夢見まくら
第二十四話 『差し出しなさい』
誰も、その場から動けなかった。
「佐原……か?」
二条が訝しげな声を出した。
「……違う。あれは多分、佐原じゃない」
俺は二条の言葉を否定する。
――雰囲気が、まったく違う。
今の佐原からは、いつもの飄々とした雰囲気が微塵も感じられなかった。
「ああ、ご挨拶がまだでしたね」
俺たちのものものしい様子を感じ取ったのか、佐原は合点がいったような顔をする。
そして、その言葉を口にした。
「私は、高峰皐月と申します。以後お見知りおきを」
「……やっぱりか」
予想できていた俺とは違い、二条は驚きに軽く目を見開き、皐月は恐怖からか僅かに唇を震わせている。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
混乱した様子の二条が、高峰皐月に問いかける。
「佐原は今どうなってるんだ!?」
……たしかに。
今、佐原の身体を操っているのが高峰皐月の人格なのだとしたら、本来の佐原の人格はどうなっているのだろうか。
「佐原太陽の人格は私の中で一応生きていますよ。ただ、会話がまともに成立する状態とは言い難いですね」
二条のその疑問に、高峰皐月が答える。
「……それは、どういう」
「どうやら二回目の寄生は一回目と比べて難度が高く、寄生対象の脳に重大な問題を生じさせてしまったようです」
高峰皐月は、あまりにも淡々と告げた。
「端的に言えば、今の佐原太陽は廃人です」
「……テメェ」
二条が静かに怒りに震えているのがわかった。
「そんなに怒らないでください、二条さん。私だって、好きでこんなことをやっているわけじゃないんです」
高峰皐月は僅かに口元を歪めながら、二条をたしなめる。
……それが俺には、二条を嘲笑しているようにしか見えなかった。
「ヨーゼフを殺すために野手の身体を拝借したのはよかったんですが、魔術を使い過ぎたせいで彼女の身体が使い物にならなくなってしまって……ちょうど替えが欲しかったところに佐原が現れたんですよ」
「…………」
高峰皐月のその発言は、あまりにも常軌を逸していた。
……人間を、まるで使い捨てのゴミか何かのように。
正常な倫理観を持っている人間の言うこととは思えない。
「そのおかげで、幸いにもヨーゼフは殺すことができました」
が、と高峰皐月は続ける。
「私はヨーゼフから呪いを受けてしまいましてね。はっきり言って、限界が近いのですよ」
「――!」
その言葉を聞いた瞬間、皐月の目が鋭くなった気がした。
「ヨーゼフの目的は、私の転生を阻害することだった、と考えるのが妥当です。……まあ、まだ引っかかる点はいくつかありますが、大した問題ではありませんね」
高峰皐月が、こちらに向かって一歩踏み出した。
「ヨーゼフの妨害工作を破綻させる手段は、ただひとつ」
高峰皐月は右手の人差し指で皐月を指差し、
「一刻も早く皐月を殺して、私も死ぬこと。――そして、それだけわかっていれば十分過ぎる」
唄うように。
「だから、皐月」
舐めるように。
「あなたはここで死になさい。私のために。私達、高峰のために」
高峰皐月は微笑をたたえながら、自身の右手を誘うようにこちらへ向けて、
「差し出しなさい。あなたたちは私達に搾取されるためだけに存在するんですから」
高峰皐月のその言葉を聞いた瞬間、俺の身体から力が抜けた。
「っ!?」
それは俺だけではなかったようで、近くで皐月と二条も地面に膝をついている。
「な……んだ……これ――?」
身体がうまく動かせない。
痺れた直後の手足のような感覚があった。
「これは……吸収?」
二条のその言葉に、高峰皐月は「ええ」と言いながら頷く。
「生命力吸収の魔術です。この身体自体の体力が心許ないので使わせていただきました」
――マズイ。
俺も、二条も、皐月も、ほとんど動けない。
「それにしても、この身体は多少マシな適性を持っているようで安心しましたよ。今日一日くらいは、もってくれればいいのですが」
佐原の身体を見ながら、高峰皐月は目を細める。
「…………」
とにかく、時間を稼いで……逃げるしかない。
こいつに皐月を殺させるわけにはいかない。
これ以上、この少女を苦しめてはいけない。
……いや、これは俺の心情だ。
これ以上、皐月をめちゃくちゃにされてたまるか。
もう皐月は十分苦しんだのだから。
そろそろ、報われるべきだ。
「――野手も、佐原も、前橋皐月も、テメェが好き勝手に弄くり回していいおもちゃじゃねぇんだよ。高峰皐月ぃ……」
そんな二条の言葉に、高峰皐月はきょとんとした顔をして、
「いや、おもちゃですよ。何を言っているんですか」
まるでそれが当たり前のことのように、二条の言葉を切り捨てた。
「…………そうかよ」
二条は目を閉じる。
……そしてすぐに、その双眸が開かれ、
「――逃げろ。海斗」
二条は顔を歪めながら、そんなことを言った。
「え?」
「俺がアイツを引きつける。その隙にお前は逃げろ」
二条が何を言っているのか、一瞬わからなかった。
だが、すぐにその言葉の意味を咀嚼すると、
「いや、ダメだろ! そんなことしたらお前はどうなるんだよ!?」
高峰皐月が危険な相手だというのは、彼女の言動の端々から察せられる。
二条が強いのは知っているが、今、目の前にいる彼女に勝てるのかといえば、かなり怪しいと言わざるを得ない。
「心配すんな。アイツに俺は殺せない」
「……そう、なのか?」
「ああ、勝てるかはわからねぇが、それだけは保証できる。だから、時間稼ぎに俺を使え」
二条は自信たっぷりな様子でそう言う。
「でも……」
そんなこと、すぐには決断できなかった。
手足の痺れのようなものは取れてきている。動くのは問題ない。
しかし、それとこれとは話が別だ。
皐月が殺されるのは絶対に避けなければならないが、だからと言って、それが二条が危険に晒されていい理由にはならない。
「――海斗」
二条が、いつになく真剣な表情で俺の目を見つめる。
「お前に、これから前橋皐月と一緒に生きていく覚悟があるのなら、ここは逃げろ」
「――――!」
「そういうことだ。……行けよ、前橋皐月。海斗と一緒に」
「……ありがとうございます、二条さん!」
俺と違って、皐月の決断は早かった。
「ちょっ! 皐月!」
皐月は二条に礼を言うと、俺の手を取って走り出した。
俺は慌てて皐月について行く。
「こっちだよ、海斗!」
皐月は俺の手を引いて、森のほうへと走っていく。
「――ぁ」
離れていく。
二条から、離れていく。
高峰皐月から、離れていく。
「海斗っ!」
「……あ、ああ!」
そこでようやく正気に戻った。
「……はぁ……はぁ……っ」
小道を走る。
俺は、皐月の手を握りしめた。
確かに感じるこの熱を、離さないように。
「――!」
皐月は、その手を見て僅かに破顔する。
だが、すぐに前を向き直した。
「……はぁ……はぁ…………」
走る。
「はぁ……はぁ……はぁ…………」
走る。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
走る。
俺たちは一度も振り向くことなく、入り組んだ森の中の道を目指して走っていく。
空は、今にも泣き出しそうな曇天だった。
◆
「……追わないのか?」
海斗たちが逃げ出してからも、高峰皐月はしばらくこちらを静観していた。
「追いますよ。ですが、まずはあなたが先です」
「ああ、そう」
……前橋皐月と、兼家海斗。
あの二人を見ていると、俺の脳の奥のほうで何かが疼く。
「――はっ」
失笑した。
葉月に飼われているだけの俺の心の中に、奴らに共感するような部分が残っていたことに。
「そういえば」
高峰皐月の呟きに、俺は目線だけで反応する。
「服部翔太。――彼もまた、超能力に目覚めた者だったのですね」
「あ?」
服部が、超能力者?
そんな話は初耳だが……。
「私の受けた呪いが、彼には見えていたようでしたから。……まあ、今は関係のないことですが」
さて、と言って高峰皐月は右手を前に突き出し、
「何にせよ、高峰に仇なす犬は教育し直さなければなりませんね」
その言葉と同時に、高峰皐月の背後にある湖面が、不自然に揺れた。
「……上等だ」
俺は、無意識のうちに呼び出していたそれを握りしめる。
「――っ!」
そして、それを思いっきり高峰皐月に向かって振り投げた。
「佐原……か?」
二条が訝しげな声を出した。
「……違う。あれは多分、佐原じゃない」
俺は二条の言葉を否定する。
――雰囲気が、まったく違う。
今の佐原からは、いつもの飄々とした雰囲気が微塵も感じられなかった。
「ああ、ご挨拶がまだでしたね」
俺たちのものものしい様子を感じ取ったのか、佐原は合点がいったような顔をする。
そして、その言葉を口にした。
「私は、高峰皐月と申します。以後お見知りおきを」
「……やっぱりか」
予想できていた俺とは違い、二条は驚きに軽く目を見開き、皐月は恐怖からか僅かに唇を震わせている。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
混乱した様子の二条が、高峰皐月に問いかける。
「佐原は今どうなってるんだ!?」
……たしかに。
今、佐原の身体を操っているのが高峰皐月の人格なのだとしたら、本来の佐原の人格はどうなっているのだろうか。
「佐原太陽の人格は私の中で一応生きていますよ。ただ、会話がまともに成立する状態とは言い難いですね」
二条のその疑問に、高峰皐月が答える。
「……それは、どういう」
「どうやら二回目の寄生は一回目と比べて難度が高く、寄生対象の脳に重大な問題を生じさせてしまったようです」
高峰皐月は、あまりにも淡々と告げた。
「端的に言えば、今の佐原太陽は廃人です」
「……テメェ」
二条が静かに怒りに震えているのがわかった。
「そんなに怒らないでください、二条さん。私だって、好きでこんなことをやっているわけじゃないんです」
高峰皐月は僅かに口元を歪めながら、二条をたしなめる。
……それが俺には、二条を嘲笑しているようにしか見えなかった。
「ヨーゼフを殺すために野手の身体を拝借したのはよかったんですが、魔術を使い過ぎたせいで彼女の身体が使い物にならなくなってしまって……ちょうど替えが欲しかったところに佐原が現れたんですよ」
「…………」
高峰皐月のその発言は、あまりにも常軌を逸していた。
……人間を、まるで使い捨てのゴミか何かのように。
正常な倫理観を持っている人間の言うこととは思えない。
「そのおかげで、幸いにもヨーゼフは殺すことができました」
が、と高峰皐月は続ける。
「私はヨーゼフから呪いを受けてしまいましてね。はっきり言って、限界が近いのですよ」
「――!」
その言葉を聞いた瞬間、皐月の目が鋭くなった気がした。
「ヨーゼフの目的は、私の転生を阻害することだった、と考えるのが妥当です。……まあ、まだ引っかかる点はいくつかありますが、大した問題ではありませんね」
高峰皐月が、こちらに向かって一歩踏み出した。
「ヨーゼフの妨害工作を破綻させる手段は、ただひとつ」
高峰皐月は右手の人差し指で皐月を指差し、
「一刻も早く皐月を殺して、私も死ぬこと。――そして、それだけわかっていれば十分過ぎる」
唄うように。
「だから、皐月」
舐めるように。
「あなたはここで死になさい。私のために。私達、高峰のために」
高峰皐月は微笑をたたえながら、自身の右手を誘うようにこちらへ向けて、
「差し出しなさい。あなたたちは私達に搾取されるためだけに存在するんですから」
高峰皐月のその言葉を聞いた瞬間、俺の身体から力が抜けた。
「っ!?」
それは俺だけではなかったようで、近くで皐月と二条も地面に膝をついている。
「な……んだ……これ――?」
身体がうまく動かせない。
痺れた直後の手足のような感覚があった。
「これは……吸収?」
二条のその言葉に、高峰皐月は「ええ」と言いながら頷く。
「生命力吸収の魔術です。この身体自体の体力が心許ないので使わせていただきました」
――マズイ。
俺も、二条も、皐月も、ほとんど動けない。
「それにしても、この身体は多少マシな適性を持っているようで安心しましたよ。今日一日くらいは、もってくれればいいのですが」
佐原の身体を見ながら、高峰皐月は目を細める。
「…………」
とにかく、時間を稼いで……逃げるしかない。
こいつに皐月を殺させるわけにはいかない。
これ以上、この少女を苦しめてはいけない。
……いや、これは俺の心情だ。
これ以上、皐月をめちゃくちゃにされてたまるか。
もう皐月は十分苦しんだのだから。
そろそろ、報われるべきだ。
「――野手も、佐原も、前橋皐月も、テメェが好き勝手に弄くり回していいおもちゃじゃねぇんだよ。高峰皐月ぃ……」
そんな二条の言葉に、高峰皐月はきょとんとした顔をして、
「いや、おもちゃですよ。何を言っているんですか」
まるでそれが当たり前のことのように、二条の言葉を切り捨てた。
「…………そうかよ」
二条は目を閉じる。
……そしてすぐに、その双眸が開かれ、
「――逃げろ。海斗」
二条は顔を歪めながら、そんなことを言った。
「え?」
「俺がアイツを引きつける。その隙にお前は逃げろ」
二条が何を言っているのか、一瞬わからなかった。
だが、すぐにその言葉の意味を咀嚼すると、
「いや、ダメだろ! そんなことしたらお前はどうなるんだよ!?」
高峰皐月が危険な相手だというのは、彼女の言動の端々から察せられる。
二条が強いのは知っているが、今、目の前にいる彼女に勝てるのかといえば、かなり怪しいと言わざるを得ない。
「心配すんな。アイツに俺は殺せない」
「……そう、なのか?」
「ああ、勝てるかはわからねぇが、それだけは保証できる。だから、時間稼ぎに俺を使え」
二条は自信たっぷりな様子でそう言う。
「でも……」
そんなこと、すぐには決断できなかった。
手足の痺れのようなものは取れてきている。動くのは問題ない。
しかし、それとこれとは話が別だ。
皐月が殺されるのは絶対に避けなければならないが、だからと言って、それが二条が危険に晒されていい理由にはならない。
「――海斗」
二条が、いつになく真剣な表情で俺の目を見つめる。
「お前に、これから前橋皐月と一緒に生きていく覚悟があるのなら、ここは逃げろ」
「――――!」
「そういうことだ。……行けよ、前橋皐月。海斗と一緒に」
「……ありがとうございます、二条さん!」
俺と違って、皐月の決断は早かった。
「ちょっ! 皐月!」
皐月は二条に礼を言うと、俺の手を取って走り出した。
俺は慌てて皐月について行く。
「こっちだよ、海斗!」
皐月は俺の手を引いて、森のほうへと走っていく。
「――ぁ」
離れていく。
二条から、離れていく。
高峰皐月から、離れていく。
「海斗っ!」
「……あ、ああ!」
そこでようやく正気に戻った。
「……はぁ……はぁ……っ」
小道を走る。
俺は、皐月の手を握りしめた。
確かに感じるこの熱を、離さないように。
「――!」
皐月は、その手を見て僅かに破顔する。
だが、すぐに前を向き直した。
「……はぁ……はぁ…………」
走る。
「はぁ……はぁ……はぁ…………」
走る。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
走る。
俺たちは一度も振り向くことなく、入り組んだ森の中の道を目指して走っていく。
空は、今にも泣き出しそうな曇天だった。
◆
「……追わないのか?」
海斗たちが逃げ出してからも、高峰皐月はしばらくこちらを静観していた。
「追いますよ。ですが、まずはあなたが先です」
「ああ、そう」
……前橋皐月と、兼家海斗。
あの二人を見ていると、俺の脳の奥のほうで何かが疼く。
「――はっ」
失笑した。
葉月に飼われているだけの俺の心の中に、奴らに共感するような部分が残っていたことに。
「そういえば」
高峰皐月の呟きに、俺は目線だけで反応する。
「服部翔太。――彼もまた、超能力に目覚めた者だったのですね」
「あ?」
服部が、超能力者?
そんな話は初耳だが……。
「私の受けた呪いが、彼には見えていたようでしたから。……まあ、今は関係のないことですが」
さて、と言って高峰皐月は右手を前に突き出し、
「何にせよ、高峰に仇なす犬は教育し直さなければなりませんね」
その言葉と同時に、高峰皐月の背後にある湖面が、不自然に揺れた。
「……上等だ」
俺は、無意識のうちに呼び出していたそれを握りしめる。
「――っ!」
そして、それを思いっきり高峰皐月に向かって振り投げた。
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