シャッフルワールド!!
間章(2)
その骸骨兵は困惑していた。
骸骨兵は主――『柩の魔王』ネクロス・ゼフォンの命により、『黒き劫火の魔王』が存在していると思われる世界に斥候として派遣されたのだが……どうも様子がおかしい。
彼の魔王の力が観測された座標に最も近く、且つ次元の壁が最も不安定だった場所に転送されたはずだ。
まず、いきなり混沌が溢れていたことにも驚いた。が、問題はそこではない。『世界の種』などどこにだって寄生しているし、それが溢れているということはそこが最も壁の脆い箇所ということでもある。
問題は、その混沌を対処しようとしていた人間の存在だ。
正確には、人間がいたこと自体が不自然なのである。この世界はとっくに『黒き劫火の魔王』によって侵略されていると予想していたからだ。
魔王が人間を生かすことは珍しくないが、基本的に奴隷にするため以外の理由はない。骸骨兵が見た人間たちのように、魔王の侵略なんてなかったかのような自由さなどありえない。
なにより周囲の景色に侵略の形跡がないのだ。一方的な破壊の跡もなければ、抵抗された戦いの跡もない。周囲の建造物などを見るに文明レベルはそこそこ高度な部類だが、魔王の力を無傷で跳ね返すことなどとてもじゃないが不可能だろう。
綺麗過ぎる。焼け野原以上に空虚な景色になっている方が自然だ。無血で侵略する魔王など聞いたことがない。
ここは本当に、『黒き劫火の魔王』がいる世界なのか?
「……」
骸骨兵の目的は偵察だ。あの混沌を相手している人間たちに見つからないよう、まずは身を隠して情報を収集する。
骸骨兵の見たこと、聞いたこと、感じたことは全て主にも共有される。だからなるべく多くの場所に移動し、多くのものを見て、聞いて、可能であれば『黒き劫火の魔王』を発見する。恐らくそこで骸骨兵の命は終了するだろうが、主の役に立つのであれば本望である。
最初に転送された広い空間から離脱し、できるだけ広い道には出ず、建物と建物の狭い隙間を骸骨兵は行く。
混沌を相手していた人間たち以外に人の気配はない。
恐らく、なにかしらの結界が張られているのだろう。そうなると、結界内に長居することは危険だ。さっきの人間たちが異物を排除する者たちならば、骸骨兵もその対象となり得る。
早急にこの場を離れよう。
そう骸骨兵が考えた時――
「レージ! レージ! まったく、どこにいるのよ」
建物の隙間の向こう、道が広くなっているところの脇を金髪の少女が大声で誰かを呼びながら歩いていた。
「やっぱり待つのは退屈! レージばっかり楽しそうなことしてずるい!」
なにやらとってもご機嫌ナナメな様子の少女を見て――カタカタ。骸骨兵は無意識に歯を打ち鳴らしていた。
いや、口だけではない。骸骨兵の全身がカタカタガタガタと震えている。
少女から感じる力はただの人間だ。だのに、骸骨兵は一目見ただけで全身の骨という骨がバラけてしまいそうな畏怖を覚えた。もしも少女が骸骨兵に気づき、こちらを一睨みでもすれば、それだけで存在ごと消し飛ばされそうな気さえした。
魔族だからこその直感で知る。
あの少女こそが元〝魔帝〟――『黒き劫火の魔王』であると。
恐怖で足が竦んだ。正確には『黒き劫火の魔王』の娘という話だが、もうそんな些細な違いはどうでもいい。彼女は紛れもなく『黒き劫火の魔王』であり、一度はあらゆる魔王の頂点に立った偉大なる存在の系譜だ。
「む、あっちからレージの臭いがする!」
「!」
少女が行ってしまう。
それはまずい。追いかけて接触し、高望みするなら主の下へ連れ帰る。
自分の最優先すべき使命を思い出した骸骨兵は、電撃を浴びたように痺れていた骨身を無理矢理にでも動かして少女を追う――――ことはできなかった。
「はぁい、そこでストップですよぅ。異世界からの来訪者ちゃん」
ふわり、と。
穏やかだが、骸骨兵にとっては痛みを伴う風が吹いた。
その風に乗って、地面に引きずりそうな豪奢な衣装で全身を覆った女が骸骨兵の進路を塞ぐ。おっとりした笑顔に敵意は感じられないが、その力の膨大さは尋常ではない。骸骨兵はこれまで侵略した世界の一般兵士を平均した程度の力を持っているが、この女の前だと暴風に舞う糸くずに等しいだろう。
ついに来てしまった。
世界の守護者。この女はその一柱だ。
やはりおかしい。『黒き劫火の魔王』は存在したが、この世界は侵略されていない。守護者がいることがその証左だ。『黒き劫火の魔王』と思われる少女から力を感じなかったことがなにか関係しているのだろうか?
そんな考察をしつつ身構える骸骨兵に、女は変わらぬ笑顔を向け――
「こんにちはぁ。私の言葉はわかりますかぁ?」
のほほんとした調子で挨拶と確認を行った。
「……」
言葉はわかる。そういう魔術を主にかけてもらっている。しかし、骸骨兵に返事はできない。肉体を持たない骸骨兵は、声を出す機能がそもそも備わっていないのだ。
「ふむふむ、声は出せないようですが、〝人〟に達する意思力はあるようですねぇ」
「……」
まだこちらを葬る気はないらしい。それならば決死の覚悟で攻撃せず、適当に頷いたりして意思疎通を計り、世界の守護者本人から情報を得る方が得策だろう。
と、守護者の女がおっとり笑顔で骸骨兵を見詰めながら「う~ん」と唸った。
「骸骨ちゃんから感じる魔力……やっぱり魔帝化したリーゼちゃんの魔力、レイちゃんが奪って内に秘めた魔力に似ていますねぇ。念のため会わせないように私が対応しましたが、こんなに大人しい方だったのなら大丈夫だったかもしれませんねぇ。働いて損した気分です」
「……」
この女、もしかして骸骨兵を無害だと思って油断しているのだろうか?
だとすれば、隙をつける。
世界の守護者を倒したとなれば、主から賞賛されるどころか、もっと上位の魔族として転生させてもらえるかもしれない。
今なら、油断している今なら。
守護者を殺せる。
殺せる。殺せる。殺せる。
殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセル!
「いきなり異世界に来て困惑しているでしょう。ですがご安心してください。私たち異界監査局が責任を持ってあなたを保護します。……ところで」
守護者の女は笑顔のまま、子供に語りかけるような優しい声で、言う。
「その殺気は引っ込めてくれませんかぁ?」
バレている!
「……ッ!」
骸骨兵はカタカタと歯を鳴らし、ほとんど反射的に女に向かって腰に佩いていた剣を突き刺した。
だが手応えはない。素振りをした感覚。ヒュルっと風だけが舞う。
「……こうなりますか」
いつの間にか剣の間合いから離れたところに守護者の女は現れ、残念そうに深く溜息をついた。
一撃で仕留められなければもう終わりだろう。骸骨兵は剣を捨て、守護者に背中を見せて逃走した。
一縷の望みをかけて。
最も、その望みは逃走後約一秒で潰えた。
守護者の女がなにかしたわけではない。
突如天から巨大な光の矢が奔り、骸骨兵を貫くや否や塵芥も残さず消し去ったのだ。
「これは……」
守護者の女――法界院誘波は目を丸くして天を仰ぐ。
曇り空の裂け目から僅かに覗く青色を背に、天使のような神々しい翼を生やした人影が浮遊していた。翼自体が太陽のように輝いており、その逆光で人影の正体は掴めない。
「だ――」
誰ですか? 誘波がそう誰何する前に、その人影は転移でもしたのか一瞬で姿を消してしまった。
「アレは……もしかして……いえ、今はいいでしょう。なんとなく、わかりました」
風の探知を今から行っても無駄だということを理解し、誘波は消滅した骸骨兵の跡を見る。あれほど高火力の光線だったにも関わらず、地面には焦げ跡一つもなかった。
まるで骸骨兵だけを対象に滅したように。
「問答無用でこうする必要があった、ということでしょうか。ちょっと骸骨ちゃんが可哀想ですねぇ」
誘波は全く憐みを感じないおっとり声で呟くと、骸骨兵が捨てた剣だけを回収し、自分も風の転移でその場から消え去った。
骸骨兵は主――『柩の魔王』ネクロス・ゼフォンの命により、『黒き劫火の魔王』が存在していると思われる世界に斥候として派遣されたのだが……どうも様子がおかしい。
彼の魔王の力が観測された座標に最も近く、且つ次元の壁が最も不安定だった場所に転送されたはずだ。
まず、いきなり混沌が溢れていたことにも驚いた。が、問題はそこではない。『世界の種』などどこにだって寄生しているし、それが溢れているということはそこが最も壁の脆い箇所ということでもある。
問題は、その混沌を対処しようとしていた人間の存在だ。
正確には、人間がいたこと自体が不自然なのである。この世界はとっくに『黒き劫火の魔王』によって侵略されていると予想していたからだ。
魔王が人間を生かすことは珍しくないが、基本的に奴隷にするため以外の理由はない。骸骨兵が見た人間たちのように、魔王の侵略なんてなかったかのような自由さなどありえない。
なにより周囲の景色に侵略の形跡がないのだ。一方的な破壊の跡もなければ、抵抗された戦いの跡もない。周囲の建造物などを見るに文明レベルはそこそこ高度な部類だが、魔王の力を無傷で跳ね返すことなどとてもじゃないが不可能だろう。
綺麗過ぎる。焼け野原以上に空虚な景色になっている方が自然だ。無血で侵略する魔王など聞いたことがない。
ここは本当に、『黒き劫火の魔王』がいる世界なのか?
「……」
骸骨兵の目的は偵察だ。あの混沌を相手している人間たちに見つからないよう、まずは身を隠して情報を収集する。
骸骨兵の見たこと、聞いたこと、感じたことは全て主にも共有される。だからなるべく多くの場所に移動し、多くのものを見て、聞いて、可能であれば『黒き劫火の魔王』を発見する。恐らくそこで骸骨兵の命は終了するだろうが、主の役に立つのであれば本望である。
最初に転送された広い空間から離脱し、できるだけ広い道には出ず、建物と建物の狭い隙間を骸骨兵は行く。
混沌を相手していた人間たち以外に人の気配はない。
恐らく、なにかしらの結界が張られているのだろう。そうなると、結界内に長居することは危険だ。さっきの人間たちが異物を排除する者たちならば、骸骨兵もその対象となり得る。
早急にこの場を離れよう。
そう骸骨兵が考えた時――
「レージ! レージ! まったく、どこにいるのよ」
建物の隙間の向こう、道が広くなっているところの脇を金髪の少女が大声で誰かを呼びながら歩いていた。
「やっぱり待つのは退屈! レージばっかり楽しそうなことしてずるい!」
なにやらとってもご機嫌ナナメな様子の少女を見て――カタカタ。骸骨兵は無意識に歯を打ち鳴らしていた。
いや、口だけではない。骸骨兵の全身がカタカタガタガタと震えている。
少女から感じる力はただの人間だ。だのに、骸骨兵は一目見ただけで全身の骨という骨がバラけてしまいそうな畏怖を覚えた。もしも少女が骸骨兵に気づき、こちらを一睨みでもすれば、それだけで存在ごと消し飛ばされそうな気さえした。
魔族だからこその直感で知る。
あの少女こそが元〝魔帝〟――『黒き劫火の魔王』であると。
恐怖で足が竦んだ。正確には『黒き劫火の魔王』の娘という話だが、もうそんな些細な違いはどうでもいい。彼女は紛れもなく『黒き劫火の魔王』であり、一度はあらゆる魔王の頂点に立った偉大なる存在の系譜だ。
「む、あっちからレージの臭いがする!」
「!」
少女が行ってしまう。
それはまずい。追いかけて接触し、高望みするなら主の下へ連れ帰る。
自分の最優先すべき使命を思い出した骸骨兵は、電撃を浴びたように痺れていた骨身を無理矢理にでも動かして少女を追う――――ことはできなかった。
「はぁい、そこでストップですよぅ。異世界からの来訪者ちゃん」
ふわり、と。
穏やかだが、骸骨兵にとっては痛みを伴う風が吹いた。
その風に乗って、地面に引きずりそうな豪奢な衣装で全身を覆った女が骸骨兵の進路を塞ぐ。おっとりした笑顔に敵意は感じられないが、その力の膨大さは尋常ではない。骸骨兵はこれまで侵略した世界の一般兵士を平均した程度の力を持っているが、この女の前だと暴風に舞う糸くずに等しいだろう。
ついに来てしまった。
世界の守護者。この女はその一柱だ。
やはりおかしい。『黒き劫火の魔王』は存在したが、この世界は侵略されていない。守護者がいることがその証左だ。『黒き劫火の魔王』と思われる少女から力を感じなかったことがなにか関係しているのだろうか?
そんな考察をしつつ身構える骸骨兵に、女は変わらぬ笑顔を向け――
「こんにちはぁ。私の言葉はわかりますかぁ?」
のほほんとした調子で挨拶と確認を行った。
「……」
言葉はわかる。そういう魔術を主にかけてもらっている。しかし、骸骨兵に返事はできない。肉体を持たない骸骨兵は、声を出す機能がそもそも備わっていないのだ。
「ふむふむ、声は出せないようですが、〝人〟に達する意思力はあるようですねぇ」
「……」
まだこちらを葬る気はないらしい。それならば決死の覚悟で攻撃せず、適当に頷いたりして意思疎通を計り、世界の守護者本人から情報を得る方が得策だろう。
と、守護者の女がおっとり笑顔で骸骨兵を見詰めながら「う~ん」と唸った。
「骸骨ちゃんから感じる魔力……やっぱり魔帝化したリーゼちゃんの魔力、レイちゃんが奪って内に秘めた魔力に似ていますねぇ。念のため会わせないように私が対応しましたが、こんなに大人しい方だったのなら大丈夫だったかもしれませんねぇ。働いて損した気分です」
「……」
この女、もしかして骸骨兵を無害だと思って油断しているのだろうか?
だとすれば、隙をつける。
世界の守護者を倒したとなれば、主から賞賛されるどころか、もっと上位の魔族として転生させてもらえるかもしれない。
今なら、油断している今なら。
守護者を殺せる。
殺せる。殺せる。殺せる。
殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セル殺セルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセルコロセル!
「いきなり異世界に来て困惑しているでしょう。ですがご安心してください。私たち異界監査局が責任を持ってあなたを保護します。……ところで」
守護者の女は笑顔のまま、子供に語りかけるような優しい声で、言う。
「その殺気は引っ込めてくれませんかぁ?」
バレている!
「……ッ!」
骸骨兵はカタカタと歯を鳴らし、ほとんど反射的に女に向かって腰に佩いていた剣を突き刺した。
だが手応えはない。素振りをした感覚。ヒュルっと風だけが舞う。
「……こうなりますか」
いつの間にか剣の間合いから離れたところに守護者の女は現れ、残念そうに深く溜息をついた。
一撃で仕留められなければもう終わりだろう。骸骨兵は剣を捨て、守護者に背中を見せて逃走した。
一縷の望みをかけて。
最も、その望みは逃走後約一秒で潰えた。
守護者の女がなにかしたわけではない。
突如天から巨大な光の矢が奔り、骸骨兵を貫くや否や塵芥も残さず消し去ったのだ。
「これは……」
守護者の女――法界院誘波は目を丸くして天を仰ぐ。
曇り空の裂け目から僅かに覗く青色を背に、天使のような神々しい翼を生やした人影が浮遊していた。翼自体が太陽のように輝いており、その逆光で人影の正体は掴めない。
「だ――」
誰ですか? 誘波がそう誰何する前に、その人影は転移でもしたのか一瞬で姿を消してしまった。
「アレは……もしかして……いえ、今はいいでしょう。なんとなく、わかりました」
風の探知を今から行っても無駄だということを理解し、誘波は消滅した骸骨兵の跡を見る。あれほど高火力の光線だったにも関わらず、地面には焦げ跡一つもなかった。
まるで骸骨兵だけを対象に滅したように。
「問答無用でこうする必要があった、ということでしょうか。ちょっと骸骨ちゃんが可哀想ですねぇ」
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