クリフエッジシリーズ第三部:「砲艦戦隊出撃せよ」

愛山雄町

第十九話

 宇宙歴SE四五一八年八月四日。

 ジュンツェン星系のシアメン星系側ジャンプポイントJPにゾンファ共和国軍の輸送艦隊三千五百隻が到着した。
 JP付近にはアルビオン艦隊二万五千隻が待ちうけ、奇襲に対する警戒を行っている。また、JPに設置してあったステルス機雷は機能をロックしただけであり、いつでも攻撃に移れる状態で待機していた。

 一方のゾンファ艦隊は第五惑星にあるJ5要塞を発し、JPから百光秒の位置で待機している。これはアルビオン側が輸送艦隊を攻撃した場合に報復を行うためだが、アルビオンと事前協議を行い決定した位置に過ぎない。ゾンファ側の責任者であるジュンツェン防衛艦隊司令官マオ・チーガイ上将はアルビオン側が積極的に休戦協定を破るとは考えていなかったが、後にアルビオンに譲歩し過ぎたという批判を防ぐために艦隊を進めていたのだ。
 また、アルビオン側の通信を解析した結果、アルビオン艦隊が必ずしも一枚岩と言えないことが分かり、アルビオン艦隊総司令部の命令を無視して暴走する指揮官が出ないよう圧力を掛ける意味もあった。
 この件でヤシマ解放・・艦隊司令官ホアン・ゴングゥル上将が反発するかに思われたが、彼はマオの命令に素直に従った。彼は今回の作戦の失敗とこの屈辱的な扱いはジュンツェン防衛艦隊の失態であり、自分には関係ないという考えだった。彼は既に充分な戦果を上げているため、このまま停戦になったとしても自分の将来は明るいと高を括っていた。


 ゾンファの輸送艦隊はジャンプアウト後、アルビオン艦隊の臨検を受けるべく直ちに主機関を停止した。アルビオン艦隊から駆逐艦やスループ艦が発進し、輸送艦に接舷していく。
 十時間にも及ぶ臨検の結果、アルビオン政府関係者ら九十八人とヤシマの研究者や技術者約二万千名を収容した。
 アルビオンのジュンツェン進攻艦隊総司令官グレン・サクストン大将はゾンファ艦隊に対し、謝意を表した。

「貴軍の誠意ある行動に感謝する。アルビオン王国艦隊は八月六日の零時までに本星系から退去することを約束する」

 その通信に対し、マオも「貴艦隊が約定を遵守する限り、我が艦隊も約定をたがえぬことを約束する」と答え、それ以降は直接言葉を交わすことはなかった。

 ジュンツェン星系において行われた二度の会戦の結果は以下の通りである。
 アルビオン王国軍の参加艦艇二万九千八百六十隻。戦闘による喪失二千三百二十隻、補修困難と判断され廃棄処分となった艦艇二百二十三隻、喪失総数二千五百四十三隻。喪失率は八・五パーセント。戦死者数二十四万千五百八十人、戦死者率は七・四パーセントであった。
 ゾンファ艦隊の参加艦艇数三万九千四百九十隻、戦闘による損失一万五百三十四隻、廃棄処分三十二隻、喪失総数一万五百六十六隻、喪失率二十六・八パーセント。戦死者数百二十四万一千五百八十人、戦死者率は二十六・二パーセントであった。
 ゾンファ共和国軍はヤシマ侵攻作戦において、降伏による喪失を含め一万二千五百隻余りを失っている。人的資源の損失も甚大で戦死者約四十万人、捕虜となった艦隊の将兵約百十万人、地上兵力二十万人の計百七十万人の未帰還者を出している。

 物資を満載した輸送艦隊によりジュンツェン星系防衛艦隊は三ヶ月分の食料を得ることができ、本国からの緊急輸送まで凌ぐことが可能となった。
 この事実はアルビオン軍に知られることはなかった。これは第一次ジュンツェン会戦以降、マオ艦隊が戦闘に参加せず、それを知りうる捕虜を得られなかったことが主因だが、アルビオン側が想定していなかったことも大きく関係している。
 アルビオン軍は第一次ジュンツェン会戦の直後、第三惑星にある食糧供給基地を破壊したものの、ゾンファにはJ5要塞という大型要塞が健在であり、兵站に不安があるとは考えなかった。アルビオン軍では軍事拠点の備蓄量は最大戦力に対し最低六ヶ月分とされ、ゾンファにおいてもそれに準じる量の備蓄があると想定していた。実際、ヤシマ侵攻作戦が行われなければ要塞守備兵と六個艦隊に対して最低でも五ヶ月分程度の備蓄はあり、通常の作戦であれば問題は発生しない。
 もし、この時点でアルビオン側がこの事実を知っていればゾンファ共和国はジュンツェン星系を失うだけでなく、生き残った艦隊も全滅した可能性が高い。
 もちろん、アルビオンがジュンツェン星系を欲しておらず、窮鼠となったゾンファ艦隊との戦闘を避ける可能性はあるが、少なくともアルビオン側に有利な状況は作り出すことができ、戦後の情勢が大きく変わった可能性は否定できない。この一点だけ見ても第二次ジュンツェン会戦にマオ艦隊が参戦しなかった意義が認められる。
 いずれにせよ、アルビオン軍はゾンファが食糧難に陥っていることを知ることなく、ジュンツェン星系を去った。

 今回のヤシマ解放・・作戦に伴い、ゾンファ共和国では大きな混乱が発生した。国家主席であり国家統一党の書記長ティエン・シャオクアンはヤシマ作戦の失敗を秘匿しようとしたが、戦死者百六十万人を含む三百万人近い未帰還者を出していることから秘匿は不可能だった。
 前政権を担当していた穏健派――内政を重視し対外派兵に否定的な派閥――はティエン書記長の責任を追及していった。ティエンはヤシマ作戦が失敗したのは穏健派に属するマオ上将の失態であり、穏健派が責を負うべきと反論したが、自身が属する強硬派――対外派兵に積極的な派閥――からも責任を追及され辞任するしかなかった。

 政権交代は冷静に行われたかに見えた。
 軍部では大規模な再編が行われ、強硬派に属する将官の多くが更迭された。一方、穏健派に属する優秀な若手士官たちは次々と昇進した。
 その中にはジュンツェン防衛艦隊で重巡航艦戦隊を率いていたフェイ・ツーロン准将の名もあった。彼は少将に昇進し、マオ上将の幕僚として迎えられる。強硬派はその報復人事に不満を持つものの、十年前の対アルビオン戦争に匹敵する大敗に口を噤むしかなかった。唯一、フェイに対し敗戦のたびに出世するという陰口が囁かれていた。

 ヤシマ解放艦隊の司令官ホアン・ゴングゥル上将は侵攻作戦を成功させ、更に自由星系国家連合軍に大勝利したものの、結果として百七十万人以上の未帰還者を出したことから、艦隊司令官の任を解かれ左遷された。この決定に不満をぶつけるものの、国力を大きく低下させた作戦の立案者であり、ティエン書記長に近いということで誰も彼を擁護しなかった。失意に沈むかに見えたが、攻撃的な彼の性格はそれを許さなかった。一部の若手士官を焚き付け反乱を起こさせたのだ。
 反乱自体は杜撰な計画であったためすぐに鎮圧されたが、その計画書の立案にホアンが関わっていたとして告発され、軍事法廷で裁かれ銃殺された。
 更にティエンも関与したとして告発され、絞首刑に処された。これをきっかけに強硬派に属する政治家の多くが失脚した。

 この反乱後、ある噂が流れた。
 既に退役している穏健派のフー・シャオガン上将が裏で糸を引き、暗殺された盟友チェン・トンシュン前軍事委員長の仇を取ったのではないかという噂だ。フーは即座にその噂を否定したが、退役し権力を失った彼のもとに多くの政治家や軍人が訪れていることから、その噂が消えることはなかった。
 また、第一次ジュンツェン会戦で大敗したにも関わらず、防衛艦隊司令官マオ上将が罷免されなかったことも、フー上将が復権した根拠とされた。

 アルビオン王国はゾンファに対して要求を行わなかった。王国にとっては第三次ゾンファ戦争の停戦協定が破られただけとの認識だった。このことからアルビオンは完全な戦時体制に移行し、ジュンツェン星系に接続するハイフォン星系を実効支配し、防衛計画を刷新する。

 一方、ヤシマ及び自由星系国家連合はゾンファ共和国に対し、不当な侵略行為に対する賠償を求めた。特にヤシマはゾンファに拉致されたとされる多数の行方不明者がおり、その返還と補償を強く求める。
 それに対し、ゾンファは全ての要求を拒否した。
 ゾンファはヤシマ市民の要求に従って解放軍を送っただけであり、その費用を負担すべきであるとまで主張する。その厚顔な主張にヤシマと自由星系国家連合の外交官は激怒するものの、ゾンファに対して戦端を開くこともできず、ズルズルと交渉を引き延ばされるしかなかった。
 唯一得られたものは、ヤシマ星系とジュンツェン星系の間にあるイーグン星系の帰属がヤシマに確定したことだった。これによりヤシマは自国の外側に緩衝地帯を得ることができ、今回のような奇襲を受ける可能性を排除できるようになった。

 ヤシマにとって頭の痛い問題があった。それは捕虜となった百三十万人にも及ぶゾンファ将兵の存在だった。当初、ヤシマ政府は捕虜返還を補償や行方不明者返還の交渉材料にしようとしたが、ゾンファ政府は無条件での捕虜返還を求め、交渉には一切応じなかった。
 ゾンファ側が交渉に応じなかった理由はヤシマの技術者たちを返還する意思がなかったことと、ヤシマ政府が捕虜の扱いに困り、何もしなくても返還される可能性があるためと言われている。また、捕虜になった将兵が帰還した場合、治安の悪化が懸念されることも理由の一つではないかという憶測が流れたが、フー上将が虜囚となっている将兵を無為に放置することはないと否定されている。
 いずれにせよ、ヤシマは多くの兵士、市民を失い、ほとんど得るものがなかった。また、防衛艦隊の再建、イーグン星系への防衛拠点の建設など国力の低下を招くことは間違いなかった。

 ゾンファ側の思惑通り、ヤシマは捕虜の扱いに苦慮した。市民を殺害した地上軍については人道に対する罪として死刑としたが、さすがに百万人以上を処刑するわけにもいかず、食料の確保だけでも多くの負担が伴った。家族を失った市民からは処刑若しくは小惑星での強制労働などを行うよう強く求められたが、再びキョクジツニューズが暗躍し始めた。
 キョクジツグループはゾンファ軍に協力した記者や論客を解雇し、反省するかのように検証記事を公表したが、僅か数ヶ月でそれに関する記事は消えた。キョクジツグループ以外のマスメディアはゾンファの手先となったことを非難し続けたが、ヤシマ市民の反応は薄かった。
 ほとぼりが冷めたと判断したキョクジツニューズは“ゾンファ将兵に対し非人道的な対応ではなく、民主国家として人道的な対応をもって彼らに反省を促すべきだ”という主張を始めた。
 その正論に対し反論する者は人道に対する挑戦者であり、ゾンファの軍人と変わらないというような稚拙な主張を繰り返したが、市民たちは再びキョクジツニューズに踊らされ、その主張を支持していく。

 ヤシマ暫定政権首班のサイトウはその状況に危機感を抱いた。彼は捕虜と取引をし、キョクジツグループがゾンファ共和国の手先であったことを証言させ、ゾンファの協力者として記者たちを次々と逮捕していった。キョクジツニューズは軍人による報道の締め付けとして大々的に反サイトウキャンペーンを張ったが、それが彼らの命取りになった。
 祖国解放の英雄、サイトウは絶大な人気を誇り、更に清廉な人物であるため、捏造を得意とするキョクジツニューズですら、すぐにはスキャンダルを捏造できなかった。その間に有力な記者や論客が次々と逮捕されていき、逮捕されていない記者は次に逮捕されるのは自分ではないかと恐怖を感じるようになる。元々ゾンファに金で雇われているだけで、愛国心の欠片もない彼らはサイトウの切り崩しに次々と転向していった。キョクジツグループ関係者というだけで白眼視され始め、ゾンファから資金供給がなされない。一度転げ始めるとそれを止めることは不可能だった。
 キョクジツグループでは内部告発者が次々と現れ、更に逮捕者が出るようになる。キョクジツグループ内は疑心暗鬼に支配され、それが更なる没落を招いていった。僅か一年ほどでメディアとしての収入は数十分の一にまで低下し、巨大メディアグループは崩壊寸前にまで凋落した。

 サイトウは捕虜に対し、ある提案を行なった。それは隣国スヴァローグ帝国への亡命の斡旋だった。スヴァローグ帝国は三つの有人星系を有しているが、内乱による慢性的な人材不足に陥っていた。そのため、自由星系国家連合などからの移民受入に積極的だった。更にゾンファ共和国と国境を接していないことから紛争もなく、反ゾンファ感情の少ない唯一の国家だった。
 サイトウは自分たちが虐げ反ゾンファ感情の強いヤシマより、肩身の狭い思いをせず自由に生きていけるスヴァローグへの移住を提案したのだ。
 捕虜たちは小惑星の一つに閉じ込められ、完全に隔離されていた。また、祖国が自分たちを見捨てたことは知らされており、多くの自殺者が出ている状況であった。彼らはサイトウの説明を信じた。というより、信じるしかなかったのだ。
 スヴァローグの実情を知る者も僅かにいたが、多くのゾンファ将兵はサイトウの提案に乗った。そして、この提案は人道的にも問題なく、サイトウに反発するキョクジツニューズですら反対することができなかった。

 サイトウは人道的な見地からゾンファ将兵に同情し、スヴァローグに亡命させるわけではなかった。スヴァローグは皇帝を頂点とする厳しい身分制度があり、移民の身分は最も下位となる。もちろん人権などないに等しく、酷使され搾取されるだけの存在として生きていかなくてはならない。
 それを知っていた上で彼は提案したのだ。
 彼はゾンファ将兵を許すつもりはなかった。降伏が認められず殺されていった部下や家族を人質に取られ死地に赴かざるを得なかった同胞たちを弔うため、ゾンファ将兵に最も過酷な罰を与えたのだ。
 ヤシマ政府は移民の斡旋料として、スヴァローグから幾ばくかの金を受け取っている。戦死した将兵たちへの補償には遠く及ばないが、それでもゾンファから得られなかった補償を得たとして、サイトウは市民から絶賛される。
 そんなことを知らないゾンファの捕虜たちは、百万人以上が一年以内にスヴァローグへ亡命を希望した。そして、亡命した者はほぼ全員、スヴァローグに移住したことを後悔することになった。自分たちは移民ではなく、奴隷としてここに送り込まれたと知ったためだ。
 スヴァローグは彼らを農奴のように酷使し、磨り潰していく。更に藩王同士の抗争にも駆り出され、無為に命を散らせていった。数年後には半数以上が命を落とし、残りも生きる希望を失っていた。

 スヴァローグにいかなかった者たちも決して幸福ではなかった。放棄されていた資源採掘用小惑星に閉じ込められ、自活できるギリギリの環境に置かれる。リサイクルによる単調な食事と情報端末だけでなく紙すら与えられない環境。することもなく、無為に過ごす日々に彼らは次第に疲弊していった。
 それでもヤシマは彼らに干渉することはなかった。そもそも通信設備すら与えず、年に数度太陽光パネルや環境データを宇宙空間から確認するだけで、一切の接触を行わなかったのだ。
 そして、脱出するための資源もない絶望的な状況で、誰にも思い出されることなく、ゾンファの捕虜たちは時代の狭間に消えていった。


■■■

 宇宙歴SE四五一八年九月二日。

 ヤシマ解放作戦、作戦名“ヤシマの夜明け――Operation Yashima Dawn――”、通称YD作戦参加部隊のうち、ジュンツェン進攻艦隊はキャメロット星系に帰還した。同じYD作戦参加のヤシマ解放艦隊は未だにヤシマ星系から帰還していないが、キャメロットは戦勝ムード一色で、どのマスメディアもジュンツェン会戦の特集を組んでいた。
 総司令官グレン・サクストン大将や総参謀長アデル・ハース中将、更に第九艦隊司令官ジークフリード・エルフィンストーン大将は多くのメディアの取材を受けていく。彼らは軍の公式発表以上のことは発言しないが、地方のメディアに出演した下級士官や下士官兵たちは自分たちの思いを素直に表現していく。公式発表以上の情報が漏れ伝わってくると、ある事実が注目され始めた。それは第三艦隊の不自然な行動だった。
 将官たちは軍機に関わるとして明言を避けたが、戦友や肉親を失った下士官兵たちは艦隊内で流れていた噂として多くの情報を伝えていく。特にリンドグレーン提督が敵前逃亡を企てたという話はまことしやかに話され、ハワード・リンドグレーン大将への取材申し込みが殺到した。

 リンドグレーンはすべての取材を断った。しかし、メディアは執拗だった。
 得られた情報を元にリンドグレーンの行動を分析していった。その結果、第三艦隊の不可解な行動により十万人以上の死者を出したという推測があたかも事実かのように報道された。また、第二次ジュンツェン会戦で圧倒的な勝利を得られれば、そのままシアメン星系に移動し、ゾンファの輸送艦隊を拿捕することも可能だったと断定する。
 もしそうなっていれば、ゾンファの兵站機能に大きなダメージを与え、アルビオンの恒久的な平和に寄与できたとメディアは強く主張した。
 メディアはその推測が正しいかどうかに興味はなかった。彼らが欲したのはスキャンダルという“商品”だったのだ。“大勝利”という商品は様々なメディアで垂れ流され、すぐに陳腐化する。それに変わる商品として、大衆が求めるスキャンダルが必要だった。今回のリンドグレーンの行為は多くの死者を出しており、大衆が求める悪役ヒールとしては最適だった。遺族の涙や戦場での美談をスパイスにすれば、長期間にわたって商売になる。メディアはそう考え、徹底的にリンドグレーンの身辺を調査していく。

 その調査の中である噂が浮かび上がってきた。
 リンドグレーンには十年前の第三次ゾンファ戦争におけるハイフォン星系攻略作戦での疑惑――オーウェル大尉が士官候補生時代に死にかけた無謀な作戦――があった。メディアはその過去を暴くことで更なる商品となると歓喜する。
 そして、彼らはある噂を聞きつけた。それはリンドグレーンが“クリフエッジ”ことコリングウッド少佐を査問会議に掛けたという話だった。その話はすぐに事実として確認された。
 クリフォードの活躍はアルビオン軍の広報官たちによって既に広められており、お荷物といわれていた砲艦で敵駆逐艦を二隻も戦闘不能に陥らせた話は、艦隊戦で活躍したエルフィンストーン提督の武勲以上に注目され、レディバードの乗組員たちと共に多くのメディアに出演していた。
 その若き英雄に対し、敵前逃亡の汚名を着せようとしたという話に多くのメディアが飛びついた。

 リンドグレーンへの報道合戦が激しくなると、各社は新たなスクープを見つけ出そうと必死になっていく。その過程で様々な事実が発見され、それが更に報道合戦を過熱させる。
 その中で十年前のハイフォン攻略作戦でクリフォードの父リチャードが負傷したのは、リンドグレーンの無謀な命令が原因であったことが判明した。更にリンドグレーンが野党民主党の副代表と縁戚関係にあり、クリフォードの義父ノースブルック伯とライバル関係にあるなど、大衆に受けるネタが多く出てきた。
 メディアでは以下のようなやり取りが多く行われ、大衆たちを惹き付けていく。

『リンドグレーン提督の行為は常軌を逸していると思いますが』とキャスターが退役軍人であるコメンテーターに話を振る。

『確かに。コリングウッド少佐は上級士官養成コース、いわゆる艦長コースと呼ばれる教育で優秀な成績を収めたにも関わらず、砲艦の艦長となったことは当時から異例中の異例と言われていました。……私が独自に入手した情報ではこの件にもリンドグレーン提督が関与しているようです』

 コメンテーターが訳知り顔でそういうとキャスターは大袈裟に驚き、

『そんなことが行われたのですか! 事実なら軍を私物化していると言われてもおかしくないですね』

 コメンテーターは憂慮するように表情を曇らせ、

『こういった噂は以前からあります。ごく一部の将官だけだと信じたいのですが、伝統ある王国軍を汚す行為だと……』

 リンドグレーンに関するスキャンダル報道合戦は留まることを知らなかった。
 彼は一切反論しなかった。
 その代わり、縁戚関係にある野党民主党の副代表ヴィンセント・シェイファー連邦上院議員に面会を申し込む。シェイファーは伯爵位を持ち、与党保守党のノースブルック伯爵のライバルといわれる人物だ。革新的な政策と歯切れのいい演説で若年層や低所得者層に人気があるが、クリフォードを巧みに利用するノースブルックに大きく水を開けられていた。
 シェイファーは従兄弟であるリンドグレーンの訪問を喜ばなかった。既にリンドグレーンの失態が彼の耳にも充分に入っており、縁戚関係にあるという事実すら否定したいと考えるほどだった。

 シェイファーはリンドグレーンを自室に招き入れると、不機嫌そうな顔を隠そうともしなかった。そして、他人行儀な口調で用件を尋ねる。

「何用ですかな? 提督」

 それまでであればファーストネームで“ハワード”と呼んでいたが、あえて“提督”という役職名を使った。その口調にリンドグレーンはシェイファーも自分を見限っていると感じたが、自分が復権するためには彼の力が必要であると考え、愛想笑いを浮かべて話しかける。

「久しぶりに会って“提督”はないだろう、ヴィンセント」

 そういいながら握手を求めるが、シェイファーは「すまないが忙しい身でね。用件を言ってくれないか」とそっけない態度で右手を取ろうともしなかった。
 リンドグレーンはそれでも笑みを浮かべたまま、

「今回の作戦で与党を攻撃する情報を入手したのだよ。それを伝えようと思ってね」

 リンドグレーンはそう言うとシェイファーの答えを聞くことなく、話し始める。

「サクストンは凱旋したが、奴は自らの武勲とするため、無用な会戦を引き起こしている……」

 リンドグレーンの主張は以下のようなものだった。
 第一次ジュンツェン会戦でゾンファ艦隊にダメージを与え、食糧供給基地を破壊している。この情報はヤシマに侵攻したホアン上将に伝わり、彼はヤシマから撤退した。第一次ジュンツェン会戦後、アルビオン艦隊はホアン艦隊が戻ってくるシアメン星系側ジャンプポイントJPに布陣せず、ハイフォン星系側JPに布陣すべきだった。ホアン艦隊がジュンツェンに戻れば、必然的にヤシマは解放されることになるため、作戦の目的は達成されるから二度目の戦闘は不要となる。

「……第二次ジュンツェン会戦は始まる前から敵戦力が優位であると分かっていたのだ。当然、艦隊に大きな損害が出る。つまり、奴は戦略に関係なく無為に戦闘を引き起こし、多くの将兵を死なせたのだ。その理由が存在するかも分からないアルビオン政府関係者の救出だ。当時はその情報が確実であるという保証はなかった。奴は自らの武勲のために戦端を開いたのだ」

 興奮気味にそう言い切るとシェイファーの顔を凝視した。リンドグレーンはシェイファーが“与党の失策をよく知らせてくれた”と言うことを期待していた。しかし、シェイファーは苦虫を噛み潰したような表情のまま無言で立ち尽くしていた。
 数秒後、シェイファーが口を開いた。

「そのようなことを言うために私のところに来たのか? 私に多大な迷惑が掛かると分かっているのか!」

 リンドグレーンは彼の怒りが信じられず、「与党を攻撃する絶好の材料ではないか」と反論するが、シェイファーは「馬鹿馬鹿しい!」と吐き捨て、

「サクストン提督の行いは賞賛こそすれ非難などできん。市民を守ることが軍の使命だ。それをここまで忠実に実行した提督を非難できるはずがなかろう!」

 リンドグレーンは愕然とした表情で立ち尽くす。シェイファーは彼に対し、更に言葉を叩きつける。

「君は自分の立場が分かっているのか。君は総司令部の命令に反し十万人以上の将兵を殺した。それだけじゃない。敵前逃亡の疑いすらかけられているのだ。それだけならまだいい。君は私怨を晴らすためにコリングウッド少佐を弾劾したそうではないか。少佐はメディアの寵児だ。そんな人物を敵に回すほど愚かなのか、君は。君が縁者であるという事実が私にとって障害になっているのだ。これ以上迷惑を掛けることなく、大人しく退役してくれ」

 シェイファーはメディアを敵に回すリンドグレーンを鬱陶しく思っていた。すべてを胸に秘めたまま自殺してくれればとさえ思っていた。さすがにそれは言葉にしなかったが、メディアに反論することなく、静かに退役し領地に篭ってほしいと依頼したのだ。
 唯一の味方だと思っていた従兄弟に明確に拒絶され、リンドグレーンは失意のうちに要塞衛星アロンダイトにある官舎に戻った。

 彼は過熱する報道に酒に溺れ始める。家族は酒に溺れるだけの彼に愛想を尽かし、領地に引き篭もった。リンドグレーンは誰にも相手にされることなく、要塞内にある将官用のバーで酒を呷っていく。
 そんなある日、官舎に戻る途中、彼は複数の暴漢に襲われた。
 その暴漢たちは第八艦隊の戦艦に乗り組んでいた下士官たちだった。第八艦隊は第二次ジュンツェン会戦で第三艦隊の横に配置されており、第三艦隊が離脱したためホアン艦隊の圧力を最も受けていた。彼らの乗り組んでいた戦艦はホアン艦隊の最後の突撃で大破し、艦長を初め多くの乗組員が戦死している。生き残った彼らは戦友を見捨てたリンドグレーンに報復するため待ち伏せていたのだ。

「貴様が逃げなけりゃ、うちの連中は死なずに済んだんだ!」と大柄な一等兵曹がハンマーのような拳でリンドグレーンの鳩尾を打ち抜く。
 リンドグレーンは息が止まるほどの衝撃を受けて蹲り、胃の中に残っている酒を吐き出していく。
 更に小柄な二等兵曹が吐き続けるリンドグレーンの脇腹を軍用ブーツで蹴り、「提督の癖に臆病風に吹かれやがって。お前のせいで俺の弟は死んじまったんだ!」と叫ぶ。
 リンドグレーンは彼らの叫び声に対し、「やめろ」と弱々しく訴えるが、更に数人の下士官が暴行を加えていった。
 五分ほど殴る蹴るの暴行を加えていると、鋭い警笛の音と共に軍警察MPの車両が近づいてくる。下士官たちはそれでも暴行を止めない。
 MPの士官が「そこまでだ! 酔っ払っての喧嘩は営倉入りだぞ!」と言って間に入る。MPたちは地面に転がる人物の軍服が将官のものであると気付き、慌て始める。
 下士官たちはMPが乱暴に止めに入り、下士官たちを羽交い絞めにしていく。羽交い絞めにされた下士官たちは大人しくなるが、年嵩の兵曹長がぼそりと呟いた。

「こいつは喧嘩じゃねぇ。敵討ちなんだ……」

 MPはボロボロになった被害者の顔を見て、彼が誰なのか気付いた。
 MPの兵士の一人が「リンドグレーン提督……」と呟くと、羽交い絞めにしていた下士官たちを放していた。解放された下士官たちはその場にへたり込んだ。
 MPの士官は「気持ちは分かるが、これは軍規違反だ。全員大人しくついてきてくれ」と同情を示しながらも全員を拘束した。リンドグレーンは肋骨と右腕を骨折し、更に内臓に損傷が見られたが命に別状はなかった。
 この事件は大きく報道された。軍から公式には発表されていないが、付近に住んでいた酒場の経営者である民間人が報道機関に連絡したのだ。本来であれば要塞内であり、酒場の経営者も軍属に準ずるため情報漏洩は処罰の対象となるのだが、今回はなぜか当局も不問に付していた。
 下士官たちは戦友を失ったことによる一時的な精神障害と診断され、三十日間の追加勤務という非常に軽い処分とされた。
 リンドグレーンはこの一件で自分が軍からどう見られているか悟った。
 彼は失意のうちに退役し、領地に篭ることになる。
 しかし、失意の彼に更なる追い討ちが掛けられた。第三艦隊の司令部が作成した報告書により第二次ジュンツェン会戦の彼の行動は不合理であり、友軍を危険に曝す行為と認定された。更に彼の過去の功績についても疑義が呈され調査が行われた。
 その結果、過去の功績についても誤りだったと認定された。リンドグレーンは今回の不名誉な行為により、伯爵位から子爵に降爵された。更に過去の功績が無効になったため、次代に継承する際には更に降爵することが決定的となった。
 領地に篭ったリンドグレーンは執筆活動を開始し、その著作で自らの正当性を訴えた。しかし、彼に対する評価は終生変わらず、次第に忘れ去られていった。

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