人生ハードモード
突然の訪問は心臓に悪すぎる 前編
何があれば人はこうまで変われるものなのだろうか、小一時間ほど聞いてみたい衝動に駆られる瞬間が、この一週間、何度もあった。というのもアリスが積極的すぎるからである。
私のためにお弁当を作ってきてくれたこともあったし、学校にいる間は一目なんて気にせずずっとくっついて頭を撫でたり懐いた猫のようになるし、ネット内でも愛の言葉を恥ずかしくなるほどに連発してくるし、そのせいでヤヨイがなぜか不機嫌になることが多いしで、嬉しいにはうれしいのだが、どうにも腑に落ちない。
アリス曰く、私の言葉が原因らしいのだが、私にはどうにもそうは思えなかった。
それは彼女といればいるほどに、なんとなく、アリスが無理をしているように思えるようになったからだ。違和感……というか、笑顔に時々くもりがあるような、感じがしてしまう。
はじめはただ楽しくて嬉しいだけの時間だったのに、アリスから時折出る不審というか、変というか、とにかく何か引っかかるような、本当に笑っているわけではないような表情に気になってしまい、一週間経った今では、楽しいという感情よりも次第に彼女を心配する感情の方が大きくなっていた。
どうしてそこまでして急に関係を縮めようとしているのか。彼女の顔を見るたびに思う。
苦しそうな寂しそうな表情を一瞬のぞかせる彼女に、下手に踏み込んで嫌われたくなかった私は何も言えずにいた。
アリスは私のことを好きだと言ってくれた、行動でも示してくれている。私も、彼女が私を思う以上に好きだと思う。
それなのに、今日も踏み込むことができずに時間が過ぎ、放課後になっていた。ごちゃごちゃといろんなことを考え、結局なにもわからずにその場でとどまっていたら、勝手に時間が加速していったようだった。
教室中を見回すとアリスの姿はすでになく、「はぁ……」とため息をついた私は、机の上に広がったままになっている教科書類を自身の鞄の中に詰めていく。
ようやく、気持ちが通じ合えたと思っていたのに、なんとなく、苦しかった。
ヤヨイも見えないので、さっさと帰ってしまおうかと思って、鞄を持った私は教室を出ていく。
方向が違うという理由で昨日は校門の前までながらもアリスと一緒に歩いていたと思い、隣に誰もいないことが無性に寂しくなる。ついこないだまで、その日家に帰ってからやりたいことを頭の中で並べたり、どこかに寄り道して甘いものでも食べていこうかとか考えていた、この一人でいる時間は楽しかったはずなのに。虚しささえ感じた。
窓の外では、所々に散らばっている雲たちが夕日の光で輝いており、カーカーと鳴くカラスたちの姿が見えた。部活動に命を燃やしている運動部の活気ある声がやけに大きく聞こえているのに、そんなことを気にも留めない私以外の帰宅部の生徒たちは何か目的があるらしく、私の立ち止まることなく横を通り過ぎていく。なぜか、その背中が羨ましく思えた。同じ帰宅部なのにおかしな話だと思う。
「はぁ……」
本日何度目かわからないため息をつく。ちょうど5分前についたから、もしかして5分毎にため息ついたりするのだろうか。学校に8時から5時までいたとすると、学校の中だけで100回以上もしていることになる。もしも、ため息で幸せが逃げるなら、当分私の元に幸せは訪れてくれなくなるレベルだ。
トボトボと一人帰路につく、時々あいさつをされたが、返したかどうかもわからなかった。
そして、家が見えてきたころに、またため息を一つ。これでも結構我慢した。
帰ったらご飯食べてお風呂入ってさっさと寝よう、と細かさの微塵もない計画を頭の中で組み立てながら、家の鍵を開ける。
「ただいま~」
父はもう帰っているだろうか、母はどうせ遅いだろうし、この返事が来るのは半分くらいの確率かな、なんて考えていると、聞きなれない高い声が返ってきた。
「おかえりなさい、メイヤ!」
なんだお父さん返ってきているのか、なんてことを思いながら靴を脱いでいると、思考が一瞬にして止まる。
うちの父は、こんなに高い声じゃない。これは女の声――いや、だが母のものではない。
しかも、この声、聞き覚えがありすぎる……!
まさか、と顔を上げると、廊下の奥からお玉を持ったエプロン姿の天使、じゃなくて、小悪魔、でもなくて、お人形、じゃないって、アリスが歩いてきたではないか。
あまりにも予想の範囲外、おそらく未来予知ができていたとしても見えた未来を疑って絶対にないと言い切っていただろう事態に対して、頭が真っ白になって何も思いつかず、呆然としている私の前まで来たアリスは、可愛らしく「えーと……ですね」と考える素振りをしてから、顔を真っ赤にさせたまま咳払いのつもりか「こほん」と言葉で言う。そして、少し身をかがめて、上目遣いになるような姿勢を取った。
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも――って、メイヤさん!?」
この破壊力はヤバい簡単に殺されかけない、と自身の身に危険を感じた私は少しうるんだ目で見てきたアリスの横をドタドタと走っていき、リビングの扉を開け放った。
彼女がこんなことを知っているはずがない、というか、そもそも彼女が家に入れたのは家の中に人がいたせいなのだから、こんな私を殺すような真似を助言するような人間はこの家には一人しかいない。
「おう、おかえり」
「ただいま――じゃない!」
そこには、ソファに体を預けながら、ビール片手にテレビを見ている父親の姿があった。
してやったりという様子で父は私の方を見ていた。
「お父さん! 私のアリスになに吹き込んでんの!」
「いや、だって、男なら誰だって好きな子相手に『おかえり』『ただいま』『ご飯にしますか――』のくだりは想像するものじゃないのか?」
「私は男じゃないし、想像だってしたことないもん!」
「……でも、顔は真っ赤だぞ?」
「そっ、それは……」
父親に指摘されて、バッ、と振り返った私はその場で大きく何度も深呼吸して、体温を無理矢理下げる。火照った体は徐々に収まってくれる。
そして、また父に噛みつこうと彼の方を向こうとしたとき、目の前にアリスが表れる。
アリスは、私の顔を見るや否や、「ごめんなさい」といって頭を下げたではないか。
「私、その……メイヤに喜んでもらえると、思って……」
そんな言葉を聴いてしまうと、怒る気など失せてしまい、「いいよ」とすぐに許す。もしかしたら私は好きな人に甘やかしてしまうタイプの人間なのかもしれない。
安心したように顔を上げたアリスが笑いかけてくると、私の心臓はドクドクと音を立て始める。
制服姿に純白のエプロンとか、生きていて本当にこんなシチュエーションありえるのか、思いながら、そういえば以前ヤヨイに連れて行ってもらったメイド喫茶の店員の服装にも似ていなくもないとか考えていると、いつの間にかアリスさんと見つめあっている形になっていることに気付く。
なぜか無性に恥ずかしくなってきたが、彼女もそうだったらしく、
「あの、ご飯にしましょう! 席についててください!」
とかいって、うちのキッチンに入っていってしまった。その様子を見て本当に新妻みたいだな、なんてことを考えて嬉しいような恥ずかしいような変な気分になる。
ヤバい、私今メチャクチャ気持ち悪い、と自覚しながらも緩む頬を締められずにいると、
「しかし彼女がまさか外国人とはな、さっきはどうしたもんかと思った、うん」
いつの間にか食卓につこうと席を立っていた父が言う。
持てる限りの英語力でさっきぶつかって玉砕したんだろうな、とか思う。母は英語なんて楽勝な人だが、父は英語とは中学のテストから相性が合わなかったらしい。どうでもいいが。
「だが、何にせよ驚いたぞ、可愛い子じゃないか。流石は俺の娘だ」
「私はお父さんの順応能力に驚きだよ……」
ため息混じりに、そうつぶやく。
応援してるとか確かに言ってはいたが、娘の彼女が家にきて動揺一つ見せないうちの親父の肝は相当に座っていると思った。
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