人生ハードモード
現実
翌日の放課後、私はまたアリスのいる龍道院家の屋敷まで来ていた。
私ができるのは、この龍道院家についてネットで調べることくらいで、一高校生の資金力と行動力ではたかが一日で何かが変わることはなかった。
わかったのは、龍道院家が不動産業を始め、多種多彩な会社を持ついわゆる財閥のような家であり、その本社がアメリカにあることくらいか。もしも私にハッキング技術なんてものがあれば、汚職の一つでも見つけられたのかもしれないが……。
自分の無力さを痛感しながらも、ない物ねだりをしていても仕様がないので、一晩じっくりと考えた結果が、今の状況だった。
私にできることはといえば、ただ一つ。
アリスの心を動かす、ということくらいだろう。
ちなみにヤヨイに相談の電話を入れてみたが、一切繋がらない。こんな時にいったい何をやっているのだろうか……というのは、いささか自己中心的か。
彼女の考えが変わったところで、その後のことなど私は考えていないし、そこまで頭がよくないと自負しているわけだが、彼女の気が変わらなければおそらく事態は好転しない。駆け落ちなどということもアリスとならば、と、覚悟はしているわけだが、彼女がそれを良しとしなければそれが現実となる可能性は0から動かない。
龍道院家についた私は早速昨日と同じようにインターホンを押す。
ピンポーンという音と共に来る数秒の間は昨日ほどに苦ではなくなっていた。これも慣れというやつなのだろうか。
『はい、龍道院でございますが』
向こう側で出たのはこれまた昨日と同じ執事だった。
少し安心しながらも、「あの、アリスさんに会いたいんですけれど……」と、私としては比較的まともに用件を言葉にする。
すると、『少々お待ちください』との言葉と共に、一度向こう側との会話が切れる。
1秒、2秒……、と心の中で数えていると、1分と32秒が経った頃に突然、執事の声がまたインターホンの向こう側からしたのだが、返ってきたのは、予想だにしない言葉であった。
『……アリス様は今誰とも会いたがらないようですので、申し訳ございませんが、お引き取りくださいませ』
「えっ……」
驚いた私はその場で停止する。
まさか、会うこともできないとは考えていなかったからだ。
「あの、ほんの少しでいいので、会わせてはもらえないでしょうか?」
『……すみません』
インターホンはブツリと切れて、それ以降執事の声が聞こえることはなかった。まるで私にそれ以上の言葉を言わさないように、一瞬で、見えない壁を作ったかのようだった。
私はインターホンを押すことはせずに、無言でその場で立っていた。
あともう少し待てばアリスの気が変わってくれるかもしれないと、私は制服姿のまま、ただただ時間が過ぎるのを待つ。
きっと、アリスが優しいから、私が門の前でずっと立っていれば、いつかは開けてくれるだろうと、高を括っていたのかもしれない。
だが、いつまでたっても時が過ぎるだけで、私の目の前にある鉄の門は開けられることはなかった。
日が落ちて暗くなってきた空を見上げながら、ため息を一つつく。
勝手に裏切られた気持ちになっていたが、この状況を客観的に見れば、彼女に振られたのに未練がましくつきまとう元彼のストーカーのようだと気付いて、自己嫌悪する。
アリスは現実を受け入れているから、私を拒絶している。
私は現実を受け入れられないから、アリスを求めてここにいる。
実際、私が何もしなければ、全てがスムーズにいくのかもしれない。アリスは結婚してお金持ちの御曹司の奥さんになり何不自由しない生活を送って、私は普通の学校生活に戻る。そう、戻るだけ。
私情さえ挟まなければそれがハッピーエンドだって言えるかもしれない。誰も苦しまない結末なのかもしれない。
私は、大人になり切れない子供なのだろうか……?
これ以上はアリスにも、いま彼女の周りにいる人たちにも迷惑だろう、と思った私は、もう一度門を前にして、静かにお辞儀をして背を向ける。
私は目の前にある現実と決して届かない自身から溢れ出る感情との落差に震えながら、家までの距離をフラフラと歩いて行ったのであった。
ゲームには難易度というものがある。
一昔前のゲーム……たとえば、ファミコンなどの難易度設定は会社にゆだねられ、ソフトによって異なるというものであったわけだが、コンピューターゲームが進化していくにつれて、幅広い層に楽しんでもらおうとゲーム会社はプレイヤーに難易度を選択させるようになった。
だから、今のゲームソフトにはイージー、ノーマル、ハード……などの難易度が一つのゲームの中にある、ここの力量に合わせたモードで楽しめる。確かにこれはゲームが世の中にこれだけ復旧した一つの要因であるといえるかもしれない。
ならば、もしも人生に難易度の選択があったらどうだろうか?
皆が皆、イージーモード、あるいは初心者モードというものを選択していただろうか?
イージーな人生があるとすれば、お金持ちの家に生まれて、何一つ苦労することなく大人になって、それなりの恋をして、大往生で最後は家族に囲まれ、自分は幸せだったと信じながら、死んでいく。そんなところだろうか。
それをつまらないと言い切ってしまうほど、私は人生を積み重ねているわけでもない。
でも、私はゲーマーのプライドなんてもので、人生もまた、歯ごたえのあるものになればいいと思っていた。だからこそ、感じていた空虚な時間を壊してくれるような何かを待っていたのかもしれない。
けれども、私は今、自分の人生がもっと楽に設定されていたらと思っていた。
もしも、イージーモードに設定されていたら。
私は女の子を好きになんてなっていなかっただろう。
身の丈に合う無難であっても幸せな心地のいい恋をしていたことだろう。
苦しいほどに愛おしい相手が手を伸ばしても届かないところにいるなんてことはなかっただろう。
こんなに、切なくて、苦しくて、悩むことなんてなかっただろう。
机上の空論、『if』なんてものを考えたところで何も得られるものはない。そもそも人生はゲームではないので、そういう発想に至ること自体がナンセンス。
わかっているのに、私は自身のベッドに横になりながら、そんなことばかりを考えていた。
ふかふかのベッドは優しく私の身体を包み込んでくれているが、全く眠る気にはなれない。
疲れているはずなのに、心と頭が寝かせてくれなかった。
明かりもつけない部屋の中、ぼんやりと部屋の中を見つめる。いつの間にか涙を流していたのか、頭の下にある枕は濡れており、頬には水滴が残っていた。
父はもう眠ってしまったのか、下の階でも一切の音はしない。部屋はシンと静まり返っていていて耳鳴りがしてくるようだった。
どうでもいいことで頭をグルグルとまわしていた私の眼は暗闇に慣れてきていて、なぜかその視線はパソコンに行く。
そういえば、また随分と起動していなかった。
とてもパソコンを起動してオンラインゲームをやる気にはならなかったのだが、それに反して私の身体は起き上がって、パソコンへと向かう。
パソコン前の椅子に座ると、何も映っていないモニターをしばらく見つめて、その中にあるバーチャルの世界を思い出し、私はまるで現実から逃避するかのように、ゆっくりと電源ボタンを押した。
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