アカシック・アーカイブ
FILE-50 激闘の夜は明けて
荒ぶる炎が猛然と燃え広がる森の中に黒羽恭弥は立っていた。
黒々とした煙が噴き上がり、森全体に燦然と輝くオレンジ色が侵食していく。墜落した旅客機の残骸が至るところに散乱し、微かだが人の呻き声のようなものが弱々しく聞こえていた。
夢だ。
また、あの日の夢を見ている。
恭弥の人生が一変した日。家族親族が全員死亡し、恭弥だけが助かった日。魔術師となるのはもう少し後の話だが、全てがこの日に終わり、そして始まった。
数えるのを諦めたほど何度も何度も繰り返し見た夢。
最近は古い知り合いに会うなど、過去の記憶が呼び起こされる出来事があった時などによく見る夢である。
だが――
――いつもと景色が違う……?
普通ならば恭弥は空に浮かんでおり、家族の死体や自分自身がレスキュー隊に運び出される様子を俯瞰しているはずだ。それは実際に恭弥が幽体離脱したことで見ていた風景である。
なのに、今回は森の中へと下りている。こんな夢は見覚えがない。そもそも恭弥の記憶にないのだから再現できるはずがないのに……。
「こっちだ。早く運び出せ」
「慌てるな。慎重に行け。壊れてまた奴が出てきたら俺らも死ぬぞ」
「わかってるよ」
ふと、恭弥の耳にどこからか人の声が届いてきた。会話からしてレスキュー隊ではない。そちらの方を見やれば怪しい人影が数人、なにか大きな物体を担いで森の中を移動していた。
「こっちにまだ息のある子供が倒れているわ」
「それは丁度いい。依代にするから連れて行け」
怪しい集団は当時の恭弥と同じ年頃の少年を拾うと、それ以上は特になにかするわけでもなく森の奥へと消えていった。
「ようやくだ。これで、盟主様もお喜びになられる」
最後に、誰かがそう呟いたのが聞こえた。
☆★☆
気がついたとき、恭弥の目の前には見慣れない天井があった。
頭がぼーっとする。意識はあるのに体が思うように動かない。やはりアレは夢だったようだ。
体を起こすには疲労が溜まり過ぎていて億劫である。なんとか身じろぎして体を横向きにするのがやっとだった。
「目が覚めたようじゃな」
見知らぬ少女と目が合った。
なぜか恭弥と同じベッドで添い寝する形で、なにやら悪戯に成功したような生意気な笑みを浮かべている少女である。
年齢は恭弥よりも年下――十三~四歳ごろだろう。チョコレート色の肌に猫みたく吊り上がった金眼。幼さが残る顔だが充分に整っており、黒紫色の長髪に尖った耳。頭にはぴょこんと小さな角のような髪飾りが二つ見られる。
そして、少女は衣服をなにも纏っていなかった。つまり全裸。
「人間――日本人はこういう時『おはよう』と挨拶するのじゃったかの?」
こちらをニヤニヤしながら見ている少女は、恭弥がどういう反応を示すのか楽しみで仕方ないといった様子だった。
恭弥は――
「……」
無言だった。
「いや、そこは少しでも驚いてもらわんと顕現した甲斐がないのじゃが……」
少女が不満そうに唇を尖らせるが、恭弥は無視した。無視したまま、無言無表情で状況を整理する。
昨夜、恭弥たち探偵部の面々は学院警察や他の特待生と共に辻斬り犯の捕縛作戦を行った。狙い通り辻斬り犯の少女は現れ、犠牲を出しながらもどうにか打ち負かすことに成功した。
だが、彼女は人を斬り殺していた辻斬り犯ではなかった。
本当の意味での辻斬りを行っていた者は――幽崎・F・クリストファー。悪魔崇拝の犯罪魔術結社〈血染めの十字架〉の構成員だ。奴は悪魔を使って人々の魂を刈り集め、最終的に魔王クラスの悪魔を部分的にだが召喚した。
それは恭弥たちを殺すためではなく、恭弥の目的でもある『全知の公文書』を見つけ出すためだ。
恭弥がその魔王クラスの悪魔――アル=シャイターンと契約できなければ、間違いなく総合魔術学院は滅びていただろう。
しかし、幽崎の目論見は違った形で達成されてしまった。
アル=シャイターンの腕が消え去った後、恐らく魔王の底知れない力の影響か、空間に穴が穿たれていた。
穴の向こう側は古代の遺跡らしき風景が広がり、その祭壇上に一冊の本が浮かんでいたのを恭弥も見た。
確証はないが、アレが『全知の公文書』だと思われる。
拳で殴った水面が元に戻るかのように穴はすぐ閉ざされてしまったため、向こう側へ到達することは誰にも叶わなかった。これは幽崎にも予想外だったはずだ。
姿を消していた幽崎が現れることもなく、ひとまずその場で解散するという流れになったところで恭弥の意識が飛んだ。
恐らく恭弥は病院に運び込まれ、その病室でたった今目覚めるまでは例の夢しか見ていない。
「……」
思い返しても目の前で添い寝しているチョコレート肌の少女は存在しなかった。
何者かに記憶を弄られた可能性が浮上する。だが、それよりもずっと高い可能性について恭弥は心当たりがあった。
「お前、アル=シャイターンか?」
「うーわー、ようやく口を開いたかと思えばこれじゃ。汝は弄り甲斐がないのう。これじゃからガンドの術者は」
少女はつまらなそうに言うと、ぴょん、とベッドから飛び下りた。もちろん全裸である。
「一晩かけてやっとこさ汝の体に馴染んだからのう、多少離れていても問題ないか試すために実体化したまでじゃ」
それが答えだった。
アル=シャイターン。幽崎が召喚し、恭弥が契約した悪魔の王。そんな超危険的存在が少女の姿で目の前に立っている。
「そんなことができるのか?」
「できておるじゃろうに。わしをそんじょそこらの雑魚悪魔と同列に考えるでないわ」
とても信じ難いが、これは夢の続きではなく現実だ。契約したのは恭弥なのだから、なにかしらコンタクトがある可能性は考えていた。
まさかこう来るとは……。
「女だったとは驚きだ」
「じゃったらもっと驚いた顔をせんか!」
恭弥を指差して喚くアル=シャイターン。開いた口から吸血鬼の牙のような鋭い犬歯が覗いていた。
「指を差すな」
悪魔にまで注意することになるとは人生なにがあるかわからない。アル=シャイターンは指差したことに悪びれる様子もなく、フン、と鼻息を鳴らして腕を組んだ。
「というか、わしら悪魔に性別なぞないわ。生殖行為そのものが不要じゃからのう。ただ雌雄のある生物に化ける時はどうしてもどちらかにならねばならぬ。わしがこの姿になったのはお主の驚く反応を期待してのことじゃが……やはりもっとばいんばいんになるべきじゃったか」
ぐぬぬ、と歯噛みする悔しそうな顔は不思議と年相応に見えた。
「お前は俺をどう見てたんだ……」
恭弥が幼女趣味だと思われていたのなら心外である。そもそも『そういうこと』に対する興味自体が薄いのだ。もっと言えばガンド魔術の使い過ぎで感情が薄い。
「なりたくてこんなつるぺた寸胴になったわけではないぞ? 汝と契約したのはこの世に顕現した片腕部分だけじゃからのう。部分的な制限か思い描いた姿になれなんだ」
「つまり、お前の本体は魔界にいて、ここにいるのは力の一部だということか」
「まあ、そういうことじゃな」
目の前にいる少女からも確かに強力な力を感じる。だがあの時の腕に感じた力ほどではない。抑えているのか、それとも恭弥の体に眠らせているのか。
どちらにせよ警戒は必要だろう。
「あの夢を見せたのはお前か?」
訊くと、アル=シャイターンはニィと人の悪い笑みを浮かべた。人ではないが。
「楽しかったか?」
「なにを知っている?」
「わしはなにも。汝の記憶から抽出した情景をちょいと拡大してみただけじゃ」
アル=シャイターンは両掌を天井に向けて首を横に振った。正直、信用ならない。なにせ相手は悪魔なのだ。
「……」
「……」
しばらく無言で睨み合う。
その沈黙を破るように、コンコン、と病室の扉が控え目にノックされた。
「黒羽くん、お見舞いに来ま……」
「恭弥、起きてる? わざわざあたしが来てあげたんだか……ら……」
返事をしてないのに開かれた扉から入って来た二人の少女が、見詰め合う恭弥とアル=シャイターン(全裸)を視認するや凍りついたように固まった。
二人の少女――九条白愛とレティシア・ファーレンホルストは、示し合わせたかのように同時に唇をわなわなさせると――
「なにやってんのよぉおおおおおおおおおおッ!?」
「なにやってるんですかぁああああああああッ!?」
声を揃えて絶叫し、見舞いの品と思われるフルーツを投げつけて来るのだった。
黒々とした煙が噴き上がり、森全体に燦然と輝くオレンジ色が侵食していく。墜落した旅客機の残骸が至るところに散乱し、微かだが人の呻き声のようなものが弱々しく聞こえていた。
夢だ。
また、あの日の夢を見ている。
恭弥の人生が一変した日。家族親族が全員死亡し、恭弥だけが助かった日。魔術師となるのはもう少し後の話だが、全てがこの日に終わり、そして始まった。
数えるのを諦めたほど何度も何度も繰り返し見た夢。
最近は古い知り合いに会うなど、過去の記憶が呼び起こされる出来事があった時などによく見る夢である。
だが――
――いつもと景色が違う……?
普通ならば恭弥は空に浮かんでおり、家族の死体や自分自身がレスキュー隊に運び出される様子を俯瞰しているはずだ。それは実際に恭弥が幽体離脱したことで見ていた風景である。
なのに、今回は森の中へと下りている。こんな夢は見覚えがない。そもそも恭弥の記憶にないのだから再現できるはずがないのに……。
「こっちだ。早く運び出せ」
「慌てるな。慎重に行け。壊れてまた奴が出てきたら俺らも死ぬぞ」
「わかってるよ」
ふと、恭弥の耳にどこからか人の声が届いてきた。会話からしてレスキュー隊ではない。そちらの方を見やれば怪しい人影が数人、なにか大きな物体を担いで森の中を移動していた。
「こっちにまだ息のある子供が倒れているわ」
「それは丁度いい。依代にするから連れて行け」
怪しい集団は当時の恭弥と同じ年頃の少年を拾うと、それ以上は特になにかするわけでもなく森の奥へと消えていった。
「ようやくだ。これで、盟主様もお喜びになられる」
最後に、誰かがそう呟いたのが聞こえた。
☆★☆
気がついたとき、恭弥の目の前には見慣れない天井があった。
頭がぼーっとする。意識はあるのに体が思うように動かない。やはりアレは夢だったようだ。
体を起こすには疲労が溜まり過ぎていて億劫である。なんとか身じろぎして体を横向きにするのがやっとだった。
「目が覚めたようじゃな」
見知らぬ少女と目が合った。
なぜか恭弥と同じベッドで添い寝する形で、なにやら悪戯に成功したような生意気な笑みを浮かべている少女である。
年齢は恭弥よりも年下――十三~四歳ごろだろう。チョコレート色の肌に猫みたく吊り上がった金眼。幼さが残る顔だが充分に整っており、黒紫色の長髪に尖った耳。頭にはぴょこんと小さな角のような髪飾りが二つ見られる。
そして、少女は衣服をなにも纏っていなかった。つまり全裸。
「人間――日本人はこういう時『おはよう』と挨拶するのじゃったかの?」
こちらをニヤニヤしながら見ている少女は、恭弥がどういう反応を示すのか楽しみで仕方ないといった様子だった。
恭弥は――
「……」
無言だった。
「いや、そこは少しでも驚いてもらわんと顕現した甲斐がないのじゃが……」
少女が不満そうに唇を尖らせるが、恭弥は無視した。無視したまま、無言無表情で状況を整理する。
昨夜、恭弥たち探偵部の面々は学院警察や他の特待生と共に辻斬り犯の捕縛作戦を行った。狙い通り辻斬り犯の少女は現れ、犠牲を出しながらもどうにか打ち負かすことに成功した。
だが、彼女は人を斬り殺していた辻斬り犯ではなかった。
本当の意味での辻斬りを行っていた者は――幽崎・F・クリストファー。悪魔崇拝の犯罪魔術結社〈血染めの十字架〉の構成員だ。奴は悪魔を使って人々の魂を刈り集め、最終的に魔王クラスの悪魔を部分的にだが召喚した。
それは恭弥たちを殺すためではなく、恭弥の目的でもある『全知の公文書』を見つけ出すためだ。
恭弥がその魔王クラスの悪魔――アル=シャイターンと契約できなければ、間違いなく総合魔術学院は滅びていただろう。
しかし、幽崎の目論見は違った形で達成されてしまった。
アル=シャイターンの腕が消え去った後、恐らく魔王の底知れない力の影響か、空間に穴が穿たれていた。
穴の向こう側は古代の遺跡らしき風景が広がり、その祭壇上に一冊の本が浮かんでいたのを恭弥も見た。
確証はないが、アレが『全知の公文書』だと思われる。
拳で殴った水面が元に戻るかのように穴はすぐ閉ざされてしまったため、向こう側へ到達することは誰にも叶わなかった。これは幽崎にも予想外だったはずだ。
姿を消していた幽崎が現れることもなく、ひとまずその場で解散するという流れになったところで恭弥の意識が飛んだ。
恐らく恭弥は病院に運び込まれ、その病室でたった今目覚めるまでは例の夢しか見ていない。
「……」
思い返しても目の前で添い寝しているチョコレート肌の少女は存在しなかった。
何者かに記憶を弄られた可能性が浮上する。だが、それよりもずっと高い可能性について恭弥は心当たりがあった。
「お前、アル=シャイターンか?」
「うーわー、ようやく口を開いたかと思えばこれじゃ。汝は弄り甲斐がないのう。これじゃからガンドの術者は」
少女はつまらなそうに言うと、ぴょん、とベッドから飛び下りた。もちろん全裸である。
「一晩かけてやっとこさ汝の体に馴染んだからのう、多少離れていても問題ないか試すために実体化したまでじゃ」
それが答えだった。
アル=シャイターン。幽崎が召喚し、恭弥が契約した悪魔の王。そんな超危険的存在が少女の姿で目の前に立っている。
「そんなことができるのか?」
「できておるじゃろうに。わしをそんじょそこらの雑魚悪魔と同列に考えるでないわ」
とても信じ難いが、これは夢の続きではなく現実だ。契約したのは恭弥なのだから、なにかしらコンタクトがある可能性は考えていた。
まさかこう来るとは……。
「女だったとは驚きだ」
「じゃったらもっと驚いた顔をせんか!」
恭弥を指差して喚くアル=シャイターン。開いた口から吸血鬼の牙のような鋭い犬歯が覗いていた。
「指を差すな」
悪魔にまで注意することになるとは人生なにがあるかわからない。アル=シャイターンは指差したことに悪びれる様子もなく、フン、と鼻息を鳴らして腕を組んだ。
「というか、わしら悪魔に性別なぞないわ。生殖行為そのものが不要じゃからのう。ただ雌雄のある生物に化ける時はどうしてもどちらかにならねばならぬ。わしがこの姿になったのはお主の驚く反応を期待してのことじゃが……やはりもっとばいんばいんになるべきじゃったか」
ぐぬぬ、と歯噛みする悔しそうな顔は不思議と年相応に見えた。
「お前は俺をどう見てたんだ……」
恭弥が幼女趣味だと思われていたのなら心外である。そもそも『そういうこと』に対する興味自体が薄いのだ。もっと言えばガンド魔術の使い過ぎで感情が薄い。
「なりたくてこんなつるぺた寸胴になったわけではないぞ? 汝と契約したのはこの世に顕現した片腕部分だけじゃからのう。部分的な制限か思い描いた姿になれなんだ」
「つまり、お前の本体は魔界にいて、ここにいるのは力の一部だということか」
「まあ、そういうことじゃな」
目の前にいる少女からも確かに強力な力を感じる。だがあの時の腕に感じた力ほどではない。抑えているのか、それとも恭弥の体に眠らせているのか。
どちらにせよ警戒は必要だろう。
「あの夢を見せたのはお前か?」
訊くと、アル=シャイターンはニィと人の悪い笑みを浮かべた。人ではないが。
「楽しかったか?」
「なにを知っている?」
「わしはなにも。汝の記憶から抽出した情景をちょいと拡大してみただけじゃ」
アル=シャイターンは両掌を天井に向けて首を横に振った。正直、信用ならない。なにせ相手は悪魔なのだ。
「……」
「……」
しばらく無言で睨み合う。
その沈黙を破るように、コンコン、と病室の扉が控え目にノックされた。
「黒羽くん、お見舞いに来ま……」
「恭弥、起きてる? わざわざあたしが来てあげたんだか……ら……」
返事をしてないのに開かれた扉から入って来た二人の少女が、見詰め合う恭弥とアル=シャイターン(全裸)を視認するや凍りついたように固まった。
二人の少女――九条白愛とレティシア・ファーレンホルストは、示し合わせたかのように同時に唇をわなわなさせると――
「なにやってんのよぉおおおおおおおおおおッ!?」
「なにやってるんですかぁああああああああッ!?」
声を揃えて絶叫し、見舞いの品と思われるフルーツを投げつけて来るのだった。
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