一等星の再来、始まりのラビリンス

些稚絃羽

1.悪戯な再会

「まさかこんなところで会うとは思わなかったなぁ」
「本当。地元でも何でもないのにね」

 見晴らしは良いが交通量調査くらいにしか役に立たないだろう、二階建てのガラス張りの喫茶店。そこで僕と彼女は向かい合っていた。
 できればふたりの空間を、と気取って空きの多い窓際に座ったのが間違いだった。空きの多い理由を考えたら絶対に選ばなかったのに。しかし望んでいたような「ふたりの空間」は成立しているし、彼女が外の光景に煙たそうにする素振りもなく僕を懐かしんでくれているお蔭で、僕も腰を落ち着けられた。


 僕は“探し物探偵”神咲歩かんざきあゆむ。依頼人が無くしてしまった持ち物や居なくなってしまったペット等を探す、という仕事をしている。この仕事を初めて六年、近頃急速に知名度を獲得してきた僕だけど、間違った情報が拡散されているせいで何でも屋と勘違いされていることが八割だ。電話の鳴る回数は格段に増えたが、“探し物探偵”として受けられた依頼は何件あっただろう。金銭的な問題は置いといても、仕事内容の充実した生活を是非とも送りたいものだ。
 そんな僕の目の前に居るこの彼女は依頼人、ではない。今日以降の依頼は今のところ入っていない。だからこそこんな風にゆっくりとした時間を過ごしている訳だけど、たとえそうでなくても彼女のためなら時間を割いただろう。……矛盾していることは重々承知だ。


 輝英高校の前で電話を取った時、僕の名前を発する外部からの声に思わず振り返った。専ら“探し物屋さん”、稀に“探偵さん”と呼ばれている僕は近頃名前を呼ばれることは少なく、ましてや親しげに「神咲くん」だなんて久しく聞いた覚えがない。それだけで軽い衝撃があったのに、振り返って見つけた顔に、これまで感じたことのないような――あるとすれば記憶の奥底へと自ら仕舞い込むような類の――名前も付けられない感情が身体の内に湧き上がって、足裏に感じる地面の感触を意識していなければ気絶してしまいそうだった。

 僕の意識を引き戻してくれたのは、探し物探偵事務所の唯一のお得意様である高橋さんだった。
 電話の相手がつい先程電話を切ったばかりの高橋さんであることに気付いてすらいなかったのだが、高橋さんの方もそんなことには気付いておらず、「言い忘れてたんだけど、依頼料上げてみたらどうかしら?」と妙な打診をしてきた。こんな年の初めに僕の仕事の心配をしてくれるのは高橋さんくらいなもので有難くはある。だが客に値上げを勧められることへの疑問と、電話をお先にどうぞと目配せされる落ち着かなさ。嬉しくない板挟みに気を揉んだ僕は、考えておきますとか何とか適当に返して次の句が出てくる前に電話を切ってしまった。あの高橋さんだから怒られることはないだろうけど、次にあったら根掘り葉掘り聞かれるだろう。憂鬱ではあったが、それよりも目の前の人の方が重要だったのだ。


「さっき僕のことよく分かったね?」
「電話で名乗ってたじゃない、神咲歩ですって。フルネームを聞いて素通りはできないよ」
「あぁ、そっか」
「でも多分、それが無くても気付いたと思うな。神咲くん、全然変わってないもん」

 そう言って小さな手で口元を隠して笑う姿を見ながら、君も変わっていないな、と言えない言葉が浮かぶ。月日の経過で少しも変わらない筈はなく、実際長かった髪はばっさりと切られているけれど、あの頃の面影を残したまま、可憐な少女が麗しい女性に変わっただけ。そうは言っても、少女だった彼女しか知らない僕には十分すぎる程の変化で、変わりたがっていた彼女にとっても必要な変化を遂げた末なのだろうと思うと、訳も分からず侘しくなるけれど。
 淡い水色のタートルネックのセーターと細身の白いパンツという出で立ちの彼女は、似た配色の高級そうなティーカップを持ち上げて、優雅に紅茶の香りを楽しんでいる。分厚い首元に顎を埋めるような姿が何やら愛らしかった。彼女が視線をこちらに返して言う。

「神咲くんだってすぐに気付いてくれたじゃない」
「うん、それはだって……」

 水が流れるようにさらりと言いかけて、慌てて飲み込んだ。咄嗟に出てきた言葉で誤魔化す。

「だってあんな風に呼ぶの、稲森さんだけだから」

 嘘ではない。小学生の頃は下の名前で呼び合うよう教師から半ば強制されていたこともあって、幾つか思い出せる顔も下の名前が辛うじて出てくる程度だ。高校では渾名を付けるのが好きな男が同級生に居て、無類の将棋好きだったそいつが僕の名前を見た瞬間に“と金”と付けたものだから、どう伝わったのか三年間、先生以外の誰にも名前で呼んでもらえなかった。将棋の中では無くてはならないものなのだからと良い方に納得したものの、同級生達が僕の名前を憶えているか怪しいものだ。その後の可能性は排除されるから、そうして必然的に出てくる結論は中学の同級生。基本的に呼び捨てされていた中で、唯一「神咲くん」と呼んでくれていたのは彼女――稲森透子いなもりとうこさんだけだ。

 彼女から呼ばれる度、まるで尊厳を守られているような心地よさがあって、呼び掛けられるようわざと仕向けたことも何度かある。だから決して嘘ではない。本当に言おうとした言葉ではないとしても。
 僕なりの満点の答えを聞いて彼女が浮かべた表情には、少し見覚えがあった。思わず目を逸らしてしまうような、少女には到底見合わない、妙に色香の漂う目付き。大人になった今ではいっそ恐怖が過る。

「なーんだ、てっきり好きだったから、とか言ってくれるのかと思ったのに」
「ぶっ……はぁ?!」

 思いがけない不埒な発言に何を考える間もなく叫んだ。周囲の視線を一気に受けて肩を窄めた僕は、そんな冗談言う人だったっけ、と訊ねる。すると不満そうな溜息をついて、彼女がティーカップを置く。

「もういい大人なんだからさ、ちょっとくらいその気にさせてくれてもいいのに」
「えっと……?」
「冗談を冗談で終わらせちゃうの、面白くない。素直すぎるんだよ、昔から」

 窓の外へと投げかけられた視線は、遠き日をなぞるようにゆっくりとガラスを滑っていく。僕はそのお手本のような横顔に答えを問う視線を向けた。

 このタイミングで言ってしまっても良かったのだろうか。冗談っぽく、さりげなく。ずっと好きだったんだって、だから気付かない筈なかったんだって、言ってみても良かったのだろうか。そうしたら彼女は笑えて、僕は伝えられなかった想いを伝えられて、もっといい時間にできたのかもしれない。結果なんて分かる筈もないけれど、ただ認めざるを得ないことは、彼女に伝えるという選択肢はたった今無くなったということ。冗談でも本気でも声にすればまた、素直すぎると言われてしまうだけだろうから。

――そうだ、僕はずっと君が好きだったよ。

 旧友に会って思い出話にならない方がおかしいけれど、この流れはあまり良くない方向に向かっている気がして、話を無理やりすり替えた。

「それにしても、どうしてこんなところに? もしかして近所に住んでたり?」

 それなら知らない筈がないとも思うが、女性の一人住まいは何かと物騒だ。情報が漏れていないだけなら寧ろ安心だし、近くに住んでいるならいつでも動けてこれまた安心。……当然、あくまで何かあった時のための護衛として、だ。疚しい気持ちはない。絶対に。
 僕が心の葛藤をしている間に、彼女は首を横に振る。住まいは他県で、今日は人を訪ねるために海を渡ってきたのだと言う。

「この辺りに知り合いが居るんだ」
「そうじゃないの。訪ねるって言っても名前とか、全然分からないんだけどね」

 どんな事情で名前も知らない相手を訪ねるために遥々やって来たのかは分からないが、慎重派だった彼女が調べもせずに行動していることから意外と切羽詰まった状況なのではと推察する。全くそうは見えないが。

「良かったら僕も一緒に探そうか? この辺りの人のことなら結構詳しいから」
「本当? 実はひとりで当てもなくって少し寂しくて。でもお仕事とか大丈夫なの?」
「自営だから気にすることないよ。探すことに関しては寧ろ僕に頼ってもらわなくちゃ」

 不思議そうに見つめてくる彼女に自信満々に胸を張ってみせると、嬉しそうに顔を綻ばせて礼を言う。人探しは本職ではないから大きく言うことに胸が痛まないでもないけれど、見つけてしまえばこっちのもの。高橋さんという人脈と運を味方に付ければ何てことない。かつての頼りない僕の印象を是非ともここで拭いたい。
 これは彼女とどうこうなりたいとかそういうことではなく。ただ力になってあげたいのだ。


 ……いや、正直になろう。
 決して「力になってあげたい」というのは嘘ではない。知らない土地で立ち往生している人が居るなら、それが見知らぬ子供だってお年寄りだって「力になってあげたい」。何だったら学生時代に苦手だった人であっても今の自分なら助けてやろうか程度には思える自信がある。
 しかし彼女の場合は少し違う。誰にでも向けることのできる人としての善意と並べられたなら、羞恥に顔中を赤くしてしまうくらいには。
 彼女は、稲森透子さんは、出会ったその時からずっと僕の‟特別″なんだ。だからそれ以上先の何かを求めてはいないとしても、純粋な優しさとは到底言えない。
 下心はない。別に言い聞かせている訳じゃない。今更、彼女と恋をしたいと望むほど図々しくはないのだ。しかし敢えて何かを求めるとするならば、元の生活に帰っていった彼女の心に少しでも長く居座りたい。そんな青春じみた願いだけだ。
 そのために僕はほんの少し背伸びをして、任せてくれと歯を見せる。できるだけ恥ずかしくない僕をその瞳に映してほしい。

 プライベートの気軽さと仕事用の慎重さの両方を用意して、最初の質問を投げかけた。

「早速だけど、その人を探している理由を聞いてもいいかな?」
「うん。少し前に彼がお世話になった人なの。どうしても一言お礼を言いたくて」

 反芻するまでもなくその意味を察知する。あぁ、元より僕にチャンスなんてなかった訳だ。
 彼女に相手が居ないなんて信じていた訳ではないけれど、更に届かないところに行ってしまったような気がして唇を引く。合わさった唇は思いがけずかさついていて、余程ショックを受けているらしいと脳に伝えてきた。
 そうか、恋人が居るんだな。世話になった人に彼女自ら会いに出掛けるほど大切に思っている恋人が。

「お世話になったって、彼氏さん何かあったの?」
「怪我したとかそういうのじゃなくてね、大切な物を入れた荷物をどこかで無くしたらしくて。それを見つけていただいたの」
「へぇ、親切な人も居るもんだね」
「そうでしょう? 彼もここに来るのは初めてだったから土地勘もないし困ってたんだけど、次の日には見つけたって連絡があって、わざわざ家まで送ってきてくださって。彼、本当に喜んでいたわ」

 話を聞きながら、近くにそんな人が居るなんて知らなかったなと感心していた。しかし、もしやその人の優しさのせいで僕の仕事は奪われているのでは、と危機感を覚えて仕方がない。まさか無償で行なっているんだとしたら、ますますこちらの分が悪いじゃないか。
 僕の焦りに追い打ちをかけるように彼女の言葉が続いた。

「何でも、それを仕事にしている方らしいの」

 こんなに近くで? リサーチ不足にも程がある。全国を探してもそんなに居ないだろう職業だと思っていたのに、違ったのか? 無償でしていてもタチが悪いが、これで僕の仕事より丁寧で格安だったら負けるに決まってる。あ、僕に色んな電話がかかって来るのって、実はその人と間違えてかけてきてるんじゃ……。
 胸の内で、メラメラと闘志の炎が大きくなるのを感じた。何が何でも、見つけ出さなくちゃ。

「神咲くん、大丈夫? 何だか目付きが変わって……」
「大丈夫、気にしないで。その人の特徴で何か聞いていることはないか?」
「特徴かぁ。背はそんなに大きくなかった、とは言ってたけど彼も焦っていたからこれといって覚えてないみたいだったわ」

 身長は見る人によって感じ方が違うからあまり当てにはならないな。もっとこう、確実な何かがないものか。そしてひとつ思い至る。

「仕事にしてる訳だから、本拠地を構えている筈。事務所に行ったというような話は?」
「そういえば言ってた、探偵事務所に入るのなんて初めてだって! 気にも留めていなかったけど、探偵って探し物までしてくれるのかしら?」
「探偵……?」

 探偵業は警察に届けを出さなくてはいけない。僕もこの仕事を始める時に“探し物探偵”と付けるのだからと警察に赴いたが、探し物するだけなんでしょとからかうような目を向けられてそのまま放置されてしまった。だから俗に言う“探偵業”はできない訳だけど、その時にこの地域には探偵は居ないと聞いている。あれから数年経っているとはいえ、強力な情報網である高橋さんが知らない筈がない。

 ふと脳裏を掠めた、大男の姿。目を血走らせて「大切なものなんです」と叫び、半泣きで帰っていった男。
 まさか。いやでも、だってそれじゃ。

「あの、君の彼の名前って……」
「三条時宗っていうの。何だか武士みたいな名前でしょ?」

 僕も同じことを思っただなんて、浮かれる余裕は少しもなかった。

  

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