シャッフルワールド!!

夙多史

五章 神剣の継承者(2)

 カーインの撤退宣言に、ゼクンドゥムは嘲笑した。
「なんだって? 冗談じゃない。大精霊は封じたんだ。あとはこっちの兵力で楽に押し切れるんじゃないの?」
「やつの出現は天災すら超える不運だ。周りを見ろ」
「周りって……なッ!?」
 ゼクンドゥムは気づいたようだ。『王国』側は望月を除いた執行騎士と、魔装騎兵団が百名程度しか立っていないことに。出現していた『次元の柱』が消えてしまっていることに。
「……わかったよ。〈夢回廊〉を開く」
 冷静に状況を呑み込んだのか、ゼクンドゥムの顔が急に真面目になった。
「動ける者は負傷者を運べ! 急げ!」
 カーインの号令に従い、魔装騎兵団は迅速に撤退行動を開始する。意外にも味方を助け担ぎながら、兵隊たちは空間に穿たれた白い穴へと駆け込んでいく。
 逃げられる!?
 ふざけんな! リーゼはまだカーインに捕まったままだぞ!
「逃がすか! リーゼを返せ!」
 俺はもつれそうになる足を懸命に動かして駆けた。俺は無力だ。グレアムや誘波、ましてやクロウディクスのように強くなんてない。
 それでも、動かずにはいられない。みすみすリーゼをあいつらに渡すわけにはいかない。もし自分の無力を言い訳になにもしなかったら、俺は間違いなく一生後悔する。
 趨勢は変わった。俺たちはまだ負けてないんだ。
 だから俺は走る。走って、奔って、疾って、納得いく結果を掴み取ってやる。
 力の差は歴然だ。そんなことは痛いほど身に染みている。だが守る。守ってみせる。そう決めた。俺が決めた!
「カーイン師匠!」
 セレスも俺の後に続く。レランジェはどうやら先程の消失に足を巻き込まれたらしく、立てないでいた。悔しそうに舌打ちをし、匍匐前進で這ってでも主の下へ参じようとしている。
 安心しろ。お前のマスターは俺が絶対に助けてやるから。
 と――
「おいコラ! てめェら的にぼさっと突っ立ってんじゃねェよ!」
 頭から血を流したグレアムが瓦礫を押し退けて顔を出した。大丈夫なのか? まあ、あのくらいじゃあいつはくたばらないか。
「てめェら的に零児と嬢ちゃんに全部任せる気か? ふざけんじゃあねェぞあァ! 一匹でも多くふん捕まえろや!」
 ハンターのような獰猛な笑みに、周りの監査官もハッとした。雄叫びを上げ、撤退する『王国』を追撃し始める。
 背を向ける相手に攻撃する趣味はないが、そいつは時と場合によるってもんだ。
「カルトゥム、あんたもさっさと入りなよ」
「将が先陣切って敗走などできぬ。やつの狙いは俺とこの魔剣だ。俺が先に逃げれば必ず追ってくる。そうなれば『王国』とて無事では済まん。だからこそ、俺は最後までこの場に踏み止まる必要がある。それと――」
 カーインが鋭利な視線をセレスに向ける。
「俺にはまだ、果たさねばならぬことがあるようだ」
 意思を固めたカーインを見て、ゼクンドゥムはくだらなそうに白髪を掻いた。
「めんどうくさいなぁ。カルトゥムも監査官たちもめんどくさいよ。こうなったらボクの〈白昼夢〉で――」
 ――ザシュッ!
 紙面を刃物で切り裂くような音がゼクンドゥムの言葉を遮った。

         ザシュッ! 

      ザシュッ! ザシュッ! 

   ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ! 

 ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ! 

 連続的に聞こえるその音は――空間の裂ける音だった。
「あらあら、ゼクンドゥムちゃん、この私をいつまでもあんな場所に閉じ込めておけると思っていたのですかぁ?」
 滅多切りにされた上空の空間から現れた天女は、実にニコニコした笑顔を戦場に振り撒いていた。
「誘波! 無事だったのか!」
「あはっ♪ レイちゃんが心配してくれました。これは退場させられるのも満更でもないですね」
 なにやら気持ち悪くキャッキャしているのはいつもの誘波だ。俺は走りながらもちょっと安心する。だけどあいつの十二単も相当に汚れてボロボロじゃないか。あんな姿は初めて見た。一体ゼクンドゥムとどんな死闘を繰り広げたんだよ?
 誘波の出現にゼクンドゥムは苦虫を噛み潰したような顔になる。よし、これでやつの〈白昼夢〉は封じられたな。危なかった。
 おかげで心置きなくカーインに立ち向かえる。やつは先に部下を逃がすためか、それともセレスとの決着をつけるためか、〈夢回廊〉に背を向けて泰然と俺たちを待ち構えている。
 両方だな、と俺は思った。やつの目が言っている、「来い、セレスティナ」と。
 俺は三歩後ろを駆けるセレスに訊ねる。
「セレス、勝算はあるか?」
「ない。だが、やるしかない」
 セレスは即答した。絶対に曲がらない強い意志を翠眼に宿し、師匠であるカーインをキッと捉えている。
 すると、俺たちの進路を塞ぐように金髪と王衣が靡いた。
 ラ・フェルデ王――クロウディクス。やはり最初からそこに存在していたかのような挙動で現れやがる。でもなんのつもりだ? 俺たちに背を向けてカーインを見据えているから、邪魔をしようってわけじゃないだろうけど……。
「陛下! 申し訳ありません、お手をお出しにならないでいただけますか! 私はこの手で師匠、いえ、カーイン・ディフェクトス・イベラトールと決着をつけたいのです!」
「お前ではまだやつには勝てんぞ? それに事はお前たち個人の問題だけではない」
 こちらを向かぬまま、クロウディクスは冷然と事実を述べた。
「ですが!」
「わかっている。お前の意思は固い。だから私が直接手を下すことはやめよう。だが、お前を失うわけにはいかん。助力くらいはさせろ」
 クロウディクスは星空色の剣――神剣ユーヴィレードを天高く掲げる。
「助力って、なにをするつもりだ?」
 俺は訊かずにはいられなかった。クロウディクスはそこで初めて首を動かし、赤紫色の瞳で俺を見る。
 ビクリ。やつに見られただけでなぜか心臓が跳ねた。圧倒的な威圧感が心臓どころか俺の全身を鷲掴みにし、いつでも楽に握り潰されてしまう。そんな恐怖に近い感覚に襲われ立ち止まりそうになる。
 でも、止まるわけにはいかない。
「なるほど、度胸だけは大したものだ」威圧を緩めるようにクロウディクスは微笑んだ。「お前がこの世界においてセレスに最も近しい存在というわけだな。どうだ? 今度酒でも汲み交わしながら話でもしないか?」
「そ、そんなことはどうだっていい! なにをするのかって訊いてるんだ!」
 せっかくの国王陛下からの申し出だがお断りだ。だって俺未成年だし。
「つれないな。だがこの状況では仕方のないことか」クロウディクスは肩を竦め、「なに、簡単なことだ。私の神剣を介し、聖剣ラハイアンを一時的に柱の庇護下に置く。ラ・フェルデにある第十二の柱とだ」
 全然わからん。そんなことしてなんの意味があるんだ?
「柱の庇護下に……そうか! わかりました、陛下!」
「セレス、どういうことだ?」
「誘波殿と同じだ、零児」
 誘波と同じ? 今笑顔でゼクンドゥムと牽制し合いながら「あら? あの金髪ちゃんはどなたですか?」と恐れ多いことをほざいているあいつは、柱守の大精霊とか言ったっけ。そしてラ・フェルデの聖剣の役割は大精霊と同じだとカーインは言った。
 誘波はこの場所だと力が増す。もし聖剣もそれを生み出した柱の傍だと強化されるのだとしたら……クロウディクスは文字通り次元を越えて同じ環境を作り出すってことだ。
「理解は済んだようだな。ならばお前たちはただまっすぐに走り続けろ」
 言われなくても止まる気はない。俺とセレスはクロウディクスの横を素通りしてカーインを目指す。
 そのカーインが唸る。
「クロウディクス。貴様がなにをするか知らぬが、俺が黙って見過ごすと思わないことだ」
 紅いオーラの消え失せた魔剣をカーインは大振りに掬い薙ぐ。込められた凄まじい闘気が波動となって押し寄せる。
 地面を深く削り取りながら俺たちに迫るそれは――でかい! これまで見た中で最大の範囲だ。今すぐ横に飛ばないととてもじゃないがかわせないぞ。
「待て零児! まっすぐ走るんだ」
「は? アレに突っ込めって言うのかよ!」
 ダメだ! 今の一言で完全に出遅れた。もう飛んでも間に合わない!
「――え?」
 死んだと思った。もしくは瀕死になっているはずだった。
 だが気づいた時、闘気の波動はなく、カーインが俺の後ろに立っていた。
 回り込まれた? そんなはずはない。視界に映る光景もつい今まで走っていた場所とは若干違う。となると、俺がやつの後ろに移動したってことになる。
 ――そういうことかよ!
「!」
 カーインが俺に気づいたのと、俺が日本刀を振るったのは同時だった。カーインの左腕の籠手を打ち、その手からリーゼを零させる。
「リーゼ!」
 俺は力なく倒れつつあるリーゼを受け止めようとしたが、
「クロウディクス、小癪な真似を――破ぁッ!!」
 カーインが魔剣を地面に突き立てる。爆発した闘気が突き上げるように俺をリーゼ諸とも吹き飛ばす。空中を高く弓反りに舞うこととなった俺は、同じく弧を描きながら飛んでいるリーゼに手を伸ばす。
 そこで、もう一人空中に飛び上がった者がいることに俺は気がついた。
「柱を壊せなかったのなら、せめて〝魔帝〟だけは回収させてもらう!」
「スヴェン!」
 このクソメガネ、なんてしつこいやつなんだ。
 やばい。狙って飛んだスヴェンの方がリーゼに近い。
 リーゼ起きろ! 起きてくれ! 頼むっ!
「……ん」
 俺の想いが通じたのか、宙を舞うリーゼの瞼が痙攣した。指がピクリと動き、彼女はゆっくりと目を開く。
「〝魔帝〟が目覚めたか。仕方ない。だったらもう一度眠らせてぎゃぶふっ!?」
 燕尾スーツの懐に手を突っ込んだスヴェンだったが、リーゼの小さな足裏で顔面を踏み抜かれて落下していった。圧し曲がってレンズの砕けた眼鏡と共に。
「リーゼ! こっちだ、掴まれ!」
「レージ? ……レージ!」
 状況を把握し切れていないのだろうが、困惑顔から一変、リーゼはなぜか嬉しそうに俺に向けて手を伸ばす。
 白く小さな掌と、俺の掌が融合する。
 俺の、左掌と。
「悪い、少し魔力借りるぞ」
「え?」
 きょとんとするリーゼの手から、俺の左手を通って流水のように魔力が込み上がってくる。それを俺は制御し、自分の魔力に変換される前に右手へと流す。
 イメージを乗せ、具現。

〈魔武具生成〉――魔帝剣ヴァレファール。

 リーゼの瞳と同じ紅色をした、禍々しいデザインの波打つ両刃大剣が出現した。武具化に使用しなかった魔力が黒炎と成って剣身に纏う。
 俺が唯一生成することのできる異能力武器。狙いは無論、カーインだ。
「はぁあっ!!」
 裂帛の叫びと共に、一閃。とてつもない黒炎の波濤がカーインを呑み込まんと宙を奔る。
 それに気づいたカーインは、魔剣に弱々しい紅いオーラを絞り出すように纏わせ、迎え撃つ。恐らくやつが使える最後の魔剣の力だ。
 黒炎と消失が激突する。数瞬の拮抗。でも、力をほとんど使い切っていた魔剣よりも俺たちの方が強い!
 消し切れなかった黒炎がカーインを包む。それでも威力を大幅に削り取られていたのか、黒炎が流れた後もカーインはまだ立っていた。
 これでいい。やつを仕留めるのは俺の役じゃない。
「行け、セレス」
 俺とリーゼが地面に叩きつけられた時、カーイン前方の土煙から白光が爆発した。
 土煙を払い除け、聖剣を構えたセレスが飛び出してくる。
「共鳴しろ、聖剣ラハイアン」
 クロウディクスが掲げる星空色の剣が明滅する。すると、聖剣が発する白光が何倍にも強烈になった。
「カーイン!」
 セレスはもう『師匠』とは呼ばなかった。
「来るがいい、セレスティナ」
 カーインも魔剣を闘気で覆う。両者ともに言葉はそれ以上なかった。
 衝突。聖剣と魔剣が甲高い激突音を発する。
 白光と闘気が重なり、混ざり、巻き上がる。
「はぁああああああああああああああああああああッ!!」
 セレスの叫びが大気を振るわせる。白く激しい輝きが上空の暗雲すら払い飛ばす。
 そして――バキン!

 白き光の聖剣は、カーインの魔剣を斬断し、対光属性を持つ漆黒の鎧までも粉々に砕き割った。

「がっ……」
 鮮血を飛び散らせて白目を剥くカーイン。セレスが勝った、そう思った。
 しかしカーインが意識を失ったのはほんの一瞬だけだった。ぎょろり、とすぐに瞳の焦点を勢い余ってつんのめっていたセレスに合わす。
 ドムッ!
 嫌な鈍い音が鳴った。カーインの鉄拳がセレスの腹を捉えたのだ。
「――かはっ!?」
 振り切られる拳。セレスは何十メートルと吹っ飛び、何度もバウンドし、何回転も転がり、それからピクリとも動かなくなる。
「セレス!? カーイン、てめえ!!」
 叫喚したところで、俺の体はもう動いてくれなかった。落下のダメージが思ったよりキツい。
 リーゼもまだ薬が抜け切れていないのか、立ち上がれそうにない。上体だけ起こし、戸惑った顔でただキョロキョロしている。
「退くぞ、ゼクンドゥム」
 砕けた魔剣を拾い集め、カーインは踵を返した。やつの生き残った部下たちは既に退却を完了している。望月とクソメガネもいつの間にかいなくなってやがる。誰かが拾って行ったのだろう。
 残る『王国』の兵はカーインとゼクンドゥムだけだ。だが、あの二人を捕えられるほどの余力を残している監査官はいない。
「逃がしませんよ、ゼクンドゥムちゃん。あなたにはまだまだお仕置きしなきゃいけませんからねぇ」
 ただ一人、天使の皮を被った悪魔の微笑みを浮かべる誘波を除いてな。
「他の者は構わんが、カーイン、この私がお前を見逃すと思うか?」
 それと、クロウディクスだ。ラ・フェルデ王は数十メートルの距離をたった一歩で縮め、カーインの傍に出現する。
 焦燥の色を浮かべ、カーインとゼクンドゥムは身構えた。が、豪風は無慈悲に舞い踊り、星空色の剣は激しく明滅を繰り返している。

 そこで、時が止まった。

 そう、俺は思ってしまった。本当は時なんて止まってない。ただ、誘波とクロウディクスが二人ともそのままの姿勢で固まったんだ。
 知っている。見たことがある。それもついさっきだ。
 クロウディクスの空間凍結。それと同じ現象が今二人の動きを完封している。
 どうなってんだ? 神剣が暴走でもしたのか?
「……〝王様レクス〟か。感謝する」
 カーインがぽつりと呟き、落ち着きを取り戻した様子で〈夢回廊〉に向き直る。
「セレスティナ、本当に俺を止めたいのならば、さらに強くなれ」
 届かぬ言葉を意識のないセレスに残し、カーインはゼクンドゥムと共に白い穴へと消えていった。

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