亡国の剣姫

きー子

参拾参、亡国の剣姫

 ヴァルドル城塞中心部──"天塔"最上層。
 細い螺旋階段を登り続けたその先に、一個の開けた空間が広がっていた。
 部屋といえるようなものではない。家具の類は一切置かれていないからだ。
 床一面には幾何学的かつ複雑怪奇極まりない紋様が幾重にも描かれ、異様な魔法陣を形成している。
 四方には調度品のようにも見える魔術用の礼装が配備され、魔法陣の一角を構成する。
 青白く明滅する魔法陣の中に踏み入りながら、小太りの男が不意に地団駄を踏んだ。
 側に控えているふたりの魔術師を構いもせず、理性を失した叫びをあげる。
「なぜ!! なぜ、起動しないのです!! このようなこともあろうかと用意していた転移陣が、なぜッ!!」
 宰相バルザック。
 いつも落ち着き払っていたその顔にもはや余裕の色はない。
 顔面を汗みずくにして狂態を晒すが、事態が好転する気配は全く無かった。
 その手には"魔剣"──"天聖剣・エンジェルハイロゥ"が握られている。が、この状況では何の役にも立ちはしない。
 恐る恐る、といった様子で魔術師──紫紺のローブを身にまとった"僵葬会きょうそうかい"の二人が進言する。 
「僭越ですが、宰相殿。送還こちら側の魔法陣に問題はありません。おそらく、召還むこう側の陣に問題が発生しているのだと考えられます」
「……馬鹿な。そのようなことはありえん。陣が機能しているのは、何度も実験して確認されたはず」
 転移陣。
 それは送還側と召還側の魔法陣を繋ぎあわせて、魔法陣間での瞬間転移を成し遂げるための術式である。
 設置するための費用、敷設した魔法陣をどのように維持するか、経年劣化をどのように防ぐか、転移事故を減らせないか──
 普遍化に向けた問題は山積みだが、現在でも一応は実用化されている。
 まさにバルザックもそうしていたように──王族の多くは"隠し通路"、いざという時の逃げ道として転移陣を用意していた。
 転移陣の特徴は、送還側と召還側、それぞれの魔法陣に魔術師が待機している必要がある点である。
 工程としてはまず、送還側の魔術師が転移陣を起動。
 次に、転移者が魔法陣に入ることで召還側の魔法陣が励起する。
 最後に、召還側の魔術師が送還に応じることで、ようやく転移が成功するのである。
 つまり。
「これは全くの憶測ですが、召還側に待機しているものが誰もいないのではないでしょうか。転移陣の無事は先日確認したばかり。ですが、我々の送還に応じるものがいなければ転移が成功するはずもありません」
「な……」
 一瞬、バルザックは頭の中が真っ白になる。
 それが妥当な結論であると、理解できてしまったからだ。
 急を要する事態が発生した際、下水路の最奥に潜伏している"僵葬会"は、すぐさま召還側の魔法陣の在処に向かう手筈になっている。
 場所は王都の外側。安全が確保されている山小屋のひとつであり、中には食料も蓄えられている。
 例え国家が転覆したとして、潜伏しながら再起を図るには十分な備え。避難場所にはまさにうってつけといえるだろう。
 城下であれほどの混乱が発生しながら、"僵葬会"の魔術師が避難していない理由はない。
 だが。
 だが、もし、混乱に乗じて逃亡する"僵葬会"に追っ手がかかり──ひとり残らず、殲滅されてしまったとしたら。
 ありえないとは言えなかった。事実、もしバルザックが王都ファルクスを攻めるなら、真っ先に城門を封鎖するだろう。
 怪しいものは何人たりとも通さない。一人残らず拘束する。今回のように、市民が合わせて決起しているならばなおさらだ。
「い、いや、そんなことはありませんぞッ! 下水道からは王都の外に直通する道もあるのです! そのような不測の事態が起こるはずは──」
 そこまで口にしたところで、バルザックははたと気づく。
 叛逆の末姫──シオン・ファーライトはかつて地下道を通って王都の外へと逃れた。
 同じような方法で逃げる相手のことを考えていないわけがない。そちらにバルザックがいる可能性もありえなくはないからだ。
 ありえないと断じるバルザックの言葉を、自分自身の理性が潰していく。絶望的な怖気がひたひたと忍び寄る。
 まさか。いや、そんな。しかし。
「ば、馬鹿な!! "混ざりもの"の娘ごときに、そのような智慧があるものか!! 何かの間違いに決まっている!!」
 バルザックは狂ったように何度も何度も転移陣の中心を踏みつける。
 その効果が発揮される気配は、欠片もなかった。
 だらだらと脂汗が滴り落ちる。全身が粟立つように鳥肌が走る。
 急に地面の感覚がなくなる。ふわふわとまるで現実感がない。恐怖に呑まれながら、バルザックは一心不乱に転移陣を踏み締める────
 刹那。

 びょう

 吹き荒ぶ剣風に引き連れて、鋭い刃鳴の音が咲き誇る。
 同時に吹き飛んだ入り口扉が、魔法陣の中心にいたバルザックに見事直撃した。
「な、なんたることかッ!! も、もう来ただと────ぐゥッ!?」
 そのまま壁に叩きつけられ、まともに身動きが取れなくなるバルザック。
 彼は咄嗟に声を上げ、魔術師ふたりに檄を飛ばす。
「む、迎え撃て!! 賊を討ち取るのだ!!」
 あのルクスを討ち取った娘を相手に勝てるわけがない。
 そんな理性の訴えを押し退けて叫んだ瞬間、少女の姿が躍り出た。
 幼くも端正な顔貌。血塗れの身体を包帯で無理やりに締め付け、"魔剣"を片手に疾駆する。
 肩口を過ぎるばかりの黒髪もまた血にまみれ、血風を引き連れながら少女は刃を抜き払った。
 "黒髪姫"シオン・ファーライト。
 "混ざりもの"の末姫が、濃厚な死を引き連れてやってくる。
「……いた」
 魔術師ふたりは咄嗟にバルザックを庇うように立つ。
 その時すでに、シオンは彼らの眼前へと迫っていた。
 一閃する。
 瞬く剣光。振り抜いた"妖剣・月白"が首を刎ね、返す刀で胴を断つ。
 ふたりの魔術師は死んだ。一切の抵抗を許されず、声を上げることすらできずに死んでいった。
 人の血を吸い、妖しくも美しく輝く銀の刃。
 それを振るって血を払いながら、シオンは扉の下敷きになっているバルザックを確認する。
 海のように深く、蒼い瞳。
 その眼が、あまりに冷たくあまりに酷薄な視線を男に送る。
 そこに感情の色はない。血に濡れたかんばせを微動だにせず一瞥をくれたあと、シオンは一歩ずつ歩み寄る。
「ひ……ひッ」
 バルザックは這うように扉の下から出て、部屋の隅まで後ずさる。
 全く無意味な行動だった。すぐに行き詰まり、彼は逃げ場を失ってしまう。
「全部、終わったみたいだから」
 シオンは瞳を細めて、剣先をバルザックに突きつけた。
 心胆から震え上がるバルザックを前に、宣言する。
「あとは、おまえだけ」
 殺す。
 おまえだけは、殺す。
 その確固たる意志を、バルザックはありありと読み取ってしまった。
 シオンの片腕に抱えられたルクスの生首が、じっとこちらを見ているように思えてくる。両目とも確かに閉ざされているというのに。
「ま、待てッ」
 バルザックはもはや足腰も立たない。
 へたりこんだまま、手を突き出して少女を制する。
 シオンは止まらなかった。
 バルザックの声を無視して、淡々と距離を詰めていく。
「わ、私を殺してどうなるというのですッ!? あなたも気づいていましょう、全ての暴虐はあの男──トラス・ファーライトがなしたこと! 実質的に国をまとめあげていたのはこの私なのです!! その私を殺せば、どれほどの大混乱が起きるかも知れませんぞ!?」
 バルザックは躊躇いなく自らの主を生贄に差し出す。
 全ての責任を新王トラスに押し付け、彼自身は何としてでも生き延びる算段だった。
「あ、あなたは王位につくことをお望みなのでしょう。この国のことを最もよく知っているのは私を置いて他にありません。殺すことはいつでもできるではありませんか。それより、私の能力を絞れるだけ絞り尽くしておくのが得策。そうは思われませんかな?」
 無論、宰相ともあろう立場のものが責任論で言い逃れできるとは思わない。
 ゆえにバルザックは自らの有用性をアピールする。
 彼が国の舵取りに長けているのは事実。特に経済面では、一時は国民の支持を得たのである。
 生かしておく価値はある、と言えなくもない。当のバルザックは、一割は助かる目があると考えていた。
 シオンはバルザックの目の前で立ち止まると、ひどく素っ気なく言い捨てた。
「剣を、置いて」
 "天聖剣・エンジェルハイロゥ"。
 それはバルザックの切り札だった。いざという時には"僵葬会"とともに野に下り、死兵の軍団を編成する。
 すなわち、この"魔剣"には一個軍隊以上の価値がある。無限の兵を抱えているも同然だ。
 例え国を奪われようとも、取り返すのは極めて容易。生死という常理をひっくり返す禁断の"魔剣"。
 絶対に手放したくない代物だった。が、死んでしまっては元も子もない。
 バルザックは大人しく"魔剣"を床に置き、シオンの足元に滑らせる。
「……そう。それでいいの」
 シオンは"天聖剣・エンジェルハイロゥ"を拾い上げ、ぽんと宙に放り投げた。
 びょう
 剣光が瞬き、"天聖剣・エンジェルハイロゥ"は真っ二つに断ち切られた。
 返す刀で剣閃が翻り、鉄くずと化したそれがさらに四つの欠片に分断された。
「な────」
 バルザックは唖然とする。
 死者を蘇らせる秘法の剣。
 今は不完全だが、研究し続ければ完全な死者蘇生が実現することもありえたろう。
 あるいは、不老不死──永遠の命さえ夢ではなかったかもしれない。
 今、その可能性は水泡に帰した。
 常理を覆す不条理が断絶する。
 死者が蘇ることはもう、二度と無い。
「な、なにを考えているのです!! これは、これは国を救って余りある価値を有する剣なのですぞ!? これさえあれば一個人の"英雄"などもはや無用、戦などに人の命を費やすこともないというのに!! 自らの国を亡ぼし、我が国を亡ぼし、まだ飽き足らぬというのか、亡国の剣姫ひめよッ!!」
 思わずバルザックはへりくだる態度も忘れて激憤する。そのまま掴みかからんばかりの勢いで立ち上がった。
 そのせいで一瞬、気付かなかった。
 シオンの刺すように冷たい視線が、彼を射すくめていることに。
 バルザックははっとして口をつぐんだがもう遅い。どう言い繕っても手遅れだ。
 シオンは何の気なしに"魔剣"の残骸を蹴り飛ばして言った。
「……おまえは、この剣で何をした?」 
 "妖剣・月白"の剣先がぴっとバルザックの喉元に突きつけられる。
 その言葉に、ぐ、とバルザックは言葉を詰まらせた。
 自分たちが処刑して殺した前王を蘇らせ、その娘と骨肉の争いを演じさせた──
 などと言えば、まさに墓穴もいいところ。
 つまり、シオンが言わんとしているのはそういうことなのだ。
「正しく使われるなら素晴らしいのかもしれない。でも、それが正しく使われる保証なんてない。どうせろくなことに使いやしない────おまえと同じように」
 それが、死者蘇生などという道理を超越する力であるならばなおさらだ。
 確かに局所的に見れば死者の数は減らせるだろう。
 だが、死者を蘇らせる力────"天聖剣・エンジェルハイロゥ"を巡っての争いが起きないとも限らない。
 否。確実に起きるだろう。
 大枚を叩いてでも、命を捨ててでも、人を殺してでも、国を潰してでも──
 死んだ人間に会いたいと願うものは、それこそごまんといるはずだ。
 本来ありえないはずの父王との再会を果たしたシオンは、誰よりもそのことをわかってしまった。
 どれだけ戦での死傷者を減らせるとしても、新たな戦を招くとすれば話にならない。
 そのような世界を許せば、あとに残るのは死に損ないの屍ばかり。まるで冥府の再現だ。
 何を置いてもここで破壊するのが最善。シオンはそう確信し、現にやってのけた。
 それは、バルザックの野望が完全に潰えた瞬間でもあった。
「殺すのはいつでもできる。だから、今殺す。生かす価値はあるのかもしれない。でも殺す。生かしておく無為のほうがずっと大きいから。おまえは────絶対に、殺す」
 そして、それだけで刃を退けるはずもない。
 シオンは無造作に"妖剣・月白"を振るい、近くに山と積まれていた魔術用の礼装品に叩きつけた。
 転移陣の一角を構成していた品々がゴミのように崩壊する。
「あ────あ、な、なにを、なにをッ!! 一体なにをなさるのです!!」
「なにを企んでいたかは知らないけれど」
 シオンは周囲をぐるりと一瞥すると、転移陣の構成要素を隅から隅まで潰して回った。
 バルザックの希望が音を立てて消えていく。もしかしたら、という最後の望みがひとつ残らず絶たれていく。
 シオンにしてみれば念には念を入れているだけのこと。
 だが、バルザックにすれば懇切丁寧に絶望を味わわされるも同然だ。
「や──やめろッ!! やめなさい、やめ、やめてくれッ!!」
 転移陣を徹底的に破壊されながら、バルザックの命令は懇願に、やがて悲鳴へと変わっていった。
 半狂乱になったバルザックは、礼装の残骸に埋もれていた剣を一振り掴んで立ち上がる。
 儀礼用の細剣だが、実用性は申し分ない。
 バルザックはそれを片手に、シオンの背後から突っかかる。
 貴族の嗜みとして剣術を学んでこそいるが、その腕前はお粗末としか言いようがなかった。
 完全な破れかぶれ。
 シオンは振り返りざまに剣先を受けて絡め取り、いとも容易く弾き飛ばす。
 続けて腹に叩きこまれる鋭い蹴り。バルザックはあえなく壁に叩きつけられ、ずるずると背中から滑り落ちた。
 もはや立ち上がることもままならない。
 絶望しながら、バルザックは近づいてくるシオンを見上げた。
 亡国の剣姫。
 己の所業に端を発する怪物が、己を斬りにやってくる。
「言い残すことは」
 "妖剣・月白"を肩の上に構え、淡々と告げる。
 少女の端正な面差しは不気味なまでに無表情。
 バルザックは目の前の現実を拒絶するように首を振り、呻く。
「私を……私を殺せば、全ての死が、一度は亡びた彼の国も、御父上の犠牲も、全てが、無駄になるのですぞ!! どうか、どうか剣を────」
 逆鱗に触れた。
 そうとしか言いようのない剣気を受け、不意にバルザックの首が締め付けられる。
 触れられてもいないのに喉が絞られる。息ができなくなる。
「私の国はもうい。おまえの国も亡びる。あとは誰かが別の国をつくる。────それでいい」
 有無を言わせぬ口調で断じるシオン。
 バルザックはぱくぱくと口を開け閉めするが、声にならない。
 刹那。
 妖しく煌めく剣光が、バルザックの視線の先で瞬いた。
 そして、不意に思い出す。
 いつかに目にした妖しくも美しい輝き。
 "その刃は、いつか必ず己に向けられることだろう"────
 バルザックのかつての確信は、図らずしも的中した。
 "魔剣"の担い手こそ変われども、運命はここに成就する。
「だからあなたは、これでおしまい。────さよなら」

 絶叫。
 血の噴水が飛沫をあげて、王国の命脈が絶ち切れる。
 ひとひら静かに刃鳴はなが舞い、そして、散った。

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