シャッフルワールド!!

夙多史

三章 異界監査官(1)

 チチチ、という小鳥のさえずりが爽やかな朝を告げる。
 時刻は七時十分前。学校がある日はだいたいこの時間に起床するようにしている。
 独り暮しになってからリビングのソファーをベッド代わりにしている俺は、まず体を起こす前に大きく伸びをして深呼吸する。朝の澄んだ空気が頭を一気に覚醒してくれるからだ。
 昨日はリーゼが奇怪な起こし方をしてくれたが、今日の目覚めは至って平和になりそうだ。

 そこで包丁らしき凶器を思いっ切り振り翳しているメイドさんさえいなければ……。

「――ってあっぶねえっ!?」
「チッ、残念です。外しました」
 ソファーに突き刺さる出刃包丁から深刻な命の危険を感じ取り、俺の意識の覚醒率は途中経過もなくカンストした。
「レランジェてめえ殺す気かっ!?」
「はい」
「肯定すんな!」
「冗談です。カス虫様をお起こししようとしただけですがなにか?」
「逆に永久に目覚められなくなるわっ!」
「このレランジェがいれば毎朝の起床は安定ですね」
「不安定だ! 恐怖に怯えながら一睡もできなくなったらどうする!」
 今度から自分の部屋で厳重に鍵かけた上に刀を握って寝た方がよさそうだ。
「それはさておき、朝食を作ったのですが味見をしていただけませんか?」
「あん? なんでだよ?」
「こちらの世界の料理を作ったことがないので、マスターのお口に入る前に見ていただきたいのです」
 そういえば、昨日の朝は誘波が乱入してきて結局朝食抜きだったし、夕飯はバイト先から貰って来たらしい大量のハンバーガーだけだった(リーゼは喜んでいたけど)。
「あー、わかった。そういうことなら味見役になってやるよ。ただし、この前みたいに毒針とか入ってたら可燃ゴミの日に出すからな」
 俺は洗顔とトイレを済ませてからリビングの隣にあるキッチンへと向かった。
 食卓の上に料理が並べられているのを確認する。ほどよい半熟の目玉焼きは寸分違わず中央に黄身が鎮座し、その横にあるウインナーソーセージは皮が破れない程度の絶妙な焼き加減だった。一口齧ればパリッという爽快な音と共に芳酵な肉汁が口の中に溢れると予想される。それらメインディッシュの周りは新鮮で瑞々しいレタスのサラダが彩りを整え、茶碗に盛られた白米とアサリの味噌汁からは湯気が立ち上っている。
 正直、驚いた。文句なんてない。寧ろ褒美を出してもいいくらいのできだ。
「すごいな。俺も料理はできる方だが、ここまで綺麗には作れねえよ」
 まるで食卓が宝石のように輝いて見える。俺は素直に感心したが、疑問点もあった。
「こっちの料理知らねえのに、なんでこんなもんが作れたんだ?」
「昨日、誘波様にこの世界の家事雑事についてお訊ねしたところ、このような魔導書をいただきまして」
 と言ってレランジェはどこに持っていたのか一冊の本を取り出した。『クッキングシーカー』とかいう題名の料理雑誌みたいだ。どこが魔導書だ。
「これで気になるあのヒトもイチコロ安定だと誘波様が仰っておりました」
 なにかが間違っている気もするが、ともあれ初っ端から見本以上のものを作ってしまうところは流石魔工機械安定――っと口癖が感染うつっちまった。
「ま、問題は味だよな」
 箸立てからマイ箸を摘まみ上げた俺は、まずウインナーからつついた。外は予想以上にパリパリで噛めば噛むほど口内に旨味が広がっていく。塩胡椒の加減も完璧だった。
 次いで目玉焼き。割った黄身はトロリと崩れ、しかし絶対に白身から零れない。バターで焼いているのか、濃厚な風味が舌を満足させる。ちなみに俺は醤油派だ。
 レタスはシャキシャキで、米はふわふわの炊き具合、味噌汁はアサリの出汁がよく出ている。これをその辺のスーパーで売られている食材で作っているとなると、なるほど、一流シェフも土下座して謝りそうなレベルだ。
「やべ、こんな朝食初めてだ」
「イチコロですか? 死にますか?」
「……いや、死にはしねえけど」
「チッ、まだまだ修行安定ですか」
 料理人がコレじゃなけりゃ金一封だな。てか、こいつは俺にどんなリアクションを求めてんだ?
「で、肝心のマスターはなにやってんだ?」
 かつてない朝食に舌鼓を打ちつつ、俺はレランジェの主であるお子様……もとい、魔帝様を捜す。
 レランジェはパラパラと魔導書(?)を捲りながら上階を指差した。
「睡眠安定です」
「あー、まだ起きてねえのか。なんだかんだで、昨日の戦闘で疲れてんだな」
 パタンとレランジェが本を閉じた。そしてなにやら灰色の瞳で俺を見据えてくる。
「レランジェはこれから異界技術研究開発部へ行ってきます。新たな『あるばいと』も探索安定です。ですので、レランジェがいない間はマスターのことをお頼みします」
「あ、ああ、そこら辺はよーく監視しとく」
 いつリーゼが学園生活に飽きて暴れ出すかわかったもんじゃないからな。
「これは警告ですが、もしもマスターになにかあったら処刑安定です。本来なら片時も離れたくないところ、この世界で生活するために仕方なく守護役を譲っているのです」
「いやまあ、そこは無理にバイトする必要は……」
「あります」
「……そうですか」
 伝えることを伝えたレランジェは速やかにキッチンから出て行った。数秒後、玄関のドアの閉まる音がする。
 しかしなんだろうね、あの頑なな意志は。そんなに俺に生活費を養ってもらうのは嫌ですか。まあ、俺としては助かるからいいけれど。
「あ、そうか。そろそろリーゼも起こさねえと。また遅刻しちまう」
 俺は食いかけの食事を一旦置き、二階の両親の部屋へと足を動かす。
 ドアの前に立ち、一応大きめにノック。……返事がない。ただ熟睡しているようだ。
「リーゼ、入るぞ」
 遠慮気味にドアを開いて中に入ると、案の定、ダブルベッドを一人で占領しているリーゼを発見。布団を跳ね除け、黒のネグリジェっぽい寝衣姿が露になっている。それも炎でコスチュームチェンジしたものだ。一体どこにそんな服を収納しているのか俺には皆目見当がつかない。
「起きろリーゼ、メシだ。メシの時間だぞ」
 健やかな寝顔を悪いと思いながらペシペシと叩く。
「ぅん……あ……れーじ?」
 二十回くらい叩いてやっと目覚めたリーゼが、体を起こして眠い目を擦りつつ俺を認識する。
「おはよう。学校に遅れるからさっさと起きろ」
「うん……おやすみ……」
 瞼が落ちてパタンと倒れるリーゼ。繊細で可憐で悩みなんてなさそうな寝顔。穏やかな寝息も聞こえ始める。
「……」
 俺は黙って小学生の時に貰った防犯ブザーのコードを引き抜いた。

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