アカシック・アーカイブ

夙多史

FILE-59 夕染めの路地

 夕焼けが赤く照らす路地を恭弥は一人で歩いていた。
 これから寮に帰り、幽体離脱してエルナの言っていた『教授メイガス以上の権限でしか入れない区画』に潜入してみるつもりだ。
 本来なら存在を知った時点で潜入を試みるべきだったが、どうもそこは霊体に対する探知網もあるようで迂闊に手が出せなかったのだ。
 エルナばかりに危険な仕事を押しつけるわけにもいかない。
 今日はとりあえず、噂の探知網が如何ほどのものか確認してみようと思う。問題なさそうであれば、そのまま一晩中調べてみるのもありだ。

 ――……見つかるとも思えないがな。

 エルナの語った学院の創設秘話が正しければ、『全知の公文書アカシック・アーカイブ』に関わる資料はあっても、そこに辿り着く方法については処分されている可能性が非常に高い。そんな物を残していたら誰かに見つけられ悪用される恐れがある。悲劇を繰り返さないために封印したのだから、方法は調べるのではなく――

 ――生み出さないといけないのかもな。

 まだその方向性に切り替えるには早いだろう。『全知の公文書アカシック・アーカイブ』についての情報はもっと集めておくべきだ。不測の事態が起こった時、もしも対処できなければ滅ぶのは世界である。
 やはり、弟子など取って構っている暇などない。

 敵はもう既に行動を起こしているのだから。

「出て来い。そこにいるんだろ、幽崎」

 立ち止った恭弥が前方を睨むと、吹き出したような笑い声が聞こえて電柱の陰からそいつは現れた。

「ご明察。考え事してたっぽいのに、よく俺が隠れてたことに気づいたなぁ?」

 白髪と見間違えそうな金髪に狂気の宿る赤い瞳をした少年――幽崎・F・クリストファーである。

「殺気を隠してなかっただろう? 気づけと言っているようなものだ」
「わぁお。流石、と言えばいいか? ヒャハハ」

 軽薄に笑う幽崎は、かくれんぼで見つかった子供のようなフレンドリーさで恭弥へと歩み寄ってきた。
 恭弥は幽崎の一挙手一投足に最大限の警戒をしつつ、声を低くして問う。

「なんの用だ?」
「つれないねぇ。そんな事を急ぐなよぉ。向こうの喫茶店で茶でも飲みながら話さねぇか?」
「指名手配のお前が店に入れるのか?」
「入れねぇなら入れるようにすりゃいいだろ?」

 当然のことのように幽崎は首を捻った。入れるようにするということは、店員や他の客を脅すか洗脳して通報されないようにするということだろう。
 恐らく今もそうやって学院警察の追手から身を隠しているに違いない。
 幽崎は恭弥の五歩手前で立ち止って肩を竦めた。

「ま、いいさ。てめぇとの茶はまた今度の機会だ。要件を言うぞ」

 今度の機会などあるわけないが、恭弥は黙って幽崎の言葉を聞く。

「黒羽恭弥、周りの使えねぇ雑魚どもなんか切り捨てて、俺と組まねぇか?」

 少々信じられない提案に、恭弥は幽崎の正気をまず疑った。

「……それは、俺がBMAだと知っての提案か?」
「当然」
「断る」
「だろうな」

 悩む必要すらなかった。即答だ。
 断ったというのに、なぜか幽崎は楽しそうに笑う。

「いやぁ、よかった。これでノコノコ俺につくようならぶち殺してるとこだったぜ。俺もてめぇと組む気は欠片もねぇよ」
「なら、今の提案はなんだ?」
「てめぇがどこまで感情を捨てて合理的に動くお人形さんなのか見定めただけ♪」

 茶目っ気を見せようとして失敗した感じの歪んだ笑顔。恭弥が感情制御の達人でなければ一発殴っていたかもしれない。

「安心したぜ。てめぇを怒らせて、憎ませて、恨ませて、その鉄仮面を剥ぎ取る楽しみができたんだからなぁ!」

 幽崎の歪み切って捻くれ千切れた性格は治っていないようだ。治るようなものでもないし、恭弥は幽崎が改心するなどという期待は生憎と持ち合わせていない。

「……結局、なにが言いたい?」
「俺はこう見えてフェアな精神の持ち主だ。嫌いでムカつく相手だろうと、忠告くらいはしてやろうと思ってなぁ」

 幽崎は億劫そうに首をコキコキと鳴らし――

「ファリス・カーラが帰ってくる。あの女は俺にとってもBMAてめぇらにとっても敵だ。せいぜい気ぃつけな」

 この場にはいない、第三者の名前を提示した。

「どういうことだ?」

 ファリス・カーラ。確か特待生ジェレーターの第二位にいた生徒だ。普通は特待生ジェレーターでも許可されていない都市外の遠征に出ていると聞いていた。
 それが帰ってくる。
 だから、なんなのだ?

「そこはてめぇで調べな。そんでぶつかり合って共倒れしてくれりゃ万々歳だ。ま、俺の方でも引っ掻き回せば楽しくなりそ――ッ!?」

 言葉の途中で、幽崎の体が大きく弧を描いて弾き飛んだ。
 幽崎を蹴り飛ばしたのは、恭弥の中から飛び出したチョコレート色の肌をした少女だった。

「ククク、会いたかったぞ小僧。わしを喚び出した代償の『つけ』――今ここで払ってもらおうかのう?」

 幽崎にも引けを取らない凶悪な笑みを浮かべた少女――アル=シャイターンを、身軽にも足から着地した幽崎は睨む。

「アル=シャイターン……やっぱ黒羽恭弥と契約してやがったな! つか、なんだてめぇその姿は! ヒャハハハハッ! 俺のウケを狙ってんなら大成功だぜ! 我慢してなきゃ腹筋が捩れそうだぁ!」
「……我が主よ、奴の魂は喰ってよいかの?」
「ああ、こいつだけは許可する」

 刹那。
 アル=シャイターンの姿が消え――数瞬後、ドゴッ! と鈍く短い、しかし街中に響きそうな音が空気を震わせた。
 それは悪魔の王に幽崎が殺された音――ではない。

「――ッ!?」
「俺の魂は悪魔の王ごときが喰っていいほど安くねぇよ!」

 アル=シャイターンの地殻すら変動してしまいかねない拳の一撃を、幽崎は片手で受け止めていたのだ。
 余裕、というわけではない。余裕ぶっているが表情はギリギリだ。
 だが、これほどの力を幽崎は持っていただろうか? 少なくとも辻斬り事件の時の彼はここまでではなかった。
 いや、妙な点はあった。恭弥の〈フィンの一撃〉で体の内側から爆ぜ飛ぶはずだったのにそうはならかったり、それでも致死のダメージだったはずなのにこうして何事もなく恭弥の前に現れたり。

 ――力を隠していたのか?

 アル=シャイターンが幽崎から飛び退く。

「我が主、気をつけよ! 奴もわしと同格の『悪魔憑き』じゃ!」

 少し焦った様子で看破するアル=シャイターンに恭弥も驚愕する。アル=シャイターンと同格――つまり悪魔の王の一柱が幽崎に取り憑いているということだ。
 幽崎はニヤリと嗤うと踵を返し、無防備にも背を向けた。襲えるものなら襲ってみろ、そう背中で告げている。

「じゃあな。また会おうぜ、ガンドの魔術師――黒羽恭弥。いや、寧ろこう呼んだ方がいいかぁ?」

 手を振って立ち去ろうとする幽崎だったが、なにを思ったのか歩を進めず首だけ振り返った。


「ガンドの魔導師・・・――フリューゲル・・・・・・


「なっ!?」

 驚愕に目を見開く恭弥。幽崎は『その顔が見たかった』とでも言うように厭らしく嗤うと、今度こそ恭弥の前から立ち去り、消えた。

「追わぬのか?」
「……」

 アル=シャイターンに訊かれるが、恭弥はしばらく足を動かすことができなかった。

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