夢見まくら
第十七話 前橋皐月の独白
誰も、言葉を発しない。
確かに近くにいるはずなのに、俺たち三人以外の人間がいなくなってしまったかのような静寂が、場を支配していた。
「……皐月?」
その中で、最初に言葉を発したのは俺だった。
二条の突然の言葉に、戸惑いを隠せなかったのだ。
「いやいや、何言ってんだよ二条。その子は玲子さんだろ」
そんなつもりはなかったのに、喉から出た声は少し震えていた。
「文字通り、それが前橋皐月だ、って言ってんだよ」
二条は玲子さんを目で示しながら、そう言う。
その目からは、玲子さんへの敵意とも呼べるものが滲み出ているように感じられた。
「……だいたい、お前がなんで皐月のことを知ってるんだよ?」
俺と同じで、二条も皐月の知り合いだったのだろうか。
……いや、元々知り合いだったにしては、二条の態度は他人行儀過ぎるような気がする。
「大した理由じゃねーよ。前橋皐月のことは、知り合いから聞いただけだ」
「知り合い?」
「ああ。……つーか、そろそろ自分で喋ったらどうなんだ? 前橋皐月。これ以上誤魔化し続けるなんて無理だって、お前も分かってるんだろ?」
「っ…………」
二条の言葉を聞いて、玲子さんは俯いた。
「玲子さん?」
彼女の肩は、小さく震えていた。
その姿はまるで、二条の言葉が図星であるかのようで。
「………………」
顔を上げた玲子さんは、ゆっくりとその口を開く。
「……二条さん。あなた、どこまで知ってるんですか?」
「――っ!」
玲子さんのその問いは、二条の推測を肯定するものだった。
「……まさか、本当に?」
狼狽する俺を尻目に、二条は落ち着いて答える。
「お前が海斗の知り合いで……あと、“化物”だってことぐらいだよ」
「っ……」
玲子さんが再び顔を下げる。
俺は二条のその言葉に、はっとした。
化物。
それは昨日の夢の中で、皐月についてお姉さんに言われた、まさにそのものではないか。
「本当に、皐月なのか?」
俺が発したその問いに、玲子さんは僅かに躊躇うような仕草を見せてから、
「……海斗」
「あ――」
俺の名前を、囁いた。
「……さつ、き」
それだけで十分だった。
俺にはわかる。
嫌でもわかってしまった。
目の前のその姿は、記憶の中のものとは全く違うけれど、彼女が正真正銘、前橋皐月なのだと。
「……なんで、玲子さんが皐月だと思ったんだ、二条?」
「あー、そこから説明しなきゃダメなんだよな」
二条は左手で前髪を弄りながら、頭の中で考えを纏めているようだ。
「俺には魂とか、何つーか……念? そういうのが見えるんだよ。霊感が異常に強い、と言えば伝わりやすいか?」
「……なるほど。昨日のアレはガセじゃなかったのか」
「? アレって何だ?」
「ほら、服部に背後霊が憑いてるとか何とか言ってたじゃないか」
俺の言葉に、二条は納得したように頷いた。
「あれか。そうだな。……あ、一応言っとくが服部の怪我と背後霊には何の関係もないぞ?」
「そうなのか?」
「ああ。――とりあえず、理解してくれたのなら話が早い」
二条はそこで一度言葉を切った。
「で、だ。そこの玲子さんには、魂が二つ見えるわけよ」
「……魂が、二つ?」
「普通に考えたらあり得ないよな? 魂が二つある生き物なんて、そうそういない」
……二条の言い方だと、いないこともないのか。
「……よかった。わたし自身が見えているわけじゃないんですね」
皐月が発したその言葉は、やはり彼女が人間ではない何かだということを意味しているのだろうか。
「まぁ、だいたいお前がどういう方法を使ってるのかもわか――」
「言っちゃダメぇ!!」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
それは俺だけではなかったようで、二条も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
皐月が、二条に向かって静止の言葉を叫んだのだ。
……皐月がこんなに必死に大声で叫ぶ姿なんて、初めて見た。
「…………はぁ」
二条は盛大にため息をつく。
「お願いします。やめて。……わたしが、ちゃんと自分で海斗に言いますから…………お願いします」
皐月は二条に頭を下げながら、そんなことを言った。
それは紛れもなく、懇願だった。
「………………」
二条はしばらく黙ったまま、皐月のその姿を無感動な表情で眺めていた。
そして、彼女に告げる。
「はっきり言ってさぁ、あんた、海斗を殺そうとしてるようにしか見えないんだよ」
「な――」
皐月が、俺を殺す?
そんなバカな。
皐月が、あの皐月が、俺を殺したりするわけがない。
「ち、違います! わたしはそんなこと……」
皐月の必死に弁解するが、二条はそれを胡散臭そうな目で見ていた。
「待てよ、二条」
「なんだ?」
二条は皐月から目を離さずに俺の声に応える。
「皐月はそんなことする奴じゃない。絶対にだ」
「…………」
二条は黙ったままでいる。
「俺を信用してくれないか、二条」
「海斗……」
皐月が少し嬉しそうな表情を浮かべる。
そうだ。
こんな顔ができる子が、俺を殺すなんてあり得ないじゃないか。
だが、二条は全く納得いかない様子だった。
「身体中から、そんな臭いを撒き散らしてる奴を信用できると思うか?」
「臭い?」
俺にはよく分からないが、皐月から何か臭うのだろうか?
「……お前にはわからねぇか。こいつからはなぁ、人間の死体の臭いがするんだよ」
「…………なんだよ、それ」
二条の言ったことが、よく分からない。
どういう、ことなのだろうか。
「……なんで、皐月からそんな臭いがするんだ?」
「俺に聞かれても分からねぇよ」
二条は俺の質問をバッサリと切り捨てた。
「知りたいなら、本人に直接聞けばいいんじゃないか?」
「…………っ」
「なぁ、前橋皐月」
二条は皐月を軽く睨みながら、言った。
「もしお前が海斗を殺そうとしているのなら、俺は、お前を殺さないといけない」
「な――!」
皐月を、殺す!?
「二条! お前!」
「落ち着け海斗。……俺の気持ちも理解してくれないか?」
声を荒げる俺を嗜めるように、二条は静かに語りかける。
「なに?」
「人間の死体の臭いを撒き散らす、見た目は人間の化物が友人に近づいてきたら、お前なら、どうする?」
「……それは」
確かに客観的に見れば、二条が皐月を警戒するのも当然かもしれない。
臭い云々の部分は俺には分からないので何とも言えないのだが……。
「でも、すぐにどうこうしようってわけじゃない。……見たところ、一応害意は無さそうだし、話も通じる。決めるのはこいつの話を聞いてからでも遅くないと思う」
二条は、先ほどまでよりは多少和らいだ雰囲気で、皐月に問う。
「だから、教えてくれ。あんたがなんで、海斗の前に現れたのか」
……これは、二条のできる最大限の譲歩なのだろう。
皐月は神妙な顔で口を閉じていたが、ほんの少し頷いた。
「……わかりました」
◇
テーブルの上に何種類か菓子パンが無造作に置いてあるが、誰も手をつけようとはしない。
その代わり、牛乳は早くも無くなりそうなほどの勢いで消費されていた。
俺といい二条といい佐原といい皐月といい、やたらと牛乳が好きなやつが多い。
「さて」
テーブル越しに、俺の正面に座っている皐月が息をついた。
「最初に言っておくと、わたしがここに来た理由は、海斗を助けるためです」
「海斗を、助けるため?」
二条が怪訝な顔をする。
「…………」
また、だ。
またしても、お姉さんに言われたことと一致する。
「助けるって、何からだよ?」
「……海斗が誰かに殺されるのを、わたしの予知能力で見たんです。それが今日なのか、明日以降なのかはわかりませんが……」
皐月が、自身の超能力の力で、俺が死ぬ未来を見た。
これも、お姉さんの言葉通りだ。
「海斗の夢の中にしょっちゅう出てきてたのも、わたしの超能力のおかげなんだけど……海斗、あんまり驚いてないね?」
「ん? ああ、まぁ、あの夢には絶対何かあるって思ってたからな。納得してる気持ちのほうが強いよ」
「……まあ、それはいい。で、死体の臭いがするのは何でだ?」
二条がその問いを投げかけた瞬間、皐月の表情が曇った。
「……それは、わたしが今の姿になった原因と関係があります」
「ほう」
「……正直に言うと、わたしは自分のことを話すのが怖いです。特に、海斗に話すのは」
皐月は、真っ直ぐ俺を見つめていた。
「でも、だからこそ、海斗には、ちゃんと聞いてほしい」
――俺の答えなど、初めから決まっている。
「わかった。聞くよ」
「……うん。ありがと、海斗」
俺の言葉を聞いて、少し安心したような顔を見せてから、皐月はゆっくりと語り始めた。
「お二人とも、“高峰”についてはご存知ですか?」
……話す、と言っておきながら、いきなり質問が飛んでくるとは思わなかった。
「ああ。何を隠そう、あんたの名前を教えてくれたのは高峰葉月だからな」
二条は知っているらしい。
「高峰?」
が、俺は何のことやらさっぱりだ。
高峰ってたしか、皐月の母方の実家じゃなかったっけ?
「高峰ってのは、この国を代表する超能力者のことだよ」
二条が軽く補足してくれたが、イマイチよくわからない。
「超能力者っていうと、皐月みたいな感じの?」
「うん。その認識で大丈夫だよ」
「高峰の性で、かつ名前に旧暦の月の異名を持っているのが特徴だ。まぁ俺も、葉月以外の高峰に会ったことはないが」
二条が“高峰”について、さらに補足してくれた。
「はぁ、そんなのがいるのか」
俺の反応はそんなものだ。
日本を代表する超能力者、などと言われても、はっきり言ってピンと来ない。
昨日のお姉さんの言葉が無ければ、二条に向かって「疲れてるのかな? うん?」などと言ってしまった可能性がある程度には。
……ん?
ちょっと待てよ。
旧暦の月の異名?
「皐月、お前もしかして、その“高峰”なのか?」
普段は意識していないが、“皐月”は旧暦五月の異名である。
「――うん。まあ、そうだね。そうだった。わたしは……」
「皐月?」
皐月は何故か表情を曇らせる。
だが、やがて意を決したように口を開いた。
「わたしは、高峰皐月の“器”でした」
「器……っていうと、魂とか入れるやつのこと?」
俺の疑問の声に、皐月が反応する。
「うん。それで合ってるよ」
合っていたらしい。
「……なんでそんなものが必要だったんだ?」
二条は少し戸惑ったような様子で皐月を見ていた。
「ご存知ありませんか?」
皐月は静かに、二条に告げる。
「高峰は、転生するんですよ」
「……転生だと?」
二条は驚愕の表情を浮かべた。
「はい。高峰の魂は寿命を迎えると、日本にいる幼少期の子どもに無作為に宿ります」
「……初耳だ」
二条も、高峰についてそこまで詳しいわけではないらしい。
「転生、ねえ」
二条はかなり驚いていたようだが、やはり俺はピンと来なかった。
いや、スゴいとは思うけど。
イマイチ話の流れについて行けてない気がする。
「話を戻しますけど……つまり、わたし――前橋皐月と、高峰皐月の人格が一つの体の中にいる状態、いわゆる二重人格の時期があったんです」
「なるほど」
二条は何か納得したような顔をしていた。
「それで皐月は偶然にも、その、高峰皐月? の転生先になったわけか?」
俺がそう聞くと、皐月は首を縦に振った。
「うん。わたしの中の皐月様が現れたのが一歳ぐらいの時らしいの。わたしのお父さんとお母さんは高峰を信奉してるから、すごく嬉しかったみたい」
わたしの名前もそのとき改名したらしいよ、と皐月は付け加えた。
……それは、どうなのだろうか。
もし、俺が自分の子供をもつことになって、その子供の精神の中に高峰とかいう奴が入っていたら、かなり気味が悪いと思うのだが。
価値観は人それぞれ、ということか……。
「物心ついた頃には既に、わたしの中にいた皐月様とコンタクトを取ることにも成功していました。……わたし自身に適性があまり無かったせいか、高峰の超能力はほとんど使えませんでしたけどね。でも、それでも、そこそこは上手くやっていたつもりでした」
そこで皐月は目を伏せた。
「――あいつが現れるまでは」
「……あいつ?」
思わず漏れた俺の言葉に、皐月は「うん」と頷き、
「あいつ――あの男のせいで、わたしは屋上から落ちたの」
「……おい、ちょっと待て」
その言い方だと、まるで――
「お前、自殺したんじゃなかったのか?」
俺のその言葉に、皐月は目を丸くして、
「……え? ちょっと待って。わたしって、自殺したことになってるの?」
「……は?」
何が、どうなってるんだ?
皐月は自殺して死んだのだと、母さんたちは言っていたはずだ。
「……海斗が、どういう風に聞いているのかは知らないけど」
皐月が俺を見た。
「わたしはあの男に殺されたの」
俺も皐月を見る。
皐月の眼を見る。
憎しみとも、悲しみともとれない強い意志が込められた皐月の眼を、見る。
「――魔術師、ヨーゼフ・カレンベルクに」
そして、皐月は語り始める。
前橋皐月が、彼――ヨーゼフ・カレンベルクと共に過ごした日々のことを。
罪と狂気に塗れた、その日々のことを。
確かに近くにいるはずなのに、俺たち三人以外の人間がいなくなってしまったかのような静寂が、場を支配していた。
「……皐月?」
その中で、最初に言葉を発したのは俺だった。
二条の突然の言葉に、戸惑いを隠せなかったのだ。
「いやいや、何言ってんだよ二条。その子は玲子さんだろ」
そんなつもりはなかったのに、喉から出た声は少し震えていた。
「文字通り、それが前橋皐月だ、って言ってんだよ」
二条は玲子さんを目で示しながら、そう言う。
その目からは、玲子さんへの敵意とも呼べるものが滲み出ているように感じられた。
「……だいたい、お前がなんで皐月のことを知ってるんだよ?」
俺と同じで、二条も皐月の知り合いだったのだろうか。
……いや、元々知り合いだったにしては、二条の態度は他人行儀過ぎるような気がする。
「大した理由じゃねーよ。前橋皐月のことは、知り合いから聞いただけだ」
「知り合い?」
「ああ。……つーか、そろそろ自分で喋ったらどうなんだ? 前橋皐月。これ以上誤魔化し続けるなんて無理だって、お前も分かってるんだろ?」
「っ…………」
二条の言葉を聞いて、玲子さんは俯いた。
「玲子さん?」
彼女の肩は、小さく震えていた。
その姿はまるで、二条の言葉が図星であるかのようで。
「………………」
顔を上げた玲子さんは、ゆっくりとその口を開く。
「……二条さん。あなた、どこまで知ってるんですか?」
「――っ!」
玲子さんのその問いは、二条の推測を肯定するものだった。
「……まさか、本当に?」
狼狽する俺を尻目に、二条は落ち着いて答える。
「お前が海斗の知り合いで……あと、“化物”だってことぐらいだよ」
「っ……」
玲子さんが再び顔を下げる。
俺は二条のその言葉に、はっとした。
化物。
それは昨日の夢の中で、皐月についてお姉さんに言われた、まさにそのものではないか。
「本当に、皐月なのか?」
俺が発したその問いに、玲子さんは僅かに躊躇うような仕草を見せてから、
「……海斗」
「あ――」
俺の名前を、囁いた。
「……さつ、き」
それだけで十分だった。
俺にはわかる。
嫌でもわかってしまった。
目の前のその姿は、記憶の中のものとは全く違うけれど、彼女が正真正銘、前橋皐月なのだと。
「……なんで、玲子さんが皐月だと思ったんだ、二条?」
「あー、そこから説明しなきゃダメなんだよな」
二条は左手で前髪を弄りながら、頭の中で考えを纏めているようだ。
「俺には魂とか、何つーか……念? そういうのが見えるんだよ。霊感が異常に強い、と言えば伝わりやすいか?」
「……なるほど。昨日のアレはガセじゃなかったのか」
「? アレって何だ?」
「ほら、服部に背後霊が憑いてるとか何とか言ってたじゃないか」
俺の言葉に、二条は納得したように頷いた。
「あれか。そうだな。……あ、一応言っとくが服部の怪我と背後霊には何の関係もないぞ?」
「そうなのか?」
「ああ。――とりあえず、理解してくれたのなら話が早い」
二条はそこで一度言葉を切った。
「で、だ。そこの玲子さんには、魂が二つ見えるわけよ」
「……魂が、二つ?」
「普通に考えたらあり得ないよな? 魂が二つある生き物なんて、そうそういない」
……二条の言い方だと、いないこともないのか。
「……よかった。わたし自身が見えているわけじゃないんですね」
皐月が発したその言葉は、やはり彼女が人間ではない何かだということを意味しているのだろうか。
「まぁ、だいたいお前がどういう方法を使ってるのかもわか――」
「言っちゃダメぇ!!」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
それは俺だけではなかったようで、二条も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
皐月が、二条に向かって静止の言葉を叫んだのだ。
……皐月がこんなに必死に大声で叫ぶ姿なんて、初めて見た。
「…………はぁ」
二条は盛大にため息をつく。
「お願いします。やめて。……わたしが、ちゃんと自分で海斗に言いますから…………お願いします」
皐月は二条に頭を下げながら、そんなことを言った。
それは紛れもなく、懇願だった。
「………………」
二条はしばらく黙ったまま、皐月のその姿を無感動な表情で眺めていた。
そして、彼女に告げる。
「はっきり言ってさぁ、あんた、海斗を殺そうとしてるようにしか見えないんだよ」
「な――」
皐月が、俺を殺す?
そんなバカな。
皐月が、あの皐月が、俺を殺したりするわけがない。
「ち、違います! わたしはそんなこと……」
皐月の必死に弁解するが、二条はそれを胡散臭そうな目で見ていた。
「待てよ、二条」
「なんだ?」
二条は皐月から目を離さずに俺の声に応える。
「皐月はそんなことする奴じゃない。絶対にだ」
「…………」
二条は黙ったままでいる。
「俺を信用してくれないか、二条」
「海斗……」
皐月が少し嬉しそうな表情を浮かべる。
そうだ。
こんな顔ができる子が、俺を殺すなんてあり得ないじゃないか。
だが、二条は全く納得いかない様子だった。
「身体中から、そんな臭いを撒き散らしてる奴を信用できると思うか?」
「臭い?」
俺にはよく分からないが、皐月から何か臭うのだろうか?
「……お前にはわからねぇか。こいつからはなぁ、人間の死体の臭いがするんだよ」
「…………なんだよ、それ」
二条の言ったことが、よく分からない。
どういう、ことなのだろうか。
「……なんで、皐月からそんな臭いがするんだ?」
「俺に聞かれても分からねぇよ」
二条は俺の質問をバッサリと切り捨てた。
「知りたいなら、本人に直接聞けばいいんじゃないか?」
「…………っ」
「なぁ、前橋皐月」
二条は皐月を軽く睨みながら、言った。
「もしお前が海斗を殺そうとしているのなら、俺は、お前を殺さないといけない」
「な――!」
皐月を、殺す!?
「二条! お前!」
「落ち着け海斗。……俺の気持ちも理解してくれないか?」
声を荒げる俺を嗜めるように、二条は静かに語りかける。
「なに?」
「人間の死体の臭いを撒き散らす、見た目は人間の化物が友人に近づいてきたら、お前なら、どうする?」
「……それは」
確かに客観的に見れば、二条が皐月を警戒するのも当然かもしれない。
臭い云々の部分は俺には分からないので何とも言えないのだが……。
「でも、すぐにどうこうしようってわけじゃない。……見たところ、一応害意は無さそうだし、話も通じる。決めるのはこいつの話を聞いてからでも遅くないと思う」
二条は、先ほどまでよりは多少和らいだ雰囲気で、皐月に問う。
「だから、教えてくれ。あんたがなんで、海斗の前に現れたのか」
……これは、二条のできる最大限の譲歩なのだろう。
皐月は神妙な顔で口を閉じていたが、ほんの少し頷いた。
「……わかりました」
◇
テーブルの上に何種類か菓子パンが無造作に置いてあるが、誰も手をつけようとはしない。
その代わり、牛乳は早くも無くなりそうなほどの勢いで消費されていた。
俺といい二条といい佐原といい皐月といい、やたらと牛乳が好きなやつが多い。
「さて」
テーブル越しに、俺の正面に座っている皐月が息をついた。
「最初に言っておくと、わたしがここに来た理由は、海斗を助けるためです」
「海斗を、助けるため?」
二条が怪訝な顔をする。
「…………」
また、だ。
またしても、お姉さんに言われたことと一致する。
「助けるって、何からだよ?」
「……海斗が誰かに殺されるのを、わたしの予知能力で見たんです。それが今日なのか、明日以降なのかはわかりませんが……」
皐月が、自身の超能力の力で、俺が死ぬ未来を見た。
これも、お姉さんの言葉通りだ。
「海斗の夢の中にしょっちゅう出てきてたのも、わたしの超能力のおかげなんだけど……海斗、あんまり驚いてないね?」
「ん? ああ、まぁ、あの夢には絶対何かあるって思ってたからな。納得してる気持ちのほうが強いよ」
「……まあ、それはいい。で、死体の臭いがするのは何でだ?」
二条がその問いを投げかけた瞬間、皐月の表情が曇った。
「……それは、わたしが今の姿になった原因と関係があります」
「ほう」
「……正直に言うと、わたしは自分のことを話すのが怖いです。特に、海斗に話すのは」
皐月は、真っ直ぐ俺を見つめていた。
「でも、だからこそ、海斗には、ちゃんと聞いてほしい」
――俺の答えなど、初めから決まっている。
「わかった。聞くよ」
「……うん。ありがと、海斗」
俺の言葉を聞いて、少し安心したような顔を見せてから、皐月はゆっくりと語り始めた。
「お二人とも、“高峰”についてはご存知ですか?」
……話す、と言っておきながら、いきなり質問が飛んでくるとは思わなかった。
「ああ。何を隠そう、あんたの名前を教えてくれたのは高峰葉月だからな」
二条は知っているらしい。
「高峰?」
が、俺は何のことやらさっぱりだ。
高峰ってたしか、皐月の母方の実家じゃなかったっけ?
「高峰ってのは、この国を代表する超能力者のことだよ」
二条が軽く補足してくれたが、イマイチよくわからない。
「超能力者っていうと、皐月みたいな感じの?」
「うん。その認識で大丈夫だよ」
「高峰の性で、かつ名前に旧暦の月の異名を持っているのが特徴だ。まぁ俺も、葉月以外の高峰に会ったことはないが」
二条が“高峰”について、さらに補足してくれた。
「はぁ、そんなのがいるのか」
俺の反応はそんなものだ。
日本を代表する超能力者、などと言われても、はっきり言ってピンと来ない。
昨日のお姉さんの言葉が無ければ、二条に向かって「疲れてるのかな? うん?」などと言ってしまった可能性がある程度には。
……ん?
ちょっと待てよ。
旧暦の月の異名?
「皐月、お前もしかして、その“高峰”なのか?」
普段は意識していないが、“皐月”は旧暦五月の異名である。
「――うん。まあ、そうだね。そうだった。わたしは……」
「皐月?」
皐月は何故か表情を曇らせる。
だが、やがて意を決したように口を開いた。
「わたしは、高峰皐月の“器”でした」
「器……っていうと、魂とか入れるやつのこと?」
俺の疑問の声に、皐月が反応する。
「うん。それで合ってるよ」
合っていたらしい。
「……なんでそんなものが必要だったんだ?」
二条は少し戸惑ったような様子で皐月を見ていた。
「ご存知ありませんか?」
皐月は静かに、二条に告げる。
「高峰は、転生するんですよ」
「……転生だと?」
二条は驚愕の表情を浮かべた。
「はい。高峰の魂は寿命を迎えると、日本にいる幼少期の子どもに無作為に宿ります」
「……初耳だ」
二条も、高峰についてそこまで詳しいわけではないらしい。
「転生、ねえ」
二条はかなり驚いていたようだが、やはり俺はピンと来なかった。
いや、スゴいとは思うけど。
イマイチ話の流れについて行けてない気がする。
「話を戻しますけど……つまり、わたし――前橋皐月と、高峰皐月の人格が一つの体の中にいる状態、いわゆる二重人格の時期があったんです」
「なるほど」
二条は何か納得したような顔をしていた。
「それで皐月は偶然にも、その、高峰皐月? の転生先になったわけか?」
俺がそう聞くと、皐月は首を縦に振った。
「うん。わたしの中の皐月様が現れたのが一歳ぐらいの時らしいの。わたしのお父さんとお母さんは高峰を信奉してるから、すごく嬉しかったみたい」
わたしの名前もそのとき改名したらしいよ、と皐月は付け加えた。
……それは、どうなのだろうか。
もし、俺が自分の子供をもつことになって、その子供の精神の中に高峰とかいう奴が入っていたら、かなり気味が悪いと思うのだが。
価値観は人それぞれ、ということか……。
「物心ついた頃には既に、わたしの中にいた皐月様とコンタクトを取ることにも成功していました。……わたし自身に適性があまり無かったせいか、高峰の超能力はほとんど使えませんでしたけどね。でも、それでも、そこそこは上手くやっていたつもりでした」
そこで皐月は目を伏せた。
「――あいつが現れるまでは」
「……あいつ?」
思わず漏れた俺の言葉に、皐月は「うん」と頷き、
「あいつ――あの男のせいで、わたしは屋上から落ちたの」
「……おい、ちょっと待て」
その言い方だと、まるで――
「お前、自殺したんじゃなかったのか?」
俺のその言葉に、皐月は目を丸くして、
「……え? ちょっと待って。わたしって、自殺したことになってるの?」
「……は?」
何が、どうなってるんだ?
皐月は自殺して死んだのだと、母さんたちは言っていたはずだ。
「……海斗が、どういう風に聞いているのかは知らないけど」
皐月が俺を見た。
「わたしはあの男に殺されたの」
俺も皐月を見る。
皐月の眼を見る。
憎しみとも、悲しみともとれない強い意志が込められた皐月の眼を、見る。
「――魔術師、ヨーゼフ・カレンベルクに」
そして、皐月は語り始める。
前橋皐月が、彼――ヨーゼフ・カレンベルクと共に過ごした日々のことを。
罪と狂気に塗れた、その日々のことを。
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