ユズリハあのね

鶴亀七八

「染み込む思い出」

 ――前略。

 お元気ですか? わたしは今、慌ててこれを書いています。

 なぜ慌てて書いているのかといえば、わたしの隣にはヒカリちゃんが我が物顔で居座っているからです。

 朝から何食わぬ顔で部屋に入ってきてのんびりとし始めました。

 いったいどうなっているのでしょうか?

 まだ治ってなくて風邪気味なので移してしまったら悪いのに、いくら言っても帰ってくれる気配はありません。

 ヒカリちゃんが言うには今日一日わたしのお世話をしてくれるそうなのですけど、なんだか申し訳なくてどうすればいいのか頭がこんがらがっちゃってます。

 とにかく、ヒカリちゃんに風邪が移ったりしないように、マスクはしっかりとしておこうと思います。

 なんだかドキドキです。

 それでは、またメールしますね。

 草々。

 森井もりいひとみ――3023.6.4



   ***



 あうあうあう~。

 今の現状に軽くパニックになりながらも、体が覚えていたのでしょうか、手続き記憶的に手紙メールを出しました。小さい頃からの日課なので、混乱していても割といつものような文面で書けるのでした。

 継続は力なり。日課の力恐るべし。

「男?」
「ほえ?」

 いきなり火華裡がぶっきらぼうに聞いてきました。文面をしたためる邪魔をするのは気が引けたので、送ったタイミングを見計らっての質問。

 何を聞かれたのか意味が理解できなくて、瞳はアホの子のように首をかしげていました。

「誰にメールしてるのかなって。彼氏とか?」
「いやいや~」

 生まれてこのかたそのような存在に恵まれたことなどありません。学校では仲のいい人はいましたが、あくまで友達でした。

「じゃあ誰? 教えなさいよ」
「ひ~み~つ~」
「ケチ」

 仮に彼氏と言える存在がいたとしても、結局は【緑星リュイシー】に来る際にお別れしなくてはいけません。

 ここまでついてくるというのなら話は別ですが、わざわざ不便でしかない場所に好んで行く人など、瞳くらいのものでした。

「ヒカリちゃんは? 彼氏っているの~?」
「教えるわけないでしょ」
「けち」

 同じように返しながら、瞳は昨日から読み始めた本を挟んでいたしおりから開いて視線を落としました。話しながらなので内容は頭に入ってきません。ページをる手も動きません。

 火華裡も同じように本を読んでいますが、こちらはなかなかに速読で次々とページをめくっていきます。

 瞳と違って物事を並行して行うことができるようです。羨ましい。

「で? 昨日より元気そうに見えるけど、調子は?」
「おかげさまで~」

 火華裡が持ってきてくれたフルーツの缶詰が喉を優しく潤して、咳は収まりました。まだ違和感は拭えませんが、それでもかなり楽です。

 気になっていた瞳は聞きました。

「ヒカリちゃんは? ガラスの修行はいいの~?」
「いいのいいの。あたしは優秀だから」

 サラッと強気な発言。しかしあながち間違ってはいないのです。

 瞳の部屋の窓際には透明なガラスで作られたイルカと白鳥が飾られています。初めてのお給料記念で先日、火華裡の修行先で購入したものです。

 窓から差し込む陽光陽虫の光のことが、透き通ったガラスを通過して幻想的な光を拡散していました。

 瞳はまだ知りませんが、この美しいグラスアートこそ、火華裡自らが手がけた作品でした。一人前の作品と並べても遜色ないほどの出来栄えは、誇ってもいいものと言えるでしょう。

 窓際のイルカと白鳥を見ながら瞳は頷きました。

「こんなにキレイなものを作っちゃうところで修行してるんだもんね。やっぱりヒカリちゃんはすごいな~」
「ま、まぁね?」
「みてみて~! 祝福してくれてるみたいに輝いてるよ~!」
「だから照れるからやめい!」

 本を読みながらもエア手刀チョップ。まだ風邪を引いている病人なので、当てるようなことはしません。治ったときのために取っておいているのです。

 治った暁には、強烈な一撃が待っていることでしょう。

 褒めてくれるのは嬉しい火華裡でしたが、自分が作ったものということは内緒なので、素直に喜べないのがもどかしいのでした。

 そのもどかしさを払拭するべく、火華裡は本をパタリと閉じて腰を上げました。

「今日一日はあんたのわがままに付き合ってあげるわ。覚悟なさい」

 なぜ「覚悟なさい」なのかは言った本人にもよくわかりませんでした。

「ほんと?! やた~!」

 風邪の影響で体が重たくなければ部屋中を飛び跳ねていたでしょう。それほどに瞳は心から喜びました。

 もはやどうしてそこまでしてくれるのかという疑問は吹き飛んでいました。どこまでもいい加減な瞳です。

「でもその前に、とりあえずその髪型あたまをなんとかするから、向こう向いてなさい。ブラシ借りるわよ」

 いつだったか火華裡の髪型を色々と変えて遊んだときはありましたが、立場が逆になりました。

「女の子はいつでも身だしなみを気にしないとね」
「そうなの~? めんどくさくない~?」
「そうなの。めんどくさくない。【地球シンアース】からわざわざ来ておいて今更それ言う?」

 瞳が飛び込んできた世界は、「めんどくさい」を煮詰めて固めて醗酵はっこうさせたような、めんどくささを100%体現したような〝職人の世界〟です。

 ブラッシングの一つや二つくらいなんの影響もありません。ないはずです。です!

 しかしそこをめんどくさがってしまうのが瞳という女の子でした。だから花火のように跳ね回った髪の毛になってしまっているのかもしれません。

 手間がかかるったらありゃしない。

「っていうか、あんたはどうして【緑星リュイシー】に来ようと思ったわけ?」

 ブラシに引っかかる焦げ茶の髪の毛に四苦八苦しながら、優しい手つきで梳かしていきます。天使の化身であるセフィリアの手つきも優しいものでしたが、負けず劣らずの腕前でした。

 頭皮を引っ張られる感覚と一緒に、昔の記憶も引っ張り出します。

「小さい頃だったからよく覚えてないんだけど、一回だけ旅行で来たことがあってね? それで積み木を買ってもらったの。すっごく嬉しかったのは覚えてる~」
「それであんたも、そういうの作ってみたいって思ったってこと?」
「うん~」

 朗らかに笑う瞳。

「でね? わたしも大きくなって積み木で遊ばなくなったの。ボロボロだったし。でも思い出の品だから捨てられなくって~」
「あー。あんたはそう言ってどんどん物が増えていくタイプねー」

 呆れたように答える火華裡。ズバリその通りでした。捨てられない物で溢れかえる光景がありありと脳裏に浮かびます。

「そしたらパパが、積み木を削り出して可愛い小物を作ってくれたんだ~。何個も何個も失敗して、最後の一個で完成したのが――これ!」

 胸元から何かを引っ張り出しました。

 ネックレスのように紐につながれたそれは、ハート形をしていました。お世辞にもよく出来ているとは言えませんでしたが、父親からの手作りの贈り物というだけで、瞳には代え難い価値があるのでした。

「雑ね。なってないわ」

 切って捨てるような言葉を一見しただけで放つ火華裡。ストレートにもほどがあるだろうと思わずにはいられません。

 しかし、続きがありました。

「でも――とっても良い物ね」

 ニッコリと微笑んで、うん、と呟きます。

「これはわたしの宝物なんだ」

 ハートの木に染み込んだ思い出。そのハートはずっと瞳の心臓の近くで、生きる鼓動を聞き続けてきました。嬉しい時も、悲しい時も。楽しい時も、辛い時も。

 ずっと一緒でした。

「あのね……わたしは、こういうのを作りたい。誰かの心に残り続けるような物を」

 そのための【緑星リュイシー】。そのための修行。

 わずかな静寂が瞳の部屋を包みましたが、火華裡が口を開きました。

「どうしたいのか、どうすればいいのか。そういう目的や目標があるのは素晴らしいことだわ。迷わずに歩んでいけるから」

 たとえどんなに曲がりくねった道でも、一歩先が見えなかったとしても。

 ゴールが見えてさえいれば、それに向かって進んでいけるのです。

 努力という一歩が、完成というゴールへまっすぐに導いてくれるでしょう。

 おとなしく髪を梳かされている少女の後ろで、火華裡はいたずらな笑みを浮かべました。

「そのためにもまずは、風邪を治さないとね」
「あう~……」

 痛いところを突かれてしまった瞳でした。

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