シャッフルワールド!!
終章 NEXT PROLOGUE
『次元の柱』の調律による災厄から数週間が過ぎ去った。
どうやら俺はあの後ぶっ倒れたらしく(やっぱり無茶な〈吸力〉で負担がやばかったんだなぁ)、リーゼと共に五日五晩も死んだように眠り続けたそうだ。
なんとか目覚めたのはいいものの、そこから先に待っていたのは壮絶なるリハビリだった。
俺はかつてない魔力量を有してしまったことで身体を上手くコントロールできず、リーゼは逆に魔力がスッカラカンになってしまったことで、やはり身体を思うように動かせなかったのだ。
最初はお互い箸どころかスプーンも握れなかったからなぁ。〈魔武具生成〉で魔力を放出しようと試みたりもしたが……アレは、うん、危なかったね。右手でも制御できずになんかよくわからん物体が出現してもうちょいで病院を崩壊させるところでした。はっはっは。はいごめんなさい看護師さんお願いですからもう正座やめていいですか?
とまあそんなこともあり、その後は母さん指導で超絶スパルタなリハビリが始まったわけで、どうにかこうにか短期間で日常生活を送れるようになるまで回復した。
ただ、俺はともかく完全に魔力を失ったリーゼは黒炎一つ発生させることもできなくなっていた。リーゼは魔力から魔力を生成していたからな。それが枯渇すれば新しく作り出すことはできないんだ。こうなると、彼女はもう普通の女の子と変わらないだろうね。
ある程度回復した後は、療養も兼ねてみんなと一緒にちょっと遠出なんかもした。誘波が温泉旅行を手配してくれたんだ。今度は祝ノ森リゾートガーデンじゃなくて割と普通の温泉街だったが、そこでもリーゼが迷子になったり変なやつと知り合ったりしていろいろ大変だったよ。まあ、それはまた別の話ってやつだ。
そんなこんなで俺の夏休みは泣きたくなるほど有意義に費やされ、夏休みも残り僅かとなった時だった。
誘波から唐突にお呼び出しがかかったのは。
場所はいつも通り誘波の屋敷の客間――ではなく、一号館に設けられた広々とした会議室だった。
俺、リーゼ、レランジェが入室したのを確認すると、日本異界監査局局長――法界院誘波は会議室の中央に設置された長机に持っていた湯飲みを置いた。そして落ち着きながらも真剣な色を宿した青い瞳で俺たち三人を見据える。
「これで揃いましたねぇ」
「なんの用だよ、誘波?」
ざっと室内を見回す。会議室には先客がいた。誘波の隣で同じように深刻な表情をしている母さんと、我が城のように上座に座っているクロウディクス、そして彼の両隣に控えるアレインさんとセレスの四人だ。
「俺もリーゼもまだ監査官復帰はドクターストップされてるんだけど」
アレインさんがいる時点でそういう話じゃないことは察していたが(クロウディクス基準ではない。断じて)、こっちの都合を無視した急な呼び出しの時はなにかしら言ってやらんと気が済まないんだ。
「戦えなくなったリーゼちゃんは仕方ありませんが、レイちゃんは違うでしょう? 明日にでも復帰していただくつもりです♪」
誘波の真剣だった顔は一瞬にしてニッコニコとした腹黒い笑みに変わった。
「……俺の残りの夏休みは?」
「あらあら、あると思っているなら幸せですねぇ。宿題は早めに終わらせておくのがセオリーですよぅ」
余計なお世話だ。宿題、手つかずだけども。
「リーゼちゃん、お体の調子の方はどうですか?」
明日からの追い込みのことを考えて現実逃避に走りたくなった俺を放置して、誘波はリーゼに労わりの言葉をかけた。リーゼは手を軽くぐーぱーさせる。
「炎が出なくて変な感じ。まあ、もう慣れたけど」
「前にも言いましたけれど、魔力を取り戻したければ供給できないこともないのですよ?」
「別にいいわ。燃やせなくなったけど、またあんな姿になるのは嫌だもん」
リーゼの魔力を復活させるのは簡単だ。魔力譲渡を行える異能者から魔力を少し貰うだけでいい。そうすれば彼女の中で勝手に魔力は増幅される。魔力が特別だったわけじゃなく、魔力から魔力を生み出すことはリーゼ固有の能力なんだ。
だけど、リーゼはそれを拒んだ。死にたくなるほどの思いをしたんだ。当然だろうな。たとえあの変異――魔帝化の原因がリーゼの奥底で封印されていた魔力そのもので、新しく補充された魔力なら安心だとしてもだ。トラウマはそう簡単には消えやしない。
その危険な魔力は今や、俺の中にある。と言ってもとっくに俺の魔力に変換されているから角が生えたりすことはないと思う。未だによくわからんが、あの頭の中に響いていた『声』もあれから一切聞かないしな。
『声』のことは誰にも口外していない。特に最後の意志を持った言葉。アレについては俺自身も幻聴だったんじゃないかってくらい記憶が曖昧になっていたんだ。なにを言われたのか昨日見た夢のように思い出せそうで思い出せない。
ただ唯一、『魔王』という単語だけか脳裏に刻まれている。
どうやら俺はその『魔王』とやらの力を取り込んだらしいのだが、結局それがなんなのかは考えたところで答えを導き出せるわけがなかった。そしてそんなフワフワしたものを誰かに相談できるほど、俺は説明が得意じゃないんだよ。別に何事もないし、もう終わったんだと思うことにする。
「零くん、いつまでも立っていないで座ってはいかがですか?」
「あっ」
母さんの呆れを含んだ声で俺はハッと物思いから我に返った。見ればリーゼとレランジェは誘波の正面のパイプ椅子に腰かけていて、俺だけが入口付近で立ち止まったまま話を中断させていたらしい。苦笑する母さんの前、リーゼの隣に気まずさを感じつつ着席する。
コホン、とアレインさんが流れを変えるように小さく咳払いをした。
「法界院誘波殿、我々ラ・フェルデの代表も呼ばれたということは、彼女の件ではないのでしょう? 本題に入っていただけませんか?」
彼女とはリーゼのことだ。魔帝化の件でラ・フェルデは間接的に関わっているとはいえ、厳密には無関係だ。セレスはともかくクロウディクスたちまで呼ぶ必要はないよな。
「私としてはぁ、レイちゃんとリーゼちゃんがチュウした件について丸一日ほど談議したいところですが」
「ちょっ!? それこそ関係ねえだろうが!? アレはほら、えっと、アレだ。人工呼吸みたいなもんだから!」
吸ったのは俺の方だけど。
「ははは、私も神剣越しに拝見させてもらったが、アレはなかなかに清々しく豪快な接吻だったぞ」
「黙れよ放浪国王! 笑うな!」
「零児、貴様、陛下に向かってなんたる口を! あとやはりその件については私も後ほどじっくり話し合う必要があると思っている!!」
「王への侮辱より後の方が力入ってませんかねセレスさん!?」
「では本題のゴミ虫様の安定な処刑方法ですが」
「そんな本題はねえよ!?」
「可愛い娘ができてお母さん的にはグッジョブですわ」
「なんの話!? だからアレは人工呼吸だって人工呼吸! ノーカンノーカン! リーゼもなんか言ってやれ!」
あまり期待できないが助け舟を、と思って隣のリーゼを見ると……あれ? なんか顔を真っ赤にして俯いているんですが……。
「えっと、リーゼお嬢様?」
「……」
声をかけるが返事はなく、リーゼは自分の指を唇に当てて、どこか恍惚とした表情でぽーっとしていた。
え? なにその初々しい反応?
「あらあら、これは丸一日ではとても足りそうにないですねぇ」
「零児、今すぐそこに直れ。斬る」
「ゴミ虫様、レランジェは今度精肉工場であるばいと安定なのですが」
三方向から様々な殺気の籠った視線が突き刺さった。広々とした会議室が業務用巨大冷凍庫並に一気に寒くなったような気がしたのは、たぶん空調の故障じゃないだろうね。
あー、俺、ついに死んだかも。
「ゴホン!」
と、一際大きな咳払いが室内に響き渡った。
アレインさんが両目を閉じて眉間に皺を寄せ、片眉をピクピクさせていた。
「剣を収めろ、セレスティナ。聖剣の将がこの程度で心乱すものではない。陛下も楽しそうなのは結構ですが、話を脱線させる発言はお控えください。――誘波殿、本題を」
口調は静かだったが、その有無を言わさぬ迫力に極寒の冷凍庫が急速に元の会議室へと戻った。アレインさん、やっぱ俺の味方はあんだだけだよ。
セレスはすまなさそうに座り直したが、クロウディクスはニヤニヤと、誘波はニコニコとした笑みを消していない。この二人は全く反省してないな?
「では、わたくしの方からご説明させていただきますわ」
スッと椅子を引いて母さんが立ち上がる。誘波に任せるとまた脱線するからか、それとも最初からそういう段取りだったのかはわからないが、母さんの表情はとっくにシリアスに切り替わっていた。母さんはクロウディクスたちとは初対面だと思うけど、自己紹介はどうやら俺たちが来る前に終わらせていたらしいな。
「つい先日、豪州と米国にある『次元の柱』が『王国』の手によって破壊されましたの」
全員が聞く姿勢になったのを認め、母さんは前置きもなくとんでもない事実を述べた。
「あいつらが!?」
「零くん、落ち着いてくださいな」
思わず身を乗り出そうとした俺を母さんが手で制す。
「破壊されたのは大柱ではなく小柱が数本のようですわ。敵が柱の破壊を優先していたおかげか、監査局の被害が小さいことは不幸中の幸いだと言えますわね」
「まあ、小柱を破壊しても『混ざり合う世界』を引き起こすことは難しいですが」
母さんの説明を誘波が引き継ぐ。
「大柱の結界を弱めることには繋がりますねぇ。恐らくそれが『王国』の狙いだと思われますが、動きから察するにまだ実験段階ではないかと」
「実験って、なんのだよ?」
「柱の効率的な破壊方法の模索、一本辺りが本柱の結界に作用する影響力の算出、異界監査局の戦力分析……ふむ、考えられることはいくらでもありそうだ」
思案顔で答えたのはクロウディクスだった。
「例の混沌の娘がこちらでも一本破壊したのだろう? その後に本柱の破壊に乗り出したのであれば、各国でも同じことが起こるやもしれん」
混沌の娘とは望月絵理香のことだ。あいつは結局脱走なんてできず、再び伊海学園に軟禁状態となっている。誘波のことだ、緩そうな監禁を見せつけて『王国』を誘き出そうとしているんじゃないかと思う。
「それぞれの場所で『王国』の幹部と思われる人物が目撃されていますわ」
資料を取り出した母さんがそれをペラペラ捲りながら報告する。
「豪州に現れた者は、銀色の髪と蒼い瞳をした青年だったそうですわ。米国は白髪に白い布だけを纏った少女――日本で誘波さんが交戦された彼女で間違いないかと」
「あいつか」
『王国』の執行騎士の一人――〝夢幻人〟ゼクンドゥム。俺が出会った幹部の中では一番得体の知れないやつだった。
「少し前になりますが、イタリアでスヴェンちゃんとカーインちゃんの目撃情報もあります。柱を破壊されることはなかったようですが、『王国』の活動が世界的に目立って来ていますねぇ」
カーインの名を聞いた途端、ラ・フェルデの三人が表情を一層引き締めた。『王国』の執行騎士――〝剣神〟カーイン・ディフェクトス・イベラトゥールは元々ラ・フェルデの聖剣十二将だったからだ。
「……陛下、やはり彼の存在は感知できませんか?」
アレインさんがクロウディクスに訊ねる。小声だったが、俺たちにも聞こえるように配慮した声量だった。
「ああ、『王国』とやらには私と同じ空間支配系の〝次元渡り〟能力者が間違いなくいる。姿を隠されては見つける術はほぼないだろう」
目の前で隠れたなら追えるがな、とクロウディクスは自信満々に付け足した。
「より詳しい状況は後ほど資料をお渡ししますわ」
母さんは資料を机に置くと小さく溜息をついた。
「わたくしには帰還命令が下っていますので、誘波さんから受け取ってください」
「え? 母さん、それ初耳なんだけど?」
「アケノ、帰っちゃうの?」
「ええ、米国も襲われていますので」
母さんは俺とリーゼに残念そうな苦笑を浮かべると、クロウディクスに向き直る。
「そこで提案したいのですが、ラ・フェルデから人をお借りできないでしょうか?」
「ほう」
クロウディクスは母さんの提案に面白そうな笑みを浮かべ、
「必要な人材は兵士か? それとも技術者か?」
試すように、訊く。
「できれば両方が望ましいですわ。あちらでも人工の門を設置する予定ですし、日本の監査局にはない技術をそちらに提供することも可能だと思いますの」
「技術交換というわけか」
「ええ、それに『王国』が攻めて来る可能性が濃厚な今、戦力に数えられる頼もしいお方もいると素敵ですわね」
「了解した。元より人材派遣は契約内容に含まれている。発つのはいつだ?」
「明日の朝ですわ」
「ならばそれまでに手配しよう。アレイン」
「は、帰国次第、移動できる者を招集――」
「いや、ブランネーヴェに行かせよう」
「! 陛下、彼女は聖剣ですよ?」
「同時にラ・フェルデ最高の技術者だ。カーインの顔も知っている。条件には充分に過ぎると思うがな。それに彼女自身もガイアに行きたがっていた。丁度よいではないか」
「しかし……」
「本人が拒めばお前の裁量に任せよう」
「……わかりました」
会議は俺たちが見ている前で勝手に進んでいく。
なんで呼ばれたんだ、俺? いや『王国』についての情報が聞けたから時間の無駄ってわけじゃなかったけど、俺たち一般監査官が参加していい会議じゃないと思うんだ。他の監査官はいねえし。
「――ではそのような段取りで行うとしよう。早速ラ・フェルデに戻ろうと思うが、白峰零児」
「え?」
人材派遣の話が一段落ついて立ち上がったクロウディクスが、思い出したように俺に声をかけた。
「お前さえよければ、少しの間ラ・フェルデで修行してみないか?」
「へ?」
ラ・フェルデで、修行だって?
「こちらの騎士学校に編入という形となる。ただし、入ってもらう寮の関係でお前一人だけだ。受ける場合はセレスに案内役をさせるつもりだが……無論、断っても構わん」
「いや、えっと……」
俺が呼ばれた理由、今やっとわかったよ。
「それはいい。零児とはラ・フェルデを案内する約束もある」
「だ、ダメ! レージが行くならわたしも行く!」
「零児一人だと陛下が仰っただろう。弁えろ、〝魔帝〟リーゼロッテ!」
「じゃあなんでお前はいいのよ!」
「お二人とも落ち着いてくださいねぇ。決めるのはレイちゃんです」
いつも通りのリーゼとセレスのいがみ合いを俺の代わりに誘波が抑えてくれた。普段なら俺に投げっぱなしなんだが、今回は俺に考える余裕をくれるらしい。
正直、いい機会だと思う。
俺は今、リーゼから奪った魔力を持て余しているからな。リーゼに返せない以上、俺が使いこなさないといけない。ラ・フェルデに魔力という概念はなさそうだが、なにかヒントを得られそうな気はする。
「俺は――ッ!?」
少し考えさせてほしい、そういう旨を伝えようとしたところで――ぐわん! と近くでなにかが捻じ曲がったような違和感を覚えた。
どうやら俺以外も全員感じたようだ。
「誘波、これは」
「歪みが発生したようです。ですが普通の歪みにしては唐突過ぎますねぇ」
そうだ、普通なら空間が歪む前に予兆を監査局が感知する。その知らせが局長の誘波になかったということは、予兆もなしに空間が歪んだってことだ。
誰もが一様に歪みを感じた方向に視線を向ける。
窓の外――二号館・異界技術研究開発部の屋上だった。
「アーちゃん、これは何事ですか?」
二号館の屋上には研究員数名が呆然とした様子で立ち尽くしていた。その代表格であるアーティは舐めていた棒つきキャンディーを手に取って前方――人工の『次元の門』を指示した。
「あー、原因は不明だが、門が勝手に作動したのだ。――あー、いや違う。門は作動していない。門の位置に謎の歪みが出現したと言うべきだろう」
あの冷静なアーティが傍から見てわかるくらい混乱していた。それだけ異常事態ということだ。
「一体、なにが起こってるんだ……?」
俺も、誘波も、誰もが事態を呑み込めずただ眺めるしかない中、クロウディクスだけが一歩前に出て声を張った。
「直ちにそこを離れろ! 巻き込まれるぞ!」
空間を司るクロウディクスだけがなにかを悟っているんだ。
「これは〝次元渡り〟――私とは系統の異なる、移動系の異能から派生した〝次元渡り〟だ!」
神官のような白い王衣を翻しながらクロウディクスは研究員たちの避難を急がせる。そして全員が門からある程度の距離を取った直後、門の内側に発生した歪みから強烈な光が放たれた。思わず俺は腕で目を塞ぐ。
「う、まぶしっ」
「来るぞ!」
瞬間、光の中からなにかが凄まじい勢いで飛び出してきた。眩し過ぎてはっきりとは見えなかったが、それはさらに強烈に光り輝く球体だったように思える。
光の球体が屋上の床に衝突した。
轟音、と言うほど派手な音は出なかったが、二号館全体が大きく揺さ振られた。耐震設定を間違えていたら今ので崩壊していただろうね。
光が弱まる。
球体も徐々に透明化し、中から人の姿が浮かび上がってくる。
女の子?
だと思う。ドレープのついた薄手のポンチョみたいな民族衣装にミニスカート、背中まで伸ばした髪は燃えるように赤く鮮やかだ。片膝をついて俯いているため顔は見えないが、華奢な見た目なのにどういうわけか圧倒的な力強さを感じる。
待て、あの赤髪……。
「――ふう、よかった、丁度いい場所に出られたようね」
「えっ?」
この声、どっかで……?
まさか……まさか……。
「まだ侵略はしてないみたいね。この世界が滅ぼされる前に、アタシがあなたを滅ぼしてあげるわ、『魔王』!」
少女が顔を上げる。
琥珀色の瞳に宿った強い意志は、揺るぐことのない正義感。
俺はこの少女を知っている。一年と少し前まで、当たり前のように俺の日常にいた存在だ。
本当に? いや間違えるわけがない。
彼女は、本物の――
「悠……里……?」
かつて俺と共に戦い共に競い合った幼馴染――紅楼悠里の姿がそこにあった。
「え? なんで私の名前を――」
驚いた彼女が目を大きく見開いて俺を瞳に映し、
そして、怪訝そうに眉を曇らせた?
「――あなた、誰?」
(続く)
どうやら俺はあの後ぶっ倒れたらしく(やっぱり無茶な〈吸力〉で負担がやばかったんだなぁ)、リーゼと共に五日五晩も死んだように眠り続けたそうだ。
なんとか目覚めたのはいいものの、そこから先に待っていたのは壮絶なるリハビリだった。
俺はかつてない魔力量を有してしまったことで身体を上手くコントロールできず、リーゼは逆に魔力がスッカラカンになってしまったことで、やはり身体を思うように動かせなかったのだ。
最初はお互い箸どころかスプーンも握れなかったからなぁ。〈魔武具生成〉で魔力を放出しようと試みたりもしたが……アレは、うん、危なかったね。右手でも制御できずになんかよくわからん物体が出現してもうちょいで病院を崩壊させるところでした。はっはっは。はいごめんなさい看護師さんお願いですからもう正座やめていいですか?
とまあそんなこともあり、その後は母さん指導で超絶スパルタなリハビリが始まったわけで、どうにかこうにか短期間で日常生活を送れるようになるまで回復した。
ただ、俺はともかく完全に魔力を失ったリーゼは黒炎一つ発生させることもできなくなっていた。リーゼは魔力から魔力を生成していたからな。それが枯渇すれば新しく作り出すことはできないんだ。こうなると、彼女はもう普通の女の子と変わらないだろうね。
ある程度回復した後は、療養も兼ねてみんなと一緒にちょっと遠出なんかもした。誘波が温泉旅行を手配してくれたんだ。今度は祝ノ森リゾートガーデンじゃなくて割と普通の温泉街だったが、そこでもリーゼが迷子になったり変なやつと知り合ったりしていろいろ大変だったよ。まあ、それはまた別の話ってやつだ。
そんなこんなで俺の夏休みは泣きたくなるほど有意義に費やされ、夏休みも残り僅かとなった時だった。
誘波から唐突にお呼び出しがかかったのは。
場所はいつも通り誘波の屋敷の客間――ではなく、一号館に設けられた広々とした会議室だった。
俺、リーゼ、レランジェが入室したのを確認すると、日本異界監査局局長――法界院誘波は会議室の中央に設置された長机に持っていた湯飲みを置いた。そして落ち着きながらも真剣な色を宿した青い瞳で俺たち三人を見据える。
「これで揃いましたねぇ」
「なんの用だよ、誘波?」
ざっと室内を見回す。会議室には先客がいた。誘波の隣で同じように深刻な表情をしている母さんと、我が城のように上座に座っているクロウディクス、そして彼の両隣に控えるアレインさんとセレスの四人だ。
「俺もリーゼもまだ監査官復帰はドクターストップされてるんだけど」
アレインさんがいる時点でそういう話じゃないことは察していたが(クロウディクス基準ではない。断じて)、こっちの都合を無視した急な呼び出しの時はなにかしら言ってやらんと気が済まないんだ。
「戦えなくなったリーゼちゃんは仕方ありませんが、レイちゃんは違うでしょう? 明日にでも復帰していただくつもりです♪」
誘波の真剣だった顔は一瞬にしてニッコニコとした腹黒い笑みに変わった。
「……俺の残りの夏休みは?」
「あらあら、あると思っているなら幸せですねぇ。宿題は早めに終わらせておくのがセオリーですよぅ」
余計なお世話だ。宿題、手つかずだけども。
「リーゼちゃん、お体の調子の方はどうですか?」
明日からの追い込みのことを考えて現実逃避に走りたくなった俺を放置して、誘波はリーゼに労わりの言葉をかけた。リーゼは手を軽くぐーぱーさせる。
「炎が出なくて変な感じ。まあ、もう慣れたけど」
「前にも言いましたけれど、魔力を取り戻したければ供給できないこともないのですよ?」
「別にいいわ。燃やせなくなったけど、またあんな姿になるのは嫌だもん」
リーゼの魔力を復活させるのは簡単だ。魔力譲渡を行える異能者から魔力を少し貰うだけでいい。そうすれば彼女の中で勝手に魔力は増幅される。魔力が特別だったわけじゃなく、魔力から魔力を生み出すことはリーゼ固有の能力なんだ。
だけど、リーゼはそれを拒んだ。死にたくなるほどの思いをしたんだ。当然だろうな。たとえあの変異――魔帝化の原因がリーゼの奥底で封印されていた魔力そのもので、新しく補充された魔力なら安心だとしてもだ。トラウマはそう簡単には消えやしない。
その危険な魔力は今や、俺の中にある。と言ってもとっくに俺の魔力に変換されているから角が生えたりすことはないと思う。未だによくわからんが、あの頭の中に響いていた『声』もあれから一切聞かないしな。
『声』のことは誰にも口外していない。特に最後の意志を持った言葉。アレについては俺自身も幻聴だったんじゃないかってくらい記憶が曖昧になっていたんだ。なにを言われたのか昨日見た夢のように思い出せそうで思い出せない。
ただ唯一、『魔王』という単語だけか脳裏に刻まれている。
どうやら俺はその『魔王』とやらの力を取り込んだらしいのだが、結局それがなんなのかは考えたところで答えを導き出せるわけがなかった。そしてそんなフワフワしたものを誰かに相談できるほど、俺は説明が得意じゃないんだよ。別に何事もないし、もう終わったんだと思うことにする。
「零くん、いつまでも立っていないで座ってはいかがですか?」
「あっ」
母さんの呆れを含んだ声で俺はハッと物思いから我に返った。見ればリーゼとレランジェは誘波の正面のパイプ椅子に腰かけていて、俺だけが入口付近で立ち止まったまま話を中断させていたらしい。苦笑する母さんの前、リーゼの隣に気まずさを感じつつ着席する。
コホン、とアレインさんが流れを変えるように小さく咳払いをした。
「法界院誘波殿、我々ラ・フェルデの代表も呼ばれたということは、彼女の件ではないのでしょう? 本題に入っていただけませんか?」
彼女とはリーゼのことだ。魔帝化の件でラ・フェルデは間接的に関わっているとはいえ、厳密には無関係だ。セレスはともかくクロウディクスたちまで呼ぶ必要はないよな。
「私としてはぁ、レイちゃんとリーゼちゃんがチュウした件について丸一日ほど談議したいところですが」
「ちょっ!? それこそ関係ねえだろうが!? アレはほら、えっと、アレだ。人工呼吸みたいなもんだから!」
吸ったのは俺の方だけど。
「ははは、私も神剣越しに拝見させてもらったが、アレはなかなかに清々しく豪快な接吻だったぞ」
「黙れよ放浪国王! 笑うな!」
「零児、貴様、陛下に向かってなんたる口を! あとやはりその件については私も後ほどじっくり話し合う必要があると思っている!!」
「王への侮辱より後の方が力入ってませんかねセレスさん!?」
「では本題のゴミ虫様の安定な処刑方法ですが」
「そんな本題はねえよ!?」
「可愛い娘ができてお母さん的にはグッジョブですわ」
「なんの話!? だからアレは人工呼吸だって人工呼吸! ノーカンノーカン! リーゼもなんか言ってやれ!」
あまり期待できないが助け舟を、と思って隣のリーゼを見ると……あれ? なんか顔を真っ赤にして俯いているんですが……。
「えっと、リーゼお嬢様?」
「……」
声をかけるが返事はなく、リーゼは自分の指を唇に当てて、どこか恍惚とした表情でぽーっとしていた。
え? なにその初々しい反応?
「あらあら、これは丸一日ではとても足りそうにないですねぇ」
「零児、今すぐそこに直れ。斬る」
「ゴミ虫様、レランジェは今度精肉工場であるばいと安定なのですが」
三方向から様々な殺気の籠った視線が突き刺さった。広々とした会議室が業務用巨大冷凍庫並に一気に寒くなったような気がしたのは、たぶん空調の故障じゃないだろうね。
あー、俺、ついに死んだかも。
「ゴホン!」
と、一際大きな咳払いが室内に響き渡った。
アレインさんが両目を閉じて眉間に皺を寄せ、片眉をピクピクさせていた。
「剣を収めろ、セレスティナ。聖剣の将がこの程度で心乱すものではない。陛下も楽しそうなのは結構ですが、話を脱線させる発言はお控えください。――誘波殿、本題を」
口調は静かだったが、その有無を言わさぬ迫力に極寒の冷凍庫が急速に元の会議室へと戻った。アレインさん、やっぱ俺の味方はあんだだけだよ。
セレスはすまなさそうに座り直したが、クロウディクスはニヤニヤと、誘波はニコニコとした笑みを消していない。この二人は全く反省してないな?
「では、わたくしの方からご説明させていただきますわ」
スッと椅子を引いて母さんが立ち上がる。誘波に任せるとまた脱線するからか、それとも最初からそういう段取りだったのかはわからないが、母さんの表情はとっくにシリアスに切り替わっていた。母さんはクロウディクスたちとは初対面だと思うけど、自己紹介はどうやら俺たちが来る前に終わらせていたらしいな。
「つい先日、豪州と米国にある『次元の柱』が『王国』の手によって破壊されましたの」
全員が聞く姿勢になったのを認め、母さんは前置きもなくとんでもない事実を述べた。
「あいつらが!?」
「零くん、落ち着いてくださいな」
思わず身を乗り出そうとした俺を母さんが手で制す。
「破壊されたのは大柱ではなく小柱が数本のようですわ。敵が柱の破壊を優先していたおかげか、監査局の被害が小さいことは不幸中の幸いだと言えますわね」
「まあ、小柱を破壊しても『混ざり合う世界』を引き起こすことは難しいですが」
母さんの説明を誘波が引き継ぐ。
「大柱の結界を弱めることには繋がりますねぇ。恐らくそれが『王国』の狙いだと思われますが、動きから察するにまだ実験段階ではないかと」
「実験って、なんのだよ?」
「柱の効率的な破壊方法の模索、一本辺りが本柱の結界に作用する影響力の算出、異界監査局の戦力分析……ふむ、考えられることはいくらでもありそうだ」
思案顔で答えたのはクロウディクスだった。
「例の混沌の娘がこちらでも一本破壊したのだろう? その後に本柱の破壊に乗り出したのであれば、各国でも同じことが起こるやもしれん」
混沌の娘とは望月絵理香のことだ。あいつは結局脱走なんてできず、再び伊海学園に軟禁状態となっている。誘波のことだ、緩そうな監禁を見せつけて『王国』を誘き出そうとしているんじゃないかと思う。
「それぞれの場所で『王国』の幹部と思われる人物が目撃されていますわ」
資料を取り出した母さんがそれをペラペラ捲りながら報告する。
「豪州に現れた者は、銀色の髪と蒼い瞳をした青年だったそうですわ。米国は白髪に白い布だけを纏った少女――日本で誘波さんが交戦された彼女で間違いないかと」
「あいつか」
『王国』の執行騎士の一人――〝夢幻人〟ゼクンドゥム。俺が出会った幹部の中では一番得体の知れないやつだった。
「少し前になりますが、イタリアでスヴェンちゃんとカーインちゃんの目撃情報もあります。柱を破壊されることはなかったようですが、『王国』の活動が世界的に目立って来ていますねぇ」
カーインの名を聞いた途端、ラ・フェルデの三人が表情を一層引き締めた。『王国』の執行騎士――〝剣神〟カーイン・ディフェクトス・イベラトゥールは元々ラ・フェルデの聖剣十二将だったからだ。
「……陛下、やはり彼の存在は感知できませんか?」
アレインさんがクロウディクスに訊ねる。小声だったが、俺たちにも聞こえるように配慮した声量だった。
「ああ、『王国』とやらには私と同じ空間支配系の〝次元渡り〟能力者が間違いなくいる。姿を隠されては見つける術はほぼないだろう」
目の前で隠れたなら追えるがな、とクロウディクスは自信満々に付け足した。
「より詳しい状況は後ほど資料をお渡ししますわ」
母さんは資料を机に置くと小さく溜息をついた。
「わたくしには帰還命令が下っていますので、誘波さんから受け取ってください」
「え? 母さん、それ初耳なんだけど?」
「アケノ、帰っちゃうの?」
「ええ、米国も襲われていますので」
母さんは俺とリーゼに残念そうな苦笑を浮かべると、クロウディクスに向き直る。
「そこで提案したいのですが、ラ・フェルデから人をお借りできないでしょうか?」
「ほう」
クロウディクスは母さんの提案に面白そうな笑みを浮かべ、
「必要な人材は兵士か? それとも技術者か?」
試すように、訊く。
「できれば両方が望ましいですわ。あちらでも人工の門を設置する予定ですし、日本の監査局にはない技術をそちらに提供することも可能だと思いますの」
「技術交換というわけか」
「ええ、それに『王国』が攻めて来る可能性が濃厚な今、戦力に数えられる頼もしいお方もいると素敵ですわね」
「了解した。元より人材派遣は契約内容に含まれている。発つのはいつだ?」
「明日の朝ですわ」
「ならばそれまでに手配しよう。アレイン」
「は、帰国次第、移動できる者を招集――」
「いや、ブランネーヴェに行かせよう」
「! 陛下、彼女は聖剣ですよ?」
「同時にラ・フェルデ最高の技術者だ。カーインの顔も知っている。条件には充分に過ぎると思うがな。それに彼女自身もガイアに行きたがっていた。丁度よいではないか」
「しかし……」
「本人が拒めばお前の裁量に任せよう」
「……わかりました」
会議は俺たちが見ている前で勝手に進んでいく。
なんで呼ばれたんだ、俺? いや『王国』についての情報が聞けたから時間の無駄ってわけじゃなかったけど、俺たち一般監査官が参加していい会議じゃないと思うんだ。他の監査官はいねえし。
「――ではそのような段取りで行うとしよう。早速ラ・フェルデに戻ろうと思うが、白峰零児」
「え?」
人材派遣の話が一段落ついて立ち上がったクロウディクスが、思い出したように俺に声をかけた。
「お前さえよければ、少しの間ラ・フェルデで修行してみないか?」
「へ?」
ラ・フェルデで、修行だって?
「こちらの騎士学校に編入という形となる。ただし、入ってもらう寮の関係でお前一人だけだ。受ける場合はセレスに案内役をさせるつもりだが……無論、断っても構わん」
「いや、えっと……」
俺が呼ばれた理由、今やっとわかったよ。
「それはいい。零児とはラ・フェルデを案内する約束もある」
「だ、ダメ! レージが行くならわたしも行く!」
「零児一人だと陛下が仰っただろう。弁えろ、〝魔帝〟リーゼロッテ!」
「じゃあなんでお前はいいのよ!」
「お二人とも落ち着いてくださいねぇ。決めるのはレイちゃんです」
いつも通りのリーゼとセレスのいがみ合いを俺の代わりに誘波が抑えてくれた。普段なら俺に投げっぱなしなんだが、今回は俺に考える余裕をくれるらしい。
正直、いい機会だと思う。
俺は今、リーゼから奪った魔力を持て余しているからな。リーゼに返せない以上、俺が使いこなさないといけない。ラ・フェルデに魔力という概念はなさそうだが、なにかヒントを得られそうな気はする。
「俺は――ッ!?」
少し考えさせてほしい、そういう旨を伝えようとしたところで――ぐわん! と近くでなにかが捻じ曲がったような違和感を覚えた。
どうやら俺以外も全員感じたようだ。
「誘波、これは」
「歪みが発生したようです。ですが普通の歪みにしては唐突過ぎますねぇ」
そうだ、普通なら空間が歪む前に予兆を監査局が感知する。その知らせが局長の誘波になかったということは、予兆もなしに空間が歪んだってことだ。
誰もが一様に歪みを感じた方向に視線を向ける。
窓の外――二号館・異界技術研究開発部の屋上だった。
「アーちゃん、これは何事ですか?」
二号館の屋上には研究員数名が呆然とした様子で立ち尽くしていた。その代表格であるアーティは舐めていた棒つきキャンディーを手に取って前方――人工の『次元の門』を指示した。
「あー、原因は不明だが、門が勝手に作動したのだ。――あー、いや違う。門は作動していない。門の位置に謎の歪みが出現したと言うべきだろう」
あの冷静なアーティが傍から見てわかるくらい混乱していた。それだけ異常事態ということだ。
「一体、なにが起こってるんだ……?」
俺も、誘波も、誰もが事態を呑み込めずただ眺めるしかない中、クロウディクスだけが一歩前に出て声を張った。
「直ちにそこを離れろ! 巻き込まれるぞ!」
空間を司るクロウディクスだけがなにかを悟っているんだ。
「これは〝次元渡り〟――私とは系統の異なる、移動系の異能から派生した〝次元渡り〟だ!」
神官のような白い王衣を翻しながらクロウディクスは研究員たちの避難を急がせる。そして全員が門からある程度の距離を取った直後、門の内側に発生した歪みから強烈な光が放たれた。思わず俺は腕で目を塞ぐ。
「う、まぶしっ」
「来るぞ!」
瞬間、光の中からなにかが凄まじい勢いで飛び出してきた。眩し過ぎてはっきりとは見えなかったが、それはさらに強烈に光り輝く球体だったように思える。
光の球体が屋上の床に衝突した。
轟音、と言うほど派手な音は出なかったが、二号館全体が大きく揺さ振られた。耐震設定を間違えていたら今ので崩壊していただろうね。
光が弱まる。
球体も徐々に透明化し、中から人の姿が浮かび上がってくる。
女の子?
だと思う。ドレープのついた薄手のポンチョみたいな民族衣装にミニスカート、背中まで伸ばした髪は燃えるように赤く鮮やかだ。片膝をついて俯いているため顔は見えないが、華奢な見た目なのにどういうわけか圧倒的な力強さを感じる。
待て、あの赤髪……。
「――ふう、よかった、丁度いい場所に出られたようね」
「えっ?」
この声、どっかで……?
まさか……まさか……。
「まだ侵略はしてないみたいね。この世界が滅ぼされる前に、アタシがあなたを滅ぼしてあげるわ、『魔王』!」
少女が顔を上げる。
琥珀色の瞳に宿った強い意志は、揺るぐことのない正義感。
俺はこの少女を知っている。一年と少し前まで、当たり前のように俺の日常にいた存在だ。
本当に? いや間違えるわけがない。
彼女は、本物の――
「悠……里……?」
かつて俺と共に戦い共に競い合った幼馴染――紅楼悠里の姿がそこにあった。
「え? なんで私の名前を――」
驚いた彼女が目を大きく見開いて俺を瞳に映し、
そして、怪訝そうに眉を曇らせた?
「――あなた、誰?」
(続く)
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