夢見まくら
第七話 佐原太陽の憂鬱
俺はいわゆる、クラスのムードメーカー的な立ち位置だった。
小学生の頃は、バカなことを言ったり、アホなことをやったりして過ごしていた。
あまり詳しいことまでは憶えていないが、毎日が楽しかった。
中学生になり、俺の性格も少しは落ち着くかと思われたが、中学二年のときに重度の中二病を発症。毎日、右手と左眼が疼いているような錯覚を覚えていた。
気がつくと、周りには誰もいなかった。
これはマズいと思い、病気の治療に取り掛かるも、闘病生活は過酷なものだった。
最終的に、病気は治ったものの、かつてのような明るい性格ではなくなってしまっていた。
大病の完治後、なんとか周りの信頼をある程度まで取り戻すことに成功し、そこそこ偏差値の高い高校に入学。
そこで俺は、一人の少女に出会う。
「谷坂涼子っていいます。これからよろしくね」
一年のときに、隣の席になった俺は、涼子さんに一目惚れした。
艶やかな黒髪に、整った顔立ち。
綺麗だった。
後に海斗が「お人形さんみたい」という表現をしたらしいが、俺もそう思う。
それほどまでに、完成された顔立ちだった。
しかし、もちろん、当時の俺が涼子さんに積極的に話しかけられるはずがない。
クラスには何とか馴染むことが出来たが、クラスの中で全体的に男女の仲はあまり良くなかった。
それでも、涼子さんは、俺が落とした消しゴムを取ってくれたり、俺が教科書を忘れた日には、教科書を見せてくれたりはした。
だが、クラスメイト以上の関係になることはなかった。
長い間、俺は涼子さんに片思いをしたまま過ごした。
◇
そして俺は、大学に入学した。
高校での三年間、勉強はそこそこやってきたつもりだ。
その甲斐あって、なかなかいい大学に入れたと思う。
そして、俺はあいつに出会った。
全くの偶然だった。
初めての授業で、たまたま隣にあいつが座っていたのだ。
「よう。隣の席同士、仲良くしようじゃねーか」
いきなりそんなことを言ってきたので、一瞬、金でもたかられるんじゃないかと思った。
が、相手の表情を見て杞憂だとわかった。
隣にいる満面の笑みを浮かべた男は、悪い奴にはどうしても見えなかった。
「お、おう。佐原だ。よろしく」
「下の名前は?」
「え? あ、ああ、太陽だ。佐原太陽」
「太陽か。いい名前だな! 俺は服部翔太! よろしくな!」
そう言って、翔太はまた笑った。
……正直、俺は自分の名前があまり好きではなかった。
俺みたいな人間には、あまりにも不釣合いな名前だと思っていた。
でも。この時。
俺は確かに、翔太に救われたのだ。
単純だと思われるだろうか。
それでもいい。
「……ああ、よろしくな、翔太」
俺がそう言うと、翔太もまた笑った。
いい表情だった。
どこかで見たことがあるような、そんな明るさ。
まるで……そう。
小学生の頃の俺を見ているようだった。
◇
それからは、翔太が入っているサークルに入ったり、同じ講義を取っていた海斗や琢と意気投合したり、俺の人生の師である野手教授から性春のバイブルを賜ったりした。
気のいい友人たちのおかげで、俺は徐々に、かつての性格を取り戻しつつあった。
そして。
「えーと、今日からこのサークルでお世話になります、谷坂涼子です。よろしくお願いします」
俺は、涼子さんと再会した。
「た、谷坂さん?」
「あれ? 佐原くん?」
涼子さんも少し驚いているようだ。
「あり? お前ら知り合い?」
不思議そうな顔で翔太が尋ねた。
「ああ、高校が一緒だったんだ。まさか同じ大学に行ってたなんて知らなかったよ」
翔太にそう答えつつ、俺の視線は、涼子さんのある部分に釘付けになっていた。
そう、胸だ。
高校時代は制服に隠れていたものが、俺の記憶にあるものよりもかなり大きくなっていた。
……あまり胸ばかり見ていると変態みたいなのですぐに視線を逸らした。
「…………」
涼子さんがこっちを見ている。
もしかしたら胸を凝視していたのを気づかれていたのかもしれない。
だとしたら最悪だ。
最近、変態キャラが定着してきたとはいえ、涼子さんに嫌われたくはない。
涼子さんの前では、ある程度自重したほうがいいな。
……そんなことを考えていた俺が、涼子さんが翔太の彼女であることを知るまでに、そう時間はかからなかった。
◇
翔太からメールが届いた。
キャンプに必要な物や集合時間、場所など、細かいことが色々書いてある。
今までも、翔太からキャンプに誘われたことはあったが、いつも都合が悪く一回も行ったことがない。
なので、個人的に今回のキャンプは楽しみにしていた。
「早速買い出しに行きますか」
ちょうど暇だし、明日はバイトを入れていたので、今日中に必要な物を揃えることにした。
◇
けっこうな重量の買い物袋をぶら下げながら、俺は帰途についていた。
それなりに遅い時間帯であるはずだが、周りに人が多い。
特に浴衣姿の女性の姿には惹きつけられる。近くで夏祭りでもあったのだろうか。
色々な店を梯子したのでなかなか疲れた。一人暮らしのためにこっちに引越してきてから、スーパー以外の店にほとんど行っていなかったのが災いした。
まあそれでも、リストに挙がっているものを揃えることはできたはずだ。
時計を見てみると、午後十時過ぎだった。
メールが来たのが確か六時過ぎだったから、四時間近くウロウロしていたということか。
流石に疲れた。
「あーあ。どうすんのこれ……」
「……ん? あれは……」
そんなことを考えていると、浴衣女性たちの中に見知った顔を見つけた。
「涼子〜。起きてよ〜」
浴衣を着た三人組。全員顔がやけに赤い。そのうちの一人だ。
涼子さん……だと思う。多分。
桃色の浴衣を着て、長い黒髪は後ろで結ばれていた。
普段の姿も十分魅力的だが、今のこの姿もかなり魅力的だった。
……どう見てもベロンベロンに酔っ払っているが。
「ちょっと、涼子さん大丈夫?」
俺は涼子さんに近づいた。
……酒臭い。だいぶ飲んだなこりゃ。
「ん? あんた誰? 涼子の知り合い?」
涼子さんと一緒にいた二人の女の人のうちの一人が話しかけてきた。意外と意識はハッキリしているらしい。顔は真っ赤だが。
「えーと、俺は……」
さて、何と答えるべきだろうか。
元クラスメイト? 知り合い? 同じ大学の同期? いや、サークル仲間と言うのが一番いいな。そうしよう。
「あ〜、しょうたくんだぁ〜」
「えっ?」
最初に感じたのは、お腹の辺りに押し付けられたモノの暴力的な柔らかさだった。
「……んー、うふふ……」
次に感じたのは涼子さんの温もり。
何故か、現在進行形で俺の胸板に頬ずりしている。
ちょっと待て。落ち着け。
何でこんな嬉し恥ずかしなことになってるんだ?
「ああ、カレシのお迎えってわけー? いいなぁアタシもカレシほしーぃ」
もう一人の女の人のその発言からして、二人は完全に俺のことを彼氏だと思っているようだ。
いや、何故か涼子さんまで俺のことを翔太だと勘違いしているっぽい。え? 普通酔ってても自分の彼氏間違えるか?
とにかく誤解を解くことが先決だな。
「あ、実は……」
「君、涼子の彼氏ならさー、そのまま涼子お持ち帰りしちゃってよー」
「は?」
何を言ってるんだこの人は?
「彼女がこんなとこで寝てたら、悪い狼に襲われちゃうぞ? はいこれ、涼子のバッグね」
「え? ちょ……」
そう言われ、バッグを無理矢理握らされた。
「それじゃね涼子! と彼氏さん! ヤるときはちゃんとゴムつけるのよー!」
「天下の往来で何を叫んでるんだ酔っ払い!」
あははー、と笑いながら、二人は駅の方向へと消えていった。
ん? ということは、あの二人は涼子さんのためにわざわざこの駅で降りたのか?
うーん。わからん。
その辺の事情は、本人が酔いから覚めた時に聞けばいいか。
とりあえず俺の家に連れて行こう。
……でも、ちょっとだけ。
もうちょっとだけ、涼子さんの温もりを感じていたい。
いけないことだとはわかっていたけれど、こんなこと、もう二度と起こるはずがないから。
俺は涼子さんをそっと抱き寄せた。
初めて触れた彼女は、とても温かく、やさしい感じがした。
ずっと、このままならいいのにと、本気で思ってしまった。
「しょうたくーん……えへへ……」
……その声で現実に引き戻された。
こんなことをやってたらダメだ。
家に帰ろう。
……そう自分に言い聞かせながらも、足は鉛のように重かった。
小学生の頃は、バカなことを言ったり、アホなことをやったりして過ごしていた。
あまり詳しいことまでは憶えていないが、毎日が楽しかった。
中学生になり、俺の性格も少しは落ち着くかと思われたが、中学二年のときに重度の中二病を発症。毎日、右手と左眼が疼いているような錯覚を覚えていた。
気がつくと、周りには誰もいなかった。
これはマズいと思い、病気の治療に取り掛かるも、闘病生活は過酷なものだった。
最終的に、病気は治ったものの、かつてのような明るい性格ではなくなってしまっていた。
大病の完治後、なんとか周りの信頼をある程度まで取り戻すことに成功し、そこそこ偏差値の高い高校に入学。
そこで俺は、一人の少女に出会う。
「谷坂涼子っていいます。これからよろしくね」
一年のときに、隣の席になった俺は、涼子さんに一目惚れした。
艶やかな黒髪に、整った顔立ち。
綺麗だった。
後に海斗が「お人形さんみたい」という表現をしたらしいが、俺もそう思う。
それほどまでに、完成された顔立ちだった。
しかし、もちろん、当時の俺が涼子さんに積極的に話しかけられるはずがない。
クラスには何とか馴染むことが出来たが、クラスの中で全体的に男女の仲はあまり良くなかった。
それでも、涼子さんは、俺が落とした消しゴムを取ってくれたり、俺が教科書を忘れた日には、教科書を見せてくれたりはした。
だが、クラスメイト以上の関係になることはなかった。
長い間、俺は涼子さんに片思いをしたまま過ごした。
◇
そして俺は、大学に入学した。
高校での三年間、勉強はそこそこやってきたつもりだ。
その甲斐あって、なかなかいい大学に入れたと思う。
そして、俺はあいつに出会った。
全くの偶然だった。
初めての授業で、たまたま隣にあいつが座っていたのだ。
「よう。隣の席同士、仲良くしようじゃねーか」
いきなりそんなことを言ってきたので、一瞬、金でもたかられるんじゃないかと思った。
が、相手の表情を見て杞憂だとわかった。
隣にいる満面の笑みを浮かべた男は、悪い奴にはどうしても見えなかった。
「お、おう。佐原だ。よろしく」
「下の名前は?」
「え? あ、ああ、太陽だ。佐原太陽」
「太陽か。いい名前だな! 俺は服部翔太! よろしくな!」
そう言って、翔太はまた笑った。
……正直、俺は自分の名前があまり好きではなかった。
俺みたいな人間には、あまりにも不釣合いな名前だと思っていた。
でも。この時。
俺は確かに、翔太に救われたのだ。
単純だと思われるだろうか。
それでもいい。
「……ああ、よろしくな、翔太」
俺がそう言うと、翔太もまた笑った。
いい表情だった。
どこかで見たことがあるような、そんな明るさ。
まるで……そう。
小学生の頃の俺を見ているようだった。
◇
それからは、翔太が入っているサークルに入ったり、同じ講義を取っていた海斗や琢と意気投合したり、俺の人生の師である野手教授から性春のバイブルを賜ったりした。
気のいい友人たちのおかげで、俺は徐々に、かつての性格を取り戻しつつあった。
そして。
「えーと、今日からこのサークルでお世話になります、谷坂涼子です。よろしくお願いします」
俺は、涼子さんと再会した。
「た、谷坂さん?」
「あれ? 佐原くん?」
涼子さんも少し驚いているようだ。
「あり? お前ら知り合い?」
不思議そうな顔で翔太が尋ねた。
「ああ、高校が一緒だったんだ。まさか同じ大学に行ってたなんて知らなかったよ」
翔太にそう答えつつ、俺の視線は、涼子さんのある部分に釘付けになっていた。
そう、胸だ。
高校時代は制服に隠れていたものが、俺の記憶にあるものよりもかなり大きくなっていた。
……あまり胸ばかり見ていると変態みたいなのですぐに視線を逸らした。
「…………」
涼子さんがこっちを見ている。
もしかしたら胸を凝視していたのを気づかれていたのかもしれない。
だとしたら最悪だ。
最近、変態キャラが定着してきたとはいえ、涼子さんに嫌われたくはない。
涼子さんの前では、ある程度自重したほうがいいな。
……そんなことを考えていた俺が、涼子さんが翔太の彼女であることを知るまでに、そう時間はかからなかった。
◇
翔太からメールが届いた。
キャンプに必要な物や集合時間、場所など、細かいことが色々書いてある。
今までも、翔太からキャンプに誘われたことはあったが、いつも都合が悪く一回も行ったことがない。
なので、個人的に今回のキャンプは楽しみにしていた。
「早速買い出しに行きますか」
ちょうど暇だし、明日はバイトを入れていたので、今日中に必要な物を揃えることにした。
◇
けっこうな重量の買い物袋をぶら下げながら、俺は帰途についていた。
それなりに遅い時間帯であるはずだが、周りに人が多い。
特に浴衣姿の女性の姿には惹きつけられる。近くで夏祭りでもあったのだろうか。
色々な店を梯子したのでなかなか疲れた。一人暮らしのためにこっちに引越してきてから、スーパー以外の店にほとんど行っていなかったのが災いした。
まあそれでも、リストに挙がっているものを揃えることはできたはずだ。
時計を見てみると、午後十時過ぎだった。
メールが来たのが確か六時過ぎだったから、四時間近くウロウロしていたということか。
流石に疲れた。
「あーあ。どうすんのこれ……」
「……ん? あれは……」
そんなことを考えていると、浴衣女性たちの中に見知った顔を見つけた。
「涼子〜。起きてよ〜」
浴衣を着た三人組。全員顔がやけに赤い。そのうちの一人だ。
涼子さん……だと思う。多分。
桃色の浴衣を着て、長い黒髪は後ろで結ばれていた。
普段の姿も十分魅力的だが、今のこの姿もかなり魅力的だった。
……どう見てもベロンベロンに酔っ払っているが。
「ちょっと、涼子さん大丈夫?」
俺は涼子さんに近づいた。
……酒臭い。だいぶ飲んだなこりゃ。
「ん? あんた誰? 涼子の知り合い?」
涼子さんと一緒にいた二人の女の人のうちの一人が話しかけてきた。意外と意識はハッキリしているらしい。顔は真っ赤だが。
「えーと、俺は……」
さて、何と答えるべきだろうか。
元クラスメイト? 知り合い? 同じ大学の同期? いや、サークル仲間と言うのが一番いいな。そうしよう。
「あ〜、しょうたくんだぁ〜」
「えっ?」
最初に感じたのは、お腹の辺りに押し付けられたモノの暴力的な柔らかさだった。
「……んー、うふふ……」
次に感じたのは涼子さんの温もり。
何故か、現在進行形で俺の胸板に頬ずりしている。
ちょっと待て。落ち着け。
何でこんな嬉し恥ずかしなことになってるんだ?
「ああ、カレシのお迎えってわけー? いいなぁアタシもカレシほしーぃ」
もう一人の女の人のその発言からして、二人は完全に俺のことを彼氏だと思っているようだ。
いや、何故か涼子さんまで俺のことを翔太だと勘違いしているっぽい。え? 普通酔ってても自分の彼氏間違えるか?
とにかく誤解を解くことが先決だな。
「あ、実は……」
「君、涼子の彼氏ならさー、そのまま涼子お持ち帰りしちゃってよー」
「は?」
何を言ってるんだこの人は?
「彼女がこんなとこで寝てたら、悪い狼に襲われちゃうぞ? はいこれ、涼子のバッグね」
「え? ちょ……」
そう言われ、バッグを無理矢理握らされた。
「それじゃね涼子! と彼氏さん! ヤるときはちゃんとゴムつけるのよー!」
「天下の往来で何を叫んでるんだ酔っ払い!」
あははー、と笑いながら、二人は駅の方向へと消えていった。
ん? ということは、あの二人は涼子さんのためにわざわざこの駅で降りたのか?
うーん。わからん。
その辺の事情は、本人が酔いから覚めた時に聞けばいいか。
とりあえず俺の家に連れて行こう。
……でも、ちょっとだけ。
もうちょっとだけ、涼子さんの温もりを感じていたい。
いけないことだとはわかっていたけれど、こんなこと、もう二度と起こるはずがないから。
俺は涼子さんをそっと抱き寄せた。
初めて触れた彼女は、とても温かく、やさしい感じがした。
ずっと、このままならいいのにと、本気で思ってしまった。
「しょうたくーん……えへへ……」
……その声で現実に引き戻された。
こんなことをやってたらダメだ。
家に帰ろう。
……そう自分に言い聞かせながらも、足は鉛のように重かった。
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