アカシック・アーカイブ

夙多史

FILE-120 光と鏡

 幽崎は立ち止まっていた。
 いや、前へと進む意思はある。というより、実際に歩いている。だが、まるでランニングマシンにでも乗せられたかのように一ミリも進むことができないでいた。
 原因は明白だ。

 ――てめぇ、妙な術を使いやが……?

「てめぇ、妙な術を使いやがるな」

 声を出そうとしたのに表層意識で思ってしまっただけになり、ああ、と納得して幽崎は相手のルールで行動を切り替えた。

「差し詰め、鏡に映した対象の行動をあべこべにすんだろうなぁ。歩けば止まる。止まれば歩く。喋れば思うだけになり、思ったことは声に出る。〈鏡の国のアリス〉のように」
「……普通、わかったところで実践なんてそうできねえんだけど」

 天使の下へ行かせまいと立ちはだかった金髪の女子生徒は、幽崎が苦もなく粘つく笑みさえ浮かべてまともに喋れていることに驚愕していた。

「簡単だろ? まぁ、面倒ではあるがな」

 幽崎は歩く足を止める。即座に体を右に回転させようとして実際は左に回転。後ろを向くだけなのでどちらでも構わない。金髪の女子生徒――クラウディア・トレモンティが持つ手鏡に映されている以上、後ろを向いて立ち止まらないと進みたい方向に進めないのだ。
 狙い通り、吹き飛ぶような勢いで体が勝手に動き始めた。

「ヒャハハ! こりゃ移動は楽だなぁ!」
「――ッ!?」

 突っ込んで来る幽崎をいつまでも鏡に映していられなくなったのか、クラウディアは鏡面を手で隠して後ろに大きく飛び退った。

「おっと」

 正常な慣性を取り戻した幽崎の体がバランスを崩す。転ぶことはどうにか避けたが、そのタイミングで天から一条の光が降り注いだ。

「チッ」

 舌打ちし、横へ転がる。光は大地を焼き焦がして貫き、直径一メートルほどの底の見えない穴を穿った。

「おいおい、天使様は俺を殺しにかかって来てやがんな? 殺しちゃいけねぇルールを忘れてんじゃねぇかぁ?」

 そのルールさえなければ鏡の魔術はもっとえげつないことができるのだが、クラウディアがそこまで極めているかどうかは幽崎には知る由もない。
 指を噛み切り、血を地面に垂らす。

「さぁ、俺に傅くクソ共よ。飯の時間だ。てめぇらが大嫌いで大好物な獲物をそこに用意した。羽の一枚残さず貪り喰らっちまえ!」

 禍々しい魔法陣が幽崎の足下に広がった。そこから多種雑多な悪魔たちが這い出るように召喚される。どれもこれも人間の嫌悪感を煽るような醜い姿をした怪物たちは、天使の力を嗅ぎ取ったものから甲高い奇声を上げて殺到していく。
 手鏡の一枚や二枚では映し切れない物量である。

「うじゃうじゃ気持ち悪い! 一気に消し飛ばすよ! クラウディア手伝って!」
「あいよ。ガブリエラ、あんたのフィールドの力、ちょっと借りるけどいいね!」

 大地からクラウディアに大量の魔力が供給されていく。なにをする気か知らないが、この天使のフィールドは単純に味方の身体能力を底上げするだけではないらしい。
 クラウディアが持っていた手鏡を砕く。飛び散った鏡の破片は地面に落ちることなく、次第に巨大化して幽崎と悪魔たちを取り囲むように浮遊した。
 それらの鏡に映された悪魔たちが動きを止める。知能の低い下級悪魔は行動が反転していることなど気づくことなく、不自由そうに唸っていた。
 そこへガブリエラの光が降り注ぐ。光は鏡によって乱反射し、動けない悪魔たちを次々と殲滅していく。

「鏡と光のコンビネーションってか。くだらねぇ」

 幽崎にも襲いかかる光を悪魔を盾にして防ぐ。それから足元の小石を掴み取り、魔力を乗せ、近くの鏡に向かって投擲した。
 気持ちのいい音を立てて割れていく鏡だったが――

「あぁ?」

 割れた鏡はその破片の分だけ再び巨大化し、何事もなかったかのように浮遊して幽崎を包囲した。

「無駄よ。割ったくらいで崩れる程度の術式じゃねえし。なんなら、自分で割ってもいいんだ」

 クラウディアが指を鳴らす。すると一斉に浮かんでいた鏡が砕け、巨大化し、さらに砕け、また巨大化。それを何度も繰り返す。
 最終的に幽崎は隙間なく埋め尽くされた鏡のドームに閉じ込められてしまった。中ではまだ光が乱反射を続けている。盾となる悪魔も既にほとんど消滅していた。

「……あぁ、こりゃめんどくせぇな」

 光を避けながら幽崎は舌打ちする。地面以外が鏡の世界。これでは外の様子もわからない。となると、今ごろはあの天使がこのドームごと貫く術式を展開しているだろう。
 その程度でくたばる幽崎ではないが、まともに受ければ所持している魔力結晶は無事では済まない。確実に強制退場だ。
 まあ、素直にそうなってやるつもりは毛頭ない。

「俺をここまで追い詰めたことは褒めてやってもいいかもなぁ」

 襲って来る光を片手の掌で受け止める。焼けるような痛みが全身に迸るが――

「雑魚悪魔に食わせるのも面白ぇと思ったが、やめだ。ここから出たら楽しませてもらうぞ、クソ天使ども!」

 幽崎は、酷薄に笑っていた。

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