シャッフルワールド!!

夙多史

三章 異界監査官(6)

 一号館――異界監査局の屋上に法界院家の屋敷がある。
 直通エレベーターの扉が開いた瞬間、初見の者は必ず目を見開くはずだ。
 なぜなら、そこには壮麗な日本庭園が広がっているからだ。
 数えるのも面倒なほどの錦鯉が泳ぐ池を中心に、築山に石庭、なぜか満開の桜並木には季節感を考えろと言いたくなる。並木道の奥にはこれまた立派な和風の屋敷が構えており、その後ろにはどうやっているのか滝まで落ちていた。
 とてもコンクリートビルの屋上とは思えない、文字通り別世界な空間。
 まあなんだ、何度も来ている俺が今更驚くことではないんだけど、リーゼやセレスは気持が高揚することを禁じ得ないようだ。
 屋敷の一室に俺たちは招かれた。
 そこには先客がいた。
「レランジェ!」
 襖を開けた先に屹立していたゴスロリメイドを見て、リーゼが歓喜の声を上げる。
「お先に失礼しております、マスター」
 リーゼの従者である彼女は確か、新しいバイト先を探すとか言っていたはずだが……。
「お前も呼ばれたのか?」
「チッ!」
「なんで舌打ち!?」
 とことん俺に対しては失礼なやつだな! そろそろ決闘の日時をスケジュール帳と相談して決めねば。
「零児、そちらの方は?」
「ん? あー、こいつはレランジェっつって、リーゼの正真正銘の部下だ。あと人間じゃなくて機械人形なんだが……気をつけろよセレス、こいつは主以外には牙を剥き出しにする狂犬だ」
 セレスはリーゼと一戦交えた相手だからこの木偶人形が受け入れるはずがな――
「初めまして、リーゼロッテ様の侍女をしておりますレランジェと申します。マスター共々、よろしくしていただけたら安定です」
「これはご丁寧に。私はセレスティナ・ラハイアン・フェンサリルです」
 ……さて、次の土曜は予定空いてたかな?
「ところで」リーゼが部屋を見渡し、「イザナミはどこにいるのよ?」
「そういや、呼び出しておきながらいねえな」
 俺も首を動かして辺りを見回す。十畳ほどの部屋には、無駄に高そうな座布団や机が潔癖症の人でも笑顔で頷くくらい綺麗に設置されている。しかし奥にある押し入れは半開きになっており、中にたった今慌てて片づけましたよ的にマンガ本やゲーム機が鮨詰め状態になっているのは見なかったことにする。
 机の上では人数分のティーカップが湯気を立てている。中身の紅茶はダージリンか。なぜそこだけ洋風なんだろう。
 左右には別の部屋に続く襖があるが、部屋を間違えたということはない。どこかに隠れているのか? あの日本かぶれの天女もどきのことだ、天井部屋や掛け軸裏の隠し扉とかがあっても不思議はない。
「おいスヴェン、あいつが待っているはずなのになぜ俺らが待たにゃならんのだ」
 凄んだ俺に、スヴェンは眼鏡をクイクイとさせて、
「待ちくたびれたのでは? もしかしたらトイレにでも行っているのかもしれないね」
「トイレか。だったら長えだろうな。いっつもあんな格好してんだから」
「あんな格好とはなんですかぁ?」
「あ? 十二単だよ。絶対にいろいろと大変なのに馬鹿だよな。頭ん中お花畑なんじゃねえの? そのうち『将来の夢は女神です』なんてアホなこと言い出しても不思議はな…………コンニチハ局長、今日モ綺麗デスネ」
 後ろでニコニコしながら危険なオーラを放つ存在に気づいた俺は硬直した。
「誰が馬鹿でお花畑でアホですか、レイちゃん? 圧し殺しますよぅ?」
 この直後、俺が〈圧風〉で押し潰されたことは言うまでもない。
「私が空気と同化している間にレイちゃんグループが揃ったので、お話を始めますね」
 上座の座布団に腰かけた誘波は、優雅な仕草で紅茶を啜ってからそう言った。
「話の前に、どんな理由で空気と同化していたのかを聞かせろ」
「待ちくたびれたのでレイちゃんをからかお……コホンコホン、私の命を狙う刺客がいたので身を隠していました」
「無駄な咳払いと下手な嘘をどうもありがとう!」
 このアマは絶対にいつかぶっ飛ばしてやる!
「さて、まず皆さんに見ていただきたいものがあります」
 誘波は指をパチンと鳴らす。すると、左側の襖が勝手に開いた。風か。
 俺たちはぞろぞろとそちらの部屋へと移動する。部屋の中心に布団が敷いてあった。
「これは……」
 俺は思わず息を飲んだ。布団に寝かされていたのは、ボーイッシュな顔立ちをした少女だった。昨日、セレスを捕縛しに来ていた異界監査官の一人だ。
 名前は稲葉レト。俺より一つ下で、まだ監査官になって三ヶ月の新米だ。
 彼女は、一週間ほど絶食したように酷く衰弱していた。顔色は血が通ってないのかと思うくらい悪く、呼吸も薄い。
「ご覧の通り、やられたのは彼女です」
 ティーカップを机に置き、誘波は落ち着いた調子で言った。
「これは酷い。無差別にこのようなことをする者がいるとは……許せない」
 セレスは持ち前の正義感がそう言わせているのだろう。
「フン、負けたってことはこいつが弱っちいってことよ」
「弱者は不安定です」
 イヴリア組は労るという言葉を知らないらしい。俺はその辺のことを講義したい気持ちを抑えて、寝かされている少女の状態を再確認した。彼女の命の火は吹けば消えてしまいそうなほど弱っている。
「これ、生命力を吸われたってことか?」
「私も初めはそう思っていましたが、どうやら違うようです」
 俺だけでなく、スヴェン以外のみんなが怪訝そうな顔を誘波に向ける。
「今回の被害者ですが、全員が異世界人――それも、魔力を持つ異世界人だということが判明しました。彼らが奪われたのは生命力ではありません。魔力です」
 俺は感覚を研ぎ澄ませる。稲葉レトは魔力を持った異世界人だが、確かに彼女からはなにも感じない。傍にいるリーゼの魔力が強大すぎて、感覚が狂わされている、というわけでもなさそうだ。でも――
「魔力を失ったくらいで、こんなになるもんなのか?」
「白峰零児、君は僕たちの言う〝魔力〟の定義をわかっているかい?」
 眼鏡のブリッジを押さえてスヴェンが試すように言ってくる。
 と、セレスが首を傾げた。
「魔力の定義? そこにいる〝魔帝〟に感じるような禍々しい気のことではないのか?」
「確かにリーゼのもそうだ。イヴリアでも〝魔力〟と呼んでるみたいだしな」
 リーゼとレランジェが頷くのを確認し、でも、と俺は続ける。
「俺ら異界監査局では、魔法とか超能力とか、この地球には元々存在しない、異能力を使うために消費するエネルギーのことを総じて〝魔力〟と呼んでるんだ」
 ちなみに俺の『吸力』で奪える魔力もその定義である。
「ふむ、自分も使っている手前、一応は理解しているようだね」
「だからなんだってんだ? 魔力と生命力はまた別物だろうが。その証拠に、俺は魔力を完全に失ってもピンピンしてるぜ? リーゼ、お前はどうだ?」
「さあね。そんな経験ないからわかんないけど、こんな風にはならないと思う」
 リーゼは常に魔力を持て余していただろうから、経験がないのも当然か。
「レイちゃんとリーゼちゃんは少数派なのですよ」と、誘波。「世界には自分で魔力を生成できる者とできない者がいることは知っているでしょう?」
 俺は頷く。俺が後者で、リーゼや誘波は前者のはずだ。
「ここで問題です。自分で魔力を生成できる人についてですが、その魔力はなにから作られていると思いますか?」
 この問題、俺は答えを知っている。ていうか、今思い出した。自分とは無関係なことだから忘れていた。
「……生命力、か」
「正解です。賞品は一泊七日、徹夜だらけの温泉旅行にご招待♪」
 その旅行だけは絶対行きたくない。
 誘波は空になったティーカップに新しく紅茶を注ぎながら、
「魔力を持つ異世界人のほとんどが生命力を糧にしています。つまり、その二つはリンクしているのです。片方を急激に消費すれば、必ずもう片方にも影響が出ます」
 それが、そこで寝ている稲葉レトの状態ということか。
「そもそも、生命力を吸われていたのなら彼女は生きていないだろう?」
 眼鏡をクイッと持ち上げるスヴェン。どうでもいいけど、お前は眼鏡に触れてないと喋れないのか?
「一つ、いいだろうか?」
 とそこで、セレスが控えめに挙手した。彼女は不安げな表情で稲葉を見る。
「私たちが話している間も彼女は苦しそうだ。どうにか楽にしてあげる方法はないのだろうか?」
「そんなの簡単よ」
 どういうわけかリーゼが傲然とした様子で言ってきた。その『お前らそんなこともわかんないの?』的な笑みはやめてもらいたい。
「痛みや苦しみを感じないほど一瞬で息の根を止めてあげ――」
「はい却下」
「なんでよレージ!?」
「マスターの貴重なご意見を無下にするとは縛り首安定です」
「誰かこいつら締め出してくれ!」
 俺とレランジェが肉弾戦を勃発し始めた横で、セレスは十二単を着て紅茶を飲むミスマッチな存在に問う。
「誘波殿、彼女を助ける方法は」
「ありますよぅ。リーゼちゃんの言った通り、簡単なことです」
「「「!?」」」
 あまりにあっさりと誘波が口にしたので、俺たちは時間が止まったかのように停止して彼女の方を向いた。ちなみに俺とレランジェはクロスカウンターを決めた後の格好だ。
「まさか、誘波殿、本当に殺すと――」
「そんなわけありませんよぅ。魔力を失ったのだから、補充してあげればいいのです」
「お言葉ですが、局長。〈魔力譲渡〉のできる異能者はこの局にはいません」
 スヴェンの言う通りだ。ここの異界監査局にそんな器用なマネができる者はいない。
 が、誘波はニッコリと笑って――
「いるじゃないですかぁ、そこに」
 ――リーゼを指差した。
「へ? わたし?」
 ポカンとするリーゼ。誘波は俺と頬を抓り合っているレランジェに顔を向ける。
「レランジェちゃんは、リーゼちゃんの魔力を貰って動いているのでしょう?」
「はい。我々魔工機械人形の原動力はマスターの魔力です」
 そういえば、イヴリアの城でレランジェがそんなことを言っていた気がする。誘波がそのことを知ったのは恐らく昨日、彼女たちを連れ去った時だろう。
「でも大丈夫なのか?」セレスが警戒するような口調で、「さっきの話を聞く限り、魔力と言っても様々なのだろう。体が拒絶して悪化するのではないか? まして彼女は〝魔帝〟だ。その魔力が他人にとって毒になってもおかしくない」
「薬と同じですよ、セレスちゃん。渡す量さえ間違えなければ弱った体を活性化させることくらいはできるのです」
 断言するということは、それも監査局の研究で判明していることなのだろう。
「リーゼ、やってくれるか?」
「うん、まあ、いいけど。簡単だし」
 リーゼはあまり面白くなさそうで不満な顔をしていたが、了承してくれた。そういえば稲葉はリーゼにセクハラをしたやつだっけ。気は進まないかもしれんが頼む。
「では、私の指示で行ってください」
 ふわりと飛んできた誘波がリーゼの小さな肩に手を置いた。リーゼは稲葉の手首を掴むと、集中するように軽い呼吸をする。すると、次第に稲葉の血色がよくなってきた。呼吸も正常に近くなり、表情も柔らかくなる。
 誘波がストップをかけ、リーゼは手を離した。
「成功のようだな」
 ほう、と息をつく俺。セレスも同じように安堵した顔をする。セレスは苦しんでいる人を見捨てられない騎士の鑑のような性格だな。そんな彼女を一時期でも疑っていたとは、自分を殴りたい。
 皆が安心した、その直後だった。
 再び稲葉の相好が歪み、うなされた呻き声を漏らす。
「なっ!? やっぱりリーゼの魔力じゃダメだったのか!?」
 まずい。もしセレスの言った通り毒になったのだとしたら稲葉を助ける手立ては――
「う……あかん、白峰先輩……桜居先輩とくっついては……白峰先輩はスヴェン先輩とやないと……すぅすぅ」
 俺は全力で皆を追い出して襖を閉めた。体が寒気を感じて反射的に動いたから変な寝言なんてなにも聞いてません!
「ぶ、無事のようだったね」
 スヴェンは顔を隠すように眼鏡を押さえているが、その滝のような冷や汗は隠し切れていない。
「さて、レイちゃんのBL疑惑が浮上したところで本題の方へ移りましょうか」
「待てコラ!」
 せっかく俺がなかったことにしようとしたのにこのアマは!
「びーえるってなに? 面白い?」
「ふふふ、面白いですよぅ。主にこのようなものを言うのです」
 誘波はリーゼたち女性陣を自分の周りに集めると、懐から怪しいマンガ本を取り出して三人に渡した。
「なんでそんなもん持ってんだ!?」
「あら?」
「あら? じゃねえ!」
 マンガ本のページを捲るにつれ、リーゼは頭に『?』を浮かべ、レランジェは無表情で食い入り、セレスは顔を真っ赤にして座布団に正座した。
「とりあえず、これは没収しておきますよ局長」
 ページを進めていたレランジェから本を取り上げたのはスヴェンだ。ナイス。
「よし、それを俺に渡せスヴェン。このまま焼却炉へ直行する」
「酷いですレイちゃん!?」
「やかましい! リーゼたちに変なこと吹き込みやがって! てめえはさっさと次の話を進めろ!」
 場がどうにか落ち着くまでに、十五分ほど時間を取られてしまった。
 全員が適当に着席していることを認めてから、誘波は表情を改める(結局マンガ本は返すことになった)。
「わかっていると思いますが、今回の犯人は監査官がやられるほど強力です。このまま放っておくと被害がさらに拡大するでしょう」
 ようやくの本題だ。俺はすっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲み干し、
「俺らもその犯人の捜索に加われってことだろ」
「流石はレイちゃん、話が早くて助かります」
 ニコッと微笑む誘波。こいつは真剣な表情を三分保つことができないらしい。
「んで、俺らはなにすればいいんだ? 昨日みたいに適当に街をぶらつくだけってわけじゃねえんだろ?」
「もちろん、適当にぶらついてもらいます」
「はぁ?」
 なに言ってんだこの十二単は? 無策にもほどがあるだろ。
「その『こいつ頭大丈夫か』みたいな顔はなんですか? 別に闇雲に探すわけではありませんよ。向こうが魔力を求めているのならば誘き出せばいいのです。そのために利用するのは、質が高くて膨大な魔力……ここには、丁度いい餌がありますから」
 皆の視線がリーゼに集中した。
 リーゼはフッと不敵に唇の端を釣り上げる。

「このわたしを、オトリに使うってわけね」

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