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テッサイ 〜青き春の左ミドルキック〜

進藤jr和彦

プロローグ4

 帰路に着いた頃には、もう辺りは薄暗闇に染まり、街灯も光り出していた。久島は、左手に握ったBOF地区選抜のチラシを見つめながら、ふうと溜息を一つ吐いた。

 正直な所、気乗りしないのが久島の心情だった。只々運動不足を解消する為に始めただけのキックボクシングと言うか、キックエクササイズである。三年続けた、そして会長から、強くなってるから勿体無いと言われても、実感が無いのだ。

 久島はチラシを折り畳み、ポケットにしまった。街灯に群がる虫を数え、光に導かれていつもの帰路を歩けば、自らの一軒家にすぐ辿り着いた。学校まで徒歩十分、ジムからなら徒歩五分の好立地に、久島の家はあった。

「ただいまー」

 ドアを開けて、家に入る。返事は無かったが、久島は靴を揃えて洗面台に向かった。洗面台の蛇口を捻り、石鹸で手を擦っていると、洗面台の鏡に男が映った。

「秀忠、おかえり」

「父さん、ただいま……母さんは?」

「地区のママさんの集まりだと、深夜になるらしい」

 鏡に映った父親は、寡黙に、表情という表情を作らず、のそのそと重そうに身体を動かして消えた。石鹸を洗い流し、コップに水を注いで軽く口をゆすげば、しみる痛みを感じて水を吐き出せが、薄紅に染まった水が排水口に流れた。

 やはり、切っていたかと、プロの熊谷が放ったカウンターパンチで倒れた事を思い出す。

 手を拭いてから、久島は食卓に向かった。食卓のテーブルにはラップで包まれた大皿に、きんぴらごぼう、筑前煮、そして焼き魚が守られ、真ん中にはお玉がそのまま入ったままの、ワカメの味噌汁が鍋ごと置かれていた、小皿にはキャベツの千切りも盛られている。

「風呂は、ジム行ってたんだろ?」

「シャワー借りたから….….」

 今に寝転がり、ケツを掻きながら寝転ぶ父は、シャツ一枚パンツ一丁で、傍に香ばしく焼かれたスルメイカと小鉢に出した七味をまぶしたマヨネーズ、さらに発泡酒というオヤジらしさ満載三連コンボでテレビを見ていた。

「母さんにどやされるよ?」

「いいがな、深夜までおらん、仕事疲れの特権特権っと!」

 ぶすっと、尻から気の抜けた音を響かせる。オナラしやがったこの親父と、ごはんを炊飯器からよそおいながら、おやじ四連撃を見せた父親の背を見ながら、手を合わせ、いただきますと挨拶して箸を動かした。

 ふと、チラシを思い出して何とは無しに、おやじ臭い父親に話してみた。

「父さん」

「んー?」

「ジムの会長がね、試合出ないかって言ってきたんだ」

「ほー?」

「出ていい?」

「出たいん?」

「……まだわからんけど」

「スポーツ保険入っとるやろ、怪我しても大丈夫ならええんちゃう?」

「オナラすんなよ」

「スルメイカに言ってくれ」

 どうも、父親は真面目に取り合ってくれないようで、久島は箸を動かした。焼き魚の身をほぐして口に入れ、咀嚼しながら父親の背中を見る。

「ま、高校生やし自分で決めや、おかんがダメ言うても書類の判子は押しちゃるから」

 自分で決めろと、投げやりに聞こえたが書類の判子は押すと聞いて久島は内心ほっとした。やれ出ろ出てみろと言われるよりかは、そうやってどっちつかずな方が自分としては気が楽に思えたのだ。

 しかし、父に自分で決めろと言われ、久島な悩む。そうだ、結局出るか出ないかは自分が決めるのだ、まだ先の、しかも出る事はないだろう試合の事を話しても、あしらわれた感じになっても仕方なしと久島は頷いた。

 だが、この時の父親のおやじ臭い背中を眺めて飯を食べていた久島秀忠には、考えもしなかったであろう。試合に出て、戦うなどと思いもよらなかっただろう。


 久島の転機は、その翌朝に起こったのだった。



 結局、その日はただ惰眠を貪った久島の姿は、学校にあった。県立慧学館高校と呼ばれる学校の、左窓際の席に久島秀忠の姿はあった。朝のホームルームが始まる前、生徒達がそれぞれ輪を作り談笑を楽しむ中、久島は折りたたみの跡が付いたチラシを見つめていた。

 昨日、ジムの会長である姫路に渡されたBOFユースのチラシ。出場は何かしらのジムやら道場に所属さえすれば誰でも出場出来るとは言っていた。しかし、当人……久島はチラシを眺めこそすれどやる気という物は出てなかった。

 とりあえず、今日ジムに出て会長に出場する気は無い事を伝えようと。久島はチラシを机に置いたまま、外の空気でも吸おうと廊下に出た。四月も半ば、桜も散り始め、時折風が吹けばそれに運ばれた花弁がたまに廊下に迷い込んでいた。

 教室内の喧騒を隔てる、薄い引き戸一つ、さながらこの迷い込んだ花弁はクラスに馴染む事を忘れた自分だろうかと、ナルシストのような思い事を久島はしていると。

「おい」

 一声、背中から掛けられた。声を掛けられたら振り返る。振り返ればそこには険しい顔つきの、同じブレザーに身を包む男が居た。身長は久島より数センチ低いくらいか、首を少し下げた久島はその男の顔を見た。

 眉を整えず、スポーツ少年らしい丸刈りが久島を睨みつけていた。

「何ですか?」

 クラスメイトしかり、同じ生徒に声を掛けられた事が無い希薄な存在の久島は、ただ問うた。このクラスメイトか、はたまた先輩かは知らないが、彼はどうして声を掛けたのか分からなかった。

「このチラシ、机に置いてたけど……お前、出るのか?」

 丸刈りは、久島が机に置きっぱなしだったBOFユース出場募集のチラシを久島に突きつけた。

「いや、出る気ないけど……ジムの人に渡されたんだ」

「ジム……キックボクサーか?」

「ただの体力作りだけど……何か?」

 丸刈りの表情が、一層険しくなった。丸刈りは久島をしっかりと睨みつける。久島は背筋に少し寒気を感じながらも、その目線から目を外さなかった。

「体力作り?ふざけんなよお前、そんな野郎がこんなチラシ、これ見よがしに置いてんじゃあねえよ……あぁ?」

 理不尽な怒りに久島は目を丸くした、何故チラシをしまい忘れただけでこの丸刈りの男は怒っているのか、理解に苦しみながらも、とりあえず久島は謝る事にした。

「気に障ったなら謝るよ、軽率だった……これは捨てとくから返し……」

 丸刈りが手に持つチラシを、もう捨てるからと手を伸ばした瞬間だった。チラシを持つ反対の手が伸びたのを見た久島は、反射的に右へとステップを踏んでいた。

 それは、久島がジムのスパーリングで、ロープ際から逃げる為に何度も練習していたサイドステップだった。それを反射的にしてしまったのだ、何故か?久島は確かに感じたのだ、キックボクサー熊谷が時折放つ気迫と言うべきか、殴りかかる気配を確かに感じて危険を察知し、反射運動で逃げていたのだった。

 逃げられた事に、丸刈りの男は呆気に取られたような表情を見せると。その表情を歪めた、屈辱かはたまた恥辱か、それを感じた怒りの顔であった。

「ざけんなよテメェ……体力作りのアマでも無い、格闘技舐めてる奴がBOFだぁ?」

「いや、あの?僕は出ないから、出ないからね?」

「練心会も舐められたもんだわ、決めた、テメェうちの道場来いや、あぁ?BOF出る前の試しに、テメェをボコにして勢いつけてやっからよ!」

 言うだけ言って、吐くだけ吐いて丸刈りの男は久島に背を向けて、久島のクラスの隣の教室へと入って行った。

「出ないって……聞いて無いや……」

 此方は出る意思は無いと言うに、勝手に出るを前提として話が進んでいた。

 ふと、丸刈りの男が言っていた言葉に久島は反応した。彼は『練心会も舐められた』と言っていた。久島は、この『練心会』という単語に覚えがあった。

「練心会って、確かフルコン空手の流派だっけ……」



 『空手』

 数ある日本武道の一つで、柔道、剣道に並ぶ、誰しもが聞いたことであろう武道の名前だ。

 古くは沖縄、琉球『唐手』から伝わったとされ、本土伝来は大正時代。船越義珍が本土に紹介されたのが始まりであるとされている。

 しかし、よく勘違いされている事があり空手の始祖はかの有名な空手家『大山倍達』であると勘違いされている。

 これは仕方ない、当たらずも遠からず、大山倍達は戦後の空手道を『寸止めタッチダンス』と否定し、直接打撃、フルコンタクト空手の始まり『極真空手』の創始者であるのは間違いでは無い。

 直接打撃制空手、極真空手は戦後から昭和にかけて風靡した。そして、フルコンタクト空手は内部分裂や亀裂により、様々な流派へと別れ乱立している。

『練心会空手』もまた、直接打撃制空手の流派の一つであり、極真空大山派の流れを組む流派で、確か街中に道場がある事を久島は思い出していた。

 しかし、流派が舐められたと言っていたが、いつの時代の話なのかと、久島は首を傾げ、予鈴が鳴るまでその場に立ち尽くす事となったのだった。

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