シャッフルワールド!!

夙多史

三章 監査官対抗戦・本選(1)

 世の中には理解不能な怪現象が起こることがままある。
 人魂みたいなオカルト的現象なんてものは、異界監査官をやっていればさほど珍しいものでもない。寧ろ人魂程度なら可愛いくらいだ。『次元の門』という超常現象を相手にしてたら誰だってそう思うさ。
 こんな話をするってことは……そう、監査官の俺でも驚くほどの怪現象を目の当たりにしたんだ。もっとも、そいつはお泊まり会の怪談話に使えそうなネタではない。

 一度壊滅したと思われた女装喫茶が盛り返していたんだよ。

 いいぞ、悲鳴を上げても。もしくは『なんでやねん!!』と突っ込んでくれ。
 どうやら女装だとわかったらわかったで、ドイーさんのハイクオリティなメイクアップ技術を一目見ようと客が集まったらしいんだ。広まっていた噂も、『二―Dの喫茶に可愛い娘がいっぱいいるらしいぞ!』という午前中から、『二―Dの喫茶の女装レベルがマジぱねぇらしいぞ!』に変わっていた。
 奇しくも男装喫茶代表の郷野美鶴は集客を手伝ってしまった形になる。こうなるなんて誰が予想できただろうか。いやできるわけがない。反語。
 男装喫茶の方はセレスとリーゼが抜けた穴を他の女子で埋められるはずもなく、結果として僅差で女装喫茶に軍配が上がった。
 俺はというと、内心でガッツポーズ。男子が勝ったら二日目からメイド喫茶、女子が勝ったら執事喫茶って約束だったからな。監査官対抗戦の合間に執事服でウェイターの仕事なんてやってられるか。リーゼやセレスのメイド服姿が拝められるのはなんか新鮮でちょっと楽しみだったりする。ちょっとだぞ。
 さて、学園祭における二年D組の勝敗結果を確認したところで――

 俺は今、異界監査局の女子寮にいます。

 も一つ言えば、女の子の部屋にいます。あ、女子寮だから当たり前か。テンパってるな俺。深呼吸して落ち着こう。すーはーすーはー。
 ……よし。心臓の刻むビートが少し緩やかになったので、座布団の上に正座している俺は改めて部屋を見回してみる。
 1LDKのちょっとお高めなマンションって感じの部屋だ。広々としたリビングは清純な空気で満たされていて、気を抜けば自分が黴菌なんじゃねえかと錯覚しそうになる。
 しかし部屋の広さの割には物が少なく、必要最低限の家具しか置かれていない。小さ目の正方形テーブルに時計にタンス、フローリングの床に敷かれた無地のカーペットくらいだ。女子の部屋のイメージとしてはちょっぴり味気ない感じが否めないな。
 でも、らしいな、と俺は思っていた。
 ここはセレスの部屋なんだ。
『零児、例の剣について話がしたい。後で私の部屋に来てくれないか?』
 監査官対抗戦の予選を終えてすぐに、セレスの方からそう申し立ててきた。俺は嫌とは言えず二つ返事で了承してしまい、現在に至る。
 セレスが異界監査局の女子寮で暮らしていることは知っていたものの、訪れたことは一度もなかった。男子である俺が女子寮に行く機会なんて一生ねえと思ってたのに。
 そもそも、この禁断の聖域に踏み込んでもいいのか俺? あとで懲罰が待ってるオチじゃねえだろうな。
「つか、セレスはなにしてんだよ。ちょっとここで待ってろって言ったっきり、もう四十分は経つぞ」
 いい加減に足が痺れたので俺は正座を崩した。いや、別に正座しろって言われたわけじゃないんだけどね。なんとなく、ほら、緊張したっていうか……。
 ガチャリ。ドアがどこか遠慮がちに開いた。瞬間、鼻孔をくすぐる甘酸っぱいレモンのような香りが部屋に流れ込んでくる。
「すまない零児、待たせてしまった」
 部屋に入ってきたセレスは、なんというか、ホクホクしていた。
 着ている学園の制服は新しく、着替えたのだとわかる。だが、細く煌びやかな銀髪はしっとりと濡れていて艶があり、頬は桃色に染まって上気しているのはどういうことだ? ついでに手に持っている白い布は――ば、バスタオル?
「な、なにしてはったんでゲスか?」
 いかん、俺の言語能力に障害が……。
「その、なんだ。汚れていたし、汗もかいた。だから話の前にシャワーを浴びたいと思ってなにが悪い」
 男を部屋に招いて、
 女がシャワーを浴びる。
 浮上してくるイケナイ妄想を激しく頭を振って追放した。
「わ、悪くはねえけど、それならそうと言ってくれればよかったのに」
「だって、言ったらあの時のような事故が発生しそうな気がしたんだ」
「あの時?」
 昔、セレスが間違って男子シャワー室に突撃したことを言ってるのだろうか?
「な、なんでもない!」燃えるように赤面してセレスは手をぶんぶん振り、「そ、それより零児もシャワーを浴びたければ使ってもいいぞ」
「遠慮するよ。俺はシャワーって好きじゃないし。帰ってからゆっくり湯船に浸かるさ」
「そ、そうか? いや、やっぱり使え! 零児が汚れていると、私が不快なんだ!」
「でも着替えがないし」
「それを着ればいいではないか」
 セレスが示したのは、俺のカバン横に置かれた紙袋に収まってあるピンク色のお姫様ドレス。記念品と言ってドイーさんから強制的に渡された女装セットだ。そうかなるほどこれを着れば――って!
「いやいやいやいやいやいや無理!!」
 俺は全力で否定した。帰って速攻で処分しようと思っていた人生の黒歴史を、よりにもよって女の子の部屋で着るとかどんだけヘンタイだよ!
「大丈夫だ。ここには私しかいない。恥ずかしがることはないぞ」
 あれ? セレスさん、なんか楽しんでませんか? 俺を見る目がキラッキラって輝いてるんですけど……。
「いいか零児、女性の部屋で汗臭い格好のままはどうかと思うのだ。部屋が汚れてしまえば後の掃除も大変になる」
「本音は?」
「この前の温泉街といい、今日の昼といい、私ばかりが恥ずかしい姿を見られていては不公平だと思う」
「勘弁してくだせぇ! ホントこれだけは勘弁してくだせぇ!」
「わわっ!? 泣くほど嫌なのか!?」
 流涙と減り込むような土下座でなんとかこのまま話を始める許可が下りた。ところで今日の昼って俺なんかしたっけ? ああ、執事服のことか。
 セレスは少々不満の残る表情をしながら、テーブルを挟んだ向かい側に正座した。
 俺は一つ深い呼吸をして気持ちを切り替える。
「それでセレス、実際にあの剣を見てどうだったんだ?」
 話を促すと、セレスは表情を改めて真剣な光を翠瞳に宿した。
「うむ、私の思い違いではなかった。アレは紛れもなく本物だ。本物の――魔剣だった」
「魔剣?」
 少し間を置いてから紡がれた単語に、俺は聞き覚えがあった。その単語自体は誰もが知っている言葉だろうけれど、セレスの口から出たならば意味は一つに絞られる。
「そうだ。アレは聖剣と対を成すラ・フェルデの魔剣。銘はディフェクトス。私が聖剣十二将となる前にいくつもの街を滅ぼし、私の……」
 そこでセレスは躊躇うように数瞬だけ口籠り、

「剣の師の命を奪った、忌まわしき一本だ」

 込み上げてくる負の感情を無理やり押し殺した声で吐き捨てた。
「……」
 俺は、なにも言えなかった。悲しげな顔をするセレスに、かけてやる言葉が見つからなかったんだ。
「私の師は聖剣十二将に就任したばかりだった。それでいて、どの将よりも強く誇り高かったと私は思っている。実際はそうでもなかったのかもしれないが」
「尊敬してたんだな」
「師であり、実の兄のように慕っていた。私がラ・フェルデ国防学院に在席していた頃も、たまに剣術の講師として招かれていたほどの腕前だった」
 楽しかった日々を懐かしむように語るセレスの表情に、影が落ちる。
「でもあの日、魔剣の鎮圧任務に向かってから帰らぬ人となった」
 聖剣十二将の一角が敗れるほどの力。俺はセレス以外の聖剣十二将を知らないが、セレスが末席ということは他の十一将の実力は恐らく彼女以上だろう。聞く限り、セレスの師匠もかなりの実力者だったはずだ。
 なのに、敗れた。俺がラ・フェルデ人だったら戦慄ものだ。
「その後、魔剣はどうなったんだ?」
「陛下が自ら出陣なされて、使い手諸共に次元の狭間に封印した……はずなのだ。なのに、どうしてこの世界に存在しているのか私にはわからない」
 セレスはそこで言葉を切って瞑目した。膝の上で握った拳が小刻みに震えている。彼女があの剣に対してなにを思っているのか、俺には想像もつかない。
 数秒間の沈黙の後、セレスはすっと瞼を上げた。
「なんであろうと、あの魔剣がこの世界にあることはラ・フェルデの落ち度になる。私情を抜きにしても、聖剣十二将たる私が回収しなければならないのだ」
 使命感。なんともセレスらしい理由だな。
「どうしてそれを誘波に言わなかったんだよ?」
「確証がなかったんだ。アレは本来、こんな場所にあるはずのない物だから。それに誘波殿は呪われた剣だろうと取り消す気はないと言った。私がこの話をしたところで無意味だと思う」
「だろうな。あいつだって馬鹿じゃない。自分で調べて危険じゃないと判断したから賞品にしたんだ。魔剣とか聖剣とかって言うけど、要は使い手の問題なんじゃないのか?」
 怒鳴られること覚悟であまり考えずに言ってみると、セレスは口元に手をやって考え込んだ。
「うん、一理はある。実のところ私も魔剣というものを『忌まわしき力を秘めた武器』としか認識していないのだが、この聖剣ラハイアンだとて使い方次第では人に害成す力となり得る。零児の言う通り、魔剣もそれを制御できる者が持てば良いことに力を振るえるのかもしれないな」
 フッとセレスは柔らかく微笑んだ。窓から差し込む夕日に映えるセレスの姿は、思わず見入ってしまいそうで……やっぱ綺麗だなぁ。
「だが、魔剣も聖剣と同じかそれ以上に使い手を選ぶはずだ。おいそれと他人には渡せない。私はもうすぐラ・フェルデに戻ることになるが、その前に必ず回収しておきたい」
 どうも、魔剣を回収する意思に揺らぎはないようだ。そりゃそうだ。師匠の仇なんだからな。だったら、相棒たる俺もやることは変わらんな。
「全力で本選トーナメントを勝ち進んで、優勝しようぜ」
「無論だ」
 俺とセレスは力強く頷き合った。賞品は優勝者から選択していくことになっているから、必ずしも優勝しなければならないわけではない。けれど、魔剣を狙っている者が他に何人もいることは予選通過者と対面してわかった。もしかすると本局チーム以外の全チームが狙っているかもしれん。
 さて、と俺はすっくと立ち上がった。
「そうと決まれば、さっさと帰って明日のためにゆっくり休むか」
 恐らく先に帰ってるだろう〝魔帝〟様御一行がいるから休まるかどうかは甚だ謎だけれど。
「待て零児」
 そうだこの紙袋の中身はセレスにあげようかいややっぱ黒歴史は燃やすしかねえ、と二秒ほど逡巡していた俺をセレスが呼び止めた。
「なに? あ、もしかしてこのドレス欲しかった?」
「いいのか? くれると言うならもらうがでもサイズが――って違うそうではない!」
 セレスのノリツッコミは新鮮だった。
「零児、私は言ったはずだ。今度、私の故郷の料理をご馳走すると」
 ――ホワッツ?
 そんなこと言っ……たな。予選前にたこ焼きを買った時だ。
「じょ、冗談じゃなかったのか?」
「このようなことを冗談にしてなにが面白い。今日はここで夕食を取るといい。実はもう作ってあるんだ」
 なん……だと……?
 シャワーにしては長いなぁとは思ってたが、料理までしていたのか! 納得と同時に明日を歩んでいる俺のビジョンが見えなくなった。
 セレスは先程の暗い話が嘘だったかのように活き活きと立ち上がると、キッチンから土鍋を持ってきてテーブルに置いた。なんで土鍋?
「残さず食べてくれ」
 セレスは花咲くような満面の笑みを浮かべて土鍋の蓋を取った。俺は既に嫌な汗が止まらない。だって――
「あのう、セレスさん。ラ・フェルデの料理は紫色の湯気が昇ったりするもんなんすか?」
「そんなわけないだろう。おかしなことを言うな、零児は」
「見えないの!? このモクモクと煙のごとく立ち上る濃い紫が見えないの!? あまりに色が濃すぎて鍋の中身が判然としないんですけどなに入れたらこうなるの!?」
 しかもなんかボコボコいってるし! 沸騰しているだけじゃこんな音は立たない。マグマかなにかみたいだ。
「無駄と知りながら訊くけど、ちゃんと味見したよね?」
「……無論だ」
「なぜ目を逸らした今!?」
「残さず食べてくれ」
「いやだってこれ――」
「残さず食べてくれ」
「……ういっす」
 これほど恐怖を覚えた美しい笑顔を、俺はこの先の生涯で見ることはないだろうね。

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