人生ハードモード
突然の訪問は心臓に悪すぎる 後編
私のことやアリス自身のことなどなど、父の一方的な質問に対してアリスが応答するという私の立場が全くなくなった夕食が終わり、先にお風呂をいただいた私は、洗い物をします、とかいって食器を洗っているアリスと二人で話す時間ができた。父は明日も早くから仕事だからとさっさと自室へ引っ込んでしまった。もしかして、気を利かせてくれたのだろうか。全くいらん気配りだが。
「……で、なんでアリスがここにいるの?」
ものすごく今更な質問に対して、一瞬、食器を洗う手を止めたアリスは、私の方を向く。
「今日はお父様に無理言って泊まらせてくださいと頼んだのです。今日だけは、と……」
「…………?」
また、ほんの少し影というか、声が沈んだというか、まるで何かを隠しているかのような様子が見られて、私は引っ掛かりを覚える。
「……よくうちのお父さん許したよね、ああ見えて結構硬いところあるはずなんだけど、どうやって説得したのさ」
「メイヤに似てとても優しい方でしたから、事情を話したら許してもらえました」
「事情って? 私とアリスが好き合っているってこと?」
「……はい」
直球で言ってもどうせはぐらかされてしまうだろうと思って、少し回り道をして聞こうとしたのだが、やはり本当のことは言ってくれそうもない。
言葉を口に出す直前のほんの少しの間にアリスが少し辛そうな顔になるのはきっと嘘をついているからだと思った。許嫁がいるってこと以上の隠し事なのだろうか。
「私もお風呂に入ってきますので、その後はゲームでもやりましょう」
「え? ああ、うん……」
食器を洗い終えたアリスが、蛇口の栓を止めてそう言ったので、私は彼女の行く道を開ける。
というか、考えてみたら客人を先に入らせるべきだったのかもしれない、とか思いながらも、夕食直後の私は何でもいいからあの場から一刻も早く逃げ出したかったわけでして……。
先に部屋に行った私は部屋の中から布団をもう一つ引き抜いて床に敷く。幸運なことに私に部屋は中々に綺麗で、というのも、昨日珍しく部屋の掃除をしたからだろう。
しかしながら、床にアリスを寝かせるわけにもいかないので、もちろん、彼女には私のベッドを使ってもらうわけだが。
どうしてアリスが急にうちに泊まることになったのか、父に聞けばその理由とやらを教えてくれるのだろうか。いや、教える気があるのなら最初に教えてくれているはずだ。きっとアリスが口止めしているのだろう。
結婚前の挨拶だとか、嫁入り前の修行だとか、良いことから、許嫁がいるからもう会わないという話をするためだとか、悪いことまで考えていると、いつの間にか、時間が経っていたらしく、階段を上ってくる音がして、なぜか私は反射的にベッドの脇に背を預けていた姿勢から正座へと速やかに移行した。
コンコンッ、とノックされて、「はいよー」と、私が声をかけると開いた扉からアリスが顔を半分だけのぞかせる。
「この部屋でよい、のでしょうか……?」
「うん、ここが私の部屋」
ほっ、とした様子で扉を開けてアリスは入ってくる。そして、彼女がこの部屋に入ってきた瞬間、同じ家の同じせっけんを使っているはずなのに段違いにかおってくる香りに私はようやく、今が危機的状況になっていると理解することになる。
「すみません、最初に部屋の場所は教えてもらったのですがメイヤの許可もなしに入るわけにもいかなかったので……」
「りっ、律儀だね~アリスは~」
そういえば彼女が風呂上がりでここに来ることをすっかり忘れていた私は声が上ずる。
さっきまでは普通に話せていたはずなのに、心臓の音が急に早くなって、口が思うように回らなくなってきてしまった。
「ここっ、こっち使って……」
自分で鶏みたいだなとか思いながら、ベッドの方に手を向けると、アリスはパタパタと手を振りながら、
「いいですよ、私は布団で十分です」
「よくないよ! 私が困るもん!」
「メイヤは困ることありません。急な訪問でしたし、寝るところを用意してもらえるだけでも十分すぎますから」
「それでもだよ、夕食作ってもらって皿洗いまでさせて、寝床は床でしたとか、悪い気がして私の心が死んじゃうから!」
ほんとお願いします、と私が頭まで下げると、アリスは焦ったように「わっ、わかりましたから頭を上げてください」と了承してくれた。まあ、ここまでしなくてもよかったと自分でも思うが、今のアリスに主導権というか、勢いというかで負けてしまうと、逆に何かの歯止めが利かなくなるような気がして怖かった。
アリスがベッドに座ると、会話がなくなったので、私はすぐに目のつくものを指差しながら、
「ゲームでもしよっか、『バースト・サーガ』はできないけど、ノーパソあるから容量食わないゲームならできるし、テレビちっちゃいけどテレビゲームも一応あるよ」
「えっ、はっ、はい……そうですね、やりましょうか」
私の顔を凝視していたアリスが頷いたので、私はノートパソコンとデスクトップパソコン、あとテレビゲームと、ソフトを数個用意する。といっても、私も一人っ子、オンライン以外となると二人でできるようなものは少なく、辛うじてコントローラーは二つあるものの、できるゲームの種類は限られていた。
その中で私がいくつかアリスに提示すると、やはりぼんやりとしていたアリスが選んだのは、なんと父が趣味で買って結局一度も封を開けずにおかれていた将棋ゲームだった。
結構渋い趣味してるんだね~、とか言いながら、ゲームを起動させて、小さいパソコンの前で二人で座り、当然のことのように『二人で対戦』を選択したのだが、そのとき、アリスが「あっ……」と何かを思い出したように、
「私、将棋のルールとか知りません……」
「え……?」
じゃあなんでこれ選んだの、という言葉を飲み込み、「じゃあ違うのにしようか」というと、アリスは首を横に振って、
「大丈夫です、私は考えて、選択しなければなりませんので」
とか言って、結局、対局は開始される。ゲームのBGMはおやじ臭いというか、古臭いというか、リズミカルなでない上に特徴的なものでもなかったので、私の耳にはしばらくの間『先手56歩』という手を読む女の人の声が聞こえてくるだけだった。
私は一応、将棋のルールは知っているし、ごくたまにだが食後のアイスやプリンなどを巡って勝負していたりしているので、アリスよりも有利なのはわかっているのだが、アリスの動きは初心者にしても変で、上の空というか、集中していないというか、別に考える必要のないところで手が完全に止まったりするし、逆に難しいところで平気で早打ちしたりするし。
変だな、と思いながらアリスの方を見ると、ポツリ、と彼女は口から言葉を漏らした。
「……メイヤの家は暖かいですね」
「いや、だって、もうすぐ夏だし、というかもう暑くなってるし当然じゃない?」
「そういうわけではありませんよ」
ふっ、と笑う顔にドキッ、とさせられるのは、もう私の宿命なので、仕様がない。
そう言えば今日はあんまりベタベタしてこないなと思う。少し寂しく感じてしまう一方、これがいつものアリスの調子な気がして、自然な彼女を久しぶりに見たような気がして安心する。
そのとき、『詰み』の表示が出て、対局が終わる。当然私の勝ちだ。接待プレイをするほど私はゲーマーとして優しくはない。
ふー、とコントローラーから手を離して私が息を吐いていると、「メイヤ」と呼ばれて隣を向く。
「私たちは、付き合っているわけでありませんよね?」
「えっ、う、うん……」
確かに、お互いのことが好きではあるが、まだ直接付き合おうとか付き合あないとかいう話はしたことがなかったのを思い出す。もう勝手に彼女を生涯の伴侶にするくらいの気持ちでいた私は、一瞬、否定しかけながらも、頷いた。
「そう、ですよね……」
と、少し寂しそうにつぶやいたアリスは、すぐに表情を戻して「続きやりましょうか」と、まさかの将棋連戦を希望してきた。
アリスの中身は『wonderland1224』で、それは私が長年一緒に組んでゲームをやっていた仲間。二人で攻略したゲームの中には戦略ゲームなどもあり、将棋に近いものもあったはずだ。ずっとこのままで弱いとは考えにくく、先ほどとは違って目の前の対極に集中をしている様子のアリスは手ごわそうだ。相手にとって不足はなかった。
再び静寂の中対局が始まるが、先ほどとは打って変わり対局の中には思考の読み合いが生まれていて、小さなテレビの向こう側の盤上には確かに熱が生まれていた。
そんな対局中、「メイヤ」とまた呼ばれたような気がしてみると、そこには微笑んだアリスの顔があって、
「ありがとうございました」
と告げてきた。
それは何でもない一場面のはずなのに、その言葉と儚げで美しくも楽しそうな今まで見た笑顔よりも印象的な笑顔は、一生私の中にとどまるのだろうと感じたのであった。
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