持ってやって来る。

「あれ、もう終わったの?」
「うん、今日はもういいや」
「……あの人の、出てた?」

 マグカップを受け取って顎を引いた。ソファに戻るよう促すと彼女は大人しく従った。既に定位置となったポイントに腰を下ろす。彼女の淹れたコーヒーは少し薄くて、苦みだけが妙に残った。
 今くらいしか聞き時は作れないだろう。多分今聞かなければ、この先どれほど長い時間を共にしてもずっと聞けないままになると思う。それでもいいのかもしれない。でも僕は聞くんだ。それまでと同じように、知りたいからではなく納得したいがために、自分の中の疑問というしこりを解すためだけに僕は聞くんだ。自己満足以外の何物でもないけれど、そんな非難には蓋をして。

「君が見てきたこと、聞いてきたことを教えてくれないか」
「神咲くんが見た以上のことは分からないと思うけど」
「いいんだ。警察の捜査状況を知りたいだけだから」
「そういうことなら」

 彼女は了承して、僕のする質問に答えてくれた。簡単にまとめるとこうだ。
 死因は頭蓋内損傷による外傷性ショック死。後頭部を打ち付けたことが直接死に繋がった。出血量からも間違いようのない点だ。また、左の肘から腋にかけて袖に擦り上げたような跡があったようだが、状況から見て落下時に電線に引っかかった跡であると思われる。感電した様子は見られないため死因との因果関係はない。
 死亡推定時刻は十一時から十一時半。最初の通報があったのが十一時半ということだが、多くの人が落下音を聞いているだろう。もしその音を聞いて時計を見た人が居れば、死亡時刻のまさにその瞬間を割り出すのは簡単な筈だ。
 はっきりと情報となり得るのはその程度だった。まだ発生から二時間の段階では警察も死因と死亡推定時刻を割り出すくらいで手一杯だろう。口振りは事故と断定しているみたいに見えたと彼女事故以外の可能性を考えられる証拠が出てくるほど捜査は進んでいないと見える。
 彼女が聞かれたことは幾つかあった。まずはふたりしてこの県に来ている理由だ。

「喧嘩をして飛び出してきたって答えたわ。フェリーが欠航になるだろうからひとりになる時間が作れると思って来たんだけどって」

 結局結構になる前に彼もこちらに来てしまって、ちゃんと話をしようと落ち合う電話をしたのが最後だと話したそうだ。これに関しては殆ど嘘なく答えたようだ。僕の存在を隠すにはどうしても嘘の理由を作らなくてはいけない。しかしこの程度なら許容範囲内だろう。
 次は燦々ビルについての心当たりはないかというざっくりした質問。残念ながら、彼女は一度も彼の口から燦々ビルについて聞いたことはないらしい。

「そもそもあの人も今日で二回目よ? 山と港を往復しただけの前回でビルのことを知るなんて無理じゃない?」
事務所ここにも来てるけど」
「荷物を無くして落ち込んでたんだからそのまま港に直行したと思うわ。土地勘もないのにふらふらするとは思えないし」
「そうだね」

 彼がなぜビルの屋上に上ったのかは僕も疑問に思うところだ。しかもよりによって台風の日に。元々知っている場所で今日上ることに意味があったのか、それとも簡単に上れそうだったから何となく気まぐれに上ったのか。彼女が言うのだから彼がそれ以前にも来たことがあるという線は除外しよう。そうであれば初めて知った場所でありながらどうしても上る必要があったのか? 屋上で彼がひとりだったのかが一番の重要な点だが、その辺りは考えても無駄だから警察にお任せすることにしよう。
 彼女がふっと息を吐いて何かを見上げるように顔を上げた。

「でも高いところが好きな人だから、ふらっと上りたくなったって言われても変には思わないけど」
「これまでにもそういうことが?」
「大事な話をする時はいつも屋上みたいな高くて風の抜ける所に連れて行かれたの。多いのは家のベランダだったけど。なんかね、余計なものが流れていくんだって」
「流れていく?」
「雑念とか迷いとか。そういうものが風と一緒に流れていって、本当に大切な、伝えたいことだけがクリアに残る気がするんだって。相手もそういう場所だとちゃんと聞いてくれるから、とも言ってたわ」

 苦笑する彼女を横目に想像する。大事な話には恐らく告白やプロポーズが含まれている筈だ。風を受けながら想いを語る彼はきっと澱みなく、ありのままの自身の言葉で愛を示すのだろう。誰の言葉も、誰の想いも借りず、ただ自身の想いの上に立って愛する人と向き合うのだろう。背に隠してばかりの僕には恐ろしくて、閃光のように脳に刺さった。
 そして思う。屋上で見た景色、それを彼はどんな気持ちで見ていたのか。どんな表情をして、あの場所に立っていたのだろう。遠くの山まで見通せるような真剣な眼をして佇む彼が、何となく思い浮かんだ。
 こんな風の日に屋上に居たのは、誰かに伝えたいことがあったから? 今日すぐにでも伝えなきゃいけないことが彼にはあったのか? 彼が早急に行動をとる相手とは果たして――――彼女?

「どうして彼は、君に会う前にそこに上ったんだろう。僕と別れた後、電話はなかった?」
「なかったわ。見る?」

 彼の携帯電話が開かれて、通話履歴が表示される。しかしそこには何もなかった。本当に何も。

「履歴が一つも残ってない……?」
「あ、そっか。いつもすぐ消しちゃうの。私のを見せた方が良かったね」
「着信履歴も発信履歴もか。理由は知ってる?」

 さぁ、と首を傾げながら自分の携帯電話を操作して見せてくれた。着信履歴の最新は十三時六分、未登録の番号からだが時間からして警察からかかってきたものだろう。次の十一時二十七分が僕からだ。彼を発見して彼女の所在を確かめた時のもの。そしてその前が十時三十一分。どんなにスクロールしてもそこからは彼以外の名前は出てこなかった。ついでに発信履歴も見せてくれたが五日前に彼にかけたのが最後になっている。どちらも履歴件数は二十件程度と少ない。使用具合としてはそこまで新しいものには見えなかったが、彼と同じように履歴は消すタイプなのだろうか。まぁ、元より連絡する相手が居ない僕のも恐らくこんなものだ、怖くて見ようとも思わないけれど。
 データがなければ本当に彼が誰とも連絡を取らなかったのか確かめる術はない。彼女に断ってメールの履歴も見てみたが、携帯ショップからのメールマガジンの他には彼女とのメールすらない。どうやらやり取りは全て電話で行なっていたらしい。しかしその通話履歴が何もないとなると探りようがない。怪しい人物を割り出そうにも八方塞がりだ。

 一先ず他殺の線を考えていたが事故として片付けるのが妥当な気がしてくる。
 彼は誰かと大事な話をしたくてたまたま通りかかった燦々ビルの屋上を目指した。風の吹き荒ぶ中、屋上では内密な話が交わされていた。相手はその場に居たのか、電話だったのかは分からない。どちらにせよ、あの風の中で屋上の隅に立てば、不測の事態が起こることもあるだろう。その場に相手が居て、彼が落ちるのを目の前にしていたのにそれを隠しているなら人としての罪は問われるだろうが、同罪の僕が言うことではない。
 こんな風に全てあやふやながら事故だと断定されればいい。どんなことが起こったのかは当人しか分からない、それでいい。そうして早く、解放されたい。身体の内側に侵食する得体の知れない陰りから。


  

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