クリフエッジシリーズ第二部:「重巡航艦サフォーク5:孤独の戦闘指揮所(CIC)」
第七話
宇宙暦四五一四年五月十五日 標準時間〇〇時三〇分
<アルビオン軍重巡航艦サフォーク5・艦内>
副長のグリフィス・アリンガム少佐は、当直を終え、体調不良になった航法長、ジュディ・リーヴィス少佐がいる医務室にいた。
そして、軍医のマーガレット・ケアード軍医少佐の許可を貰い、リーヴィス少佐に面会していた。
「ジュディが体調不良とは……ゾンファの謀略か? それとも妊娠か?」
アリンガム副長が冗談交じりにそう言うと、リーヴィス少佐は青白い顔で首を振る。
「そう言うなと言いたいところだが、自分でも毒を盛られたのでないかと思うくらい突然だったんだ。士官学校に入ってから十五年以上経つが、今まで一度も病気になっていないのが、私の唯一の自慢だったんだ。まして、何もない航宙中に艦の安全な食事で腹痛など……」
副長が少し心配そうに、「軍医は何て言っているんだ?」と尋ねると、
「原因不明だそうだ。念のため、毒物の反応も調べてくれたそうだが、検出されなかった。アレルギー反応の一種だろうという話なんだが……定期健診で調べてあるはずなんだがな。先生の予想だと、複合的に起こったアレルギー反応に似た症状ではないかってことだ」
「複合的な?」
「Aという物質とBという物質があり、どちらに対しても反応は現れないが、Aを摂取した後にBを摂取すると、それがトリガーとなって反応が現れる場合があるそうだ」
「それは災難だったな。まあ、大した任務でもないし、ゆっくり休めよ」
そう言って、部屋を出て行こうとしたとき、艦内に一斉放送が流れた。
『通信系故障対応訓練を開始する。PDAを含むすべての通信機器の使用が制限される。使用者は直ちに作業を中止し、訓練に備えよ。開始、五秒前、四、三……』
そして、その放送に被るようにもう一つの放送が流れていく。
『内部破壊者対応訓練を開始する。CICを除くすべての入出力装置は訓練終了まで使用不能となる。作業中の者は直ちに作業を中止し、コンソールよりログアウトせよ。訓練開始、五秒前、四、三、二、一、開始』
副長は「訓練だと! 聞いていないぞ! くそっ!」と叫んで、病室から走り出す。
(艦長が思いつきで始めたんだな。しかし、副長の俺に一言もないとは……これは一度、きっちりと話をつけなければならないな)
アリンガムはモーガン艦長が気まぐれに訓練を始めたと思っていた。だが、自分の個人用情報端末が使用不能になっていることに気付き、更に艦内の各所で機械ロックの作動音が響くことに疑問を持った。
(訓練をやるのはおかしなことじゃない。だが、二つの訓練を同時にやるのはあの艦長でも拙いと思うはずだ。そもそもここは戦闘宙域だぞ。そこで訓練とは……ジュディの体調不良といい、嫌な予感がするんだが……)
戦闘指揮所の前にたどり着いたアリンガムは、歩哨に立つ宙兵隊員にCICへの入室を告げる。
「グリフィス・アリンガム少佐、CICへ入室する」
宙兵隊員はお手本のような敬礼で副長を迎い入れる。
アリンガムはCICの扉にIDを当て、生体認証装置を使おうとしたが、認証装置が作動しない。
二度、三度とやり直すが、IDの認証が拒否される。
(内部破壊者対応訓練か。CICが完全にロックされている。ということは、緊急対策所もロックされているはずだな。通信も使えないとなると、艦長が終了を宣言するまで、この状態が続くのか……)
■■■
〇一〇〇
情報がないまま、三十分が過ぎた。
アリンガム副長は緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキなどを順次回ったが、すべて厳重にロックされており、そのいずれにも入ることが出来なかった。
不安げな乗組員に「すぐに終わる」と笑顔で説明しながら、艦を巡回していく。
巡回を終えた彼は仕方なく、士官室に戻り、同じように締め出された士官たちとソファに座っていた。
「グリフィスが聞いていないというのは問題だな。危険が少ない任務とはいえ、作戦行動中なんだ。せめて、副長には事前に了解をとっておくのが、常識ってもんだろう。まあ、艦長に常識を求めても仕方が無いのかもしれんがな」
戦術士のネヴィル・オルセン少佐が吐き捨てるようにそう言うと、副戦術士のオードリー・ウィスラー大尉も大きく頷いていた。
「そうは言っても、未だに訓練の終了が宣言されん。これでは文句の言いようが無い」
憮然とした表情でアリンガム副長が呟く。
「機関長は機関制御室にいるそうだが、他の連中はどこにいるんだ?」
オルセン少佐の問いにアリンガムが答える。
「グレタ――副航法長グレタ・イングリス大尉――は格納デッキにいるはずだ。艦長にマグパイ(かささぎ)の整備状況を確認するよう言われていたからな。レオン――副情報士レオン・トムリンソン大尉――の居場所が判らん。主兵装ブロック辺りで逢引でもしているんだろう。ダレン――宙兵隊隊長ダレン・ハート宙兵大尉――と、バリー――同副隊長バリー・アーチャー宙兵中尉――は宙兵隊の食堂にいたな」
ウィスラー大尉が「そうすると、ERCには誰も士官がいないんだね」と確認する。
「そうだな。まあ、この時間だから掌帆長もいないだろうし、掌帆手の誰かがいるかもしれんが、士官はいないだろうな」
副長の答えに情報士官のハリソン・エメット少尉が「しかし、それは拙いんじゃないですか?」と口にする。
「確かに艦隊運用規則違反になるな。ERCに士官が入れない状況は、規則では認められていない。少なくとも士官がERCにいる状況でなければ、こんな訓練はやってはいけないはずなんだ」
副長の言葉にオルセン少佐も頷く。
「今、CICで何かが起きるか、敵が現れるかしたら、完全に運用規則違反になる」
副長が「そうだな」と答えたとき、艦内に放送が流れ始めた。
『達する! 達する! モーガン艦長及びはキンケイド少佐が死亡した。現在、本艦はコリングウッド中尉が指揮を執っている。達する! 達する! モーガン艦長……』
その放送に士官室の全員が立ち上がる。
「艦長が亡くなった? キンケイド少佐もだと……」
「何が起こっているんだ?」
そして、放送が一旦終わり、再び一斉放送が流れる。未だ、騒いでいる士官たちにアリンガム副長が「静かにしろ!」と一喝して黙らせる。
『達する! 達する! 現在継続中の通信系故障訓練及び内部破壊者対応訓練の解除の目途は立っていない。達する! 達する! 現在継続中の……』
士官たちは放送を聞くため、私語をやめていた。そして、再び放送が途切れ、別の放送が始まる。
『達する! 達する! 〇一〇〇、ハイドンJPにてゾンファ艦隊を探知した。ゾンファ側の意図は不明。達する! 達する! 〇一〇〇……』
アリンガムはゾンファ艦隊と聞き、一連の騒動の裏にゾンファの影があるのではと考えた。
(このタイミングでゾンファ艦隊だと。ここ数ヶ月姿を見せなかった奴らが、このタイミングで現れたのは間違いなく、艦長の死と関係があるはずだ。だが、この状況でどうすれば……)
更に放送は続いていく。
『達する! 達する! 緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキにいる者は警報試験にて三秒間鳴動させよ。達する! 達する!……』
アリンガムは何をするつもりだと首を傾げる。
(警報試験だと? 何をするつもりだ、こんな時に……そうか! 各制御盤に人員がいるか確認しているんだな。よく考え付くな。さすがは噂の“崖っぷち”だ。だが、俺たちは何をしたらいいんだ?)
■■■
<アルビオン軍重巡航艦サフォーク5・戦闘指揮所内>
〇一一〇
クリフォードは定時放送システムに必要な文言を入れたというサドラー機関兵曹の報告を聞き、一斉放送を流すよう命じた。
普段なら昼食など放送に使われ、「達する! 達する! 下士官兵は食堂にて昼食」などと言う緊張感のない言葉なのだが、今はその中性的な音声が緊張感を持っているように感じていた。
『達する! 達する! モーガン艦長及びはキンケイド少佐が死亡した。現在、本艦はコリングウッド中尉が指揮を執っている。達する! 達する! モーガン艦長……』
クリフォードは「二回ずつ流していってくれ」と命じ、最後の放送パターンが流れるまで待つ。
その間に掌砲手のクロスビー兵曹が、
「パルスレーザーの変調回路調整完了! 入力した文字に従い、平文で信号を送ることが可能です」
クリフォードは「ご苦労、兵曹」と労ったあと、放送が流れるCICで、各艦への連絡文案を入力する。
(“モーガン艦長及びキンケイド少佐が死亡。ゾンファ艦隊に対応するため、〇一三〇に変針する。各艦は本通信を理解したら、直ちにパルスレーザー二連射により、返信せよ”……とりあえず、この程度の情報でいいな。全艦が気付いてくれればいいんだが……)
「クロスビー、この文面を各艦に向けて送れ! 全艦から返信があり次第、別の命令を送信する。こちらは任せるぞ」
クリフォードはクロスビーの了解も聞かず、放送に耳を傾ける。
『……達する! 達する! 緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキにいる者は警報試験にて三秒間鳴動させよ。達する! 達する!……』
「ティレット、レイヴァース、二人で各制御盤の警報鳴動を確認してくれ。警報が鳴らない盤をチェックするんだ」
「「了解しました、中尉!」」
(さて、どれだけ盤の前に人がいるんだろうな。引継直後だから、誰もいないという可能性もある……)
定時放送システムの音声が途切れた瞬間、CICに現地盤で警報が発信されているという表示が現れ始める。
「ERC警報確認、RCR警報確認……」
「じぇ、Jデッキ、格納エリア操作盤、け、警報確認……MAB主砲制御盤警報、か、確認……」
ティレットの女性らしい柔らかい声と、レイヴァースの上擦り、ところどころどもるやや高い声がCICに響いていく。
一分ほどですべての表示が確認され、主要な制御盤に人がいることが確認できた。
クリフォードは各艦からの連絡を待つ間、ゾンファからの通信内容について考えていた。
(このタイミングで通信を送ってくるということは、本星系はゾンファの領有宙域だから、出て行けというものだろう。もし、こちらの状況を判っているなら、返信が無い場合は敵対の意志ありと判断して攻撃するというところか……どうするべきかな)
そして、Jデッキ、すなわち格納デッキに人がいるという報告が耳に入っていた。
(この訓練はあの時間にサフォークに接続していたシステムだけに効いているはず。それなら、搭載艇の通信システムは使えるはずだ……だが、搭載艇を出しても、サフォークに連絡できない……)
そこで、敵の意図について、もう一度考えてみた。
(敵がこのタイミングでこの星系にやってきたということは、キンケイド少佐の行為と何らかの関係があると考える方が合理的だ。だとすれば、敵はこちらが通信に答えられないこと、更には艦隊内の意思疎通もできていないと判っているはずだ)
そして、自分ならこの状況をどう利用するか考え始める。
(僕ならこの状況を利用して、通信に答えず、敵対する意志を見せたと言って殲滅するだろう。通報艦が五・五光時先にいるが、それは問題じゃない。アルビオン側の艦船がゾンファに敵対したという事実が重要なんだろう。だとすると、こちらは囮。通報艦がアテナ星系とキャメロット星系に飛んでいけば、アテナ側の防備を固める。だが、本命はスパルタン側だ……いや、今はそこまで考える必要は無い。今は敵艦隊の行動を考えるべきだ……)
搭載艇を出すことについて、思考を進める。
(搭載艇を出せば、通信の傍受と返信が可能だ。こちらに敵対の意思が無く、単なる故障による返信不能と言っておけば、敵の思惑の一つは防ぐことが出来る……)
彼は航法員のティレット兵曹に搭載艇が発進可能か確認する。
「ティレット、マグパイ1――サフォーク5の雑用艇――か、アウル1――大型艇――を発進させられるか確認して欲しい」
すぐにティレット通信兵曹から、「発進用ハッチの開閉は遠隔では不可能です!」という答えが返ってくる。
「手動なら可能なのだな……サドラー、Jデッキ宛てに放送を頼む。文面は、“Jデッキに士官はいるか。いるなら、三秒、いないなら十秒間警報を鳴らせ”だ」
サドラーがすぐにその文面を打ち込み、放送が開始される。
そして、すぐに「Jデッキ操作盤警報確認、三秒です!」というティレットの声が響く。
「次はこの文面で頼む……」
彼はマグパイ1かアウル1の発進が可能か、そして、ゾンファとの交渉に志願するかを確認した。
そして、どちらの問いにも三秒間の警報、すなわち、了解と返って来た。
「では、“艦から発進し、ゾンファ艦隊の通信を傍受せよ。そして、当艦隊の通信系が故障しているため、返信が出来ないことをゾンファに送信せよ”と流してくれ」
その放送が流れると、三十秒ほどの沈黙の後、警報が三秒間鳴った。
■■■
<アルビオン軍重巡航艦サフォーク5・Jデッキ格納庫>
〇一一五
サフォークの最下層デッキ、Jデッキにいた副航法長のグレタ・イングリス大尉は艦内放送を聞き、自分たちが危機的状況にあると考えていた。
(この状況は拙いわね。航法長が体調不良になったことを含めて、敵の工作員が艦内にいると考えるべきね。それより、ゾンファの方よ。ここからじゃ、どの程度の規模の艦隊かは判らないけど、恐らくこちらより強力なはず。それにこの状況では敵に対応できないわ……それにしても、艦内放送と警報試験を使うなんて、さすがは“クリフエッジ”ね)
そして、一旦沈黙した艦内放送が再び流れた時、彼女はすぐに自分に期待されることが理解できた。
(搭載艇で宇宙に出ろっていうことね……そして、ゾンファと交渉しろと……敵はこちらが通信できないと知っている。だから、向こうの通信を受信して、意図を確認し、適切に返信しろと。だから、士官がいるか確認したのね。この艦に来てから碌なことはないけど、これが最たるものね……)
イングリス大尉はクリフォードが転属してくる二週間前に着任していた。
そして、すぐに艦長と副長が対立していることを知り、自分が“ハズレ”の艦に来てしまったことに気付いた。その後、クリフォードが転属してきたため、自分がターゲットになることはなかったが、副長やキンケイド少佐といった旗幟を明らかにしている士官とはできるだけ付き合わないようにしていた。このため、本来寛げるはずの士官室でも緊張して過ごしていた。
僅かに悩んだ後、イングリス大尉は大きく息を吐いた。
「マグパイで出ます! 警報試験三秒で返信しなさい」
彼女は搭載艇の整備をしていた掌帆手バーバラ・オニール三等兵曹にそう命じる。
オニールが警報試験で返信すると、イングリス大尉はマグパイ1の発進準備を始めた。
「オニール、手動開閉装置の操作を頼むわ。出て行ったら、もう戻って来れないから、すぐに閉止しなさい。それから、戦闘になる可能性があるから、減圧に対応出来るように準備しておきなさい」
イングリス大尉は発進したら、艦の通信機能が回復するまで帰還できないと考えていた。
(一人で行くなら、マグパイの方がいいわ。加速はいいし、ステルス性もある。発進して通信を終え、すぐに小惑星帯に逃げ込めば、一ヶ月くらいは生きていける。もしかしたら、私だけが生き残ることになるかもしれないけど……)
彼女はオニール兵曹の敬礼に見送られながら、雑用艇マグパイ1に乗り込んでいく。
■■■
<ゾンファ軍重巡航艦ビアン・戦闘指揮所内>
五月十五日 〇〇三〇
ゾンファ共和国軍ハイフォン駐留艦隊八〇七偵察戦隊の司令、フェイ・ツーロン大佐は計画通りのタイミングでターマガント星系にジャンプアウトした。
「時間はばっちりだな。よし、敵の状況を大至急確認しろ」
そう命じたあと、通信兵に星系内への通信準備を命じた。
索敵担当下士官から、アルビオンの哨戒艦隊は想定距離三十光分の位置にあり、〇・二Cでジャンプポイントに向けて航行中との報告があった。
(位置も計画通りだ。敵の指揮官はかなり几帳面な性格のようだな。あとは作戦通りに進んでいるかだけだ。下手をすれば、既に露見し、逆にこちらが罠に掛かる可能性もあるからな……)
彼は内心の不安を隠し、星系内に向けて通信を開始した。
「こちらはゾンファ共和国軍ハイフォン駐留艦隊八〇七偵察戦隊のフェイ・ツーロン大佐である。本星系は我が共和国の領有宙域である。本通信受領後、不法に侵入している艦船は直ちに本星系より立ち去るべく行動を開始せよ。行動開始時に抵抗の意思が無いことを示せ。なお、我らの要請に従わぬ場合は、実力を持って排除する。繰り返す……」
通信を終えたフェイ・ツーロンは、「現状を維持し、敵に動きがあれば知らせろ!」と命じ、指揮官シートに身を沈めた。
通信兵曹より、敵艦隊内では通信用の電波が発信されていないという報告があった。
(工作員の“仕込み”は完璧か。さて、敵はどう出るかな。戦力的には我々の方が十分に強力だが……何にせよ、七年ぶりの実戦だ。久しぶりに軍艦乗りの血が騒ぐ……)
彼はメインスクリーンに映る敵艦隊の姿を眺めながら、不敵に笑っていた。
<アルビオン軍重巡航艦サフォーク5・艦内>
副長のグリフィス・アリンガム少佐は、当直を終え、体調不良になった航法長、ジュディ・リーヴィス少佐がいる医務室にいた。
そして、軍医のマーガレット・ケアード軍医少佐の許可を貰い、リーヴィス少佐に面会していた。
「ジュディが体調不良とは……ゾンファの謀略か? それとも妊娠か?」
アリンガム副長が冗談交じりにそう言うと、リーヴィス少佐は青白い顔で首を振る。
「そう言うなと言いたいところだが、自分でも毒を盛られたのでないかと思うくらい突然だったんだ。士官学校に入ってから十五年以上経つが、今まで一度も病気になっていないのが、私の唯一の自慢だったんだ。まして、何もない航宙中に艦の安全な食事で腹痛など……」
副長が少し心配そうに、「軍医は何て言っているんだ?」と尋ねると、
「原因不明だそうだ。念のため、毒物の反応も調べてくれたそうだが、検出されなかった。アレルギー反応の一種だろうという話なんだが……定期健診で調べてあるはずなんだがな。先生の予想だと、複合的に起こったアレルギー反応に似た症状ではないかってことだ」
「複合的な?」
「Aという物質とBという物質があり、どちらに対しても反応は現れないが、Aを摂取した後にBを摂取すると、それがトリガーとなって反応が現れる場合があるそうだ」
「それは災難だったな。まあ、大した任務でもないし、ゆっくり休めよ」
そう言って、部屋を出て行こうとしたとき、艦内に一斉放送が流れた。
『通信系故障対応訓練を開始する。PDAを含むすべての通信機器の使用が制限される。使用者は直ちに作業を中止し、訓練に備えよ。開始、五秒前、四、三……』
そして、その放送に被るようにもう一つの放送が流れていく。
『内部破壊者対応訓練を開始する。CICを除くすべての入出力装置は訓練終了まで使用不能となる。作業中の者は直ちに作業を中止し、コンソールよりログアウトせよ。訓練開始、五秒前、四、三、二、一、開始』
副長は「訓練だと! 聞いていないぞ! くそっ!」と叫んで、病室から走り出す。
(艦長が思いつきで始めたんだな。しかし、副長の俺に一言もないとは……これは一度、きっちりと話をつけなければならないな)
アリンガムはモーガン艦長が気まぐれに訓練を始めたと思っていた。だが、自分の個人用情報端末が使用不能になっていることに気付き、更に艦内の各所で機械ロックの作動音が響くことに疑問を持った。
(訓練をやるのはおかしなことじゃない。だが、二つの訓練を同時にやるのはあの艦長でも拙いと思うはずだ。そもそもここは戦闘宙域だぞ。そこで訓練とは……ジュディの体調不良といい、嫌な予感がするんだが……)
戦闘指揮所の前にたどり着いたアリンガムは、歩哨に立つ宙兵隊員にCICへの入室を告げる。
「グリフィス・アリンガム少佐、CICへ入室する」
宙兵隊員はお手本のような敬礼で副長を迎い入れる。
アリンガムはCICの扉にIDを当て、生体認証装置を使おうとしたが、認証装置が作動しない。
二度、三度とやり直すが、IDの認証が拒否される。
(内部破壊者対応訓練か。CICが完全にロックされている。ということは、緊急対策所もロックされているはずだな。通信も使えないとなると、艦長が終了を宣言するまで、この状態が続くのか……)
■■■
〇一〇〇
情報がないまま、三十分が過ぎた。
アリンガム副長は緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキなどを順次回ったが、すべて厳重にロックされており、そのいずれにも入ることが出来なかった。
不安げな乗組員に「すぐに終わる」と笑顔で説明しながら、艦を巡回していく。
巡回を終えた彼は仕方なく、士官室に戻り、同じように締め出された士官たちとソファに座っていた。
「グリフィスが聞いていないというのは問題だな。危険が少ない任務とはいえ、作戦行動中なんだ。せめて、副長には事前に了解をとっておくのが、常識ってもんだろう。まあ、艦長に常識を求めても仕方が無いのかもしれんがな」
戦術士のネヴィル・オルセン少佐が吐き捨てるようにそう言うと、副戦術士のオードリー・ウィスラー大尉も大きく頷いていた。
「そうは言っても、未だに訓練の終了が宣言されん。これでは文句の言いようが無い」
憮然とした表情でアリンガム副長が呟く。
「機関長は機関制御室にいるそうだが、他の連中はどこにいるんだ?」
オルセン少佐の問いにアリンガムが答える。
「グレタ――副航法長グレタ・イングリス大尉――は格納デッキにいるはずだ。艦長にマグパイ(かささぎ)の整備状況を確認するよう言われていたからな。レオン――副情報士レオン・トムリンソン大尉――の居場所が判らん。主兵装ブロック辺りで逢引でもしているんだろう。ダレン――宙兵隊隊長ダレン・ハート宙兵大尉――と、バリー――同副隊長バリー・アーチャー宙兵中尉――は宙兵隊の食堂にいたな」
ウィスラー大尉が「そうすると、ERCには誰も士官がいないんだね」と確認する。
「そうだな。まあ、この時間だから掌帆長もいないだろうし、掌帆手の誰かがいるかもしれんが、士官はいないだろうな」
副長の答えに情報士官のハリソン・エメット少尉が「しかし、それは拙いんじゃないですか?」と口にする。
「確かに艦隊運用規則違反になるな。ERCに士官が入れない状況は、規則では認められていない。少なくとも士官がERCにいる状況でなければ、こんな訓練はやってはいけないはずなんだ」
副長の言葉にオルセン少佐も頷く。
「今、CICで何かが起きるか、敵が現れるかしたら、完全に運用規則違反になる」
副長が「そうだな」と答えたとき、艦内に放送が流れ始めた。
『達する! 達する! モーガン艦長及びはキンケイド少佐が死亡した。現在、本艦はコリングウッド中尉が指揮を執っている。達する! 達する! モーガン艦長……』
その放送に士官室の全員が立ち上がる。
「艦長が亡くなった? キンケイド少佐もだと……」
「何が起こっているんだ?」
そして、放送が一旦終わり、再び一斉放送が流れる。未だ、騒いでいる士官たちにアリンガム副長が「静かにしろ!」と一喝して黙らせる。
『達する! 達する! 現在継続中の通信系故障訓練及び内部破壊者対応訓練の解除の目途は立っていない。達する! 達する! 現在継続中の……』
士官たちは放送を聞くため、私語をやめていた。そして、再び放送が途切れ、別の放送が始まる。
『達する! 達する! 〇一〇〇、ハイドンJPにてゾンファ艦隊を探知した。ゾンファ側の意図は不明。達する! 達する! 〇一〇〇……』
アリンガムはゾンファ艦隊と聞き、一連の騒動の裏にゾンファの影があるのではと考えた。
(このタイミングでゾンファ艦隊だと。ここ数ヶ月姿を見せなかった奴らが、このタイミングで現れたのは間違いなく、艦長の死と関係があるはずだ。だが、この状況でどうすれば……)
更に放送は続いていく。
『達する! 達する! 緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキにいる者は警報試験にて三秒間鳴動させよ。達する! 達する!……』
アリンガムは何をするつもりだと首を傾げる。
(警報試験だと? 何をするつもりだ、こんな時に……そうか! 各制御盤に人員がいるか確認しているんだな。よく考え付くな。さすがは噂の“崖っぷち”だ。だが、俺たちは何をしたらいいんだ?)
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<アルビオン軍重巡航艦サフォーク5・戦闘指揮所内>
〇一一〇
クリフォードは定時放送システムに必要な文言を入れたというサドラー機関兵曹の報告を聞き、一斉放送を流すよう命じた。
普段なら昼食など放送に使われ、「達する! 達する! 下士官兵は食堂にて昼食」などと言う緊張感のない言葉なのだが、今はその中性的な音声が緊張感を持っているように感じていた。
『達する! 達する! モーガン艦長及びはキンケイド少佐が死亡した。現在、本艦はコリングウッド中尉が指揮を執っている。達する! 達する! モーガン艦長……』
クリフォードは「二回ずつ流していってくれ」と命じ、最後の放送パターンが流れるまで待つ。
その間に掌砲手のクロスビー兵曹が、
「パルスレーザーの変調回路調整完了! 入力した文字に従い、平文で信号を送ることが可能です」
クリフォードは「ご苦労、兵曹」と労ったあと、放送が流れるCICで、各艦への連絡文案を入力する。
(“モーガン艦長及びキンケイド少佐が死亡。ゾンファ艦隊に対応するため、〇一三〇に変針する。各艦は本通信を理解したら、直ちにパルスレーザー二連射により、返信せよ”……とりあえず、この程度の情報でいいな。全艦が気付いてくれればいいんだが……)
「クロスビー、この文面を各艦に向けて送れ! 全艦から返信があり次第、別の命令を送信する。こちらは任せるぞ」
クリフォードはクロスビーの了解も聞かず、放送に耳を傾ける。
『……達する! 達する! 緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキにいる者は警報試験にて三秒間鳴動させよ。達する! 達する!……』
「ティレット、レイヴァース、二人で各制御盤の警報鳴動を確認してくれ。警報が鳴らない盤をチェックするんだ」
「「了解しました、中尉!」」
(さて、どれだけ盤の前に人がいるんだろうな。引継直後だから、誰もいないという可能性もある……)
定時放送システムの音声が途切れた瞬間、CICに現地盤で警報が発信されているという表示が現れ始める。
「ERC警報確認、RCR警報確認……」
「じぇ、Jデッキ、格納エリア操作盤、け、警報確認……MAB主砲制御盤警報、か、確認……」
ティレットの女性らしい柔らかい声と、レイヴァースの上擦り、ところどころどもるやや高い声がCICに響いていく。
一分ほどですべての表示が確認され、主要な制御盤に人がいることが確認できた。
クリフォードは各艦からの連絡を待つ間、ゾンファからの通信内容について考えていた。
(このタイミングで通信を送ってくるということは、本星系はゾンファの領有宙域だから、出て行けというものだろう。もし、こちらの状況を判っているなら、返信が無い場合は敵対の意志ありと判断して攻撃するというところか……どうするべきかな)
そして、Jデッキ、すなわち格納デッキに人がいるという報告が耳に入っていた。
(この訓練はあの時間にサフォークに接続していたシステムだけに効いているはず。それなら、搭載艇の通信システムは使えるはずだ……だが、搭載艇を出しても、サフォークに連絡できない……)
そこで、敵の意図について、もう一度考えてみた。
(敵がこのタイミングでこの星系にやってきたということは、キンケイド少佐の行為と何らかの関係があると考える方が合理的だ。だとすれば、敵はこちらが通信に答えられないこと、更には艦隊内の意思疎通もできていないと判っているはずだ)
そして、自分ならこの状況をどう利用するか考え始める。
(僕ならこの状況を利用して、通信に答えず、敵対する意志を見せたと言って殲滅するだろう。通報艦が五・五光時先にいるが、それは問題じゃない。アルビオン側の艦船がゾンファに敵対したという事実が重要なんだろう。だとすると、こちらは囮。通報艦がアテナ星系とキャメロット星系に飛んでいけば、アテナ側の防備を固める。だが、本命はスパルタン側だ……いや、今はそこまで考える必要は無い。今は敵艦隊の行動を考えるべきだ……)
搭載艇を出すことについて、思考を進める。
(搭載艇を出せば、通信の傍受と返信が可能だ。こちらに敵対の意思が無く、単なる故障による返信不能と言っておけば、敵の思惑の一つは防ぐことが出来る……)
彼は航法員のティレット兵曹に搭載艇が発進可能か確認する。
「ティレット、マグパイ1――サフォーク5の雑用艇――か、アウル1――大型艇――を発進させられるか確認して欲しい」
すぐにティレット通信兵曹から、「発進用ハッチの開閉は遠隔では不可能です!」という答えが返ってくる。
「手動なら可能なのだな……サドラー、Jデッキ宛てに放送を頼む。文面は、“Jデッキに士官はいるか。いるなら、三秒、いないなら十秒間警報を鳴らせ”だ」
サドラーがすぐにその文面を打ち込み、放送が開始される。
そして、すぐに「Jデッキ操作盤警報確認、三秒です!」というティレットの声が響く。
「次はこの文面で頼む……」
彼はマグパイ1かアウル1の発進が可能か、そして、ゾンファとの交渉に志願するかを確認した。
そして、どちらの問いにも三秒間の警報、すなわち、了解と返って来た。
「では、“艦から発進し、ゾンファ艦隊の通信を傍受せよ。そして、当艦隊の通信系が故障しているため、返信が出来ないことをゾンファに送信せよ”と流してくれ」
その放送が流れると、三十秒ほどの沈黙の後、警報が三秒間鳴った。
■■■
<アルビオン軍重巡航艦サフォーク5・Jデッキ格納庫>
〇一一五
サフォークの最下層デッキ、Jデッキにいた副航法長のグレタ・イングリス大尉は艦内放送を聞き、自分たちが危機的状況にあると考えていた。
(この状況は拙いわね。航法長が体調不良になったことを含めて、敵の工作員が艦内にいると考えるべきね。それより、ゾンファの方よ。ここからじゃ、どの程度の規模の艦隊かは判らないけど、恐らくこちらより強力なはず。それにこの状況では敵に対応できないわ……それにしても、艦内放送と警報試験を使うなんて、さすがは“クリフエッジ”ね)
そして、一旦沈黙した艦内放送が再び流れた時、彼女はすぐに自分に期待されることが理解できた。
(搭載艇で宇宙に出ろっていうことね……そして、ゾンファと交渉しろと……敵はこちらが通信できないと知っている。だから、向こうの通信を受信して、意図を確認し、適切に返信しろと。だから、士官がいるか確認したのね。この艦に来てから碌なことはないけど、これが最たるものね……)
イングリス大尉はクリフォードが転属してくる二週間前に着任していた。
そして、すぐに艦長と副長が対立していることを知り、自分が“ハズレ”の艦に来てしまったことに気付いた。その後、クリフォードが転属してきたため、自分がターゲットになることはなかったが、副長やキンケイド少佐といった旗幟を明らかにしている士官とはできるだけ付き合わないようにしていた。このため、本来寛げるはずの士官室でも緊張して過ごしていた。
僅かに悩んだ後、イングリス大尉は大きく息を吐いた。
「マグパイで出ます! 警報試験三秒で返信しなさい」
彼女は搭載艇の整備をしていた掌帆手バーバラ・オニール三等兵曹にそう命じる。
オニールが警報試験で返信すると、イングリス大尉はマグパイ1の発進準備を始めた。
「オニール、手動開閉装置の操作を頼むわ。出て行ったら、もう戻って来れないから、すぐに閉止しなさい。それから、戦闘になる可能性があるから、減圧に対応出来るように準備しておきなさい」
イングリス大尉は発進したら、艦の通信機能が回復するまで帰還できないと考えていた。
(一人で行くなら、マグパイの方がいいわ。加速はいいし、ステルス性もある。発進して通信を終え、すぐに小惑星帯に逃げ込めば、一ヶ月くらいは生きていける。もしかしたら、私だけが生き残ることになるかもしれないけど……)
彼女はオニール兵曹の敬礼に見送られながら、雑用艇マグパイ1に乗り込んでいく。
■■■
<ゾンファ軍重巡航艦ビアン・戦闘指揮所内>
五月十五日 〇〇三〇
ゾンファ共和国軍ハイフォン駐留艦隊八〇七偵察戦隊の司令、フェイ・ツーロン大佐は計画通りのタイミングでターマガント星系にジャンプアウトした。
「時間はばっちりだな。よし、敵の状況を大至急確認しろ」
そう命じたあと、通信兵に星系内への通信準備を命じた。
索敵担当下士官から、アルビオンの哨戒艦隊は想定距離三十光分の位置にあり、〇・二Cでジャンプポイントに向けて航行中との報告があった。
(位置も計画通りだ。敵の指揮官はかなり几帳面な性格のようだな。あとは作戦通りに進んでいるかだけだ。下手をすれば、既に露見し、逆にこちらが罠に掛かる可能性もあるからな……)
彼は内心の不安を隠し、星系内に向けて通信を開始した。
「こちらはゾンファ共和国軍ハイフォン駐留艦隊八〇七偵察戦隊のフェイ・ツーロン大佐である。本星系は我が共和国の領有宙域である。本通信受領後、不法に侵入している艦船は直ちに本星系より立ち去るべく行動を開始せよ。行動開始時に抵抗の意思が無いことを示せ。なお、我らの要請に従わぬ場合は、実力を持って排除する。繰り返す……」
通信を終えたフェイ・ツーロンは、「現状を維持し、敵に動きがあれば知らせろ!」と命じ、指揮官シートに身を沈めた。
通信兵曹より、敵艦隊内では通信用の電波が発信されていないという報告があった。
(工作員の“仕込み”は完璧か。さて、敵はどう出るかな。戦力的には我々の方が十分に強力だが……何にせよ、七年ぶりの実戦だ。久しぶりに軍艦乗りの血が騒ぐ……)
彼はメインスクリーンに映る敵艦隊の姿を眺めながら、不敵に笑っていた。
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