一等星の再来、始まりのラビリンス

些稚絃羽

3.憂鬱なお仕事

「折角訪ねてきてくれたのに、ごめん」

 いつの間にか強まっていた風が、コートの裾や彼女の髪を翻らせては温まっていた身体を冷やしていく。枯れ葉ひとつ見当たらない木々もざわざわと揺れて、寒そうにその身を擦り寄せている。
 ビルの前で、風と申し訳なさに顔を歪めながら身体を縮こませる。掻き消されないように強く声を出すと、白い靄のようになって流れていった。
 彼女が首を振る。その拍子に前髪がふわりと散らばって、露わになる額から僕は視線を落とした。必然的に合ったその目は、全てお見通しとでも言うように細められていた。

「いいの、私も急に来ちゃったし。心配性のお迎えも来るしね」
「愛されてる証拠だろう?」

 あの時同時に鳴った僕と彼女の携帯電話。僕にかかって来たのはひどく落ち込んだ様子の男性からの依頼の電話だった。またも高橋さんからの紹介を受けたという依頼人に今から来てほしいと言われ、最初は彼女のこともあるし断ろうかと思ったのだが、彼女にかかって来た電話の内容でお受けすることを決めたのだった。
 電話のお相手は恋人、言わずもがな三条さんだった。列島を通過する台風の影響で、今日のフェリーが全て欠航になったらしい。今のところ海への実害はないようだが、近く起きた海難事故のせいでフェリー会社も神経質になっているんだそう。そのため彼女が留まることは決まった訳だが、三条さん曰く「ひとりにしておくのは心配」だとかで、最終便でこちらに来ることになった。といっても電話の時には既にフェリーに乗り込むところだったようだけど。

 私の方が歳上なのに、と不貞腐れている姿は幼くて、心配にもなるとこっそり頷いた。しっかりしているようでどこか抜けたところがあるのは、昔も今も大して変わらないのだろう。すぐに目の行き届く場所に居てくれないと不安になるのは、あの頃の僕も同じようなものだった。恋愛感情は抜きにしても、彼女は色んな意味で危うかった。

「三条さんもこっちに来るのに会えないなんてなぁ」
「お仕事の邪魔しちゃ悪いもの、気にしないで」
「今度は是非ふたりで来てよ」
「うん、そうする。また連絡するね」

 待ち合わせまで時間を潰すから、と大通りに向けて歩き出す彼女を見送ると、反対方向へと歩き出す。道とも呼べないような細い道を左に折れて、幾らか足早にビルの背中を見ながら遠ざかっていく。正面よりも小汚い装いは、有難いことにこの道を通る人くらいにしか――それも殆ど居ないが――見えない。何とかして正面だけは程よい見た目に保っておかなくては。

 コートの内ポケットに押し込んだ携帯電話の電話帳には「稲森透子」の名前が加わり、切れたはずの関係は緩くまた繋がれることになった。大人になってからの二度目の別れは、実に呆気ない。また会おうと思えばいつでも会えることが分かっているからか、思いがけない再会にまだ戸惑い耐えられなかったからか。どちらにしてもひとりになった途端、肩が軽くなったのは事実だ。
 額の隅にある三センチの傷跡。咄嗟に見ないようにしても刻まれた記憶は健在だ。今頃はきっと少しは薄くなっているだろうが、それをなかったものにできる訳ではない。あの時の彼女を思うと、頭の中が冷えて指先もろくに動かせなくなる。

 止まりかけた脚に念じながらひたすら歩く。動け、動け。彼女は笑ってた、だから大丈夫。稲森さんはもう、大丈夫――――。

 何度か右折左折を繰り返して、道は徐々に広く、舗装された綺麗なものへと変わっていく。大きな陥没や走った亀裂は、最近塗り固められたアスファルトによってすっかりなかったもののようだ。更に固めるようにして力を込めて足を進めると、車道へと突き当たる。目の前を行き交う車達は何てことない今日を当たり前に通り過ぎていく。
 ……馬鹿馬鹿しい。随分と感傷的になっているのは考えるまでもなく、薄ら寒くてぶるりと身を揺すった。当然じゃないか。僕と彼女の再会も、彼女の現状も、僕の感慨も、彼等には何の関係もないんだ。それが僕の内でどれほど大きな意味を持つにしても、その端を齧ることさえできないのだから。……できたとして、どうしてほしいというものでもないけれど。

 そう遠くない内、ふたりはまたやって来るだろう。そうしてふたりして笑っている姿を見れば、安心できるだろうか。泣かないでいられることを確認できれば、装うことなく見送れるだろうか。
 想像の中に、答えは見当たらなかった。


 気が付けば既に目的地に着いていた。一方通行の車線が格子状に走る商店街の一角、琴吹ことぶきビルと名の付いた六階建てのビルが依頼人の指定した場所だ。
 本当は彼女と同じく真っ直ぐ大通りを通ってきた方が早かったけれど、敢えて時間をかけて遠回りした理由は思い起こすまでもないだろう。
 ビルの一階には小洒落た美容室が入っていて、スタイリッシュな美容師達の忙しなく働く姿がガラス越しに見える。その入口の脇には階段があり、どうやら地下もあるらしい。内壁に取り付けられていたテナント案内板によると、バーが入っているようだ。珍しく酒を飲みたい気分ではあったが、今は関係ないので階段を上がっていく。階段の奥のエレベーターは見なかったことにした。これは、意地だ。
 四階まで上がるとすぐに入口を発見する。中の様子を窺うことのできない、真っ黒なドア。たまたまだろうがこの階の蛍光灯だけ点滅していて、何やら怪しげな雰囲気を醸し出している。……いや、たまたまだろう。意を決して拳をぶつけると、素材のせいか軽い音が小さく響いた。

「ごめんくださーい……」

 声をかけながら中に入ったものの返事はなく、見える範囲に人は居ない。というより、見えるのはほとんど段ボール箱ばかりだ。
 テナント案内によると四階は<KANT>とだけ記されていた。説明もなく一体何の店かは分からなかったが、実際入ってみても分からない。そもそもこんなに所狭しと段ボール箱が積み上げられている状況では営業どころではないだろう。中には何が入っているのか。箱の側面にはマジックでアルファベットと数字の羅列が振られているものの、部外者の僕にその意味が分かる筈もない。それらを照らす照明も弱い。

 どうしよう、何か厄介なことにならなきゃいいけど。繰り返し声をかけてみてもやはり返答はない。時間は十一時を回るところ。鍵が開いていたのだから誰も居ないということもないはず。これは山を搔き分けて進むしかないだろうか。
 仕方なく頬を叩いて気合いを入れると、迷路に迷い込む気分でかろうじて開いた隙間に足を踏み入れる。道具を最小限にしておいて良かった。コートで覆われた身体は注意さえしておけば引っかかりは少なく、無造作に重ねられた箱を崩してしまうこともないだろう。しかし気を緩めれば雪崩れてきそうな気もして落ち着かない。依頼人にはさっさと出てきてほしいものだ。
  念のため、ずっと声をかけながら進んでいく。入口が部屋の角に面していたから、奥に向けて対角線上に。誰か隠れてはいないかと隙間という隙間を覗き込んでは、同じ色をした段ボールの表面が見えるだけで、その度にやる気が削がれていく。気分としては部屋中を歩き回っているように思うが、実質は半分も進めていないらしい。閉鎖的な空間の中で、天井だけが頼りだった。

 前に進めなくなったのに気が付いたのは部屋の中心辺りに差し掛かった頃だった。今までも人一人通るのが精一杯の隙間がある程度だったが、遂に前も左右も拳が入るかどうかの幅しか開いていない。これ以上先に進むには周りのものを崩さないように空間を作っていくしかない。戻ることは簡単だが、それには依頼を無視するという代償が伴う。流石にそれは人としてできかねるので、僕には進む他なかった。
 身体を周りにぶつけないためにしゃがみ込んで振り返り、来た道を塞ぐように端の一列をずらす。三箱重なっていただけだったがかなりの重さがあり、安定感はあるものの身体の筋を違えそうになった。何とかそれを動かし終えるとその隣、またその隣と繰り返していく。二列目からは軽いものが多く、勢い余って隣とぶつけそうになった時はぶわっと嫌な汗が一気に噴き出た。予期せぬドミノ倒しなんて一切面白くない。
 そして最後の列を移動させると、向こうに何か黒いものが見えた。布のようだ。横長で立体的な布の塊が床に横たわっている。それには所々赤い斑点が付いて――――

「大丈夫ですかっ!?」

 それは人の腕だった。黒いTシャツの袖に手の甲まで覆われた腕がだらしなく床を這い、身体をうつ伏せにして倒れ込んでいる。駆け寄って叫ぶが、脳にダメージがある場合を考えると迂闊に動かせない。この赤い斑点はどこからのものだろう、頭か、手か。その乾き具合で経過時間が分かるかとそっと触れてみた。それにはさらりとした独特な感触があり、想像とのあまりの違いにぎょっと掌を見返す。これは血じゃない、しかしごく最近、こんな感触のものに触れたような気がする。血のように染み込むことなく、服の上に形を残してしまうもの。何だったっけ……?

「う、ぐわぁぁぁ」
「うわっ、だ、大丈夫、ですか?」

 唸り声と共にもがき始めたその人に、安堵するどころか不安が増してしまった。その人は僕の声が聞こえたのかどうか、突然動きを止めてはっと頭を起こした。その時初めて見えた顔は、まだ十代の少年に見えた。

「……やっべ、寝てたぁ。やっぱ徹夜で仕事とかまじ無理ぃ」

 どうやらただの睡眠不足で眠っていただけらしい。どっと疲れが押し寄せてきた。
 起き上がって大きく伸びをする姿を呆然とした気持ちで見ていた。するとそこでやっと僕の存在を認知したようで、寝惚けたような声でどなたですか? と聞いてきた。がん付けてやりたい気持ちを必死に押し殺しながら名乗ると、暫く不思議そうにした後に目を一回り大きく見開いて焦りの表情を浮かべた。これでちゃんと目覚めただろう。

「そうだった、忘れてた……。俺です、俺が電話した下野翔しものかけるです! まじ助かります、店長が十一時半に来ちゃうんで、さぁ、早速探してください!」
「はい?! そもそもまだ何を探すかも聞いてないんですが……」

 色んな順番をすっ飛ばす下野に頭を抱えた。電話では「お客さんに送る荷物が無くなった」とだけ伝えられている。大きさも素材も何ひとつ聞いていない。しかも時間制限があるとかもっと聞いてない。あと三十分もないじゃないか。
 聞けばよかっただろうと言われればそれまでだが、電話を取った時の状況も状況だったし、電話口から伝わる落ち込みようには直接話した方が良さそうな雰囲気があって、直行したのだ。今考えると、落ち込んでいる以上に眠かっただけなんじゃないかという気もするが。
 ……高橋さんの交友関係にはたまにぞっとする時がある。

「あぁ、そうでしたね。えっと」
「おーい、戻ったぞー」

 背後から新たな声が聞こえてきて、下野の青白く染まった顔に噂の店長だろうと察しがつく。隠したがっていた店長が帰って来たということは僕の出番はなさそうだ。正直に話して怒られてから対応の仕方を学んだ方が身にもなるというもの。ここに居る時点で多少僕も巻き込まれることは確定だが、まぁそれは仕方ない。が、お願いだから僕を盾に隠れないでくれるかな?

「あれ、何か配置変わった? かけるー」
「は、は、ははいっ! 居ます、居ます!」

 店長、どれだけ怖いんだ。掴まれているのはコートだから特に痛くはないが、店長と対面した時に上手く説明できる自信がない。そもそも僕は未だに殆ど何も知らないままなんだけど。
 お前、絶対サボってただろ。そんなことを言う声が近付き、目の前の段ボールがひょいひょいと消え、ひとりの男の姿が現れた。高い位置から見下ろす男は細面に顎髭を生やし、耳にじゃらじゃらとピアスを付けている。かけていたサングラスを短髪に引っ掛けて僕を見つめると、その後ろに居る下野を見つけて豪快に笑う。

「おいおい、ちょっとくらいサボるのはいいけど、男と密会はやめてくれね?」
「ち、違います! 僕は依頼されて来ただけでっ」
「翔、呼ぶならせめて女にしような」
「だからっ!!」


 話を聞かない男に何とか説明できたのはそれから十分も後のことだ。何も言えなくなっている下野に代わり簡単に事情を説明すると、怒る様子もなくふーん、と応えた。

「で、どれが無くなったんだ?」
「……食器セット、です。小人の描いてあるやつ……」
「あぁ、それなら俺が送っといたぞ」

 ふたりして素っ頓狂な声を上げたのは言うまでもない。改めて聞けば、<KANTカント>というこの店は北欧雑貨を扱うネットショップで、ここは商品倉庫のひとつだったらしい。他の作業に追われている下野を見かねて手伝ってやろうと幾つか発送の作業をやったのだと言う。注文書も引き取っていたのだが、一枚だけ抜き忘れていたためにこのような事態になっていたのだ。お互いにきちんと確認を取り合っていたらこんなことにはならなかったのにとは思うが、大きな問題にならなかっただけ良しとしよう。寧ろ「どうして言っておいてくれなかったんですか!」と下野の方が詰め寄っていたけれど。
 仕事も打ち止めとなって帰ろうとしたところを店長に呼び止められた。

「兄ちゃん、悪いな。面倒かけて。今回のことはうちの店の名前に免じて許してくれや」
「店の名前?」
「KANT。スウェーデン語で縁って意味だ。これも縁だと思って、な?」
「……いいこと言ったみたいな顔されても」
「……ごめんなさい」

  

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