人生ハードモード
厄介なことに恋は減速してくれない
 私は17年間の人生の中で、一度たりとも何か一つのことに熱中するということはなかった。
一過性のものはもちろんあったが、一週間もあれば飽きてしまう。また、少しでも限界を感じると、大した努力もせずに放り投げてしまう。興味を持つと言っても、その程度のものだった。
 それだけに、私は『悔しい』だとか『悲しい』だという感情が乏しかった。
 きっと部活をやっている人たちは、いや、勉強に打ち込んでいる人たちも、よほどの人たちを除いては『挫折』したことがあるのだろう。そして、あらゆる感情を乗り越えて、生きている。
 生まれて初めて授業をサボった私が一人屋上で泣きながら感じたのは、この人生で初めての敗北であり、無念であり、後悔であった。
 いままで戦って来なかった私は、この感情について上手く処理することができず、ずっと頭の中で少し前に起こったことを反芻し、涙を流していた。
 勇気を出した自分をほめようとは思えなかった、ポジティブになんて考えられなかった。
もう少し上手くやっていれば、いや、彼女に気持ちを伝えるなんて思わなければ、今頃は彼女の傍で同じ趣味の話で盛り上がっていたのかもしれない。そう考えると、また泣けてくる。
初めから無理ゲーだった、そうやって割り切ってしまえばよかったのだろうが、この感情は自分に嘘がつけないくらいに衝撃的で暴力的だったと言っていい。
 ぼんやりとにじんだ空を眺めていた私は、無性にゲームをやりたくなり、いや、何かに逃げたくなり、「……帰ろう」と呟いて、立ち上がる。
 荷物はまだ教室にあったが、アリスさんのいる教室には行く気になれず、放課後にならないうちに私は学校を出ることにした。
 こんなクソゲーもう二度とやりたくない、そう思いながら、学校の玄関を出る。
 さっさと帰ってしまおうと思って歩き始めるが、家の鍵が通学カバンに入っていることを思い出して、立ち止まる。放課後まで待って、教室に誰もいなくなるまで待つかどうか、そんなことを考えながら、腕時計を見ると、いつの間にか、昼休みが終わってから2時間以上も経過していることに気付いて驚いた。
 これなら近くで時間つぶしていればいい、と思った私は、ポケットの中を探ってみるが、あるのは携帯だけ、お金はワンコインたりともない。いわゆる一文無しだ。
 彼女の次は天にまで見放されたか、と深いため息をついて、近くの公園のベンチにでもいるかと思い、歩き出そうとしたとき、ガシッ、と肩を掴まれる。
「待てよ、相棒。俺を置いてくなんて……許さねえぜ」
「……ごめん、今、なんか返せる気分じゃないから」
 白い歯を輝かせながら、そんなことを言ってくるヤヨイに対して、私がため息交じりに返すと、ほほう、と彼女は手を顎の下におきながら少し考えてから、
「予想以上の落ち込みよう――こりゃ、案の定フラれたか~」
「誰のせいだと思っているのさ!」
 私は少し八つ当たり気味に彼女に対して怒鳴る。
この言い方だと、ヤヨイのせいでフラれたと解釈されそうだが、フラれたばかりの私の精神状態は彼女を気遣えるほどの余裕はなかった。
 ふっ、と笑ったヤヨイは傷ついた様子もなく、「ほらよ」と、私のカバンを投げてきた。
 なんとか私が自身のカバンを受け取ると、それを見たヤヨイは私の手を取ってから背を向けて歩き始める。
「どこ行くの?」
「作戦会議に決まってんじゃん」
「なんの?」
 なんのって……、と言いながら足を止めて振り返ったヤヨイは耳を疑うようなことを言ってくる。
「決まってんじゃん、メイっちの恋愛会議よ」
 不敵に笑う彼女に、すぐに言い返す言葉が見つからなかった私が絶句し、彼女に手を引かれたままについていくと、ヤヨイは、少し古びたビルの中へと入っていく。
 そんな彼女の背を見ながら、そういえばヤヨイが今ここにいるということは彼女も授業サボったんだよね、と思って、嬉しいような悪いような気分になった。
 ヤヨイが入ったビルは、普段学校の近くにあるものの、高層ビルの間にあるため、行っちゃ悪いが、実な地味な場所にあり、私も今日この日までここに古臭いビルがあるなんて気にも留めていなかった。
 戸惑っている私の手を引いたヤヨイが止まったのは、ビルの三階奥の、何やらピンク色の逆に怪しいくらいに可愛い『ブロンドカフェ』とか書いてある看板の前で、そして、ためらうことなく彼女はその扉を開けた。
 怖いと本能的に思った私が逆らおうと手を引いたが、ヤヨイの方が遥かに力は強くて、あらがうことはできず、結局彼女に引きずられるような形で店の中へと入っていく。
『お帰りなさいませ、お嬢様』
「…………」
 思いもよらない光景を前にして私は、絶句してしまう。
 清潔感のあるピンク色で統一されている少女趣味全開の店内の中には、フリルの可愛いメイド服と言ったら真っ先に浮かべるような形のメイド服を着た店員さんたちが私たちに頭を下げているではないか。
 さらに特筆すべき点は、この店にいるメイドさんたちすべてが金髪であること。
 アリスさんにフラれたばかりの私の心をえぐるような所業だ。
 慣れた様子でヤヨイが二人だと言ったので、二人席に案内され、すぐに飲み物だけを頼んだ。
 もういろいろわからなくなっていた私が、借りてきた猫のごとく、落ち着かない様子で座っていると、「さて、それではさっそく」とヤヨイが笑いかけてくる。
「アリスさんにはどんなふうに言ったのよ? そして、どうやってフラれたの?」
「……ねえ、なんで相手がアリスさんだってわかるのさ。私一度も――」
「言ってないね、でも、何となくわかっちゃうのですよ。美少女恋愛マスターの私としては」
「……美少女?」
「そこで引っかかるな!」
 ヤヨイの鋭いツッコミに思わず吹き出してしまう。
 クスクスと笑っていると、なぜか、泣けてきて、涙声になりながらも、私は屋上でやってしまった自身の過ちを目の前の友人に話していた。
 メイドさんが持ってきてくれたコーヒーを片手に私の話を聞いていたヤヨイであったが、その全てを聞き終えると、「ふうん」とだけ言ってから、
「それで、メイっちはまだアリスさんのこと好きなの?」
「えっ……?」
 それは予想だにしていない質問であった。
 なぜ今更そんなことを聞くの、そんな言葉を飲み込んだ私は口を開く。
「無理だよ、私には釣り合わないってこと……もうフラれちゃったしね」
「そりゃ、あっしの質問の答えじゃないですぜお嬢さん。あっしが聞きたいのは、まだお嬢さんに恋愛感情があるかってこと、付き合えるかどうかの話じゃないのです」
「それはもちろん……」
 ……あれ?
 もちろん、なんだ?
 私は今、自分の言いかけた言葉が信じられずに、何度も自問自答してみるが、残念ながら、答えは一つしかなかった。
 まるで私の心を見抜いているかのような見通す目で私を見てくるヤヨイが「……もちろん?」と聞いて来たので、敵わないなと思いながら、正直に答えることにする。
「好き、なんだと思う……自分でも不思議だけど」
「オッケー……十分な回答だ」
 私は今まで、恋愛というものはフラれたら終わってしまうものだと思っていた。フラれた瞬間に募っていた気持ちは拡散し、やがて跡形もなくなってしまうのだと考えていた。
 でも、私の中には、まだ、怖いくらいにアリスさんを諦めたくないという気持ちがある。
(あれ、もしかしてこれって、私ヤバくない……?)
 フラれたのに付きまとうとか考えると、ストーカーとかいう単語が頭の中に振ってきて、もしかすると、この感情は相当に危ない愛じゃないかとさえ思う。
 自分のことが恐ろしくなってきた私の前でカッコつけたように持っていたフォークを突きつけてきたヤヨイは、
「それでは、メイヤ二等兵、作戦の次の段階について説明しよう」
「さっきからキャラブレ過ぎじゃない?」
 気にすんな、と言ったヤヨイは、運ばれてきた『ヨイヨイだいしゅき』とか痛いことが書かれているオムライスに手を付ける。それに、その量を今食べて夕食が入るのかが心配なのだが。
「作戦の第一段階にて、メイっちはまず、アリスさんの視線を手に入れた。そこで次の作戦は『いつも通り接すること』だ」
「えーと、意味わかんないんだけど……」
「フラれてショックなのはわかってるけど、告る前と同じように『友達として』傍にいることだ。メイっちの話を聞くところによれば、アリスさんはメイっちのことを別に人として嫌っているわけじゃない、いや、そもそも嫌ってなんかいない。女同士で付き合うなんてまともじゃないとかいう、馬鹿でかい常識の壁があるだけってこと。だから、明日からも普通にあの子と普通に接しても問題ないはずだ」
 よくわからない私が「なんでそんなことを……」と聞く。
「勝算があるからだよ」
「えっ……?」
「メイっちは普通に優しいし、可愛いし、時々格好いい。だからこそ、何もしなくていいんだよ。そうすれば、どんなに分厚い壁もひび割れていく」
ニヤリと笑ったヤヨイは、ビシッと人差し指を突きつける。
「常識をぶっ壊せ!」
 正直言ってもう、彼女の言う通りには行動したくない、というか、アリスさんとまともに話せる気がしないのだが、目の前のヤヨイがなぜか、いつもよりも頼もしく見えて、しょうがないなと思ってしまい「わかったよ」とため息交じりに私は答える。
「よし、作戦実行は明日からだ、健闘を祈る!」
 敬礼してくるヤヨイに「はいはい」と適当に返した私は、彼女のいつの間にかなくなっているオムライスと、私の目の前を通るブロンドを見て、ふと、思ったことを聞いてみる。
「あのさ、なんでこの店にしようと思ったの?」
「だってメイっち、金髪碧眼が趣味っしょ?」
 当たり前のことを聞くなという風に返してきたが、私は彼女に一度たりともそんなことを言ったことはないし、アリスさんが好きなのは確かにその見た目から一目ぼれしたわけだが、金髪碧眼なら誰でもいいというわけではないのだから、その安易な発想について、まずは私に次にアリスさんに謝れ。
ということを声高々と抗議したかったのだが、それが傷ついた友人の心の傷を治すための彼女なりの気遣いなのではないかと気付き、私は何も言えなくなってしまった。
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