シャッフルワールド!!
五章 神剣の継承者(4)
時間の感覚なんてとっくになくなっていた。
監査官対抗戦からの『王国』との戦争で疲弊し切っていた俺は、高等部校舎の保健室で泥のように眠ってたんだ。襲撃された医療施設は明らかにベッド数が足りないだろうなと予測したところまでは覚えている。
ベッド脇の時計を見ると午後八時を回ったところだった。俺が保健室に来たのがえーと……何時だっけ? 空はまだ明るかったと思うけど。
後夜祭はもう始まってるんだろうな。誘波の企画が碌でもないものでないことなんてありえん。男装喫茶VS女装喫茶みたいにな。
行っても疲れるだけな気もするが、まあ、ちょっと顔を出すくらいならしてやらんこともない。
などと勝手に偉そうなことを考えていると――ガラッ。
誰かが扉を開けて保健室に入ってきた。
養護教諭の磯原先生かと思ったが、足音が二人分ある。そいつらは締め切っていたベッドカーテンの前に立った。シルエットも二つ。一つが小柄で、相対的にもう一つが長身に見える。
「零児、起きているか?」
声はセレスのものだった。となると小柄な方はリーゼだな。あの二人が一緒だなんて珍しいこともある。
「ああ、今起きたところだ。ちょっと待ってろ、すぐ出るから」
「早く出なさいよ」
リーゼに急かされ、俺は身を起こしてベッドから出てカーテンに手をかける。と――
「わっ!? 待て零児まだ私は心の準備が――」
なんかセレスの慌てた声が聞こえたが、もう遅かった。俺はカーテンをスライドさせ――目を点にした。
「誰?」
そこにいたのは俺の知っているリーゼとセレスじゃなかった。リーゼと思われた小柄な少女は腰に手を当てて偉そうに構えているのだが、癖の目立つ紫髪に青緑色の瞳、蜘蛛の巣柄の奇天烈な黒いワンピースを着ている。
その横で顔を赤らめもじもじしている少女は、腰まで流したストレートの銀髪に紅い瞳、服装はワイシャツとミニスカートだった。背負ってある布の巻かれた長物だけが見覚えあるぞ。
「まさか……リーゼとセレスなのか?」
俺はまだ寝ボケてるんだろうか? 二人の容姿が全然違って見える。目を擦ってもやっぱり同じだ。……いや、そういう夢なのかもしれん。夢?
「そうか、わかったぞ。ゼクンドゥムの仕業だな。撤退したと思わせておいて引き返して奇襲する算段だったんだろうが、残念だったな。今度ばかりは俺も自分で夢に気づいたぞ。さあ出てきやがれ!」
「なに言ってんの、レージ?」
紫髪のリーゼ(?)に変な物を見る目で否定された。だ、騙されんぞ。これは夢なんだ。俺の知ってるリーゼは金髪で赤い目をしてるんだ。
「私も夢であってほしいとは思う。だが、もしもこれがあの者の幻ならば、私たちは疑問すら覚えないのではないか?」
普段はポニテに結っている銀髪を下ろした赤目のセレスが残念そうに言う。恥ずかしいのか、顔を赤らめて俺と視線を合わせてくれない。
「じゃあなんだって言うんだよ、お前らのその格好は?」
「白峰君はコスプレという言葉を知らないのかい?」
ガラリと窓が開いたかと思うと、そこから白衣を着た長身の女子生徒が保健室に飛び込んできた。セミロングの髪にやたらでかい胸。美人顔を愉快そうにニヤけた笑いで台無しにしているそいつは――
「郷野、お前どっから入ってきてるんだよ?」
「いやいや、君たちがなにやら面白そうなことになっているから見逃せないと思ってね。わざわざ入口まで回り込むのが面倒だっただけサ」
それでも女子が窓を跨ぎ越えてくるか普通?
「まあいいや。お前の品格が疑われるだけで俺にはなんの関係もないし」
「酷いことを言う。ところで最近のマイブームは『超高度実験』なんだけど」
「ドイツ空軍の悪名高い人体実験をマイブームにすんな!?」
「白峰君はいろんなことを知っているね」
ころころと愉しそうに笑う郷野。俺だってよくこいつの高度なボケにツッコミ返せると思うよ。テレビとかよく見てるからかな?
「それで、なんでリーゼとセレスがコスプレなんてしてんだよ。お前が無理やり着せたんじゃないだろうな?」
もしそうだったら……別になにもしなくていいか。よくよく見ればリーゼの紫髪はカツラで、隠れ切れなかった金髪が微妙に下から覗いている。二人の瞳の色が違うのはカラーコンタクトだろう。
なんかのアニメキャラだろうか? そういえばどっかで見たことある姿だな。
「違うぞ零児、これは、その、誘波殿に着せられたのだ」
「こすぷれっていろんな服着れてなかなか楽しかったわ」
郷野を庇うように真実を告げるセレスの横で、リーゼはとても満足げだった。
「悪い、わけがわからん」
「白峰君、その反応はおかしいゾ。君はこのイベントの手伝いをしていたのではなかったのかい?」
「イベント?」
「【ミス・コスプレイヤーコンテスト From伊海学園】。略してミスコス」
なんぞそれ? ……あっ、それが誘波の言っていた後夜祭のイベントか。だとすれば話を合わせないとやばいな。俺たちはその手伝いで頻繁にクラスを抜けていたと郷野には言ってあるんだ。
「あ、ああ、そうだったな。寝ボケててすっかり忘れてた。もう終わったのか?」
「さっき終わったわ。もちろん優勝は〝魔帝〟で最強のこのわたしだけどね」
この学園のロリコン率がいかに高いのかよくわかった。俺は完全に寝過ごしてたな。ちょっと残念に思うも、行ったら行ったで女装させられて出場という流れになりそうで怖い。
「その発言はやや語弊があるゾ、リーゼロッテ君。優勝は同票で君とセレスティナ君だっただろう?」
「み、美鶴殿! あまり恥ずかしくなることを言わないでくれ!」
かぁああああ、とセレスは元々真っ赤だった顔をさらに紅潮させた。普段と違う姿だからか、なんか妙に可愛いなぁ。
「郷野も参加したのか?」
「もちろんサ」
「お前はもうコスプレしてないんだな」
「ん? 白峰君の目は節穴かい? 私は立派にコスプレしているゾ。女医の」
「手抜き!?」
郷野は「失礼な」とでも言いたげな顔をするが、自分の普段着をコスプレと認めたようなもんだぞ。実際にそうだけれども。
「んで、栄えあるミスコスの優勝者がなんでまた二人してこんなところにいるんだよ?」
「そんなの決まってるじゃない」
リーゼは発展途上的な胸を張り、
「レージに、わたしと騎士崩れのどっちが本当の優勝か決めてもらうためよ」
頭が痛くなりそうなことを口にした。
「は? なんで俺がそんなこと」
「白峰君にも投票権があるんだゾ? 学園の生徒で票を入れてないのは君だけなのサ」
郷野が補足説明をする。さてはこの展開もこいつの入れ知恵だな。偶然にしてはタイミングよく現れたと思ったらこれだ。
リーゼが一歩前に出て上目遣いで俺を見詰め上げてくる。コスプレしているといってもその整った顔は健在なわけでなにが言いたいかと言うと、反則的にかわえぇ。
「レージ、当然この〝魔帝〟で最強のわたしが優勝よね?」
「どんな結果だろうと私は受け入れる。零児、正直に言ってくれ」
「う……あー……」
ど、どうしよう? リーゼはコレだし、セレスも受け入れるとか言ってるけど赤いカラーコンタクト越しに期待の眼差しを俺に突き刺してくるし……。あえて郷野に投票するという手もあるが、それは物凄く癪だ。
「迷っているね。優柔不断だと嫌われるゾ、白峰君」
「ほっとけ」
「うん、じゃあもっとキャラに成り切ってみてはどうかな? それでぐっと来た方に投票するといいサ」
郷野はまずリーゼの前に立って目線が合うように膝を曲げる。
「ほら、リーゼロッテ君。そのキャラはそんなにツンツンして偉そうな感じじゃないゾ。もっと落ち着いていながらも無邪気で、少し妖艶に微笑んでいるくらいが丁度いい」
難しくないかそれ? つーかお前はなんでコスプレのキャラにそんなに詳しいんだ?
リーゼは一つ深呼吸をすると、そのまま無言でニッコリといい笑顔になる。妖艶さは微塵も滲み出ていないが、子供っぽくて可愛いな畜生! ――っと、俺はロリコンじゃないから心中の感想はこのくらいで留めておかねば。
郷野が俺を見てニタリと笑う。なんか心の中を見透かされているみたいで怖ぇ。
「次はセレスティナ君なのだが……うん、君はリーゼロッテ君よりもキャラに成り切るのに足らないものが多い」
「わ、私に足りないもの?」
戸惑うセレスの背後に郷野は回り込みながら、
「今のセレスティナ君に足りないもの、それは自信威厳風格余裕根性演技力役者魂大人の魅力そしてなによりも――エロさが足りない」
バッ! と。
郷野は神業的スピードでセレスが着ているワイシャツの胸元を思いっ切りはだけさせた。
なにが起こったのかわからず呆然とするセレス。第三ボタンまで外れたその胸元からは透けるような雪肌が作り出す美しい双丘と谷間がぷるんと揺れて飛び出しブフハッ!? おかしい、なぜ、鼻血が……。
「わ、わ、わわ」
セレスは涙目だった。そんな彼女のかなり際どいラインまで丸見えになったバストに、横のリーゼお嬢様は大層不機嫌そうな顔をする。
「うぅ……あぐ……」
ついに嗚咽まで漏らすようになったセレスに郷野は表情を曇らした。あの郷野が反省を示すほどセレスの格好は目の毒なのだ。……鼻血止まらん。
「あ、その、軽くのつもりだったのだ。まさかそんなにボタンが緩かったとは……。本当に悪かったと思ってる」
素直に郷野は謝った。するとセレスは――
「う、うわぁああああああああああああああああああああああああっ!!」
大声で悲鳴を上げ、
片腕で胸元を隠し、
もう片方の手でなぜか俺の右手首を掴み、
全力疾走で保健室から脱走した。
俺を引きずり倒して……。
「ちょ、壁とか廊下であちこち打って痛いんですけどセレスさん!? 引っ張らないで!? せめて立たせて自分で走るからッ!?」
リーゼの「れ、レージをどこに連れて行くのよ騎士崩れ!」などという声がどんどん遠く小さくなりやがて聞こえなくなった。
どれだけ引きずり回されたのだろう。気づいた時には、俺はスカイテラスの片隅にあるベンチに放置されていた。
現在スカイテラスではその広さを惜しみなく利用してキャンプファイヤーとフォークダンスが行われている。遠くに望める街明かりを背景に、楽しげな表情の男女が手を取り合ってペアを組み、夜闇を真っ赤に彩る炎を囲ってぎこちなく踊っている。この光景こそ本当の後夜祭だと思うのは俺だけじゃないはず……。
それにしても、暢気なものだな。つい数時間前まで何度も死ぬ思いをしてたってのに、このなんでもない平穏さの中にいると戦いの余韻なんて流されてしまう。
 「『王国』……か」
あいつら、結局なんだったんだ? あれだけのことをやらかしたのに、未だに謎のベールに包まれて目的が判然としない。
柱を破壊したその先に目的があるようなことをカーインは言っていたが、まさか『混ざり合う世界』を引き起こして世界どころか次元の滅亡なんてものを企んでるわけじゃないよな?
想像することすらできない光景なだけに、身震いしてきた。
と――
「すまない、零児。私としたことが、はしたない姿を見せてしまった」
申し訳なさそうな声に振り向く。いつもの学園の制服に着替えたセレスがそこに立っていた。カラーコンタクトも外し、炎の赤を照り返す銀髪もポニーテールに縛っている。
その手にはLサイズの紙コップが二つ。どこかの出店で入手しただろう。セレスは片方の紙コップを俺に渡すと、「隣、いいだろうか?」と恭しく訊ねてきた。無論、OKだ。
キャンプファイヤーを眺める形で、二人して一つのベンチに座る俺とセレス。
「……」
「……」
沈黙。な、なんて気まずいんだ。ちらりと隣に視線だけを向けると、セレスも気まずそうに俯いてもじもじしていた。彼女の頬が少し赤く見えるのはキャンプファイヤーのせいだけではないと思う。
仕方ない。
「俺をこんなところに引っ張ってきて、なんか話したいことがあるんじゃないのか?」
そう切り出して俺は紙コップに口をつける。中身はスタンダードなサイダーだった。
「あ、えっと……そ、そうだな、私も騎士だ。はっきり告げよう」
決然と表情を整え、セレスは凛としたエメラルドグリーンの瞳に俺を映す。
「私は今晩、この世界を発つことになった」
話の重要さに、俺はしばらく硬直した。
「今晩だって? いくらなんでも急過ぎやしないか? クロウディクスは別れの時間をくれるって……あっ、もう充分にくれてるのか」
俺が爆睡していたせいだ。だから急だと感じた。セレスはミスコスにも参加して最後までこの世界の思い出を作ろうとしていたのに、俺はなんて馬鹿なんだ。
「陛下と呼べ。もしくは『様』をつけろ慮外者」
睨まれてしまった。そこには主君を呼び捨てにされた怒りよりも、俺が爆睡していたことに対する弾劾の念の方が強い……ような気がした。
セレスは炎々と燃え上がるキャンプファイヤーを見詰める。
「私はこの世界を知れて本当によかったと思っている。名残惜しく感じるが、それでもやはり、私はラ・フェルデに帰らなくてはならない」
セレスの決断した表情に寂しさの影が差すのを、俺は見逃さなかった。
「……いや、やっぱり急過ぎる。明日でもいいだろう? なんで今晩なんだよ」
「一刻も早く帰らなければ、私の聖剣が聖剣でなくなるのだ」
「聖剣が聖剣でなくなる? どういうことだ?」
「先程、陛下に聞かされたのだ。私がいなくなったことで、ラ・フェルデにある十二番目の『次元の柱』――つまりこの聖剣ラハイアンを生み出した柱が新しく『実』を宿そうとしているのだと。『実』が成熟してしまえば、ラハイアンは柱との縁が切れてただの剣となる。私も聖剣十二将ではなくなってしまう。ラ・フェルデに戻り、ラハイアンは健在だと柱に教えなければ私はいろいろなものを失ってしまう。そうなってしまうことが、正直恐い」
騎士としての最高の名誉を剥奪される。それがたとえ国の意思にそぐわないものであっても、波風が立たないわけがない。俺は騎士の、ましてや異世界の考え方なんてわからないが、そのくらいなら予想はできる。
でも、一つ疑問がある。
「セレスが騎士になったのはカーインを尊敬していたからだろ? あいつはもうお前が尊敬する人物じゃなくなってるんだ。騎士とか聖剣に拘る必要はないんじゃないか?」
「確かに私はあの人を尊敬していた。いや、今もまだしている。そう簡単に幻滅などできない。しかしだ、零児、私が騎士を目指した理由はそれだけではないんだ」
「というと?」
訊くと、セレスは言葉を整理するためか数秒間置いた後に語り始めた。
「私の両親は私が幼い頃に事故で亡くなった。そして他に身内のいなかった私は、街から街へあてもなく放浪する浮浪児となったのだ。いくらラ・フェルデの治安がよくても、周囲が私を見る視線は汚物のそれだった。何度も死ぬ思いをしたし、死のうと思ったことだってある」
「……」
お、重い。リアルに想像できてしまうから反応に困る。俺は黙って聞くことにした。
「そんな私を拾い、剣を教え、騎士の道を示してくれたのがカーイン師匠だった。でもその出会いは偶然ではなく、私を見つけてそうなるように導いてくれた者がいた」
セレスを導いた者、名前を出されなくても難なく悟ることができた。
「あの陛下だな?」
「ああ、その通りだ」セレスは鷹揚に首肯し、「当時はまだ殿下であらせられたのだが、あの方は私に騎士の才を見出してくれただけでなく、浮浪児のために孤児院まで作ってくださった。それから民に呼びかけ、あっという間に浮浪児に対する認識を改めさせたのだ」
あの王ならそのくらい片手間でやりかねない。力で強制させたのではないってこともセレスの様子から読み取れる。
「私もその孤児院に属しつつ、カーイン師匠の下で剣を習っていた」
「なるほどな。つまり、セレスが尊敬してるのはカーインだけじゃないってことか」
「うむ。私がラ・フェルデという世界を守りたいと思えるほど好きなれたのは陛下や師匠のおかげだ。いくら恩を返しても返し切れない。だからこそ、私は聖剣十二将で在りたいのだ」
ここまで語るセレスの意思は固い。これじゃあ引き留めることなんてできないな。
すると、なぜかセレスは両手の人差し指を胸の上辺りでつんつんさせ始めた。
「それで、その、零児。私がラ・フェルデに帰る前に、一つだけ聞いてもらいたい頼みがあるんだが……」
セレスの頼み?
「いいぞ、俺にできることならなんだってやってやる」
「そうか、なら――」
セレスはベンチから立ち上がると、キャンプファイヤーの方を一瞥し、
「私と、あのフォークダンスというものを踊ってくれ」
凛とした煌きを翠瞳に宿し、淑女然と手を差し伸べてきた。彼女の頬は心なし朱に染まっている。
「俺でいいのか?」
「零児にはいろいろと助けられた。他に相応しい者はいない」
「俺、踊り方知らないんだけど?」
「私も知らない。見様見真似でいいだろう?」
それから俺たちはフォークダンスの輪に加わった。周りの学生や一般客から温かな視線で見守られつつも、見様見真似でたどたどしく踊った。お互いが足を踏んだり踏まれたり、時には転びそうになったりもした。
ダンスなんて今の今まで塵一つの興味も持っていなかった俺だが、セレスが恥ずかしくも嬉しそうに踊っている姿を見ていると段々と楽しくなってきた。こういうのも悪くない。そう思えた。
「本当に、この世界に来れてよかった」
踊りながら、セレスがぽつりと呟く。
「できることなら、もう少しだけでもこの世界で過ごしていたかった」
本音を零すセレスは……笑っていた。
だけどどこか寂しくて悲しそうで、残りたいけど帰りたい、そんなどちらも選べない二つの気持ちが同じ強さで競合しているような微笑み。
一粒の雫が彼女の頬を伝うのを見て、俺は……。
監査官対抗戦からの『王国』との戦争で疲弊し切っていた俺は、高等部校舎の保健室で泥のように眠ってたんだ。襲撃された医療施設は明らかにベッド数が足りないだろうなと予測したところまでは覚えている。
ベッド脇の時計を見ると午後八時を回ったところだった。俺が保健室に来たのがえーと……何時だっけ? 空はまだ明るかったと思うけど。
後夜祭はもう始まってるんだろうな。誘波の企画が碌でもないものでないことなんてありえん。男装喫茶VS女装喫茶みたいにな。
行っても疲れるだけな気もするが、まあ、ちょっと顔を出すくらいならしてやらんこともない。
などと勝手に偉そうなことを考えていると――ガラッ。
誰かが扉を開けて保健室に入ってきた。
養護教諭の磯原先生かと思ったが、足音が二人分ある。そいつらは締め切っていたベッドカーテンの前に立った。シルエットも二つ。一つが小柄で、相対的にもう一つが長身に見える。
「零児、起きているか?」
声はセレスのものだった。となると小柄な方はリーゼだな。あの二人が一緒だなんて珍しいこともある。
「ああ、今起きたところだ。ちょっと待ってろ、すぐ出るから」
「早く出なさいよ」
リーゼに急かされ、俺は身を起こしてベッドから出てカーテンに手をかける。と――
「わっ!? 待て零児まだ私は心の準備が――」
なんかセレスの慌てた声が聞こえたが、もう遅かった。俺はカーテンをスライドさせ――目を点にした。
「誰?」
そこにいたのは俺の知っているリーゼとセレスじゃなかった。リーゼと思われた小柄な少女は腰に手を当てて偉そうに構えているのだが、癖の目立つ紫髪に青緑色の瞳、蜘蛛の巣柄の奇天烈な黒いワンピースを着ている。
その横で顔を赤らめもじもじしている少女は、腰まで流したストレートの銀髪に紅い瞳、服装はワイシャツとミニスカートだった。背負ってある布の巻かれた長物だけが見覚えあるぞ。
「まさか……リーゼとセレスなのか?」
俺はまだ寝ボケてるんだろうか? 二人の容姿が全然違って見える。目を擦ってもやっぱり同じだ。……いや、そういう夢なのかもしれん。夢?
「そうか、わかったぞ。ゼクンドゥムの仕業だな。撤退したと思わせておいて引き返して奇襲する算段だったんだろうが、残念だったな。今度ばかりは俺も自分で夢に気づいたぞ。さあ出てきやがれ!」
「なに言ってんの、レージ?」
紫髪のリーゼ(?)に変な物を見る目で否定された。だ、騙されんぞ。これは夢なんだ。俺の知ってるリーゼは金髪で赤い目をしてるんだ。
「私も夢であってほしいとは思う。だが、もしもこれがあの者の幻ならば、私たちは疑問すら覚えないのではないか?」
普段はポニテに結っている銀髪を下ろした赤目のセレスが残念そうに言う。恥ずかしいのか、顔を赤らめて俺と視線を合わせてくれない。
「じゃあなんだって言うんだよ、お前らのその格好は?」
「白峰君はコスプレという言葉を知らないのかい?」
ガラリと窓が開いたかと思うと、そこから白衣を着た長身の女子生徒が保健室に飛び込んできた。セミロングの髪にやたらでかい胸。美人顔を愉快そうにニヤけた笑いで台無しにしているそいつは――
「郷野、お前どっから入ってきてるんだよ?」
「いやいや、君たちがなにやら面白そうなことになっているから見逃せないと思ってね。わざわざ入口まで回り込むのが面倒だっただけサ」
それでも女子が窓を跨ぎ越えてくるか普通?
「まあいいや。お前の品格が疑われるだけで俺にはなんの関係もないし」
「酷いことを言う。ところで最近のマイブームは『超高度実験』なんだけど」
「ドイツ空軍の悪名高い人体実験をマイブームにすんな!?」
「白峰君はいろんなことを知っているね」
ころころと愉しそうに笑う郷野。俺だってよくこいつの高度なボケにツッコミ返せると思うよ。テレビとかよく見てるからかな?
「それで、なんでリーゼとセレスがコスプレなんてしてんだよ。お前が無理やり着せたんじゃないだろうな?」
もしそうだったら……別になにもしなくていいか。よくよく見ればリーゼの紫髪はカツラで、隠れ切れなかった金髪が微妙に下から覗いている。二人の瞳の色が違うのはカラーコンタクトだろう。
なんかのアニメキャラだろうか? そういえばどっかで見たことある姿だな。
「違うぞ零児、これは、その、誘波殿に着せられたのだ」
「こすぷれっていろんな服着れてなかなか楽しかったわ」
郷野を庇うように真実を告げるセレスの横で、リーゼはとても満足げだった。
「悪い、わけがわからん」
「白峰君、その反応はおかしいゾ。君はこのイベントの手伝いをしていたのではなかったのかい?」
「イベント?」
「【ミス・コスプレイヤーコンテスト From伊海学園】。略してミスコス」
なんぞそれ? ……あっ、それが誘波の言っていた後夜祭のイベントか。だとすれば話を合わせないとやばいな。俺たちはその手伝いで頻繁にクラスを抜けていたと郷野には言ってあるんだ。
「あ、ああ、そうだったな。寝ボケててすっかり忘れてた。もう終わったのか?」
「さっき終わったわ。もちろん優勝は〝魔帝〟で最強のこのわたしだけどね」
この学園のロリコン率がいかに高いのかよくわかった。俺は完全に寝過ごしてたな。ちょっと残念に思うも、行ったら行ったで女装させられて出場という流れになりそうで怖い。
「その発言はやや語弊があるゾ、リーゼロッテ君。優勝は同票で君とセレスティナ君だっただろう?」
「み、美鶴殿! あまり恥ずかしくなることを言わないでくれ!」
かぁああああ、とセレスは元々真っ赤だった顔をさらに紅潮させた。普段と違う姿だからか、なんか妙に可愛いなぁ。
「郷野も参加したのか?」
「もちろんサ」
「お前はもうコスプレしてないんだな」
「ん? 白峰君の目は節穴かい? 私は立派にコスプレしているゾ。女医の」
「手抜き!?」
郷野は「失礼な」とでも言いたげな顔をするが、自分の普段着をコスプレと認めたようなもんだぞ。実際にそうだけれども。
「んで、栄えあるミスコスの優勝者がなんでまた二人してこんなところにいるんだよ?」
「そんなの決まってるじゃない」
リーゼは発展途上的な胸を張り、
「レージに、わたしと騎士崩れのどっちが本当の優勝か決めてもらうためよ」
頭が痛くなりそうなことを口にした。
「は? なんで俺がそんなこと」
「白峰君にも投票権があるんだゾ? 学園の生徒で票を入れてないのは君だけなのサ」
郷野が補足説明をする。さてはこの展開もこいつの入れ知恵だな。偶然にしてはタイミングよく現れたと思ったらこれだ。
リーゼが一歩前に出て上目遣いで俺を見詰め上げてくる。コスプレしているといってもその整った顔は健在なわけでなにが言いたいかと言うと、反則的にかわえぇ。
「レージ、当然この〝魔帝〟で最強のわたしが優勝よね?」
「どんな結果だろうと私は受け入れる。零児、正直に言ってくれ」
「う……あー……」
ど、どうしよう? リーゼはコレだし、セレスも受け入れるとか言ってるけど赤いカラーコンタクト越しに期待の眼差しを俺に突き刺してくるし……。あえて郷野に投票するという手もあるが、それは物凄く癪だ。
「迷っているね。優柔不断だと嫌われるゾ、白峰君」
「ほっとけ」
「うん、じゃあもっとキャラに成り切ってみてはどうかな? それでぐっと来た方に投票するといいサ」
郷野はまずリーゼの前に立って目線が合うように膝を曲げる。
「ほら、リーゼロッテ君。そのキャラはそんなにツンツンして偉そうな感じじゃないゾ。もっと落ち着いていながらも無邪気で、少し妖艶に微笑んでいるくらいが丁度いい」
難しくないかそれ? つーかお前はなんでコスプレのキャラにそんなに詳しいんだ?
リーゼは一つ深呼吸をすると、そのまま無言でニッコリといい笑顔になる。妖艶さは微塵も滲み出ていないが、子供っぽくて可愛いな畜生! ――っと、俺はロリコンじゃないから心中の感想はこのくらいで留めておかねば。
郷野が俺を見てニタリと笑う。なんか心の中を見透かされているみたいで怖ぇ。
「次はセレスティナ君なのだが……うん、君はリーゼロッテ君よりもキャラに成り切るのに足らないものが多い」
「わ、私に足りないもの?」
戸惑うセレスの背後に郷野は回り込みながら、
「今のセレスティナ君に足りないもの、それは自信威厳風格余裕根性演技力役者魂大人の魅力そしてなによりも――エロさが足りない」
バッ! と。
郷野は神業的スピードでセレスが着ているワイシャツの胸元を思いっ切りはだけさせた。
なにが起こったのかわからず呆然とするセレス。第三ボタンまで外れたその胸元からは透けるような雪肌が作り出す美しい双丘と谷間がぷるんと揺れて飛び出しブフハッ!? おかしい、なぜ、鼻血が……。
「わ、わ、わわ」
セレスは涙目だった。そんな彼女のかなり際どいラインまで丸見えになったバストに、横のリーゼお嬢様は大層不機嫌そうな顔をする。
「うぅ……あぐ……」
ついに嗚咽まで漏らすようになったセレスに郷野は表情を曇らした。あの郷野が反省を示すほどセレスの格好は目の毒なのだ。……鼻血止まらん。
「あ、その、軽くのつもりだったのだ。まさかそんなにボタンが緩かったとは……。本当に悪かったと思ってる」
素直に郷野は謝った。するとセレスは――
「う、うわぁああああああああああああああああああああああああっ!!」
大声で悲鳴を上げ、
片腕で胸元を隠し、
もう片方の手でなぜか俺の右手首を掴み、
全力疾走で保健室から脱走した。
俺を引きずり倒して……。
「ちょ、壁とか廊下であちこち打って痛いんですけどセレスさん!? 引っ張らないで!? せめて立たせて自分で走るからッ!?」
リーゼの「れ、レージをどこに連れて行くのよ騎士崩れ!」などという声がどんどん遠く小さくなりやがて聞こえなくなった。
どれだけ引きずり回されたのだろう。気づいた時には、俺はスカイテラスの片隅にあるベンチに放置されていた。
現在スカイテラスではその広さを惜しみなく利用してキャンプファイヤーとフォークダンスが行われている。遠くに望める街明かりを背景に、楽しげな表情の男女が手を取り合ってペアを組み、夜闇を真っ赤に彩る炎を囲ってぎこちなく踊っている。この光景こそ本当の後夜祭だと思うのは俺だけじゃないはず……。
それにしても、暢気なものだな。つい数時間前まで何度も死ぬ思いをしてたってのに、このなんでもない平穏さの中にいると戦いの余韻なんて流されてしまう。
 「『王国』……か」
あいつら、結局なんだったんだ? あれだけのことをやらかしたのに、未だに謎のベールに包まれて目的が判然としない。
柱を破壊したその先に目的があるようなことをカーインは言っていたが、まさか『混ざり合う世界』を引き起こして世界どころか次元の滅亡なんてものを企んでるわけじゃないよな?
想像することすらできない光景なだけに、身震いしてきた。
と――
「すまない、零児。私としたことが、はしたない姿を見せてしまった」
申し訳なさそうな声に振り向く。いつもの学園の制服に着替えたセレスがそこに立っていた。カラーコンタクトも外し、炎の赤を照り返す銀髪もポニーテールに縛っている。
その手にはLサイズの紙コップが二つ。どこかの出店で入手しただろう。セレスは片方の紙コップを俺に渡すと、「隣、いいだろうか?」と恭しく訊ねてきた。無論、OKだ。
キャンプファイヤーを眺める形で、二人して一つのベンチに座る俺とセレス。
「……」
「……」
沈黙。な、なんて気まずいんだ。ちらりと隣に視線だけを向けると、セレスも気まずそうに俯いてもじもじしていた。彼女の頬が少し赤く見えるのはキャンプファイヤーのせいだけではないと思う。
仕方ない。
「俺をこんなところに引っ張ってきて、なんか話したいことがあるんじゃないのか?」
そう切り出して俺は紙コップに口をつける。中身はスタンダードなサイダーだった。
「あ、えっと……そ、そうだな、私も騎士だ。はっきり告げよう」
決然と表情を整え、セレスは凛としたエメラルドグリーンの瞳に俺を映す。
「私は今晩、この世界を発つことになった」
話の重要さに、俺はしばらく硬直した。
「今晩だって? いくらなんでも急過ぎやしないか? クロウディクスは別れの時間をくれるって……あっ、もう充分にくれてるのか」
俺が爆睡していたせいだ。だから急だと感じた。セレスはミスコスにも参加して最後までこの世界の思い出を作ろうとしていたのに、俺はなんて馬鹿なんだ。
「陛下と呼べ。もしくは『様』をつけろ慮外者」
睨まれてしまった。そこには主君を呼び捨てにされた怒りよりも、俺が爆睡していたことに対する弾劾の念の方が強い……ような気がした。
セレスは炎々と燃え上がるキャンプファイヤーを見詰める。
「私はこの世界を知れて本当によかったと思っている。名残惜しく感じるが、それでもやはり、私はラ・フェルデに帰らなくてはならない」
セレスの決断した表情に寂しさの影が差すのを、俺は見逃さなかった。
「……いや、やっぱり急過ぎる。明日でもいいだろう? なんで今晩なんだよ」
「一刻も早く帰らなければ、私の聖剣が聖剣でなくなるのだ」
「聖剣が聖剣でなくなる? どういうことだ?」
「先程、陛下に聞かされたのだ。私がいなくなったことで、ラ・フェルデにある十二番目の『次元の柱』――つまりこの聖剣ラハイアンを生み出した柱が新しく『実』を宿そうとしているのだと。『実』が成熟してしまえば、ラハイアンは柱との縁が切れてただの剣となる。私も聖剣十二将ではなくなってしまう。ラ・フェルデに戻り、ラハイアンは健在だと柱に教えなければ私はいろいろなものを失ってしまう。そうなってしまうことが、正直恐い」
騎士としての最高の名誉を剥奪される。それがたとえ国の意思にそぐわないものであっても、波風が立たないわけがない。俺は騎士の、ましてや異世界の考え方なんてわからないが、そのくらいなら予想はできる。
でも、一つ疑問がある。
「セレスが騎士になったのはカーインを尊敬していたからだろ? あいつはもうお前が尊敬する人物じゃなくなってるんだ。騎士とか聖剣に拘る必要はないんじゃないか?」
「確かに私はあの人を尊敬していた。いや、今もまだしている。そう簡単に幻滅などできない。しかしだ、零児、私が騎士を目指した理由はそれだけではないんだ」
「というと?」
訊くと、セレスは言葉を整理するためか数秒間置いた後に語り始めた。
「私の両親は私が幼い頃に事故で亡くなった。そして他に身内のいなかった私は、街から街へあてもなく放浪する浮浪児となったのだ。いくらラ・フェルデの治安がよくても、周囲が私を見る視線は汚物のそれだった。何度も死ぬ思いをしたし、死のうと思ったことだってある」
「……」
お、重い。リアルに想像できてしまうから反応に困る。俺は黙って聞くことにした。
「そんな私を拾い、剣を教え、騎士の道を示してくれたのがカーイン師匠だった。でもその出会いは偶然ではなく、私を見つけてそうなるように導いてくれた者がいた」
セレスを導いた者、名前を出されなくても難なく悟ることができた。
「あの陛下だな?」
「ああ、その通りだ」セレスは鷹揚に首肯し、「当時はまだ殿下であらせられたのだが、あの方は私に騎士の才を見出してくれただけでなく、浮浪児のために孤児院まで作ってくださった。それから民に呼びかけ、あっという間に浮浪児に対する認識を改めさせたのだ」
あの王ならそのくらい片手間でやりかねない。力で強制させたのではないってこともセレスの様子から読み取れる。
「私もその孤児院に属しつつ、カーイン師匠の下で剣を習っていた」
「なるほどな。つまり、セレスが尊敬してるのはカーインだけじゃないってことか」
「うむ。私がラ・フェルデという世界を守りたいと思えるほど好きなれたのは陛下や師匠のおかげだ。いくら恩を返しても返し切れない。だからこそ、私は聖剣十二将で在りたいのだ」
ここまで語るセレスの意思は固い。これじゃあ引き留めることなんてできないな。
すると、なぜかセレスは両手の人差し指を胸の上辺りでつんつんさせ始めた。
「それで、その、零児。私がラ・フェルデに帰る前に、一つだけ聞いてもらいたい頼みがあるんだが……」
セレスの頼み?
「いいぞ、俺にできることならなんだってやってやる」
「そうか、なら――」
セレスはベンチから立ち上がると、キャンプファイヤーの方を一瞥し、
「私と、あのフォークダンスというものを踊ってくれ」
凛とした煌きを翠瞳に宿し、淑女然と手を差し伸べてきた。彼女の頬は心なし朱に染まっている。
「俺でいいのか?」
「零児にはいろいろと助けられた。他に相応しい者はいない」
「俺、踊り方知らないんだけど?」
「私も知らない。見様見真似でいいだろう?」
それから俺たちはフォークダンスの輪に加わった。周りの学生や一般客から温かな視線で見守られつつも、見様見真似でたどたどしく踊った。お互いが足を踏んだり踏まれたり、時には転びそうになったりもした。
ダンスなんて今の今まで塵一つの興味も持っていなかった俺だが、セレスが恥ずかしくも嬉しそうに踊っている姿を見ていると段々と楽しくなってきた。こういうのも悪くない。そう思えた。
「本当に、この世界に来れてよかった」
踊りながら、セレスがぽつりと呟く。
「できることなら、もう少しだけでもこの世界で過ごしていたかった」
本音を零すセレスは……笑っていた。
だけどどこか寂しくて悲しそうで、残りたいけど帰りたい、そんなどちらも選べない二つの気持ちが同じ強さで競合しているような微笑み。
一粒の雫が彼女の頬を伝うのを見て、俺は……。
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