シャッフルワールド!!

夙多史

一章 二人の影魔導師(8)

「フロ! フロに入る!」
 自宅に帰ると、いきなりリーゼが仕事疲れのサラリーマンみたいなことを言い出した。
「レージ、お湯溜めて。あのぬるぬるのせいで体中ベタベタ。気持ち悪くて死にそう」
 げんなりとするリーゼを見て俺も同意する。そんなスライムの粘液まみれな体でいつまでも家を歩き回られては困るからな。風邪でも引かれたらもっと困る。
「はいはい、ちょっと待っててくださいね、お嬢様」
 俺は浴室の方へ向かう。ついでにタオルも拾って少しでも体を拭いといてもらおう。
「マスター、浴槽の湯張りは既に完了安定です。すぐに入浴できます」
「は? いつの間に溜めてたんだよ」
 俺は足を止めてレランジェに振り返った。浴槽に湯を満たすには十五分ほどかかる。それが既に溜まっているということは、主人の帰宅時間に合わせて用意していたのか? そういえばメシも作ってあったな。このメイドはどんだけ優秀なんだ?
「浴室はマスターがいつでもお好きな時間に使用できるように常時湯張り安定です」
「……水道代と光熱費はお前のバイト代で払うんだよな?」
「いえ、そこはゴミ虫様のお財布から」
「なんでだよ!? 自分たちの生活費は自分で稼ぐみたいなこと言ってたよな!?」
 俺に生活費を工面してもらうのが嫌とかなんとか言ってバイトしてたんじゃないのかこの木偶人形は!
「あとでゴミ虫様から搾取できるだけ搾取した方が安定だと判断しました」
「なんて悪女!? いや悪人形!?」
 ダメだこいつ、早くスクラップにしないと……。
「わかりました。そう仰るのならそれぞれが使った分だけそれぞれで払うことで妥協安定です」
「当たり前だ。元はお前が言い出したんだからな」
「ではゴミ虫様が九割」
「九割使ってんのはお前らだっ!?」
 言い争いの結果、支払いは半々という納得できない割合で納得しなければならなくなった。

 いつの間にやらリーゼは風呂場の中へと消えており、時折ご機嫌な調子で下手糞な鼻歌がリビングまで届いてくる。なんの曲かはさっぱりわからない。たぶん故郷イヴリアの唄かなんかだと思う。
「それにしても」
 ベッドと兼用しているソファーに寝っ転がってリーゼの鼻歌に耳を傾けつつ、俺は独りごちる。
「リーゼのやつ、相当に風呂が気に入ったみたいだな」
 スライムに絡まれたからってだけじゃない。風呂の存在を教えてからというもの、彼女はいつも夕飯よりもそちらを優先する。朝風呂も欠かさない。イヴリアにいた頃はレランジェに体を拭いてもらうだけだったらしいから、湯船に浸かるという心地よさを知らなかったのだ。ちなみに体を洗う時はまだレランジェに手伝ってもらっているらしい。
 一緒に暮らしてみて実感する。戦闘時以外の彼女は、〝魔帝〟なんて恐ろしい異名が嘘みたいに普通の女の子になるんだ。
「温泉にでも連れて行ったら驚くだろうなぁ」
「それは楽しそうですねぇ。レイちゃんにしてはいい提案です。早速手配しましょう」
 リーゼの驚きはしゃぐ顔を見てみたい気もするけど、そんな理由で女湯に突貫して処刑されたくはない。それに俺は紳士だしな。
「あらあら、レイちゃんがえっちぃことを考えてる顔しています」
「一つシンプルな質問をしたいんだが」
「なんでしょうか?」
「なぜいる?」
 俺は向かいのソファーに腰掛けてのんびり茶を啜っている不法侵入者に真っ白い視線を投げた。なんかの行事でもないのに十二単を羽織り、おっとりとしたオーラを全身から放出している少女にだ。
 法界院誘波。
 日本異界監査局局長。
 そして俺が知る中で最強の異界監査官。
 こんなところでのほほんとしているはずのない人物は、ニコニコの笑顔を浮かべ、

「暇だったので、遊びに来ちゃいました♪」

「暇なわけないだろうが! さっきだって迫間と四条がマルファを連れてったばかりなんだぞ!」
 今ごろ命令を下した局長がいなくて右往左往してんじゃねえかあいつら?
「彼らに命令したのは私ですけど、連れて行くのは異世界人の教育機関ですから問題ありません。それよりも私はレイちゃんポイントが不足すると仕事に支障をきたすのですよ」
 なんだその不愉快なポイントは。貯めたら商品と交換でもできるのか?
「要は仕事が面倒になって抜け出してきたんだろ。マルファに戻れって言う資格、お前にはねえな」
「相変わらず上司に向かって口が悪いですね、レイちゃんは」
 ぷん、と唇を尖らせて端整な顔を怒らせる着物少女。このアマはいつどこで淹れたのか不明なお茶をずずずと啜る。湯呑は俺ん家にはない柄のものだ。持参してきたのだろうか。
「そうだ、お前に訊きたいことがあったんだ」
「『誘波ちゃん』とフレンドリーに呼んでください」
「……………………イザナミチャンに訊きたいことがある」
「レイちゃん、ツッコミが面倒臭いからって諦めないでください。それとその一言を口にするために物凄い心の葛藤があったように見えましたよ?」
 実際、激しく葛藤した。それでも今日は普段より疲れているんだ。プライドなんて疲労の前には簡単に折れてしまう。
「今回あの魔王が攻めてくるって前もってわかってたみたいだけど、なんでだ?」
 これまでは『次元の門』の出現は観測できても、そこから発生する事象については全て受け身だった。だからこそなにが起きても対処できるように異界監査官が派遣されていたんだ。
「ああ、そのことですか」
 誘波は『なんだそんなことか』とでも言いたげにお茶で喉を潤し、
「『次元の門』から繋がる異世界へ無人探査機を飛ばしたのです。それから転送されてきた映像データに、こちらへ攻め込まんと意気込む彼の魔王軍が映っていたというわけです。想像を裏切るように貧弱だったみたいですが」
「無人探査機って、いつからそんなことしてたんだよ」
「つい最近ですよ? 言ってませんでしたか? 門の周辺であれば、極微量な電波が届くことをレイちゃんが確認してくれたじゃないですか」
 俺がリーゼの世界に飛ばされた時のことだ。あの時は門の近くで携帯が繋がった。となれば確かに探査機を送ることも可能かもしれない。いや、可能だと判明した。
「異世界探索の実験は過去に何度も行っていましたが、当時は技術が追いついていなく失敗ばかりで半ば諦めていました。宇宙に機械を送れても、次元だと様々な法則が異なってきますからね」
〈言意の調べ〉や〈現の幻想〉などを開発できる現代の魔科学技術ならば実現できたってわけか。
「でもこれからは今まで以上に異世界のデータが取れます。セレスちゃんたちが元の世界に戻る日もそう遠くないかもしれませんね」
 監査官の戦力が減ることは残念ですけど、と誘波はどこか寂しそうにつけ足した。まあ、帰ることを目的として異界監査局に所属している異世界人は全体の四割くらいいるからな。彼らが全員いなくなったとすれば、確かに物寂しい感がある。
 と、誘波はなにやら辺りをキョロキョロと見回し始めた。
「どうしたんだ?」
 怪訝に思った俺はつい訊ねてしまった。そしてすぐに訊くんじゃなかったと後悔することとなる。
「レイちゃん、テレビのリモコンはどこです? そろそろ『魔法少女☆殲滅撲滅リリスちゃん‐人類は全て敵‐』が始まる時間なのですけど……」
「居座る気満々だなおい! あとどうしてそんな物騒なタイトルのアニメがゴールデンタイムに放送されてるんだよ!」
「リリスちゃん見たら帰りますよぅ。私はこう見えても忙しいのです」
「それは知ってる」

 その後、誘波はアニメを見終えても帰ろうとせず、タダ飯まで食らいやがった。

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