夢見まくら

触手マスター佐堂@美少女

第二十三話 バケモノ

「はぁ……はぁ……はぁ…………」
 螺旋階段を降りていく。
 ドアを閉じると、わたしの背中を守るように追従していたミューズがもやのように消えた。
 太陽の暖かな光が消えて、代わりに電球の冷たい光がわたしをぼんやりと照らしていた。
「…………っ」

 急がなければならない。

 多分、ヨーゼフでは皐月様に勝てない。
 覚悟しておけというのは、そういうことなのだろう。
 皐月様がヨーゼフを始末し、わたしを追ってくるのは時間の問題だと考えたほうがいい。
 ……戦闘音と思しき音は、まだ上から聞こえてきている。
 幸いにも、今すぐにヨーゼフが負けるということは無さそうだった。
「っと」
 階下のドアを開き、地下一階にたどり着いた。
 ふぅ、と一息つく。
 ついでに、わたしの足の裏にコンクリートの硬く冷たい感触も戻ってきた。
「…………」
 手元の鍵を見る。
 経年劣化によって色褪せたそれは、電球の光を反射して鈍く銀色に輝いていた。
 ……ヨーゼフは、この鍵が地下二階の非常用出口のある部屋を開ける鍵だと言っていた。
「……そういえば」
 わたしはさっき、地下一階の部屋のドアは確認していない。
 ――人間を監禁してある。
 ヨーゼフは確かに、そうも言っていた。
 おそらく、皐月様が被っていた・・・・・のも、この階に監禁されていた人間だったのだろう。
 だから、

「誰か、いませんかー!」

 わたしは大声で叫んだ。
「無事なら返事をしてくださーい!」
 その人の居場所を特定して、安全を確認するために。
 手足が自由なまま、鍵付きの部屋に監禁されている可能性もあるからだ。
 ……そして、わたしの呼びかけに対する返事はすぐに返ってきた。
「――! 誰だ!?」
 それは、廊下のちょうど真ん中の部屋の中から聞こえている。
 聞き覚えのない、男の声だった。
「え、と。はい。わたしは前橋という者です。あなたは誰ですか?」
 わたしは一度呼吸を整えてから、部屋の中の人間に向かって、そう問いかけた。
「俺は原田はらだ――と、とにかく今すぐ助けてくれ!」
 男――原田の声は、ひどく憔悴しているように聞こえる。
 見ると、その部屋のドアには覗きレンズがついていた。
 ……ありがたい。
 これで、中の人間に拘束の有無を尋ねる手間が省ける。
 わたしはドアを登ってへばりつき、覗きレンズから部屋の中の様子を見た。
「…………」
 まず目に入ったのは、黒っぽい色のモノがへばりついている床。
 ……間違いない。血痕だ。
 わたしのいた部屋も酷かったが、こちらもかなり酷い。
 この部屋で、一体何人の人間がヨーゼフに殺されたのか……。
 それ以外は特に何の特徴もない部屋だった。
 男のほうも、薄汚れてはいるものの特に何の特徴もない。
 助けが来たことへの安堵感が露骨に顔に出ている。
 わたしが懸念していたようなことはなく、男はしっかりと両手両足を紐のようなもので拘束されていた。
「…………ん?」
 そこで、気になるものを見つけた。
 原田を拘束しているものと同じ紐のようなものが、原田の隣に落ちている。
 ……おそらく、皐月様が寄生したあの女性が拘束されているときに使用されていたものだろう。
 つまり、皐月様が寄生したあの女性は、ここに監禁されていたということだ。
「…………」

 ――被る・・

「……わかりました。少し待っていてくださいね」
「あ、ありがとう! 恩に着るよ!」
 やり方はわかる。この身体の本能的な部分が、わたしに具体的な方法を伝えてくれる。
 この部屋には、鍵はかかっていない。
 わたしはドアを開けた。
「……は?」
 わたしの姿を視認した原田は、一瞬惚けたような声を出して、
「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
 次の瞬間、それは絶叫に変わった。
「やめろ! く、来るな! こっちに来るなぁぁああああ!!」
 原田は目を見開き、唾を飛ばしながら、わたしから逃れようと身を蠢かせる。
 まさに、狂乱していると呼ぶに相応しい乱れっぷりだ。
 ……無理もないか。
 こいつは、目の前で皐月様があの女に寄生するところを見ていただろうから。
 だが、それを頭で理解していても、わたしから見た原田の姿はひどく滑稽だった。
「……ぷっ」
 そのあまりの乱れっぷりに、思わず吹き出してしまう。
 ――なるほど。
 ヨーゼフは、いつもこんな視線でわたしたちを見つめていたのかもしれない。

 強者と弱者。
 狩るものと狩られるもの。

 その二者の間には、どうしようもないほど大きな隔たりがあるのだと実感する。
 わたしは原田のほうに向かって歩きだした。
「――ひっ!?」
 それを見た原田は、その瞳に涙を浮かべてわたしに懇願する。
「お、お願いだ! やめてくれ! 何でもする! 何でもするから!」
「…………」
 その言葉は、この二年間で聞き飽きた。
 そして、その言葉を口に出した者達がどんな末路をたどったのか、わたしは知っている。
 ……こいつにできることなど、わたしの隠れ蓑になる以外に何一つとしてないのだ。
「……クソっ……ちくしょう……っ! 何で……っ……」
 わたしの無言の否定を察知したのだろう。
 悪態をつき始めた原田は、涙を流しながら叫ぶ。
「……何でっ! 何で俺が、こんな目に遭わないといけないんだよ!!」
 ……そんなことは、わたしが聞きたかった。
 わたしは、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう。
 わたしは、どうして目の前にいる男を恐怖で震えさせているのだろう。
「死ねよ化け物ぉ!」
「――っ!?」
 その言葉は、わたしの胸に深く、深く突き刺さった。
「……違う」
 思わずわたしの口から漏れた否定の言葉は、あまりにも弱々しくて。
「わたしは……化け物なんかじゃ……」
「何が違うんだよ!? 野手さんをあんな風にしておいて、よくそんなことが言えたもんだなぁ!?」
 ……野手、というのが、皐月様が被っていたあの女性の名前なのだろうか。
 正直、そんなことどうでもいい。
 それよりも、やめてほしかった。
 わたしのことを化物と呼ぶのは、やめてほしかった。
「……わたしは……違う……」
 認めたくない。
 わたしが化物であるのは外見だけだ。
 決して……決して内面は化物のものではなく、人間のものだと、そう声高に主張したかった。
 だが。
 ……それをすることを躊躇してしまう自分自身が、わたしの中のどこかに、いた。
「……わたしは」
 わたし自身のことを化物だと肯定してしまっているわたしがいること。
 それを、認めたくなくて。
「――わたしは! 化け物なんかじゃないッ!!」
 気がつくと、わたしは原田の顔面にへばりつき、触手を原田の口の中に突き入れていた。
「んんんんんんんんんんんんんんんんっ!!」
 原田が苦しげな声を上げるが、無視する。
 触手の先端から、麻痺性の毒を含む特殊な体液を原田の脳に注入した。
「あ、あぁ……」
 原田の身体が弛緩し、呼吸がゆるやかになっていく。
「…………ふ」
 それと同時に、わたしの中に湧き上がってきたのは、征服感。
 弱者を蹂躙することへの快感。
「…………っ」
 わたしは、確かに唾棄すべき醜悪なその感情を感じていた。
「違う……もん…………」
 わたしのそんな呟きは、わたし以外の誰が聴くこともなく消えていった。


 ◇


 無事に寄生を終えたわたしは、まず口から触手を出して、手足を拘束していた紐を切断した。
 少しふらつきながらも、立ち上がる。
 自分のものではない身体を動かす感覚には、しばらく慣れそうになかった。
「……さて」
 まず、原田の頭の中を覗くことにした。
「…………」
 原田の記憶に侵入していく。
 人間の脳には、名前、住所、経歴など、ありとあらゆる個人情報が詰まっている。
 わたしのこの身体は、その人間に化けるために必要な情報を読み取ることができる。
 ……原田の脳内を探り始めてから、およそ一分後。
「――――っ!!」
 ――見つけた。
 こいつの記憶の中の隣人の苗字――兼家。
 兼家……兼家は、海斗の苗字だ。
 背丈や顔の特徴も、わたしの知っている海斗のそれと合致した。
 つまり、それは。
「…………それは、おかしい」

 さすがに不自然だと思った。

 ヨーゼフがさらってきた人間が、たまたま海斗のお隣さんだったというのか?
 ――そんな偶然を純粋に信じるほど、わたしは無垢ではない。
 ヨーゼフは、こうなることがわかっていたのか?
 全て、ヨーゼフが仕組んだことなのか?
 ……今はまだ、答えの出ない問題だが、警戒はしておかなければならないだろう。
「…………」
 わたしは原田の脳を探るのを中断した。
 あまり長い時間、他の人間の記憶を探っていると、自我が希薄になってしまう恐れがある。
 今、原田の脳内を全て覗き見る必要は無い。
 逃げる道中で少しずつ覗けばいいだろう。
「……とりあえず、行くところは決まったかな」
 こいつが住んでいた街――海斗が住んでいる街に行こう。
 海斗に、会いに行こう。


 ◆


 何なんだ。
「……そのあと、海斗の住む街へ向かいました。そこで海斗を見つけて、海斗と一緒に住むために原田の身体を処理して、しばらくの間は海斗の家に忍び込んでいました。でも、海斗が旅行に行くことを知って、急いでその辺にいたこの女の身体に寄生したんです」
 何なんだ、それは。
「ここに来た初日は、まだわたし自身が安定していなくて、ときどき身体の持ち主の人格が中途半端に現れる状態でしたが、一日経って落ち着きました。それで今朝、服部さんが襲われたことを聞いて、海斗に危険が迫るときが来たのだと直感しました。そこで、海斗に全てを話す決心をしたんです」
 それは。
「……これが、わたしがこの二年間で体験したことの全てです」
「――――」
 俺と二条は言葉を失っていた。
 この二年間で、皐月は俺の想像をはるかに超えるほどのひどい目にあってきていたのだ。
 壮絶、などという言葉では言い尽くせない。
「死体の臭いは、そこでの生活の中で身体にこびりついたもの、という認識でいいのか?」
「……そう、ですね」
 二条のその質問に、皐月は淀みなく答える。
「……そのヨーゼフって奴は、どうなったんだ? 死んだのか?」
 俺がそう尋ねると、皐月は首を横に振った。
「わからない。わたしは皐月様から逃げるので精一杯だったから、あの後どうなったのか……」
「そうか……」
 皐月の話を聞く限り、全ての元凶は、そのヨーゼフとかいう男だ。
 ――許せない。
 皐月を殺し、皐月の精神を一年半もの間凌辱し続けたヨーゼフのことを、許せなかった。
「どうして海斗に、海斗自身が死ぬことをもっと早く警告しなかったんだ?」
 二条のその問いに対して、皐月は目を伏せた。
「……海斗が、わたしが出てくる夢をただの夢だと思っている間は、わたしは海斗と一緒にいられると思ったからです」
 俺は皐月のその言葉を聞いて、ハッとした。
 考えてみれば当然のことだ。
 全ての真実を話したとしても、皐月自身が化物の姿で、俺が皐月を受け入れる保証など全くない。
 俺に拒絶されるのが、怖かったのだろう。
 その心情は理解できる。少なくとも、俺は。
 そんな皐月の弱さを、一体誰が責められるだろうか。
「……今のところ、海斗に危害を加える可能性が高いのは佐原だろうな」
 二条がそう言う。
 ……俺も、そう思う。
 生死不明のヨーゼフや高峰皐月と違って、佐原はほぼ間違いなく生きているからだ。
 目的がイマイチはっきりしないヨーゼフが俺を殺す可能性もあるが、佐原のほうが可能性としては高いと思う。
「佐原ぐらいなら問題なく捌ける……が、あんたの警告のこともある。荷物も片付けたし、ここから移動だけはしとこう」
「そうですね。それがいいと思います」
「ああ……二条、運転頼む」
「任せとけ」
 二条はそう言うと、車を出す準備を始めた。
 準備と言っても、上に置いてあるものをまとめてテーブルと椅子を片付けて、それで終わりだ。
「………………」
 二条と一緒にテーブルを運びながら、何かが、俺の頭の中で引っかかっていた。
 何か、忘れていることがあるんじゃないのか?
「……そうだ」
 お姉さん。
 昨日の夢に出てきたお姉さんは何者なんだ?
 思えば、俺が今日死ぬ云々の話を最初に聞いたのはあの人だった。
「皐月」
 俺は、椅子を片付けている皐月に声をかけた。
「うん? どうしたの海斗?」
「昨日、俺の夢に皐月は出てきてないよな?」
 俺がそう尋ねると、皐月は不思議そうな表情で、
「え? うん。海斗の夢に出てきたかどうかは知らないけど、少なくとも明晰夢は使ってないよ」
「――――」
 ……やっぱり、皐月じゃない。
 そもそも、あのお姉さんの雰囲気は皐月のものとは全く違うものだった。容姿は瓜二つだったが。
「……待てよ」
 明晰夢が使える。
 容姿が瓜二つで、違う雰囲気。
 いや……違う、人格?
 そういう存在を、ついさっき聞いたような――
「――――――――高峰、か?」
 まさか。
 お姉さん――あのお姉さんが、高峰皐月?
 だとしたら、皐月の命を狙っていて、

「――あ」

 マズい。
「二条、今すぐ車を出してくれ!」
「ん? いきなりどうした?」
「どうしたの、海斗?」
 二条と皐月は、俺の言葉の意味を測りかねている様子だ。
「――急いでここから離れたほうがいい。佐原は――」


「おはようございます。みなさん」


 聞き慣れた、けれど今は一番聞きたくなかった低い声が聞こえた。
 声自体は、確かにあいつのものだ。
 ……だが、あいつが俺たちに向かってそんな馬鹿丁寧な喋り方をするなんて、ありえない。
「――――遅かったか」
 俺たちの後方。湖の畔に、彼は立っていた。


 佐原太陽が、そこにいた。

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