ユズリハあのね

鶴亀七八

「もふもふも」

 ――前略。

 お元気ですか? こちらは変わらず元気です。

 7月に入って、そちらは暑くなり始めている頃だと思いますが、こちらはまだまだ春真っ盛りです。こちらの暦では12月まで春が続くようなので、そう考えるとなんだかおかしいですね。

 地球の人が寒いと震えている中で、こちらはようやく暑くなり始めているわけですから。

 って言っても、そちらは季候管理システムが世界的に普及してるから、むしろこっちより過ごしやすいかもしれませんね。その気になれば天気の操作くらいわけないですし。お買い物も部屋から出ないでできますし。

 そして、こちらに来てそろそろ3ヶ月。

 もう慣れたと言ってもいい頃合いでしょうか?

 お友達も増えてきましたし、顔見知りはもっとたくさん増えました。

 みんなみ~んないい人なんですよ。いつか、紹介できるといいな。

 それでは、またメールしますね。

 草々。

 森井もりいひとみ――3023.7.1



   ***



 じぃ~……。

 瞳のクリクリな視線が、ある一点を激しく凝視しています。

 寝癖なのか癖っ毛なのか、花火のようにこげ茶の髪を跳ねさせた、ほわわんとした印象の女の子です。

「…………」

 凝視されているのはヌヌ店長。いつものように専用の止まり木に落ち着いています。

 両手で抱えるほどの大きさのずんぐりむっくりとしたフクロウで、その名の通り《ヌヌ工房》の店長をやっています。

 知識の象徴とされるフクロウに違わず、ヌヌ店長も人間以上の知識と知恵が蓄えられている……とか、いないとか。

 少し居心地悪そうにしているのは、恐らく気のせいでしょう。穴が空くほど見つめられているからではない――、と思います。

 なぜ見つめているのかといえば、瞳は、今更ながらヌヌ店長の生態に興味が湧いてきたのでした。

 しかしいくら観察していても、ピクリともしません。

「今日もいい天気ですね、ヌヌ店長~」

 声をかけてみても、身じろぎひとつしませんでした。

 いい天気と言っても、ユグードの森の中は基本的にいつも同じ天気です。言われなくてもわかることなのです。

 曇りのような微妙な天気にはなりません。霧がかかることはありますが。

「あっ、そうだ」

 何かを思いついたらしい瞳はスケッチブックと鉛筆を持ち出して、椅子をヌヌ店長の前まで動かし、ベストポジションを探します。

「いろんなアングルからヌヌ店長描いてみよ~っと」

 動かないことに味をしめて、瞳は白い紙に黒い線を躍らせ始めました。ヌヌ店長を描くのは、初めて出会ったとき以来です。

 しばしの時間、鉛筆は淀みなく動いていましたが、やがてパタリと止まります。

「ヌヌ店長……あちこち触ってみてもいいです~?」

 聞かれたヌヌ店長は、細い目をして微妙な表情を浮かべながらも、ぎこちなく頷きました。今の表情に冷や汗を書き足したら、きっと似合っていたでしょう。

「ありがとうございます~! 関節とかどうなってるのかなってずっと思ってたんですよ~。翼を広げたところとか見たことないですし~」

 生き物の絵を描くにあたって、対象の構造を理解することは大切なことです。

 嬉しそうにはしゃいで、両の手袋を外し、さっそくヌヌ店長に手を伸ばす瞳。覚悟を決めたのか、ヌヌ店長はさらに固まっています。

「お~」

 瞳はまずは脚を確認しました。

 関節や、安全のために丸めている鋭かったであろう爪、脚と羽毛の境目や、その手触りを入念に確かめます。

「おお~」

 次いで触る箇所を少し上へずらして、胴体へ。

 なんとも言えないフカフカさで、瞳の手からは暖かな温もりが伝わってきます。

 まさに至福の時間です。

 ほんの少し指を立ててみると、千尋の谷に潜り込むように指先が深間ふかまにはまっていきます。羽毛の効果が大きいのか、見た目以上に体積は小さいようです。

 これが味わったことのないフカフカの正体であり、フクロウが音もなく空を飛べる秘密でもあります。

 今度はその空を飛ぶために必要な翼に手が伸びます。

 折りたたまれた翼の間に手を差し込むと――、

「こ、これは~……!」

 なんと柔らかく、暖かいことでしょう。手のひらから伝わってくる天界の雲のような柔らかさは極上のご褒美です。

 どこをどう探しても絶対に見つかることのない伝説の宝物を見つけたような幸福感に包まれるかのようでした。

 あまりもの気持ちよさにとてもだらしない表情をしてました。あまりお見せできないものです。お客さんがいなくてよかったです。

 そのまま持ち上げるように翼を開いてみると、こんなに大きな翼がコンパクトに収まっていたのかと驚きました。

 それほどまでに巨大でした。瞳では腕の長さが足りないくらいです。

「ヌヌ店長はこれで空を飛ぶんですよね~……?」

 むしろ他の何で空を飛ぶと思っていたのか。というのは野暮なツッコミでしょう。瞳が暮らしてきた【地球シンアース】に野生の鳥はいないのでよく知らないのです。

 翼の面積の約半分を占める後縁の立派な風切羽かざきりばねが規則正しく並んでいて、瞳の純粋な目に映り込みました。

「こう……ちょっと羽ばたいてみてくれません~?」

 両手を合わせてお願いしてみると、ヌヌ店長はクリンと小首をかしげました。言っている意味は理解しているはずなので、悩んでいるのかもしれません。

 瞳はセフィリアほどヌヌ店長の言いたいことをまだ理解できないので――、

「羽ばたいてみてくれませんか~?」

 よく聞こえなかったのかな? と思って今一度お願いします。もちろん聞こえなかったわけではありません。

 単純に、目いっぱい広げたら店内の商品にぶつかって倒してしまうかも。店長としてそんなことはできません。

 なのでヌヌ店長は妥協案を取りました。

「ぉ……お……オ~……」

 そ~っと、そぉ~~っと、大きな翼を広げたのです。商品にぶつかるギリギリのところまで。広げていくにつれて、瞳の「お」が大きくなっていきました。

「おぉ~――っきいですね~!」

 店内なので全力全開ではありませんでしたが、瞳は満足しました。

「付け根の方はホワホワしてるんですね~……」

 優しく触りながら、今度は頭をもふもふも。

「ほふっ」

 変な声が出ながらも、引き続きもふもふも。

 もふもふも。もふもふも。

 そしてポツリとつぶやきました。

「ヌヌ店長抱き枕とか、売れそう……」

 ビクゥ! と身が縮こまるヌヌ店長でしたが、もっふもふでよくわかりません。

 小さな宇宙の光が宿った眼には、焦りの色が滲んでいるような気がします。

 羽根をむしられるとでも思ったのかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。

 瞳はただ、ヌヌ店長を抱いて寝たら安眠できそうだな、と思っただけなのでした。



   ***



 ――前略。

 今日はヌヌ店長を独り占めな日だったんですよ。あ、フクロウの店長さんのことです。

 セフィリアさんはたまに開かれる会合に出席していて留守でしたし、お客さんもポツリポツリと来るくらいだったので、ヌヌ店長の絵を改めて描いたりしてました。

 どうしてもあの宇宙のような眼はうまく描けませんでしたけど、他は前回よりもうまく描けました!

 なぜかと言えば! あちこち触らせてもらって、体の構造を把握したからです!

 とってももふもふしてて気持ちよくって、一日中もふもふしていたい気分でした。

 体の構造とかはある程度わかったんですけど、ヌヌ店長自身のことはまだよくわかりません。

 わたしの中では陽虫のヨウちゃんみたいに、謎だらけな存在です。

 今度はこっそり観察してみようかな~? なんて。

 それでは、またメールしますね。

 草々。

 森井瞳――3023.7.1

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