ただの日記。

とびらの

悩んだことはない。考えるだけ。

うちの夫は、イビキがひどい人だった。いわく子供のころからそうであり、そういう骨格であるそうで、民間療法程度の改善方法は試行したもののどうにもならず、ちょこっとだけ病院にいってみて、骨格の成型&生活の徹底改善というデカい課題を投げられて心が折れ、以後絶賛放置中。
御年45歳のいまでもそのままである。(※うちは年の差夫婦です

彼自身、それに対する「なんとかしなければ」意識は微妙なところらしい。
なんせ、自分自身には被害はない。
苦痛なのは同衾・同居するもの――つまりはおもにカノジョであり、カノジョが寝不足になるのを、「申し訳ないなあ」が半分、「可哀想に」と同情するような感覚が半分。自分のせいなのだから申し訳なさ100%じゃないのかよ、と言われても、どうすることもできないのでどうしようもない。
ま、仕事や、ひとり暮らし生活に支障があるわけではないのだから、本格治療に腰が重いのも仕方ないだろうね。

それでもやっぱり、恋人は欲しい、深い仲にもなりたい、遠出の一泊旅行にだっていってみたい。
そのたびに、カノジョの反応は下記いずれかの通りとなった。

①「全然キニシナイで!大したことないわよ」
→翌朝、寝不足でフラフラでつらそう。旅行もグダグダ。まして連日、交際数か月以降になるとヘイトジャンクポットがフィーバー、ささいなことで喧嘩して破局。

②「うるさい!寝られないじゃないの!病院いってよ!でなきゃもう家になんかいかない」
→即、破局。

……と、いうことで、独身をこじらせること35年。

とびらのという、若くてかわいくて気立てのいい素敵な女性(※当社比)と出逢ったのである。

この時の彼の心境は――後で聞いたところによると。
「いずれ嫌われ、破局するのは仕方がない、だが、なるべくは長持ちさせたい」

交際数か月、手を出さない。宿泊はもちろん、うっかりうたた寝しそうなお部屋でマッタリなども全力で拒否。
一年以上のち、初旅行でのお泊り時、彼女わたしの寝落ちを見計らって、こっそり 完 徹 。
それはもちろん、彼女には内緒。まさにかつてのカノジョたちのように、フラフラになりながら、翌日の観光地を歩いて回った。

規則正しい生活のサラリーマンである。そんなことを何度も続けていれば心身ともにくたびれてくる。
彼女が仕事で来れない日、それは彼が安息できる、真の休日であった。

……ところでその当時、23歳とびらの嬢は、某超大手企業、かつゴリゴリのブラック営業で、バリバリの現場販売職に就いていた。全国店舗、150人の営業マンの、紅一点。完全出来高制、かつ、ノルマあり。ノルマを下回ると役職名つきでも翌月には「研修生」に落ち月給が10万円になるという、恐ろしい職場である。一年で従業員が9割がた入れ替わり、わたしが勤めて1年以内に、それこそ100人の先輩が辞めて100人の後輩が入り99人が辞めていた。

月締めのノルマが厳しければ、県境をまたいで美味しそうな現場へ走り、夜明けから真夜中まで働き続ける。土日祝日は儲け時。
キャリアウーマンといいじょう、中身は普通の小娘である。彼氏と会いたいのは当然。それでも休みが取れない。合わない。顔も見れない。どうにもならない。

その様子をみて、かのイビキ男、何を思ったか。うっかりとんでもない過ちを犯す。

「合い鍵を渡すから、夜中に入って、うちで寝て仕事いけばいいよ」

ここで遠慮するような女なら営業職などやってない。嬉々として受け取り、さっそく深夜二時、神戸の現場を終え、ほど近くにあった彼のアパートに忍び足で入り込み――
彼氏の咽喉からたからかに鳴る、轟音をはじめて聞いた。


このときの心境は覚えてない。というか、記憶するほど特別、感情が動かなかったと思う。
「わーすごいイビキ、そっかーイビキかく人だったのねーフーン」
と言う感じで踵を返し、すぐ近くのコンビニで強力耳栓をサクっと購入。さくっと両耳に差し込んで、彼の隣ですやすや眠った。

その翌朝の心境を、彼はいまだに熱く語る。

「こんな女、いままでいなかった!!こいつと結婚しようと思った!!!」

……はあ?

わたしは彼と同衾したかった。そして純粋に眠かった。自宅に帰るより、コンビニで耳栓買う方が早かった。そうすればすべての望みがかなうのが明らかだった。
だからそうした。

……なにを当たり前のことを……。

その翌年に結婚。ともに暮らしてはや8年になり、いまは耳栓もせずにすやすやと、やはり隣で寝ているわけだが、彼はいまだにそのことを感謝感謝と言い、わたしはいまでも意味が解らない。

かような話を、現職場同僚とちょっとした雑談の機会に話したところ満場一致で爆笑された。

「普通じゃないです、その発想はないです」
「いやー、私は我慢しちゃいますね」
「耳栓してるのバレたら傷つけるかもしれないから、彼より早起きしなきゃいけないし」
「ていうか許せない、病院いけ!って叩き起こす。イラッとしなかったんですか」
「それで翌日からも通うってのがすごい」

……?

でも……耳栓って、うるさくて眠れない時に使いましょうっていう商品で、それが住宅地のコンビニに売ってるくらいメジャーってことは、わりと、こういうニーズを視野に入れてる商品だと思うんだけども。

…………?

憮然としているわたしに、同僚が真顔で一言。

「とびらのさん、悩みってないでしょ」

無い。





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