ウタカタノユメ

ノベルバユーザー172952

森の奥の魔女

 
 大丈夫、などと太鼓判を押されたものの、昨日今日でしかも一人で歩く森の中はやはり怖い。
 いつだかに見た未来の予定通りだと、今日、私が死ぬことになっているので、むやみやたらに出歩くべきではないということは百も承知だ。

 怪我が治っていないココロが一緒にいないのは当然として、どうして私が森の中を歩いているのかというと、それにはきちんとした理由があった。
 からかってくる祖母への誤解を解いた後、ココロ(人型の方)の包帯を巻いて、二人で朝ごはんを食べたのだが、今日、祖母は麻衣の出産があるとかで家を出ないといけないらしく、やけに忙しそうだった。私からすれば異父の妹ができるわけだが、再婚した母の家庭のことなどどうでもよかった。

 今日はココロの傍で看病がてらゆっくりと休んでいるか、なんてお気楽なことを考えていた私に、祖母はあるお使いを頼んできた。
 妖狐は本来、この家に入れず、入ったとしても昨日のように人の形ではなく、狐の姿になるらしい。

 しかし、今朝のココロは人の形をしていた。

 つまり、この家の結界が弱まっている可能性があるのだという。昨日の『荒神』が家の中に入ってこられなかったのは結界があったからこそであり、それが弱まっているとなると、荒神が入ってきてしまう恐れがある。
 だから、祖母は私に『魔女の家』へ行ってきてほしいと言ってきた。

 魔女というのは、もちろん、藤咲村の三伝説の一つであり、荒神から身を守るためには彼女にお願いしないといけないのだとか。
 荒神は日が暮れないと現れないから、夕方には戻ってくるようにと言われた私は、ココロに留守番を頼んで家を出たのである。

 魔女とやらに会って荒神から身を守れるのであれば、いくらでも会いに行くし、なにより、魔女という生き物が本当にいるのか、興味があった。
 祖母が言うには、村一番奥に位置する祖母の家から、さらに奥へ一時間ほどまっすぐに歩き続ければ着くという。
 ココロの家と違って、ちゃんと道はあるものの、手入れなどされているはずもなく、歩きづらいことこの上なかった。

 ココロがまさか妖狐だなんて意外……ではあったが、あまり驚きはなかった。というのも、学校へも行かず、昼間からふらふらと歩いていること自体がいくら田舎とはいえ、違和感があったし、耳を隠すとはいえ家の中にまで帽子を被るのも変だと思っていた。気づけばココロは初めから変なところだらけの少女だった。

 それにしても、いつになったら着くのだろう。
 同じような景色が続くと、本当に魔女なんて生き物がいるのか、祖母にからかわれたのではないか、などという思いが出てきた時、道が開ける。

「本当に、あった……?」

 背丈のある草が生えている草原地帯の真ん中には巨大な樫木があり、その下に家があった。大木の真下にあるとはいえ、木と家は別物。祖母の家ほど大きくはないが、人ひとり住むには十分すぎるような一軒家である。

 家の前まで来た私は、インターホンのない扉の前で、とりやえず、コンコン、とノックしてみたが、扉の向こう側からは何の反応もない。
 留守だろうか、いや、家の中には誰かがいる気配がある。

「ごめんください!」

 扉に向けて少し大きめの声で言うと、部屋の中で物音がピタリと止まる。もしかして居留守を使おうとしているのだろうか。
 魔女、といえばコミュ障のイメージがあるし(そういう私も人付き合いはあまり得意ではないのだが)、もしかして人に会いたくないのだろうか。
 もう一度、次は少し強めにドアを叩いてみる。

「うちは、新聞なんていらないよ!」

 そんな答えがかえってきた。こんな田舎の中の、果てにまで新聞の勧誘が来るのだろうか、だとしたら業者も大変だと思う。

「あの、祖母の、中条トメの代わりに来たんですけど」
「…………」

 数秒間の沈黙の後、ドアが開き、ギョロッとした目がドアの隙間から見えて、私は心臓が止まりそうになった。
 入りな、なんてしゃがれた声で不機嫌そうにいう老婆はまるで話の中に出てくる魔女そのもの。私は、遠慮することなく、家の中に入れてもらう。

「あのババア、まだ生きていたのかい?」

 いや、貴女も結構な年寄りですよね。なんてことを口走りそうになり、何とかこらえる。
 全身しわくちゃの老婆は、おとぎ話で出てくるまさに魔女といった様子で、とんがり帽子に、黒いローブといった服装。パッと見ではこの老婆のほうがトメよりも老けているように見えるなんてことは言わないほうがいいだろう。

「あんた、いま私を馬鹿にしたね?」
「いえ、そんなことは……」
「どうだかね」

 と言いながら、魔女は部屋の奥へと入っていく。ついてこいと言っているわけではないようだったので、私はその場で待つことにした。
 家の中は、『暗い』という表現が最初に来るだろう。昼間なのに閉められたカーテンに、明かりは部屋に置いてある2つばかりのランタン。本棚には辞書かと疑いたくなるような厚みの本が並んでいて、部屋の奥には何かを作っているのだろうか、ぐつぐつと煮えたぎる鍋と、ホルマリン漬けの動物が無造作に置かれていて不気味だ。

 おどろおどろしい雰囲気のあまり片づけられていない部屋の中で、ここ数日で肝が太くなったらしく、意外なことに私は、1LDKか、なんてことを考えていると、

「あまり部屋の中を荒らしてほしくはないんだけどね」
「ごめんなさい、魔女さん?」
「マーレと呼びな。わたしゃ一度も魔女だなんて語った覚えはないからね」

 はっ、はい。と言うと、コーヒーカップが受け皿なしで渡される。私に押し付けるようにして渡したマーレは、分厚い本が置かれている机の前の椅子に座る。

「ほれ、インスタントだが、コーヒーだよ」

 現代社会と隔離されたような部屋の雰囲気には似つかわしくない、コーヒーカップに入ったインスタントコーヒーを飲む、変な薬でも入っているのでは、なんて不安は見事に外れ、普通の粉コーヒーの味がする。
 いろいろと聞きたいことはあったが、まず、彼女が魔女ということで、一番興味深いことから聞くことにする。

「あそこで作っているのは、なんですか?」

 紫色の液体の入った鍋、その隣にはビー玉のような球が入った瓶に、ビーカーやフラスコなどが並べられている奥の台を指さして言う。

「ありゃ、『転生術』さ。といっても、未完成の代物なんだけどねぇ」
「転生……白雪姫が食べる毒リンゴとかではないのですか?」
「誰に食わせるんだい――そんなちゃちなもんじゃない、うまく使えば永遠の命だって手に入るんだから」

 永遠の……、と呟いてみるが、イマイチ想像できなかった。転生ということは、魂が替わるやつだろうか。凄いものであるということは理解できるのだが。
 ふと、気になったので、「死にたくないんですか?」と私は聞いていた。それに対してマーレは、カッカッカッ、と笑う。

「そりゃあ、当たり前だよ。少なくともあのバカを看取るまでは、死んでも死に切れないよ」

 看取るまでは……?

 家の感じからして、彼女は一人暮らしのようだが、恋人でもいるのだろうか。
 それとも、ペットか何かを飼っているのだろうか。
 私が訪ねる前に、「だがね」とマーレは続けてしまう。

「術式が完成してなきゃ、必要な素材も足りない、私が死ぬまでに作れるのか心配になってくるよ」
「素材って……」

 ホルマリン漬けにされている、動物たちを見て、苦い顔をしながら聞くと、

「本来人間にしか出せんもんさ。ウミガメが卵産むときもするとか聞いたことあるけどね」
「人なら、誰かに頼めば良いじゃないですか?」

 こんな不気味なことしなくても、と言いかけてやめた。さすがに彼女の研究者か、あるいは魔女の、プライドを傷つけてしまうと思ったからだ。
 無理だよ、といったマーレは私のほうへと歩いてきて、ほおをなでる。

「こいつから簡単に手に入るもんだけどね、私の術は人間には転生できんのさ」

 なぞられた目がくすぐったくて、こすっているうちに、マーレは私のもとから離れていく。
 そして、懐からどこから買ってきたのだろうか、タバコを取り出すと、火をつけ、ぷふぁ、と口から煙を出した。

「そんなことより、あのババアは元気かい?」
「そういえば、おばあちゃんと、どういう関係なんですか?」

 一瞬、マーレは言いよどんだかと思うと、すぐに、「ただの腐れ縁さ」と答えた。本当にどんな関係なんだろうか?

 不機嫌そうに椅子に座りなおしたマーレは、「それで、何の用で来たんだい?」と聞いてくる。
 何から説明したらよいのかわからなかったので、かなり悪い要領で、1つ1つ荒神に自分が狙われていること、妖狐のココロのこと、結界とやらが弱まっているということ、あとは祖母が魔女に言えばなんとかしてくれると言っていたことを説明していった。

 話を聞き終えたマーレは、はぁー、と深いため息を吐いた後、

「面倒なことになっているねぇ……」

 そんな感想を言ってから、立ち上がって、部屋の奥からごそごそと何かを取り出して、私に一枚の大きなお札を渡してきた。

「これを家の柱につけな。結界はそれで戻るはずだよ」

 ありがとうございます、と私が頭を下げると、「問題はそこじゃないんだよ」とマーレは続けた。

「そいつは荒神の呪いを避けるための結界なんだがね――一人分しかないんだよ」
「……どういうこと、ですか?」
「お札を二枚にすりゃいい、そんな安易な考えじゃダメだよ。トメのババアがいるところは霊脈になっているのさ。私の札はそいつの力を借りるもんだが、霊脈から力をもらったとしても守れるのはひとりまで、ってわけさ」

 何を言っているのかわからない、私のほかに呪いを受けている人間がいるのか?
 私が怪訝な顔をしていると、「あのババアめ……」とため息交じりに呟いたあと、

「お前の祖母、トメのやつも呪われてんのさ」

「えっ……」

 私は何も言うことができなかった、祖母が、この村を出たことがあるというのか。
 驚く私に、マーレは続ける。

「もう半世紀前だよ、好きな男と駆け落ちしようとしてあの馬鹿は家を出て行ったのさ。呪いのことを知った上でね。人の一生は儚いものだから、たとえ7年の間でも命を燃やせればそれでいい、とか言ってね」
「…………」
「それから3年もしないうちに、帰ってきたんだよ。男に逃げられてね」

 だからあのとき言ったんだよ……、とつぶやくマーレは、昔のことを懐かしむような、少し悔しそうな顔をしていた。
 何も言えなかった私は、話しているうちに冷め切ってしまったコーヒーを、飲み干した私はカップを持ったまま、マーレの次の言葉を待つ。

 まっ、今となっちゃ太古の話さ、と言ったマーレは、自身のカップにポットからお湯を注いだ後、「まあなんにせよ」と、私の目を見て、


「今夜何もしなきゃ、あんたたちは二人ともお陀仏だってことは確かさ」


 実にあっけらかんと、死の宣告をしてきた。
 全く予想していなかったわけではなかった。というのも、私が今日死ぬとなれば、何かしらの理由がある。そして、その理由たり得るものは今のところ、荒神の仕業以外にはない。

 だから、私は大きな動揺をすることなく、マーレに次の質問をすることができた。

「……何か方法はないのですか?」
「ない――――こともないが……」

 随分と歯切れの悪い、返答だった。言おうかどうか迷っているらしい。
 私は、そんな彼女の目を見ながら、無言で待った。それは西園寺冴子の小説に出てきた魔女ほど悪い人には見えなかったからだと思う。
 聞くだけ無駄だと思うけどね、と前置きしてから、マーレは恐ろしいことを言ってきた。

「どっちかが犠牲になることだよ、そうすりゃもう片方は生き残れる」

 それはつまり、私が生き残るためには祖母が、祖母が生き残るためには私が、死ななければならないということ。

「そんなこと、できるはずがないじゃないですか!」

 だろうね、といったマーレは、少し安心したように笑っていた。この状況でどうして笑っていられるのだろうか。所詮は他人事ということだろうか。
 あとはねえ、と言いながら椅子の背もたれに腰を乗せたマーレは、

「お狐様にでも祈ることだね」
「そんな無責任な、貴女も三伝説の一つじゃないですか」

 ココロに、あの子に、荒神をどうにかできるなんて思えない。本当に無茶苦茶いわないでほしいと思う。

「何をおかしなことを言っているんだい?」

 と言われて、私は首をかしげる。私は何もおかしなことは言っていないはずだが。

「藤咲村には確かに三つの伝説があるよ。でも、こんな見栄えもしない老いぼれをそん中に入れてほしくないね」
「『森奥の魔女』って、伝説の中の一つじゃないってことですか?」
「そりゃ、面白いネーミングだが誰から聞いたんだい。この村の3伝説は、『白銀妖狐』、『荒神の去り人狩り』、そして―――『流雲神社の神隠し』だよ」
「流雲、神社……」

 3つ目は初めて聞くものであったが、身に覚えがありまくる伝説であった。

「神隠しって、未来に飛んじゃうやつですか?」
「知らんよ、なんか変なことでも願ったんじゃないかい?」

 そういえば、あの時、三伝説について知りたいと願っていた。だから、流雲神社の神様は私を神隠しに合わせてくれたんだ。
 自分に起こったことの意味をまた一つ理解したものの、解決策は何一つとしてないのだ。

 いや、神隠しで本当に未来に行っていたのならば、明日に私が死ぬことは変えられない運命なのだということになる。

「私、どうすれば……」

 頭を抱えていると、「私に聞いてもらっても困るよ」と冷たい言葉がふってくる。
 私が返事をしないでいると、椅子から降りたマーレが私の頭にそのしわくちゃの手を置いた。

「人の生なんて、誰かが見ている夢のようにあっさり消えちまうもんさ。この年まで生きてるとね、本当に私の一生って何だったのか、わからなくなっちまうよ」

 椅子から降りたマーレに頭を撫でられながら、彼女の言葉を聞く。

「あんたはまだ、若い。それでも、何か生きる理由はあるかい? あるいは、死ぬ理由はあるかい? なきゃ、そのまま、荒神が命刈り取りにくるまで、そうやって泣いてな」
「死ぬ、理由……」

 なんとなく、ココロの顔が思い浮かんだ。そして、目の前で、私のせいで怪我を負ってしまったことを思い出す。
 生きる理由はすぐに出てこない。でも、私が生きていて、迷惑がかかる理由ならばいくらでも見つかってしまう。
 私に、祖母を見殺しにするような真似はできない以上、最初から決まっていた。だから、この選択は必然的なものだったはずだ。

 でも、決められない。

「……怖いんです」
「当り前さ、死ぬのは誰でも怖い。怖くなきゃ、壊れてる」

 震えていた私の体を、マーレは抱きしめてくれた。まるで自分の娘のように。
 こうやって母みたいな人に抱きしめられたのは、いつ以来だろう。

 母は離婚してから会っていなかったし、父には私のことなんて愛する余裕はなかった。祖母はこうやって抱きしめてきたりはしないし、いつも抱き着いてくるココロは母親という感じはしない。

 次第に、震えは止まっていった。

 体を離したマーレは、弱々しい腕で、力強く私の肩をたたいてから、ニカッとぼろぼろの歯を見せながら笑う。

「また来な、その時には天性術を見せてやる」

 なんだか、初めて来た家なのに、まだいたい気分になりながらも、深呼吸をした私は、彼女に笑顔を向ける。

「……はい、絶対にまた来ます」


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