ウタカタノユメ

ノベルバユーザー172952

約束

 

 鳥の声に暖かな光、わずかに吹く涼しげな風。すべてが心地良いと思える森の中で、私は目を覚ました。

 目の前には大きな湖、頭上には真っ青な空があり、辺りは木々が生い茂っていた。どこまでものどかで、空気が澄み渡っている綺麗な場所である。
 私は助かったのだろうか、と思いかけて、すぐにそれを否定し、いや、ここはきっと、天国なのだと思う。

 その証拠に知らない場所であったし、私の体はどこも痛みを感じていないのだから。
 私は生前、別に天国を信じていたわけではないが、死んだあとに、こんなところに来られるとは思っていなかったので、嬉しく思って、土のにおいを感じながらゆっくりと上体を起こし、立ち上がる。さすが死んだ後ということもあり、生前よりもかなり身軽だった。

 絵にかいたような楽園に、心ときめかせながらも、一歩、一歩、歩いていくが、違和感が離れない。自分の体がうまく動いてくれない。おそらくは、体が軽すぎるからだろう。

 死んだあとなのだから、生前と同じように動くのは難しいのかもしれないと勝手に解釈した私は、飛んでみようとスキップを始めると、ゆっくり歩くよりも簡単に歩を進めることができた。

 辺りを見回してみるが、私以外の人はいなかった。死んだ後というのは、親とかが迎えに来てくれるものだと思っていたが、うちの父親は知ってはいたがかなり薄情な人間らしい。
 それにしても、起きてからずっと、変な違和感が私の周りにまとわりついていて、剥がれてくれない。歩くときに起こったものとは違う、なんだろうか、本来あるはずのないものがあるようなこの感覚は。
 ふわぁ、と大きなあくびをした私は、顔を洗うべく湖の前まで行き、水を救い上げようと水の中に手を入れようとしたのだが、

「あれ……?」

 水面に移っていたのは、怪訝な顔をした、黒の狐耳を生やした妖狐の姿であった。そして、私の姿はどこにも映っていていない。
 よくよく見ると、この妖狐、黒耳を除くと昔の自分に似ているような気もするが、いやいや、そんなまさかと思う。

 天国と場所は、もしかして、自分の姿まで変えられるのだろうか。生前、ココロに憧れたから無意識にこの姿を自分が望んだというのだろうか。
 気が付けば、私には黒いふわふわの尻尾までついていた。自分で触ってみると、モフモフで気持ちがいいが、同時にくすぐったい感覚がしっぽから伝わってくる。どうやら、本物らしい。

 どうしてこんな姿に……と疑問に思う一方で、嫌と感じなかったのはココロとずっと一緒にいたからだろう。

 そのとき、ココロのことを考えてしまった私は、無性に寂しくなってその場で膝をついた。
 ここが天国であったとしても、彼女は妖怪、ここに来るには相当な時間がかかるだろうし、そもそもここへ来るのかどうかもわからない。

 それに、きっとココロがここに来る頃には私のことなど忘れている。私以上に、大切な人ができているはずだから。

(それでも……)

 ココロは私のことを7年も待ってくれていたのだ。
 今度は、私が待つ番なのかもしれない。

 一人、風に揺られると、悲しくなってくる。少し前までは当たり前だった孤独は、彼女のせいで、私にとって、耐え難いものになっていた。
 ココロ、と名前を呼んでみるが、当然のことだが、答えは返ってこない。

 私はしばらく、彼女の名前を呼び続けながら、湖の前で、震えていた。
 だからこそ、気づくことができた。

 水面に映っている自分の姿が、以前どこかで見たことがあることを。

「もしかして……」

 半信半疑ではあった、私の記憶が改善してしまっているかもしれないとさえ、疑ったが、何度考えても、答えは同じだった。
 目の前にいる少女は間違いなく、未来、私の前に現れていた少女なのである。

 そのとき、私はすべてを理解した。

 マーレの家にあった『あれ』は、当時まだ完成していなかった。だからこそ、私は聞き流しただけにとどめていた。
 だが、私がそれを使う機会が一度だけあった。

 私が未来から持って帰ってきた唯一のもの。
 それを渡してきたのが、黒髪の妖狐。

 そして、ココロの、涙。

 もしも、私の考えが間違っていないとすれば、それはこの村の伝説が起こした奇跡以外の何物でもない。

 立ち上がった私は、彼女の名前を呼びながら、駆け出した。
 ここがどこだかはわからない、しかし、妖狐としてここにいるということは、藤咲村から出ているとは考えにくい。
 それもここは森の中、彼女は私を探しているはずだ。

 今度こそ、見つけてもらわなくてはならない。

 あの日の約束を叶えてもらうために。

 しばらく走って、自分の考えが間違えではないかと不安になってくる。もしも、奇跡など起こっていなくて、誰もいない森の中を私がただ走っていたとしても、不思議ではない。
 だが、わかっていても、私は、声をからしながら、叫ぶ。

 私が止まったのは、大木の下である。疲れたわけではなく、息が切れたわけでもない。
 なんとなく、「ミライ」と彼女に呼ばれた気がしたからだ。

 辺りを見回していると、何かが頭の上から降ってきた。
 頭上には全く気を留めていなかった私であったが、今度はなんとか受け止めることができた。
 私に受け止められた少女は、太陽のような笑顔とともに言う。

「やっと……捕まえた!」


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