やがて救いの精霊魔術

山外大河

2 人間と精霊の事情

 夢であってほしいと思っても、全ては確かに起きてしまった現実だ。そうでなければこんなに鬱々しい気分にはならないし、こんな所にも来ていない。

「大丈夫、問題は無いよ。流石は陽介君の弟と言った所か。頑丈にできている」

 九州の地方都市に立つ大学病院の診察室にて、白衣が実によく似合う二十代前半の長髪の女性は、対面して座る誠一にそう伝える。
 精霊に襲われた際に頭を打った。一応意識はあるしまっすぐ歩くこともできた為大丈夫だとは思ったが、帰宅途中に兄の陽介がメールで一応診てもらってこいという風な事を言ってきたので、今日の様な物騒な事に携わる人間がよく世話になる医者に異常が無いか診てもらうことにしたのだ。
 そして彼に診察結果を伝えた医師、牧野霞は言葉を続ける。

「私も一応そういう存在がいる事を忘れずに知っている身だ。多少の心得はあるつもりだけど、同じ状況で襲われればキミに様に殆ど無傷って訳にはいかなかっただろうね」 

「そんな事は無いと思いますよ。ちゃんとどうにかしようって意思があれば、申し訳程度の魔術で切り抜けられる状況でした。多分霞先生でも逃げる判断を咄嗟にできれば無傷で逃げられましたよ」

 魔術。それが人間が有する精霊への対抗手段だ。
 対内外で作り上げた術式に精製した魔力を流し込んで発動させる異能の力。
 通常これに加えて刀や銃といった形を模った魔装と呼ばれる武器や魔術を補助する呪符を使って精霊と戦うのだが、今日程度の強さの精霊であれば魔装無しでも魔術を使えれば切り抜けられただろう。

「そうかもね……確かにそうかもしれない。私には彼女達と戦う道を選択肢に入れられる勇気が無い。一目散に逃げ出して無傷で帰ってきて見せるさ」

 そう言って笑みを浮かべるが、すぐにその笑みを掻き消して誠一に言う。

「キミもできるならそうした方がいい。ああいう物騒な事は陽介君達に任せて、キミは逃げるべきなんだ。中学生が直視していい光景じゃないよアレは」

 もっとも大人だからいいという訳ではないが、と顔を俯かせながら霞は言う。

「そう考えれば便利な世の中だよ。キミ達や私の様な例外を除けば、目にした残虐な光景を忘れられる。そうでなければ今頃精神病院は産婦人科の非じゃない程に不足するよ」

「……そうですね」

 世間一般の人間は、魔術の存在はおろか、精霊の存在ですら知らない。
 一度は認知して、多くの人間はやがてそれを忘れる。
 精霊が起こした事件による被害は、犯人不明の殺人鬼による犯行や、自然災害が起こした物という風に改竄されるのだ。
 何故か魔術や精霊絡みの記憶だけを改竄することができるという、何かの因果としか考えられない程都合がいい装置を利用してだ。
 例えば今年に入って二回、海外のとある地域で起きたハリケーンの被害の内、一つは精霊が暴れた爪痕を無理矢理ハリケーンによる被害だと改竄したものになるし、去年また別の地域で発生して迷宮入りしている殺人事件も、犯人は精霊で目撃者もいるが記憶が改竄されている。

 日本でもそれは変わらない。
 迷宮入りしている事件のいくつかが精霊が暴れた際の被害に当たり、精霊が起こした大規模な破壊活動が震災などの自然災害に改竄されている。
 故に一部の人間しか真実は知り得ない。事の終息に伴って記憶を改竄させられる。
 だからこの世界は自然災害が多い程度の認識しか皆持たず、比較的精神も安定している。
 何も知らない人間は、安定している。

「誠一君。もし本当に辛いなら。忘れたい程に辛い事なら、きっと頼めば記憶を消してもらえる。キミはいつでも何も知らない人間に戻れるんだ。寧ろそうするべきなんじゃないかと私は思うよ」

「……そうかもしれませんが、するつもりはありませんよ俺は」

「責任感……かな。流石逃げ無かっただけあるね」

 責任感。そんなものが本当にあれば、自分はきっと精霊を殺している。
 それが出来ないのだから、きっと抱いているのはそんな立派な事ではない。ただ世界で起きている精霊の起こす事件を、知らないでい人間でいる事が怖いからかもしれない。
 もっともそれは自分でもよく分からない事だけれど。

「まあ何はともあれ、あまり無茶はしないでくれよ。私の仕事をこれ以上増やすな。医者は暇な位が調度いいんだ」

「そうですね。暇に越した事は無いですよね」

「ああそうだ。多少暇でも首にはならんし高給だけは口座にしっかり振り込まれる。暇バンザイだ、素晴らしい」

「……」

 それに関してはそれでいいのかと思うが、実際霞が暇になるという事は、それ即ち精霊による被害が少なくなるという事なので、やはり暇な方がいいのだろう。

「……で、これ以上って事は最近忙しいんですか?」

 霞の言葉が少しだけ引っかかったのでそう訪ねてみると、霞は小さく頷いた。

「最近というかこれからだね。一人、頭にお花畑が広がっている問題児がいてね。これから相当忙しくなるなぁと」

「お花畑……ですか」

 一体それはどういう事なのだろうか?
 その事に首を傾げそうになっていると、霞が誠一に提案する。

「そうだ。暇ならあってみないか? 丁度今お花畑が祟って検査入院中だ。病室にいるだろうからあって行きたまえ」

「え……なんで?」

「いいから」

「まあやる事無いんで良いですけど……」

 特別予定もない以上、今世話になった相手にそう促されれば行かざるを得ない。
 誠一はその問題児の病室の場所を霞から聞き出し、その病室へと足取りを向けた。

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