夢見まくら

触手マスター佐堂@美少女

第二十六話 告白

「……ここまで来れば、とりあえず大丈夫かな」
 手を繋ぎながら俺の隣を走っていた皐月が、速度を落とした。
 そのまま自然と俺たちの歩みはゆっくりとしたものになり、やがて小道の真ん中で立ち止まる。
 「はぁ……はぁ……はぁ…………っ」
 汗でシャツが肌に張り付いていた。
 その不快な感触に眉をひそめる余裕もないまま、俺は息を整える。
 ……森の中は薄暗く、生命の気配を感じさせない。
 木々の隙間から覗く空は灰色で、厚い雲が太陽の光を遮っている。今にも降ってきそうな曇天だ。
「はぁ……はぁ…………」
 一見すると冷静そうな皐月も、肩で息をしていた。
 身体のほうは普通に動いているんだから、当然と言えば当然だ。
「…………」
 そんな皐月を横目にしながら、思う。
 皐月の二年間の壮絶な体験を知って。
 皐月の正体を知って。
 皐月の想いを知って。
 ……にもかかわらず、俺は皐月と今後どういうふうに付き合っていくのか保留にしたまま、ここまで来てしまった。

 俺が、決めるのだ。

 皐月との未来を手に入れるために。
「……そう、だよな」
 告白の言葉は、俺が言わなければならないのだ。
 これからもずっと皐月と一緒にいたいのなら。
 今、言うしかない。
「……皐月」
 意を決して、俺は皐月に声をかけた。
「海斗」
 俺の声に反応して、皐月がこちらを振り向く。
 その頬は上気して赤く染まっていた。
「――前に一回、海斗の告白を断ったことがあったよね?」
「え? あ、ああ」
 突然話し始めた皐月に出鼻を挫かれた気分だったが、とりあえず皐月の話を聞くことにする。
 皐月の目が、これ以上ないほど真剣だったからだ。
「あれはね、皐月様にわたしの命が狙われているって知ってたからなの」
「…………」
「どうせ助からないから、海斗に変な期待をさせるのは酷かなと思って、ね」
 そんなことを話す皐月は、何かを堪えるような、寂しげな笑みを浮かべていた。
「……そう、なのか」
「でもね」
 皐月はそこで一度言葉を切って、

「皐月様の言っていたことが本当なら、わたしは死ななくてすむかもしれないの」

「……どういうことだ?」
 皐月の言っていることの意味がわからず、俺は皐月に説明を促す。
「皐月様は、ヨーゼフを殺した時にヨーゼフから呪いを受けたみたいなの。これは、海斗も聞いてたよね?」
「ああ、確かにそんなこと言ってたな」
「具体的にどの程度のものなのかわからないけど、少なくともこのまま放置していたら死に至る程度には強力なものみたい。だから、とりあえず皐月様から逃げ切ればなんとかなるかもしれない」
 確かに、血眼になって自分を追ってくる奴がいなくなるだけでも、皐月の心の負担は、かなり軽くなるだろう。
 しかし、
「たとえ高峰皐月から逃げ切れたとしても、他の高峰は、お前を追ってくるんじゃないのか?」
 高峰の行動原理は知らないが、彼らが、仲間の転生を阻害する存在を放置しておくことは考えにくい。
「追ってくるかもしれないね。でも、はっきりとした魂のつながりがある皐月様と違って、ほかの高峰は、わたしのいる場所の見当なんてつけられないはず。わたし個人とは何の関係もない人たちだし」
「……なるほど」
「それでも、ずっと逃げ続けないといけない生活になるよ。……わたしと、一緒に来るなら」
「――!」
 それは。
 選択肢があるということなのか。
 皐月と一緒に生きていくという選択肢が、あるということなのか。
 ……雨が、降ってきた。
 しかし、身体を濡らす雨粒も、じめじめとまとわりついてくるような熱気も、今だけは気にならない。

「あのとき、海斗は言ってくれたよね」

 皐月の手が汗ばんでいる。
「わたしのこと、好きだって」
 夢の中での告白のことか。
「でも、今はあのときとは状況が全然違う」
 小さく震えながら言葉を紡ぐ皐月は。
「海斗は、もうわたしの正体を知ってる。わたしの犯した罪を知ってる」
 今にも壊れてしまいそうで。

「だから、お願い。もう一度だけ、聞かせてほしいの」

 皐月の声を耳に感じながら、俺は瞳を閉じる。
 脳裏に浮かんでくるのは、いままでのこと。
 幼いころの皐月。
 タマネギを切って涙目になっている皐月。
 俺の隣で美味そうにカレーを食べている皐月。
 俺の腕の中で顔をほんのり赤くして縮こまっている皐月。
 魅力的な声で歌っている皐月。
 俺の横で無防備な姿で眠っている皐月。
 ……ああ、なんだ。
 わかりきってることじゃないか。


「……海斗は、海斗はまだ、わたしのことを――」


「好きだよ、皐月」


 気が付くと、俺はそう口にしていた。
「……ほ、ほんとに?」
 皐月は、おそるおそるといった感じで再び俺に尋ねる。
「ああ」
 でも、俺の返事は変わらない。
 変わるはずがない。
「わたし、もう人間じゃないんだよ?」
「知ってる」
「……わたし、もう赤ちゃん作れないよ?」
「知ってる」
「…………わたし、化物なんだよ?」
「知ってる」
「……それでも、いいの?」
「いいよ」
 迷うはずがなかった。
 皐月について行くということは、高峰を敵に回すということだ。
 皐月について行くということは、普通の人間としての生活を捨てるということだ。
 だが。

「いいよ」

 俺はもう一度、その言葉を言った。
 皐月に言い聞かせるように。
 そして、自分自身に言い聞かせるように。
 それが、何だというのか。
「……ずっと、諦めて生きてきたんだ」

 諦観。

 俺の人生を指す言葉に、これ以上ふさわしいものはないに違いない。
 皐月を諦めて、諦めて、諦めて、諦めて生きてきた。
 そんなちっぽけな代償を払っただけで皐月と共にいられるのなら、俺は喜んでそれを払おう。
「もう俺は間違えない。間違えたくない。……皐月」
 まっすぐに皐月を見据える。
「俺の気持ちは変わらない。俺は前橋皐月のことが好きだ。大好きだ」
「あっ……」
 抱きしめる。
 皐月は抵抗しなかった。


 ――今、この腕の中に皐月がいる。


「約束するよ。俺は、ずっと、ずっと、いつまでも、皐月のそばにいる」


 それだけで、十分だった。


「必ず、皐月を幸せにしてみせる」
「うん……うんっ!」
 皐月は泣いていた。
 泣いて、でも笑っていた。
 温かな涙だった。
 きれいだと思った。
「わたしは、海斗のことを愛しています」
「……俺も、皐月のことを愛してる」
 本心だった。
 心の底から、そう思っていた。
「お前と一緒なら……俺はどこまでだって行けるよ」
 俺は皐月の手を強く握った。
 皐月は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべてから、俺の手を握り返す。

 しっかりと繋いでいよう。
 もう二度と、この手を離すことがないように。

「――海斗」
 皐月が瞳を閉じた。
「――皐月」
 生きていこう。
 皐月と一緒に、いつまでも。



 俺は――









































































































 ぐちゃり。




 音が聴こえた。
「――あ?」
 雨の音に混じって、草の上に何かの液体が大量にばら撒かれたような、そんな音が聴こえた。
 同時に、腹部に強烈な違和感を覚える。

 熱い。

 今まで体験したことのないような熱を、腹部に感じた。
 俺は視線を下に向ける。

「――え?」






 赤紫色をした何かが、俺の腹部に突き刺さっていた。

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